| ふくろうさん、レスありがとうございます。
>> だとすると、永井さんのほうは「経験的自我」を『論考』の「独我論的自我」とみなしているということなのかな。 >> 今、純理トピまで行き、「経験的自我」という正式表現を見つけ出してきました。 >> こっちがそれなら永井さんの説ということなのかな、と。 >> それともそういうことではない?
>まあ間違いじゃないんですが、もう少し正確に言うと、 永井は『ウィトゲンシュタイン入門』で、「一般的自我の独我論」だと言っています。 >問題は、この「一般的」を、形式的一般性として解釈するか、 経験的一般性として解釈するかで、全然意味が異なるんですが、 >それをどう解釈しているか本人の意図としてはいずれにせよ、 結果としては「経験的一般的自我」として解釈してしまっているんです。 私の理解では^^
う〜ん。。わかりません。せっかく説明頂いたのにすみません。 永井さんの『ウィトゲンシュタイン入門』は読もうとしたのですが難しすぎて無理でした。 ですのでここ、スルーいただいてだいじょうぶです。
>私の解釈は基本的に私自身が考えたものなので、全く一致する人がいるかどうかはわかりません。 >超越論的主観=独我論的自己 と解釈している人がいるかどうかはちょっと忘れたのですが、 日本でも、何人かの近い解釈の哲学者はいます。
そうなんですね。
>いえ、私の言うことはわかりにくいでしょうに、読んでくださってありがとうございます。
古田徹也さんという方の『論考』の入門的な本を読み、「一」からの解説について理解できたと思うところを投稿する、というのを春頃にしてたんです。 暑くなりやる気なくしてやめたんですが、また読みだそうかと考えてたんです。 今後は、読み進めるすべてについてではなく、おもしろいと感じた点、解りそうで解らない点などを書いて行くスタイルで投稿しようかな、と考えていたところでした。 そんな状態に私はいます。
やりとりしていただいてありがとうございました。^^
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