| 2024/01/01(Mon) 13:22:58 編集(投稿者)
長くご無沙汰しました。また投稿します。よろしくお願いいたします。
以前、中山元訳「純粋理性批判」の中の訳者による挿入句についての疑問を投稿していたのですが 今読んでみてやはり解けない疑問点があるので書いてみます。
話題にするのは中山元訳ですが添付画像は石川文康訳です。
まず 予備的まとめ
『「純粋理性批判」 超越論的論理学 序言』(添付画像)から (A50 B74
感性- 観念(諸表象)を受取る能力(印象の受容性)、直観 知性(悟性)- (感性が受取った)観念をとおして対象を認識する能力(概念の自発性) / 感性的直観の対象を思考する能力
直観と概念がすべての認識の要素。いづれを欠いても認識は与えられない。
純粋 - 感覚内容が含まれていない (アプリオリに可能なのはこちらのみ) 経験的- 感覚内容が含まれている (アポステリオリにのみ可能)
『直観も概念も、経験的か純粋かのどちらかである』 (.。o たぶん両者ともに二つの容態があり得ると言いたい )
「感覚内容は感性的認識の質量と呼ばれ得る」
感性一般の規則に関し 感性論 知性の規則一般に関し 論理学
・超越論的原理論の第一部として「感性論」が先に述べられ、ここから第二部の「論理学」に入るところ。
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