(現在 過去ログ3 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■22946 / inTopicNo.1)  白猫様には敵わない 9
  
□投稿者/ パニチェ -(2022/04/29(Fri) 17:46:42)
    トピ主:みのりさん

    No12834のみのりさんの記事より

    五感を通して、感じ、考えたことを等身大の文章で綴っていく内容にしたいです。

    具体的には、日常で見聞したものから感じ考えたこと、本を読んでの感想(哲学に関する本も)、映画などの感想、世の中で起きていることについて感じ思うこと、


    よろしくお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■22974 / inTopicNo.2)  Re[63]: 永遠平和のために
□投稿者/ パニチェ -(2022/04/30(Sat) 22:13:34)
    2022/04/30(Sat) 22:18:28 編集(投稿者)

    こんばんは、みのりさん
    レスありがとうございます。

    No22973に返信(みのりさんの記事)

    >>カントは、晩年の著書『永遠平和のために』で、人間にとって永遠平和は自然状態ではなく、また、戦争を好む傾向が人間に生まれつき備わった特性のように思える、ということも述べているそうです。
    > 個人的には人間には肉食獣と草食獣の両面があるように競争淘汰(弱肉強食)と共存共栄の相反する本能が同居していると思っているんですが、カントが人間は生まつき戦争を好む特性が備わっていると考えた理由や根拠って何なんでしょうかねぇ〜。

    > ・・・・・
    > 国債の発行によって戦争の遂行が容易になる場合には、権力者が戦争を好む傾向とあいまって(これは人間に生まれつきそなわっている特性のように思える)、永遠平和の実現のための大きな障害となるのである。
    > ・・・・・
    > NHKブックス100分de名著『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』
    > 萱野稔人 著 p36より引用
    > この部分は、萱野さんが、カント『永遠平和のために』中山元 訳から引用したもの。
    > ここに該当の文章はあるようです。

    > また、
    > ・・・・・
    > しかし戦争そのものにはいかなる特別な動因も必要ではない。戦争はあたかも人間の本性に接ぎ木されたかのようである。
    > ・・・・・
    > ともカントは書いているそうです。
    > 同書p37より引用。
    > (ここ、pipitさんも悪魔ちゃん宛で引用してくれてますね。)
    > 萱野さんの本を読む限りでは、なぜ、人間は戦争を好む特性があるとカントは考えたのか、の根拠や理由については触れられてはいません。
    > カントが道徳について書いた著作でも、「人間は悪に流されやすい傾向性がある」のように書かれている、というのを何かで読んだような気がします。
    > でも、根拠や理由までは書かれていなかったように思うんです。

    そうなんですね。
    全く他意はないのですが正直な感想を言えば上記のカントの文章も(pipitさんが引用していただいた文章も含めて)なんかピンとこないです。

    > 私の想像でしかないもので書いてみますね。
    > 人間は叡智界と現象界の両方に生きているけれど、人間に認識できるのは現象界でのものだけなので、人間がそのままを完全、完璧に認識することは不可能な叡智界的調和の生き方を遂行することはとても困難である、と> カントは考えたとか、そういうことなのかな、と。
    > 正確なことが書けなくてすみません。<(_ _)>

    いえ、全然大丈夫です。

    > 次回まとめてみようかな、と思っている萱野さんの著書の第三章のタイトルが、
    > 「人間の悪こそ平和の条件である」です。
    > なかなかおもしろそうです。

    ロムさせてもらいます。

    > 新しいトビ、ありがとうございました。^^

    どういたしまして。

引用返信/返信 削除キー/
■22978 / inTopicNo.3)  Re[2]: 永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/01(Sun) 08:32:02)
    No22974に返信(パニチェさんの記事)
    > 2022/04/30(Sat) 22:18:28 編集(投稿者)

