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■23187 / inTopicNo.85)  Re[15]: 疑問
  
□投稿者/ エフニ -(2022/05/11(Wed) 00:38:23)
    No23178に返信(みのりさんの記事)
    > 『はじめてのウィトゲンシュタイン』古田徹也 著 を読んでいて解らないところがあります。
    >
    > p46に、
    >
    > ・・・・・・
    > ある記号列が現実の像(模型)であるためには、その記号列は何らかの秩序に従っているのでなければならない。
    > その秩序の最も普遍的なかたちを、『論考』のウィトゲンシュタインは論理と呼ぶ。
    > ・・・・・・
    > とあり、ここについては理解できていると自分では思っています。
    >
    > 文法や文の結合の仕方を規定する秩序に従っている有意味な命題。
    > こうしたものを「論理」と呼んでいるというのが、同ページを読んで理解できました。
    >
    > 「雪が降っている」という日本語が各言語の間で相互に翻訳可能なのも、こうした秩序に従っているから、という具体的な記述があり理解しやすかったのもあると思います。
    >
    > ただ。
    >
    > ・・・・・・
    > いずれにせよ、ウィトゲンシュタインによれば、有意味な命題がそのように各々の日常言語の間で原理的に翻訳可能であるのは、まさに、それらが共通の秩序 
    > ─ つまり、論理 ─ に従っているからに他ならない。
    > そして、ここが『論考』の議論にとって肝心なのだが、そのような普遍的な秩序をそれとして明示することはできない。
    > つまり、論理は語りえない、ということだ。
    > ・・・・・・
    > と、同書p47にあって、
    >
    >
    > 「そのような普遍的な秩序をそれとして明示することはできない。
    > つまり、論理は語りえない、ということだ。」
    >
    > ここです、この「 」内で言われていることが解らないのです。
    > これ、どういう意味なんでしょう?
    >
    > どなたか教えていただけると、とても有難いです。
    >
    >  


    野球やテニス、サッカーなどのゲームは、それぞれの規則・ルールに則って行われます。

    私達はそれらのゲームを観ても、その試合のなかには規則・ルールは説明されていません。

    プレイヤー達の振る舞いのなかに示されているだけです。

    また、言語の日常の使用において、未然形接続や命令形、仮定法などと文法(規則・ルール)が、明確に説明されているわけではありません。

    文法は言語の使用のなかで、示されているだけです。

    そんな感じのことを言っているのです。

    つまり、論理にしろ、ゲームの規則・ルールにせよ、言語の文法にせよ、その形式のなかにいるときは、それを語り得ず、ただ示されるだけなのです。

    パニさんだったら、もっと上手に説明して下さると思います。
引用返信/返信 削除キー/
■23186 / inTopicNo.86)  Re[15]: 疑問
□投稿者/ みのり -(2022/05/10(Tue) 23:22:20)
    ふと浮かんだのは、

    論理そのものだけを取り出すことは不可能で、論理は必ず命題として存在する。
    だから論理は語りえない。
    命題についてなら例を挙げ無数に語れるが、論理そのものは語りえない。

    こういうことかな。。
引用返信/返信 削除キー/
■23178 / inTopicNo.87)  疑問
□投稿者/ みのり -(2022/05/10(Tue) 16:44:39)
    『はじめてのウィトゲンシュタイン』古田徹也 著 を読んでいて解らないところがあります。

    p46に、

    ・・・・・・
    ある記号列が現実の像(模型)であるためには、その記号列は何らかの秩序に従っているのでなければならない。
    その秩序の最も普遍的なかたちを、『論考』のウィトゲンシュタインは論理と呼ぶ。
    ・・・・・・
    とあり、ここについては理解できていると自分では思っています。

