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■29953 / inTopicNo.25)  B140
  
□投稿者/ pipit -(2023/03/11(Sat) 21:15:08)
    こんじょぉー (゚ω゚)

    B140
    The transcendental unity of apperception is alone objectively valid; the empirical which we do not consider in this essay, and which is merely a unity deduced from the former under given conditions in concreto, possesses only subjective validity. One person connects the notion conveyed in a word with one thing, another with another thing; and the unity of consciousness in that which is empirical, is, in relation to that which is given by experience, not necessarily and universally valid.

    機械翻訳DeepL日訳
    超越論的な認識の統一は、客観的にのみ有効である。このエッセイでは考慮しないが、経験的なものは、具体的に与えられた条件の下で前者から演繹された統一に過ぎず、主観的にのみ有効性を有する。ある人は言葉で伝えられた概念をある物と結びつけ、別の人は別の物と結びつける。経験的なものにおける意識の統一は、経験によって与えられるものとの関係では、必ずしも普遍的に有効ではない。

引用返信/返信 削除キー/
■29937 / inTopicNo.26)  
□投稿者/ pipit -(2023/03/09(Thu) 19:11:48)
    まぁ次に進みましょう ( ̄▽ ̄;)

    次は、B、、、うぅ、まだ140 ですね ( ;∀;)
引用返信/返信 削除キー/
■29936 / inTopicNo.27)  Re[21]: B140
□投稿者/ pipit -(2023/03/09(Thu) 19:07:16)
    2023/03/09(Thu) 19:25:25 編集(投稿者)
    2023/03/09(Thu) 19:07:58 編集(投稿者)

    直観一般っていうのは、どんな直観でも当てはまるということで、
    それは時間という形式を伴って現れる 

    その時間 は ある意識の統一の下に属するもので

    それは(わたしは思考する)を生み出す意識と、直観の多様が必然的に関係するように仕組む[悟性の純粋な総合]によるもの。

    ふむー

    悟性の純粋総合 が生じるとき 時間 も生じる

    悟性の純粋総合 が滅するとき 時間 も滅する  ?

    (・・?)
引用返信/返信 削除キー/
■29935 / inTopicNo.28)  Re[20]: B140
□投稿者/ pipit -(2023/03/09(Thu) 18:57:58)
    ふむー、おもしろいね。

    前半は、(時間は直観一般として、意識の統一のもとに置かれる)と。
    でも、その直観一般とは(すでに多様なものを含んだものとして、)だね。

    だけど、
    中山元先生訳『時間という直観の純粋な形式は、』
    英訳『the pure form of intuition in time,』

    で、微妙に意味が変わってしまうような?

    中山元先生訳だと、形式としての時間が意識の統一のもとに置かれる、で、
    英訳だと、時間における直観の形式、という意味合いになるかなぁ

    内的直観の形式は時間で、外的直観の形式は空間だったと思うけど、外的も結局内的のもとに置かれるから時間がすべての直観の形式と言ってた気もするから、、、
    ということは、中山元先生訳でいいのかな?

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■29934 / inTopicNo.29)  B140
□投稿者/ pipit -(2023/03/09(Thu) 18:42:09)
    まだ、B140
    気合い!(゚ω゚)

    、、、なんや、この文章。。。

    中山元先生の訳を引用させていただいて、その後、英訳見てみよう。

    『純粋理性批判2』カント、中山元先生訳、p129.130より引用。
    『これにたいして時間という直観の純粋な形式は、
    与えられた多様なものを含むたんなる直観一般として、
    意識の根源的な統一のもとに置かれる。
    しかしこれが可能となるのは、
    直観に含まれる多様なものが、
    〈わたしは考える〉という一者と必然的に関係する場合だけであり、
    経験的な総合の根底にアプリオリに存在している知性の純粋な総合による場合だけなのである。』

    J. M. D. Meiklejohnさん英訳
    『On the contrary, the pure form of intuition in time, merely as an intuition, which contains a given manifold, is subject to the original unity of consciousness, and that solely by means of the necessary relation of the manifold in intuition to the “I think,” consequently by means of the pure synthesis of the understanding, which lies à priori at the foundation of all empirical synthesis.』

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap45


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■29883 / inTopicNo.30)  私的日記
□投稿者/ pipit -(2023/03/04(Sat) 07:24:36)
    そう思うに決まっている。そういう感情が出るに決まっている。

    そこから 自由 になれるか いなか

    自由 とは ?