    パニチェさん、レスありがとうございます。

    > ■No22973に返信(みのりさんの記事)
    >
    > >>カントは、晩年の著書『永遠平和のために』で、人間にとって永遠平和は自然状態ではなく、また、戦争を好む傾向が人間に生まれつき備わった特性のように思える、ということも述べているそうです。
    >>個人的には人間には肉食獣と草食獣の両面があるように競争淘汰(弱肉強食)と共存共栄の相反する本能が同居していると思っているんですが、カントが人間は生まつき戦争を好む特性が備わっていると考えた理由や根拠って何なんでしょうかねぇ〜。
    >
    >>・・・・・
    >>国債の発行によって戦争の遂行が容易になる場合には、権力者が戦争を好む傾向とあいまって(これは人間に生まれつきそなわっている特性のように思える)、永遠平和の実現のための大きな障害となるのである。
    >>・・・・・
    >>NHKブックス100分de名著『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』
    >>萱野稔人 著 p36より引用
    >>この部分は、萱野さんが、カント『永遠平和のために』中山元 訳から引用したもの。
    >>ここに該当の文章はあるようです。
    >
    >>また、
    >>・・・・・
    >>しかし戦争そのものにはいかなる特別な動因も必要ではない。戦争はあたかも人間の本性に接ぎ木されたかのようである。
    >>・・・・・
    >>ともカントは書いているそうです。
    >>同書p37より引用。
    >>(ここ、pipitさんも悪魔ちゃん宛で引用してくれてますね。)
    >>萱野さんの本を読む限りでは、なぜ、人間は戦争を好む特性があるとカントは考えたのか、の根拠や理由については触れられてはいません。
    >>カントが道徳について書いた著作でも、「人間は悪に流されやすい傾向性がある」のように書かれている、というのを何かで読んだような気がします。
    >>でも、根拠や理由までは書かれていなかったように思うんです。
    >
    > そうなんですね。
    > 全く他意はないのですが正直な感想を言えば上記のカントの文章も(pipitさんが引用していただいた文章も含めて)なんかピンとこないです。

    pipitさんが純理トピで引用してくださった詳しいのを拝見すると、「勇気を示すために戦争をすることが人間にはある」というように書かれていますね。
    う〜ん。。そうかな? と、ここについては私も感じます。
    勇気をマウントするためにさぁ戦争でもするかな〜、なんてことではなく、何かしら自分に具体的な利益(領有権、支配権など)を求めて戦争はしかけられると、考えるので。

    カントが戦争が起きにくくなる制度を考えて本にまとめてくれた功績は大きいのだろうな、と思っています。

    >>個人的には人間には肉食獣と草食獣の両面があるように競争淘汰(弱肉強食)と共存共栄の相反する本能が同居していると思っているんです。

    カントを離れて私の考えで書いてみますね。
    パニチェさんの書かれている内容については、個人間での差があるように思うのです。
    弱肉強食志向がとても強い人がいれば、共存共栄志向の強い人もいて。
    また、一人の人においても、時と場合によってこの志向は変化する場合があり、中にはどんな非常事態であっても共存共栄志向の人もいると思います。
    今、書いたのは、言動などとして表面に表れるものについてになるのかな。

    人間の本能(表面には表れにくいもの)としてのそれらはどうなのか?と考えると・・・
    快と不快の快を人間は求めるのが本能だと思っていて、弱肉強食志向はわかりやすい形での快志向で、共存共栄志向はちょっとわかりにくいけれど、やはり、快を求めるものから発生していると思うのです。
    だからといって、人間というのは醜いものだみたいには思わないです。
    現実を見たいという志向が、私(みのり)にとっては快だからなのかもしれません。

引用返信/返信 削除キー/
■22982 / inTopicNo.4)  Re[3]: 永遠平和のために
□投稿者/ パニチェ -(2022/05/01(Sun) 10:01:14)
    2022/05/01(Sun) 12:43:55 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。
    レスありがとうございます。

    No22978に返信(みのりさんの記事)
    >>そうなんですね。
    >>全く他意はないのですが正直な感想を言えば上記のカントの文章も(pipitさんが引用していただいた文章も含めて)なんかピンとこないです。
    > pipitさんが純理トピで引用してくださった詳しいのを拝見すると、「勇気を示すために戦争をすることが人間にはある」というように書かれていますね。
    > う〜ん。。そうかな? と、ここについては私も感じます。
    > 勇気をマウントするためにさぁ戦争でもするかな〜、なんてことではなく、何かしら自分に具体的な利益(領有権、支配権など)を求めて戦争はしかけられると、考えるので。

    同意です。結論だけ言えば煩悩のなせる業だと思います。

    > カントが戦争が起きにくくなる制度を考えて本にまとめてくれた功績は大きいのだろうな、と思っています。

    役に立ちそうですか。なんかのっけから違和感があるので興味がわかないのですが。。。^^;