    文法や文の結合の仕方を規定する秩序に従っている有意味な命題。
    こうしたものを「論理」と呼んでいるというのが、同ページを読んで理解できました。

    「雪が降っている」という日本語が各言語の間で相互に翻訳可能なのも、こうした秩序に従っているから、という具体的な記述があり理解しやすかったのもあると思います。

    ただ。

    ・・・・・・
    いずれにせよ、ウィトゲンシュタインによれば、有意味な命題がそのように各々の日常言語の間で原理的に翻訳可能であるのは、まさに、それらが共通の秩序 
    ─ つまり、論理 ─ に従っているからに他ならない。
    そして、ここが『論考』の議論にとって肝心なのだが、そのような普遍的な秩序をそれとして明示することはできない。
    つまり、論理は語りえない、ということだ。
    ・・・・・・
    と、同書p47にあって、


    「そのような普遍的な秩序をそれとして明示することはできない。
    つまり、論理は語りえない、ということだ。」

    ここです、この「 」内で言われていることが解らないのです。
    これ、どういう意味なんでしょう?

    どなたか教えていただけると、とても有難いです。

     
引用返信/返信 削除キー/
■23177 / inTopicNo.88)  永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/10(Tue) 10:00:22)
    NHK 100分de名著シリーズ『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』
    萱野稔人 著 のまとめを引き続きします。

    今回も同書p106〜の第三章「人間の悪こそ平和の条件である」から。

    ・・・・・
    他方ではまた自然は、たがいの利己心を通じて、諸民族を結合させているのであり、これなしで世界市民法の概念だけでは、民族の間の暴力と戦争を防止することはできなかっただろう。
    これが商業の精神であり、これは戦争とは両立できないものであり、遅かれ早かれすべての民族はこの精神に支配されるようになるのである。
    というのは、国家権力のもとにあるすべての力と手段のうちでもっとも信頼できるのは財力であり、諸国は道徳性という動機によらずとも、この力によって高貴な平和を促進せざるをえなくなるのである。
     そして世界のどこでも、戦争が勃発する危険が迫ると、諸国はあたかも永続的な同盟を結んでいるかのように、仲裁によって戦争を防止せざるをえなくなるのである。
    戦争をするための大規模な同盟はその性格からしてきわめて稀なものであり、成功する可能性はごくわずかなのである。
    ・・・・・
    同書p122〜p123より引用 この部分、カント『永遠平和のために』中山元 訳から萱野さんが引用したもの。

    カントは国家間の関係においても永遠平和にむけた「自然のメカニズム」が機能していく、と考えた、とあります。(p123より)

    国家間はたがいに対立もするが、みずからの経済力を高めるために交易(商業)をつうじて結びつきもする。
    カントによれば、この結びつきは「戦争とは両立できないもの」。
    カントが述べているように、戦争が勃発しそうになると多くの国がそれを避けようと仲裁に入るのは、交易関係を維持することが各国の利益にかなうからである。
    利己心にもとづいた自国の利益追求が結果的に戦争を抑止する。
    (p123より)


    物を売り買いする交易によって自国の利益を上げることを考えれば、自国以外の国々が焦土となり、自由な交易ができなくては結果的に損失ですし、自国にはない資源を輸入することなども困難になります。
    主に自分の国の中で経済が収まっていた時代と違い、外国との経済的な結びつきが強くなってくれば、自国の利益のために各国との戦争を抑止するほうが得だと考えるようになるのはたしかに自然なものだと思います。
    備えとしての軍事力に高額な武器を用意しておくためにも、先立つものは財力ですね。(ここ、私の考え)

    逆に、自国の経済的利益を拡大しようという国家の利己心が戦争を引き起こすこともよくあり、カントはそうした事実を否認しているわけではない。
    国家の利己心は戦争に向かうこともあれば、商業活動をつうじて平和にむかうこともある。というようにカントは述べている。
    (p125まとめ)


