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■2440 / inTopicNo.61)  重力波への批判
  
□投稿者/ rest -(2020/02/29(Sat) 11:45:43)
    アルテハ・相対性理論の基礎に対する批判 Biglobe

    ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~kubota-takashi/aptexa.html


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■2439 / inTopicNo.62)  Red Garland
□投稿者/ rest -(2020/02/28(Fri) 23:00:13)
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■2424 / inTopicNo.63)  Re[34]: 類と個4
□投稿者/ rest -(2020/02/23(Sun) 18:13:36)
    2020/02/23(Sun) 18:24:14 編集(投稿者)

    千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)ちゃんの虐待死事件。先日千葉地裁初公判
    があった。児童相談所の不手際で救える命も救えなかったのは甚だ残念でくやしい。
    被告の父親は経済的にも精神的にも余裕がなく心愛ちゃんがそのはけ口になったの
    ではないか、というコメントもあった。
    私は別の面からみてみた。つまり被告の妻への暴力をどう解釈するかだ。女性差別
    という側面もあるがもう一つの見方がある。妻は異文化出身なのだ。歴史的にみる
    と琉球文化圏の出身なのだ。1609年薩摩による支配下に入り明治に完全統合して独
    自の国家形態を失った。以後待遇は植民地下の朝鮮と同一視され差別の歴史が始ま
    った。問題はその異文化性ゆえの差別が被告の妻への暴力の背景にあったのではな
    いか、ということを私は推察する。関東大震災では朝鮮人と同様に虐殺された人々
    もいたと聞く。差別は今でも残っている。心愛ちゃんへの暴力虐待は妻への暴力の
    延長線上にあったのではないか。日本人の持つ相互扶助の共同体的心情はどうやら
    異質なものには働かないようだ。
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■2423 / inTopicNo.64)  レストさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/02/23(Sun) 17:58:34)
    わ〜い、お返事ありがとうございます (^O^)

    改行してもらって読みやすいです、
    お手数おかけします、ありがとうございますm(_ _)m

    わたし、カントは好きで読んでて、
    理解したいと思ってるだけのおばさんで、
    哲学の基礎も全然ないから、勘違いいっぱいしてて、
    だから、学問としての哲学では、初心者・初学者以前の者です。
    仏教に関しても同様です。

    だから、きちんと知識ある人には、いい加減なこと書いてイヤだなー、
    と思わせてしまってるだろうな、と、申し訳なくもあります、が、

    私は、仏教とカントのことを知りたいんだ、って気持ちに蓋をすることは、、、

    やっぱり、知りたい。

    だから、自分の好きなことを勉強しようと思っています。

    でもレストさん、私の気持ち、見抜いていられましたね
    私の中では、私の実践したい仏教のパートと、カント哲学は、
    かなりリンクされちゃってます。
    カントの論理は、
    仏教徒として生きてみたいなと願う私に、時に大きな感動と励ましをもたらせてくれています。
    (自分勝手な解釈で、カントをキチンと勉強された方からは怒られそうな解釈もあると
    思いますけど(^^;; )

    いつも、いい加減なこと書いてすみませんm(_ _)m

    みんながニコニコ個を保ちながらも共生できる世界があらわれればいいですね(o^^o)

    今日も一日おつかれさまです、
    レストさんの毎日が、みなさんの毎日が、日々是好日でありますように(^_^)v






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■2422 / inTopicNo.65)  Re[33]: 類と個3
□投稿者/ rest -(2020/02/23(Sun) 16:42:21)
    pipitさん レスありがとう。pipitさんの自由な発言で私たちも刺激をうけて自由に
    発言できるみたいなところがあるので感謝ですね。ところでカント研究ですが、この
    ままカントばかりやりますといつまでたっても初心者あつかいされると思うのででき
    れば仏教とカントの関係のようにテーマをしぼって研究していくと専門家としての評
    価が高まってくるのではないでしょうか。
    スマホの件ですが改行していないので申し訳ない。これからは改行をいれますね。
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■2418 / inTopicNo.66)  Re[32]: 類と個3
□投稿者/ pipit -(2020/02/22(Sat) 17:44:06)
    あれ?
    改行
    してるのに

    伸びてますやん 〜
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■2417 / inTopicNo.67)  Re[31]: 類と個3
□投稿者/ pipit -(2020/02/22(Sat) 17:42:52)
    こんばんは。

    レスト先輩は相変わらずやさしいですね。

    きれいごとじゃ生きていけない、と、よく言われる気がするけど、
    案外、まあまあのきれいごとで生きても大丈夫だったら、いいな、って思ってます。

    パニックになるのは、恐怖からで、
    恐怖は、生存欲からじゃないかな。

    ころちゃん、悪させず、おだやかにおさまってほしいな

    ところでレスト先輩のコメント、
    私のスマホでは、横にダーっと伸びてて、
    読むの難しいんですけど
    わたしのスマホの表示だけそうなってるのかな?
    もし違う方もそういうことがあるのなら、
    投稿記事の中で、適当な箇所で改行するといいかもです。

    ま、わたしだけ、面白く表示されてるなら全然いいですけどね(o^^o)

    おつかれさまです !