    チャレンジだね ^_^


    今日お仕事なりー ( ;∀;)ガンバロ-
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■29882 / inTopicNo.31)  今日の朝の日記
□投稿者/ pipit -(2023/03/04(Sat) 07:15:03)
    みなさまおはようございます(^ ^)

    No29880
    >A・・・@の行為により、【対象物】が出来上がる。それは、行為主にとっての客観的世界を構築するための情報統一である。
    目の前に◯◯があり、左側に△△があり、右側に××がある。
    この『在る』としての対象を作り上げるのが、統覚の超越論的統一なのではないかと、現時点でのpipit感想です。
    そして何処が〈超越論的〉なのかというと、直観の多様は経験的に与えられるけど、その統一への流れ方や途中における概念の関与に、アプリオリな部分があるとする説の箇所がある為に〈超越論的〉と名付けてる。<

    上記引用文章後半の【何処が超越論的なのか?】に関連してると思う、pipitの過去投稿の再投稿です。

    ==引用開始==
    No24534
    (B138)

    The first pure cognition of understanding, then, upon which is founded all its other exercise, and which is at the same time perfectly independent of all conditions of mere sensuous intuition, is the principle of the original synthetical unity of apperception.

    DeepL機械翻訳()はpipitによる追加

    そして、理解(understanding)の最初の純粋な認識は、その上に他のすべての運動(exercise)の基礎があり、同時に、単なる感覚的直観のすべての条件から完全に独立している、知覚の元の総合的統一の原理(the principle of the original synthetical unity of apperception)である。

    ===========
    pipit読書日記

    知覚(apperception)と機械翻訳されてるけど、カント文脈としては【統覚】が馴染みの言葉ですね。

    【統覚の根源的総合的統一の原理 = 知性の最初の純粋な認識】
    が、
    知性(悟性・understanding)の働き(exercise)の基礎になるもので、
    それは感覚的直観の条件(時間空間?)から完全に独立した認識である。

    ふむー。(難しい)

    根源的な、総合的統一、という路(ルート)。

    経験的という名の水が入ると、そのルートを流れるしかない。

    そのルートの流れは、水の在り方の条件とは、独立した在り方をしてる。

    かな。(難しい)

    ==引用終了==

    2023年3月4日の今日、再読して思うのは、
    ルート(路)が、アプリオリで、ルート(路)に沿って経験的質料?と共に成形された対象が認識として自己に投げ入れられる、ってイメージかなぁ

    このイメージはこれから先に変わるかもだけど



引用返信/返信 削除キー/
■29880 / inTopicNo.32)  B140
□投稿者/ pipit -(2023/03/03(Fri) 23:36:06)
    みなさま、こんばんは(o^^o)

    なんとか続きを一文でも読もうと思ったのですが、、、
    うぅ、根性が出ません。。。_| ̄|○

    でもここら辺は過去に読んだなぁと検索して、コピペを…
    というわけで、B140あたりについてです!