    各国の商業活動がどちらに転ぶか、それはどちらの可能性もあるのだ、ということもカントは予測していた、ということですね。


    先日、在日の兄を頼ってウクライナから日本に避難してきた青年が、「まず何がたべたいか?」という質問に、「決まってるよ、ラーメン」と答えていたのを思い出しました。
    日本のラーメンって外国でとても人気みたいですよね。
    商業活動が発展して、外国にも日本人がお店を開いたり、即席めんが輸出されたりしてそのおいしさが広まり、日本に親しみをもってくれる。
    逆に、日本にいても外国料理はほんとに身近なもので、そうしたところから親しみを感じたりもします。
    遥か遠い国、行ったことがない国でも、胃袋の距離はそんなにない、というか。
    こうしたことも「商業の精神」と無関係ではないと思います。
    多くの人々は戦争などしたくなく、外国から輸入されるものに自由に触れて愉しみたい、と考えていると思うのです。
    こうしたことも利己心から発生することではあるけれど、敵対心を外国の国々に持つよりはずっといいのではないかな〜。


引用返信/返信 削除キー/
■23164 / inTopicNo.89)  永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/09(Mon) 09:20:30)
    NHK 100分de名著シリーズ『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』
    萱野稔人 著 のまとめを引き続きします。

    今回も同書p106〜の第三章「人間の悪こそ平和の条件である」から。

    永遠平和を保証する「自然」の働きとは、具体的にどういうものか?
    を今回は見ます。

    ・・・・・
    自然が暫定的に準備したものとして次の三つの点をあげることができる。
    自然は
    (一)人間が世界のあらゆる地方で生活できるように配慮した。
    (二)戦争によって、人間を人をも住めぬような場所にまで駆り立て、そこに居住させた。
    (三)また戦争によって、人間が多かれ少なかれ法的な状況に入らざるをえないようにしたのである。
    ・・・・・
    同書p112より引用 この部分、カント『永遠平和のために』中山元 訳から萱野さんが引用したもの。

    今回は、(三)を見ます。


    ・・・・・
    ある民族に内的な不和がなく、公法の強制に服する必要を感じていない場合にも、戦争が外部からこれを強いることになるだろう。すでに指摘しておいたような自然の準備によって、どの民族も隣接する地のほかの民族に圧迫されることになり、それに対抗する力をもつためには、その民族は内部において国家を形成していなければならないのである。
    ・・・・・
    同書p117より引用 この部分、カント『永遠平和のために』中山元 訳から萱野さんが引用したもの。

    内部の構造が単純で規模も大きくない社会であれば、その社会が維持されるために強制力が組織される必要はないかもしれないが、外部からの侵略や征服から自らの独立を守るためには、防衛力が必要となる。
    防衛力を整備するということは、社会に強制力をもった機関を出現させるということであり、したがって国家を形成せざるをえない。
    (p118まとめ)

    国家を形成することに成功しなかった民族や社会は結果的に他国の統治のもとに組み込まれてしまっている。
    国家からは逃れられないというのが人類史の現実である。
    (p118〜p119まとめ)


    中央集権的な国家としての機能が明確ではない社会があったとして、その内部で内乱が続いていたとしても、外部からの攻撃、侵略を前にして防衛力(軍)を持つ国家として統一することで、外敵から自分たちを守るという目的のために統一されていく、というようなことだと考えます。(ここ、私の考え)


    国家が形成されるためには、人間は道徳的に優れた存在になる必要はない。
    それどころか、人間に利己心と自己保存の欲求さえあれば国家は形成される。
    このようにカントは考えました。(p121まとめ)

    戦争というのは人間の本性に接ぎ木されたかのようである、とカントはかいています。
    自分たちの土地以外の地に侵入し、そこを自分たちのものにして支配したい、またその地域と交易することで利益を得たいという人々に対抗するために、より強固な強制力、軍事力を持つ国家は自然に形成されてきたのであり、道徳的に優れているいないの問題ではない、ということ。
    相手よりより一層強くなり自分たちが得をしたい、相手を牽制したいと互いが思い合うところに国家が形成されてきた、ということなのですね。
    そのためには、国家としての内部は法的に統一されてきた、ということ。
    (ここ、私の考え
引用返信/返信 削除キー/
■23088 / inTopicNo.90)  Re[11]: 永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/05(Thu) 09:57:10)
    No23087に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、おはようございます。レスありがとうございます。