    > >>個人的には人間には肉食獣と草食獣の両面があるように競争淘汰(弱肉強食)と共存共栄の相反する本能が同居していると思っているんです。
    > カントを離れて私の考えで書いてみますね。
    > パニチェさんの書かれている内容については、個人間での差があるように思うのです。
    > 弱肉強食志向がとても強い人がいれば、共存共栄志向の強い人もいて。
    > また、一人の人においても、時と場合によってこの志向は変化する場合があり、中にはどんな非常事態であっても共存共栄志向の人もいると思います。
    > 今、書いたのは、言動などとして表面に表れるものについてになるのかな。

    同意です。私は煩悩という意味での“我”が強いか弱いかでその傾向が表れると考えています。

    > 人間の本能(表面には表れにくいもの)としてのそれらはどうなのか?と考えると・・・
    > 快と不快の快を人間は求めるのが本能だと思っていて、弱肉強食志向はわかりやすい形での快志向で、共存共栄志向はちょっとわかりにくいけれど、やはり、快を求めるものから発生していると思うのです。

    同意します。弱肉強食志向は闘争本能を満たすことで快だし、共存共栄は自己保存本能を満たすことで快なんだと思います。
    前者はタナトスで後者はエロスと結びつくかもしれません。

    > だからといって、人間というのは醜いものだみたいには思わないです。

    私も同じなんですが私の場合は可愛さ余って憎さ100倍になる傾向もあるかな。。。(笑)

    > 現実を見たいという志向が、私(みのり)にとっては快だからなのかもしれません。

    何が現実で、現実とは何かということはもの凄く興味があります。
    私にとっての自己探究が上記です。

引用返信/返信 削除キー/
■23005 / inTopicNo.5)  Re[4]: 永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/02(Mon) 07:29:48)
    No22982に返信(パニチェさんの記事)
    > 2022/05/01(Sun) 12:43:55 編集(投稿者)

    パニチェさん、レスありがとうございます。

    > ■No22978に返信(みのりさんの記事)
    > >>そうなんですね。
    > >>全く他意はないのですが正直な感想を言えば上記のカントの文章も(pipitさんが引用していただいた文章も含めて)なんかピンとこないです。
    >>pipitさんが純理トピで引用してくださった詳しいのを拝見すると、「勇気を示すために戦争をすることが人間にはある」というように書かれていますね。
    >>う〜ん。。そうかな? と、ここについては私も感じます。
    >>勇気をマウントするためにさぁ戦争でもするかな〜、なんてことではなく、何かしら自分に具体的な利益(領有権、支配権など)を求めて戦争はしかけられると、考えるので。
    >
    > 同意です。結論だけ言えば煩悩のなせる業だと思います。

    おお、煩悩、そうですね。まさにその通りだと思います。

    >>カントが戦争が起きにくくなる制度を考えて本にまとめてくれた功績は大きいのだろうな、と思っています。
    >
    > 役に立ちそうですか。なんかのっけから違和感があるので興味がわかないのですが。。。^^;

    実存主義に分類される哲学とはまた違う興味です。
    戦争が起こらなくなるためには、人間が皆、定言命法で生きなければならない(絶対に無理ですし)、みたいなことをカントは言ってるのかな、とか漠然と考えてもいたら、そういう内容では全然なかったです。

    >>>>個人的には人間には肉食獣と草食獣の両面があるように競争淘汰(弱肉強食)と共存共栄の相反する本能が同居していると思っているんです。
    >>カントを離れて私の考えで書いてみますね。
    >>パニチェさんの書かれている内容については、個人間での差があるように思うのです。
    >>弱肉強食志向がとても強い人がいれば、共存共栄志向の強い人もいて。
    >>また、一人の人においても、時と場合によってこの志向は変化する場合があり、中にはどんな非常事態であっても共存共栄志向の人もいると思います。
    >>今、書いたのは、言動などとして表面に表れるものについてになるのかな。
    >
    > 同意です。私は煩悩という意味での“我”が強いか弱いかでその傾向が表れると考えています。

    ここも同意です。

    >>人間の本能(表面には表れにくいもの)としてのそれらはどうなのか?と考えると・・・
    >>快と不快の快を人間は求めるのが本能だと思っていて、弱肉強食志向はわかりやすい形での快志向で、共存共栄志向はちょっとわかりにくいけれど、やはり、快を求めるものから発生していると思うのです。
    >
    > 同意します。弱肉強食志向は闘争本能を満たすことで快だし、共存共栄は自己保存本能を満たすことで快なんだと思います。