    ↓過去投稿抜粋引用
    -----------------
    No24875 『B140』

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap45

    日訳はいろんなものを参考にさせていただいてのpipitの訳です。

    (英訳省略)

    統覚の超越論的統一によって、
    直観により与えられる多様が対象の概念に統合される。
    それゆえ、超越論的統一は客観的と呼ばれ、意識の主観的統一とは区別されなければならない。
    意識の主観的統一は、内的感覚の規定であり、内的感覚よって、統合されるように、直観における多様体は経験的に与えられる。

    --------------------------------

    No24908
    @統覚の超越論的統一によって、直観により与えられる多様が対象の概念に統合される。
    Aそれゆえ、超越論的統一は客観的と呼ばれ、意識の主観的統一とは区別されなければならない。
    B意識の主観的統一は、内的感覚の規定であり、内的感覚よって、統合されるように、直観における多様体は経験的に与えられる。

    ※※※※※※※※※

    (pipit私見)

    @・・・どのレベルで【対象の概念】とカントが言ってるのかわからないのですが、
    ある一つの対象物(認識対象としての1)に、、、pipitの感覚で言えば、、、様々な情報を(変換も込みで)紐づける。
    個々の眼識結果、意識結果、触識結果、などを一つの対象物に集約(統一)させる。

    A・・・@の行為により、【対象物】が出来上がる。それは、行為主にとっての客観的世界を構築するための情報統一である。
    目の前に◯◯があり、左側に△△があり、右側に××がある。
    この『在る』としての対象を作り上げるのが、統覚の超越論的統一なのではないかと、現時点でのpipit感想です。
    そして何処が〈超越論的〉なのかというと、直観の多様は経験的に与えられるけど、その統一への流れ方や途中における概念の関与に、アプリオリな部分があるとする説の箇所がある為に〈超越論的〉と名付けてる。

    B・・・意識の主観的統一は、主体の感情や推測なども交えた経験的情報の認識対象への統一。

    --------------------------------
    ↑過去投稿抜粋引用終了

    (2023年3月3日のpipit雑感)

    上記でpipitが
    >統覚の超越論的統一によって、
    直観により与えられる多様が対象の概念に統合される。<

    と訳した箇所の原文を、中山元先生は、

    『自己統合の意識の超越論的な統一は、直観に与えられたすべての多様なものを、客体についての概念と結合する役割をはたす。』
    (光文社古典新訳文庫『純粋理性批判2』p129

    と日訳されていて、
    多様なものがピュンピュンと概念にくっついていくようなイメージが喚起されまして、pipitには面白かったです。



引用返信/返信 削除キー/
■29854 / inTopicNo.33)  YouTube日記
□投稿者/ pipit -(2023/03/01(Wed) 13:44:46)
    画面に出てきたナゾトキラボさんのYouTube
    https://youtu.be/SwCWZxP0HTE

    トポロジーだ...ドーナツ...

    と見てたら、後半『ケーニヒスベルクの橋問題』でてきた
    Σ(・□・;)

    ケーニヒスベルクはカント先生が住んでいたところ。

    カント先生の散歩....

    ちなみに、トポロジー関連で、福岡伸一先生は、人間をチクワに喩えてた記憶あります

    そのため、時々、自分も含めたちくわな世界を一瞬想像してしまうときあります

引用返信/返信 削除キー/
■29852 / inTopicNo.34)  YouTubeショート日記
□投稿者/ pipit -(2023/03/01(Wed) 09:24:01)
引用返信/返信 削除キー/
■29851 / inTopicNo.35)  Re[11]: 第一部 超越論的分析論T−2
□投稿者/ pipit -(2023/02/27(Mon) 22:54:46)
    うましかさん、こんばんはー( ^ω^ )

    No29850
    > > ところで、一つの学問のこうした完璧性〔Vollstaendigkeit〕は、単に試験的にこころみられた寄せ集めを概算してみたのでは信頼をもって想定されることはできない。だから、そうした完璧性は、ア・プリオリな悟性認識の全体の理念〔Idee des Ganzen〕≠介して、このア・プリオリな悟性認識を形成する諸概念をこの全体の理念に基づいて明確に区分することによってのみ、従って、それらの諸概念を一つの体系として脈絡付けること≠ノよってのみ、可能なのである。<<

    あ!『この全体の理念に基づいて明確に区分することによってのみ、』
    、、、、
    【全体】自体が理念だったのかな?!