    > >人間は本来、肥沃で安全、気候の穏やかな土地を好むものなのに、とても過酷な環境に人間が住んでいる場合があるのは、他の集団との戦争で追いやられたか、戦闘を避けるために移り住んだかです。(p116より)
    > アフリカで生まれたホモサピエンスがアフリカを出て世界へ広まって行きました。シベリアなど極寒の土地へ行き、そこからアラスカ〜南アメリカの南端まで行った訳ですが、「何故行ったのだろう?」がボクの疑問なのですが、そういうことなのか!?と思いました。
    > 元々暖かい(暑い)ところにいた訳ですから、寒いところは特に苦手だったはずなのに。。。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A7%BB%E5%8B%95%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

    アフリカで誕生した人類が、アラビア半島を経て三つのルートで世界中に広まっていったことなどが書かれています。
    (田秋さんは既にご存じの内容でと思います。)
    私は後でじっくり見てみようと思います。

    人間の身体の成分の多くが水だということを考えると、降水量の少ないアフリカはそもそもホモサピエンスにとっても過酷な地だったのではないのかな、と考えました。
    有名な古代文明が大河の沿岸で栄えたのも、水が飲用と共に肥沃な土地を生む点で理解できます。

    人間の持つ好奇心も、他の地域を見てみたい、行ってみたいという原動力になったのだとも思うのです。
    そこが温暖で肥沃な土地だと、人気スポットで人が殺到し、その地を巡って争いが起きるというような。

    徐々に移動する中で、何代もかけてその地に適応する能力を獲得してきたのでしょうね。
    アフリカから一気にアラスカに薄着で移動したらとても生きていけないです。(^▽^;)

    > 戦争について
    > 今まで地球上で戦争が全くなかった時代ってあったのでしょうか?

    大規模な戦争でなくて争いというものまで含めれば、それがなかった時代はなかったのではないか、と思います。
引用返信/返信 削除キー/
■23087 / inTopicNo.91)  Re[10]: 永遠平和のために
□投稿者/ 田秋 -(2022/05/05(Thu) 08:31:34)
    おはよういございます、みのりさん

    >人間は本来、肥沃で安全、気候の穏やかな土地を好むものなのに、とても過酷な環境に人間が住んでいる場合があるのは、他の集団との戦争で追いやられたか、戦闘を避けるために移り住んだかです。(p116より)
    アフリカで生まれたホモサピエンスがアフリカを出て世界へ広まって行きました。シベリアなど極寒の土地へ行き、そこからアラスカ〜南アメリカの南端まで行った訳ですが、「何故行ったのだろう?」がボクの疑問なのですが、そういうことなのか!?と思いました。
    元々暖かい(暑い)ところにいた訳ですから、寒いところは特に苦手だったはずなのに。。。

    戦争について
    今まで地球上で戦争が全くなかった時代ってあったのでしょうか?
引用返信/返信 削除キー/
■23086 / inTopicNo.92)   永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/05(Thu) 07:22:57)
    NHK 100分de名著シリーズ『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』
    萱野稔人 著 のまとめを引き続きします。

    今回も同書p106〜の第三章「人間の悪こそ平和の条件である」から。


    前回は、
    「自然」こそが永遠平和を保証する。
    人間の「本性=自然」は戦争に向かう傾向性を宿しているが、さらにその傾向性から平和さえも生みだそうとする。
    という主旨について見ました。

    永遠平和を保証する「自然」の働きとは、具体的にどういうものか?
    を今回は見ます。

    ・・・・・
    自然が暫定的に準備したものとして次の三つの点をあげることができる。
    自然は
    (一)人間が世界のあらゆる地方で生活できるように配慮した。
    (二)戦争によって、人間を人をも住めぬような場所にまで駆り立て、そこに居住させた。
    (三)また戦争によって、人間が多かれ少なかれ法的な状況に入らざるをえないようにしたのである。
    ・・・・・
    同書p112より引用 この部分、カント『永遠平和のために』中山元 訳から萱野さんが引用したもの。