    共存共栄志向もそうですね、好ましく思うものを守りたい、それが守られることが快だから、というところに究極では行きつくと思います。

    > 前者はタナトスで後者はエロスと結びつくかもしれません。

    タナトスとは、フロイトの言葉で、エロスと対になるのですね。
    これ、知りませんでした。
    エロスと対はアガペーしか。

    タナトスって、自己破壊衝動みたいなものなんですね。
    たしかに、リミッターがはずれまくっていて狂気を感じるような戦闘能力の異常に強いキャラは、自分の死などまったく恐れず、それゆえ強い設定な気がします。


    >>だからといって、人間というのは醜いものだみたいには思わないです。
    >
    > 私も同じなんですが私の場合は可愛さ余って憎さ100倍になる傾向もあるかな。。。(笑)

    おお、そうなんですね。^^

    >>現実を見たいという志向が、私(みのり)にとっては快だからなのかもしれません。
    >
    > 何が現実で、現実とは何かということはもの凄く興味があります。
    > 私にとっての自己探究が上記です。

    私も。なぜ私たちは宇宙と呼ばれてる空間にそもそもいるということになってるの?
    というのは、考えてもしかたないのに、たまに浮かんできます。

    自己探求に関連すると思うのですが、宗教全般(仏教も)、あれほど好きだった非二元にも関心がなくなってしまいました。
    自己探求も同じく。。 自分の内に興味が向かなくなった感じです。

    現代に近い哲学、それから、理系は恐ろしく苦手だけど科学。
    このあたりに興味が移ってます。
    機会があったら、このあたりでまたなにか教えていただけると嬉しいです。


    返信はお気遣いなくなさってくださいね。
引用返信/返信 削除キー/
■23008 / inTopicNo.6)  Re[5]: 永遠平和のために
□投稿者/ パニチェ -(2022/05/02(Mon) 08:51:27)
    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No23005に返信(みのりさんの記事)

    > 私も。なぜ私たちは宇宙と呼ばれてる空間にそもそもいるということになってるの?
    > というのは、考えてもしかたないのに、たまに浮かんできます。

    > 自己探求に関連すると思うのですが、宗教全般(仏教も)、あれほど好きだった非二元にも関心がなくなってしまいました。
    > 自己探求も同じく。。 自分の内に興味が向かなくなった感じです。

    > 現代に近い哲学、それから、理系は恐ろしく苦手だけど科学。
    > このあたりに興味が移ってます。
    > 機会があったら、このあたりでまたなにか教えていただけると嬉しいです。

    私が面白いと思った科学のジャンルは脳科学、相対性理論、量子力学、進化論です。
    あと複雑系なんかも面白かったですね。

引用返信/返信 削除キー/
■23009 / inTopicNo.7)  Re[6]: 永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/02(Mon) 09:41:45)
    No23008に返信(パニチェさんの記事)

    >>現代に近い哲学、それから、理系は恐ろしく苦手だけど科学。
    >>このあたりに興味が移ってます。
    >>機会があったら、このあたりでまたなにか教えていただけると嬉しいです。
    >
    > 私が面白いと思った科学のジャンルは脳科学、相対性理論、量子力学、進化論です。
    > あと複雑系なんかも面白かったですね。

    以前、パニチェさんとfloraさんが宇宙に関しての何かをやりとりされているのを、ざざっと拝見して、難しすぎてまったく理解が及ばなく 、驚愕しました。
    お二人ともすごい〜( ゚Д゚)と。

    今、子どもにでもわかるようにと書かれた科学の本がたくさん出てるので、そういうのを私は恥も外聞もなく( ´艸`)読んで、書けそうな時は投稿にしてみたいです。
引用返信/返信 削除キー/
■23010 / inTopicNo.8)  Re[7]: 永遠平和のために
□投稿者/ パニチェ -(2022/05/02(Mon) 10:00:25)
    2022/05/02(Mon) 10:04:00 編集(投稿者)

    No23009に返信(みのりさんの記事)

    > 以前、パニチェさんとfloraさんが宇宙に関しての何かをやりとりされているのを、ざざっと拝見して、難しすぎてまったく理解が及ばなく 、驚愕しました。
    > お二人ともすごい〜( ゚Д゚)と。

    ビッグバン以前の真空のゆらぎとトンネル効果に関してのレス交換ですね。
    私も完全に理解できているわけではないので専門書ではなくブルーバックス程度の知識しかありません。

    > 今、子どもにでもわかるようにと書かれた科学の本がたくさん出てるので、そういうのを私は恥も外聞もなく( ´艸`)読んで、書けそうな時は投稿にしてみたいです。

    楽しみです。^^
引用返信/返信 削除キー/
■23035 / inTopicNo.9)  永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/03(Tue) 07:15:05)
    NHK 100分de名著シリーズ『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』
    萱野稔人 著 のまとめを引き続きします。

