| みなさまおはようございます。
■No29838に返信(pipitさんの記事) > ↓英訳のDeepLによる日訳 > > しかし、空間の中の何か(たとえば線)を認識するためには、私はそれを描かなければならず、こうして与えられた多様体の確定された結合を総合的に生み出さなければならない。したがって、この行為の統一は同時に(線の観念における)意識の統一であり、この手段によってのみ対象(確定した空間)が認識されるのである。したがって、意識の総合的統一は、すべての認識の客観的条件であり、私が対象を認識するために単に必要とするだけでなく、私にとっての対象となるために、あらゆる直観が必然的に従わなければならないものである;なぜなら、他の方法では、またこの総合なしでは、直観における多様体は一つの意識に統一されることができないからである。 >
鏡の縁を、『直線』と捉える。 私はどうやって、直線ととらえる?
心の中で直線を鏡の縁にあてがって、あるいは鏡の縁を心の中の直線にあてがって、直線と捉える。
直線を純粋直観に描き出す。
純粋直観に描いた表象を、直線という概念の下に、統一させる機能が「私は考える」という自己意識であり、その統一の結果として、自に対する客体としての直線という「対象」物が現れる。
さて、他が先立つのか、自が先立つのか、名付けられない何かが先立つのか....
|