| 2020/02/23(Sun) 18:24:14 編集(投稿者)
千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)ちゃんの虐待死事件。先日千葉地裁初公判 があった。児童相談所の不手際で救える命も救えなかったのは甚だ残念でくやしい。 被告の父親は経済的にも精神的にも余裕がなく心愛ちゃんがそのはけ口になったの ではないか、というコメントもあった。 私は別の面からみてみた。つまり被告の妻への暴力をどう解釈するかだ。女性差別 という側面もあるがもう一つの見方がある。妻は異文化出身なのだ。歴史的にみる と琉球文化圏の出身なのだ。1609年薩摩による支配下に入り明治に完全統合して独 自の国家形態を失った。以後待遇は植民地下の朝鮮と同一視され差別の歴史が始ま った。問題はその異文化性ゆえの差別が被告の妻への暴力の背景にあったのではな いか、ということを私は推察する。関東大震災では朝鮮人と同様に虐殺された人々 もいたと聞く。差別は今でも残っている。心愛ちゃんへの暴力虐待は妻への暴力の 延長線上にあったのではないか。日本人の持つ相互扶助の共同体的心情はどうやら 異質なものには働かないようだ。
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