    今回は同書p106〜の第三章「人間の悪こそ平和の条件である」から。

    前回までに見てきた、平和実現のための三つの確定条項には、補足として二つの追加条項があるそうです。

    〇 第一追加条項 永遠平和の保証について

    〇 第二追加条項 永遠平和のための秘密条項


    第一追加条項は、『永遠平和のために』に通底するカントの世界観が示されているとても興味深い部分だと、萱野さんは書かれています。(p109)

    ・・・・・
    永遠平和を保証するのは、偉大な芸術家である自然、すなわち〈諸物を巧みに創造する自然〉である。自然の機械的な流れからは、人間の意志に反してでも人間の不和を通じて融和を作りだそうとする自然の目的がはっきりと示されるのである。
    ・・・・・
    同書p110より引用 この部分、カント『永遠平和のために』中山元 訳から萱野さんが引用したもの。


    この部分を読んで私が感じたのは、カントはわりと楽観的とも取れる観方をするのだな、ということです。
    様々な人間が様々な利害関係を生きるのですから、簡単に平和がすぐに世界中に溢れはしないけれど、「自然」の機械的な流れが、人間の不和を通じて逆に融和を作り出そうとするのだ、と語っているのですね。(ここ、私の考え)

    ここでカントの言う「自然」というのは、「自然の摂理」などという時の「自然」に近い意味。
    また、「自然」という言葉のこうした用法は、ヨーロッパ哲学においてしばしばみられるもので、哲学史においては標準的なものだそうです。(p111より)

    「自然」こそが永遠平和を保証する。
    人間の「本性=自然」は戦争に向かう傾向性を宿しているが、さらにその傾向性から平和さえも生みだそうとする。
    ここが引用文のポイントになるようです。(p111よりまとめ)


    人間は自分たちのしてきたことを振り返り省みて、そこからより良く生きていく方策を考え出す能力を与えられています。
    争い、戦争というのは、損失が大きくて得にはならないな、というように気づくのも、争い、戦争によって大きな損失を払ってからですね。(ここ、私の考え)


    次回に続きます。




引用返信/返信 削除キー/
■23086 / inTopicNo.10)   永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/05(Thu) 07:22:57)
    NHK 100分de名著シリーズ『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』
    萱野稔人 著 のまとめを引き続きします。

    今回も同書p106〜の第三章「人間の悪こそ平和の条件である」から。


    前回は、
    「自然」こそが永遠平和を保証する。
    人間の「本性=自然」は戦争に向かう傾向性を宿しているが、さらにその傾向性から平和さえも生みだそうとする。
    という主旨について見ました。

    永遠平和を保証する「自然」の働きとは、具体的にどういうものか?
    を今回は見ます。

    ・・・・・
    自然が暫定的に準備したものとして次の三つの点をあげることができる。
    自然は
    (一)人間が世界のあらゆる地方で生活できるように配慮した。
    (二)戦争によって、人間を人をも住めぬような場所にまで駆り立て、そこに居住させた。
    (三)また戦争によって、人間が多かれ少なかれ法的な状況に入らざるをえないようにしたのである。
    ・・・・・
    同書p112より引用 この部分、カント『永遠平和のために』中山元 訳から萱野さんが引用したもの。


    世界では、とても過酷な環境であってもその環境を利用し、適応して生活してきた人々がいます。(p113まとめ)

    ただし、カントはこのことを指摘することにより、自然のありがたさや人智をこえた恩恵を示そうとしているのではなく、人類は自然の働きをつうじてさまざまな地域でそれぞれの民族に分かれて生存してきた、ということ。(p114まとめ)

    この事実がある以上、世界国家という考え方が、多くの民族を強者の論理でむりやり支配するものになってしまう、という再確認でもあると思います。
    (ここ、私の考え)

    この部分が、自然が暫定的に準備したとカントが考えたものの(一)ですね。
    では、なぜ、人間は過酷な環境の土地にも居住してきたのか。

    ・・・・・
    ところで自然は人間が地上のあらゆる場所に住むことができるように配慮しただけでなく、人間がその好みに反してでも、いたるところで生きるべきであることを独断的に望んだのである。
    ところがこの「べきである」というのは、ある義務の観念に基づいて、人間が道徳的な法によって拘束されるという意味ではない。
    自然はこの目的を実現するために戦争を選んだという意味であり、それは次のことからも明らかであろう。(以下 略)
    ・・・・・
    同書p115より引用 この部分、カント『永遠平和のために』中山元 訳から萱野さんが引用したもの。