    世界では、とても過酷な環境であってもその環境を利用し、適応して生活してきた人々がいます。(p113まとめ)

    ただし、カントはこのことを指摘することにより、自然のありがたさや人智をこえた恩恵を示そうとしているのではなく、人類は自然の働きをつうじてさまざまな地域でそれぞれの民族に分かれて生存してきた、ということ。(p114まとめ)

    この事実がある以上、世界国家という考え方が、多くの民族を強者の論理でむりやり支配するものになってしまう、という再確認でもあると思います。
    (ここ、私の考え)

    この部分が、自然が暫定的に準備したとカントが考えたものの(一)ですね。
    では、なぜ、人間は過酷な環境の土地にも居住してきたのか。

    ・・・・・
    ところで自然は人間が地上のあらゆる場所に住むことができるように配慮しただけでなく、人間がその好みに反してでも、いたるところで生きるべきであることを独断的に望んだのである。
    ところがこの「べきである」というのは、ある義務の観念に基づいて、人間が道徳的な法によって拘束されるという意味ではない。
    自然はこの目的を実現するために戦争を選んだという意味であり、それは次のことからも明らかであろう。(以下 略)
    ・・・・・
    同書p115より引用 この部分、カント『永遠平和のために』中山元 訳から萱野さんが引用したもの。

    以下 略 以降には、1つの同じ土地に居住していた民族が、その間に割って侵入してきた他民族により遠く離れた辺境地に追いやられた例について書かれています。

    人間は本来、肥沃で安全、気候の穏やかな土地を好むものなのに、とても過酷な環境に人間が住んでいる場合があるのは、他の集団との戦争で追いやられたか、戦闘を避けるために移り住んだかです。(p116より)

    カントは、
    「自然は、人間がその好みに反してでも、いたるところで生きるべきであることを独断的に望んだのである。」としています。
    自然が人間に対して、そうするべきと独断的に望んだ、ということですね。

    この部分については、なんとなく疑問を感じます。
    自然(摂理のようなもの)が人間に対して何かを望む、という考え方に違和感があるというか。。
    それをここに来て感じるようになりました。
    日本人にはあまり馴染みのない考え方に思えます。
    ただ、原始の時代から、戦に負けた一族は、住み慣れた地を明け渡し、場合によってはより過酷な土地に移り住むことを余儀なくされてきたのだろう、という点は、ごく当たり前に受け止められます。(ここ、私の考え)


    次回、(三)についてです。




引用返信/返信 削除キー/
■23035 / inTopicNo.93)  永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/03(Tue) 07:15:05)
    NHK 100分de名著シリーズ『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』
    萱野稔人 著 のまとめを引き続きします。

    今回は同書p106〜の第三章「人間の悪こそ平和の条件である」から。

    前回までに見てきた、平和実現のための三つの確定条項には、補足として二つの追加条項があるそうです。

    〇 第一追加条項 永遠平和の保証について

    〇 第二追加条項 永遠平和のための秘密条項


    第一追加条項は、『永遠平和のために』に通底するカントの世界観が示されているとても興味深い部分だと、萱野さんは書かれています。(p109)

    ・・・・・
    永遠平和を保証するのは、偉大な芸術家である自然、すなわち〈諸物を巧みに創造する自然〉である。自然の機械的な流れからは、人間の意志に反してでも人間の不和を通じて融和を作りだそうとする自然の目的がはっきりと示されるのである。
    ・・・・・
    同書p110より引用 この部分、カント『永遠平和のために』中山元 訳から萱野さんが引用したもの。


    この部分を読んで私が感じたのは、カントはわりと楽観的とも取れる観方をするのだな、ということです。
    様々な人間が様々な利害関係を生きるのですから、簡単に平和がすぐに世界中に溢れはしないけれど、「自然」の機械的な流れが、人間の不和を通じて逆に融和を作り出そうとするのだ、と語っているのですね。(ここ、私の考え)

    ここでカントの言う「自然」というのは、「自然の摂理」などという時の「自然」に近い意味。
    また、「自然」という言葉のこうした用法は、ヨーロッパ哲学においてしばしばみられるもので、哲学史においては標準的なものだそうです。(p111より)

    「自然」こそが永遠平和を保証する。
    人間の「本性=自然」は戦争に向かう傾向性を宿しているが、さらにその傾向性から平和さえも生みだそうとする。
    ここが引用文のポイントになるようです。(p111よりまとめ)


    人間は自分たちのしてきたことを振り返り省みて、そこからより良く生きていく方策を考え出す能力を与えられています。
    争い、戦争というのは、損失が大きくて得にはならないな、というように気づくのも、争い、戦争によって大きな損失を払ってからですね。(ここ、私の考え)


    次回に続きます。




引用返信/返信 削除キー/
■23010 / inTopicNo.94)  Re[7]: 永遠平和のために
□投稿者/ パニチェ -(2022/05/02(Mon) 10:00:25)
    2022/05/02(Mon) 10:04:00 編集(投稿者)

    No23009に返信(みのりさんの記事)

    > 以前、パニチェさんとfloraさんが宇宙に関しての何かをやりとりされているのを、ざざっと拝見して、難しすぎてまったく理解が及ばなく 、驚愕しました。
    > お二人ともすごい〜( ゚Д゚)と。

    ビッグバン以前の真空のゆらぎとトンネル効果に関してのレス交換ですね。
    私も完全に理解できているわけではないので専門書ではなくブルーバックス程度の知識しかありません。

    > 今、子どもにでもわかるようにと書かれた科学の本がたくさん出てるので、そういうのを私は恥も外聞もなく( ´艸`)読んで、書けそうな時は投稿にしてみたいです。

    楽しみです。^^
引用返信/返信 削除キー/
■23009 / inTopicNo.95)  Re[6]: 永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/02(Mon) 09:41:45)
    No23008に返信(パニチェさんの記事)

    >>現代に近い哲学、それから、理系は恐ろしく苦手だけど科学。
    >>このあたりに興味が移ってます。
    >>機会があったら、このあたりでまたなにか教えていただけると嬉しいです。
    >
    > 私が面白いと思った科学のジャンルは脳科学、相対性理論、量子力学、進化論です。
    > あと複雑系なんかも面白かったですね。

    以前、パニチェさんとfloraさんが宇宙に関しての何かをやりとりされているのを、ざざっと拝見して、難しすぎてまったく理解が及ばなく 、驚愕しました。
    お二人ともすごい〜( ゚Д゚)と。

    今、子どもにでもわかるようにと書かれた科学の本がたくさん出てるので、そういうのを私は恥も外聞もなく( ´艸`)読んで、書けそうな時は投稿にしてみたいです。
引用返信/返信 削除キー/
■23008 / inTopicNo.96)  Re[5]: 永遠平和のために
□投稿者/ パニチェ -(2022/05/02(Mon) 08:51:27)
    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No23005に返信(みのりさんの記事)

    > 私も。なぜ私たちは宇宙と呼ばれてる空間にそもそもいるということになってるの?
    > というのは、考えてもしかたないのに、たまに浮かんできます。

    > 自己探求に関連すると思うのですが、宗教全般(仏教も)、あれほど好きだった非二元にも関心がなくなってしまいました。
    > 自己探求も同じく。。 自分の内に興味が向かなくなった感じです。

    > 現代に近い哲学、それから、理系は恐ろしく苦手だけど科学。
    > このあたりに興味が移ってます。
    > 機会があったら、このあたりでまたなにか教えていただけると嬉しいです。

    私が面白いと思った科学のジャンルは脳科学、相対性理論、量子力学、進化論です。
    あと複雑系なんかも面白かったですね。

引用返信/返信 削除キー/

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