    > それ故、純粋悟性は、それ自身だけで存立している自足的な、外から付け加わるいかなる添え物によっても増大することのない、一つの統一である。<

    一つで完璧。一つという理念…
    システム....
    いろんな概念が頭に浮かびます。

    > ◇ だから、純粋悟性の認識の総括〔概念〕〔Inbegriff〕は、一つの理念の下で包括され規定され得ることのできる一つの体系を成すであろうし、この体系の完璧性と分節〔Artkulation〕は、同時に、その内へと組み込まれる全ての認識要素の正しさ〔Richtigkeit〕と純粋さ〔Echtheit〕の試金石をも与え得るのである。<

    ここらへんの内容もなんか美しさを思ってしまうんですよね。
    でも、普通に考えたら、カントは随分と独断的に筆を運んでいる印象になってしまうかもなぁ、とも思いました。

    おつかれさまです(^_^)

引用返信/返信 削除キー/
■29850 / inTopicNo.36)  第一部 超越論的分析論T−2
□投稿者/ うましか -(2023/02/27(Mon) 21:10:08)
    2023/02/27(Mon) 21:11:05 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学

    第一部 超越論的分析論〔DIE TRANSZENDENTALE ANALYTIK〕

    ◇ この分析論〔Analytik〕は、私たちのア・プリオリな全認識〔gesamten Erkenntnisses〕を、純粋な悟性認識〔reinen Verstandeserkenntnis〕の諸要素〔Elemente〕へと分析するものである。その際、次の諸要件が問題となる。

     1.その諸概念は純粋な概念であって、経験的な概念ではないということ
     2.それらの諸概念は直観及び感性にではなく、思考及び悟性に属するということ
     3.それらの諸概念は基本概念〔Elementarbegriffe〕であって、派生的な概念、或いは派生的な概念から合成された概念からは十分区別されていること
     4.それらの諸概念の表〔Tafel〕は完璧〔vollstaendig〕であり、それらの諸概念は純粋悟性の全分野を全面的に充たすということ

    ところで、一つの学問のこうした完璧性〔Vollstaendigkeit〕は、単に試験的にこころみられた寄せ集めを概算してみたのでは信頼をもって想定されることはできない。だから、そうした完璧性は、ア・プリオリな悟性認識の全体の理念〔Idee des Ganzen〕≠介して、このア・プリオリな悟性認識を形成する諸概念をこの全体の理念に基づいて明確に区分することによってのみ、従って、それらの諸概念を一つの体系として脈絡付けること≠ノよってのみ、可能なのである。

    --- No. 29833 からの続き ---

    ◇ 純粋悟性は、全ての経験的なものからのみならず、全ての感性からさえ、完全に分離されている。それ故、純粋悟性は、それ自身だけで存立している自足的な、外から付け加わるいかなる添え物によっても増大することのない、一つの統一である。

    ◇ だから、純粋悟性の認識の総括〔概念〕〔Inbegriff〕は、一つの理念の下で包括され規定され得ることのできる一つの体系を成すであろうし、この体系の完璧性と分節〔Artkulation〕は、同時に、その内へと組み込まれる全ての認識要素の正しさ〔Richtigkeit〕と純粋さ〔Echtheit〕の試金石をも与え得るのである。

    ◇ 超越論的論理学のこうした全部門は、しかしながら、二つの篇〔Buechern〕≠ゥら成っており、そのうちの一つは純粋悟性の諸概念〔Begriffe〕≠、他の一つは、純粋悟性の諸原則〔Grundsaetze〕≠含んでいるのである。


    † 原佑訳上巻、p.207参照。
    † その他に、中山元訳2、p.44、石川文康訳上巻、p.121〜p.122を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.
    第一章 No.
    第一節 No.

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