    以下 略 以降には、1つの同じ土地に居住していた民族が、その間に割って侵入してきた他民族により遠く離れた辺境地に追いやられた例について書かれています。

    人間は本来、肥沃で安全、気候の穏やかな土地を好むものなのに、とても過酷な環境に人間が住んでいる場合があるのは、他の集団との戦争で追いやられたか、戦闘を避けるために移り住んだかです。(p116より)

    カントは、
    「自然は、人間がその好みに反してでも、いたるところで生きるべきであることを独断的に望んだのである。」としています。
    自然が人間に対して、そうするべきと独断的に望んだ、ということですね。

    この部分については、なんとなく疑問を感じます。
    自然(摂理のようなもの)が人間に対して何かを望む、という考え方に違和感があるというか。。
    それをここに来て感じるようになりました。
    日本人にはあまり馴染みのない考え方に思えます。
    ただ、原始の時代から、戦に負けた一族は、住み慣れた地を明け渡し、場合によってはより過酷な土地に移り住むことを余儀なくされてきたのだろう、という点は、ごく当たり前に受け止められます。(ここ、私の考え)


    次回、(三)についてです。




引用返信/返信 削除キー/
■23087 / inTopicNo.11)  Re[10]: 永遠平和のために
□投稿者/ 田秋 -(2022/05/05(Thu) 08:31:34)
    おはよういございます、みのりさん

    >人間は本来、肥沃で安全、気候の穏やかな土地を好むものなのに、とても過酷な環境に人間が住んでいる場合があるのは、他の集団との戦争で追いやられたか、戦闘を避けるために移り住んだかです。(p116より)
    アフリカで生まれたホモサピエンスがアフリカを出て世界へ広まって行きました。シベリアなど極寒の土地へ行き、そこからアラスカ〜南アメリカの南端まで行った訳ですが、「何故行ったのだろう?」がボクの疑問なのですが、そういうことなのか!?と思いました。
    元々暖かい(暑い)ところにいた訳ですから、寒いところは特に苦手だったはずなのに。。。

    戦争について
    今まで地球上で戦争が全くなかった時代ってあったのでしょうか?
引用返信/返信 削除キー/
■23088 / inTopicNo.12)  Re[11]: 永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/05/05(Thu) 09:57:10)
    No23087に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、おはようございます。レスありがとうございます。

    > >人間は本来、肥沃で安全、気候の穏やかな土地を好むものなのに、とても過酷な環境に人間が住んでいる場合があるのは、他の集団との戦争で追いやられたか、戦闘を避けるために移り住んだかです。(p116より)
    > アフリカで生まれたホモサピエンスがアフリカを出て世界へ広まって行きました。シベリアなど極寒の土地へ行き、そこからアラスカ〜南アメリカの南端まで行った訳ですが、「何故行ったのだろう?」がボクの疑問なのですが、そういうことなのか!?と思いました。
    > 元々暖かい(暑い)ところにいた訳ですから、寒いところは特に苦手だったはずなのに。。。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A7%BB%E5%8B%95%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

    アフリカで誕生した人類が、アラビア半島を経て三つのルートで世界中に広まっていったことなどが書かれています。
    (田秋さんは既にご存じの内容でと思います。)
    私は後でじっくり見てみようと思います。

    人間の身体の成分の多くが水だということを考えると、降水量の少ないアフリカはそもそもホモサピエンスにとっても過酷な地だったのではないのかな、と考えました。
    有名な古代文明が大河の沿岸で栄えたのも、水が飲用と共に肥沃な土地を生む点で理解できます。

    人間の持つ好奇心も、他の地域を見てみたい、行ってみたいという原動力になったのだとも思うのです。
    そこが温暖で肥沃な土地だと、人気スポットで人が殺到し、その地を巡って争いが起きるというような。

    徐々に移動する中で、何代もかけてその地に適応する能力を獲得してきたのでしょうね。
    アフリカから一気にアラスカに薄着で移動したらとても生きていけないです。(^▽^;)

    > 戦争について
    > 今まで地球上で戦争が全くなかった時代ってあったのでしょうか?

    大規模な戦争でなくて争いというものまで含めれば、それがなかった時代はなかったのではないか、と思います。
引用返信/返信 削除キー/

次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>

[このトピックに返信]
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -