| 田秋さん、こんにちは、こちらに書かせてください。
ご紹介くださった著作の右ぺージ4段目~13段目にこうありますね。 ============== 「あるestin(不定詞einai)という動詞は通常は主語と補語を伴って「SはPである」、あるいは「Sがある(存在する)」と語られる。だが、女神が端的に「ある」と語って主語や補語を示さないことは、私たちの日常の言語としては意味をなさない。それゆえ現在の解釈者はそこに隠れた主語として「万物、或るもの、一者、それ」といった補語を示してきたが、ここで問題となるのは主語なしに提示される「ある」そのものである。 ============== これは著者の見解ですよね。 ご存じのように古代ギリシャ語は動詞の中に主語が含まれます、したがって動詞の変化により主語が分かるわけです。<現在の解釈者はそこに隠れた主語として「万物、或るもの、一者、それ」といった補語を示してきたが>とありますが、例として解釈者たちの名前を参考文献等で著者の方は提示しておられますか?
参考として不定詞einaiの変化を挙げておきます。 eimi - I am ei - you are (singular) esti (or estin before a vowel) - he, she, or it is 【例に挙げられているのはこれ】 esmen - we are este - you are (plural) eisi (or eisin before a vowel) - they are
それから >What is "be"? の疑問のところですが、イギリスの古典文献学者のジョン・バーネット は古代ギリシャ語に忠実に ’What is?’否定形は‘ what is not is’としておりました。(断片VIII)
P.S. ラテン語も動詞の中に主語が含まれますよね。
有名な Cogito ergo sum (コギト・エルゴ・スム)訳せば、思う、ゆえに在り、ですが動詞の変化にて諸語が、<私> だとわかるわけですよね。
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