| 『はじめてのウィトゲンシュタイン』古田徹也 著 を読んでいて解らないところがあります。
p46に、
・・・・・・ ある記号列が現実の像(模型)であるためには、その記号列は何らかの秩序に従っているのでなければならない。 その秩序の最も普遍的なかたちを、『論考』のウィトゲンシュタインは論理と呼ぶ。 ・・・・・・ とあり、ここについては理解できていると自分では思っています。
文法や文の結合の仕方を規定する秩序に従っている有意味な命題。 こうしたものを「論理」と呼んでいるというのが、同ページを読んで理解できました。
「雪が降っている」という日本語が各言語の間で相互に翻訳可能なのも、こうした秩序に従っているから、という具体的な記述があり理解しやすかったのもあると思います。
ただ。
・・・・・・ いずれにせよ、ウィトゲンシュタインによれば、有意味な命題がそのように各々の日常言語の間で原理的に翻訳可能であるのは、まさに、それらが共通の秩序 ─ つまり、論理 ─ に従っているからに他ならない。 そして、ここが『論考』の議論にとって肝心なのだが、そのような普遍的な秩序をそれとして明示することはできない。 つまり、論理は語りえない、ということだ。 ・・・・・・ と、同書p47にあって、
「そのような普遍的な秩序をそれとして明示することはできない。 つまり、論理は語りえない、ということだ。」
ここです、この「 」内で言われていることが解らないのです。 これ、どういう意味なんでしょう?
どなたか教えていただけると、とても有難いです。
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