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■2416 / inTopicNo.68)  Re[30]: 類と個3
□投稿者/ rest -(2020/02/22(Sat) 12:26:16)
    今回の新型コロナウイルス肺炎の騒ぎをどう読み解けばいいのだろうか。共同体による異物排除と解くと東日本大震災の時と同じように相互扶助の共同体的雰囲気が蔓延して個性的発言がパージされる息苦しい状況が生じているのではないか。免疫も自己という身体共同体の異物排除機能なのだ。社会共同体も異物としてのウィルスを排除しようとする免疫機能が働いている。問題なのはそれが一般的な共同体全体を刺激して一般的な差別現象を誘発するのではないかということだ。関東大震災では朝鮮人差別を誘発してたくさんの人々が虐殺された。社会的にみて異質とみなされている人々が差別され虐待されるのではないか。あるいは民族共同体としてのナショナリズムを刺激して異質な民族との戦争へと行き着くかもしれない。杞憂ならいいが。
    ヘーゲルによると悪は神からの疎外である。神は普遍性であり善である。本質的に共同体的普遍性が善の基礎であり、それと対立するものが個性である。異質なウィルスが悪の象徴とされ共同体的結束が強化されてくる。そこで社会的一般的異質な人々への差別が誘発されるのではないか。今が一番警戒すべき時かもしれない。
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■2397 / inTopicNo.69)  類と個 2
□投稿者/ rest -(2020/02/16(Sun) 12:49:11)
    2020/02/16(Sun) 22:45:52 編集(投稿者)

    『人倫の形而上学の基礎づけ』(カント著 中央公論社)によれば

    「それゆえ定言的命法はただひとつしかなく、それは次のごとくである。『汝の格率が普遍的法則となることを汝が同時にその格率によって意志しうる場合にのみ、その格率に従って行為せよ』」(p.286)

    自己に課したルールが自然法則のように普遍性があるか、つまり自己にのみあてはまるものではなく共同体社会の成員のすべてにあてはまるように行為せよということだから道徳的普遍性は類的共同体のルールに根拠を置くことになる。ヘーゲル的善も類的共同体に根拠を持つ。
    類的行為は相互扶助の共同体的精神であり、そこから逸脱する個性は悪とみなされる。類的存在にとっては内部逸脱者の個性や異民族的多様性は悪とみなされる。もともと個性は類的行為を嫌うから類的行為を強いる共同体とは本質的に対立するものなのだ。確かに個性が類的行為を嫌って社会的秩序から逸脱する場合がある。それが一般的には犯罪であり、学術的共同体秩序からの逸脱の場合は異端となる。
    良心の呵責とは類的共同体精神が逸脱した個性を攻撃している状態である。これが行き過ぎると自殺であり、個的プライバシーを共有化して苦しめる思考伝播という妄想症状である。あるいは「神の声」という幻聴つまり類的共同体の疎外態によって個性としての自己が苛まれる病的状態である。
    共同体には共同体の価値があり、個性には個性の価値がある。お互いがお互いの価値を認めあえばバランスのとれたいい状態になると思うがどうだろうか。
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■2384 / inTopicNo.70)  キリスト教の本質
□投稿者/ rest -(2020/02/12(Wed) 01:27:30)
    2020/02/12(Wed) 21:21:17 編集(投稿者)

    『キリスト教の本質』(フォイエルバッハ著 岩波書店)によれば神は類的存在=共同体精神の疎外されたものである。共同体精神があたかも外にあるかのように投影されてしまうのだ。時間もそうだ。本来共同体の社会的約束事つまりルールでしかなかったものが疎外されて、あたかも外に存在するかのように外に投影されてしまう現象だ。自然の法則を神のごとく信じてしまうスピノザの汎神論も時間と同じで共同体の社会的約束事つまりルールを外に投影してしまっているのだ。つまり神は疎外態なのだ。自然の法則は実体としては存在しない。あくまで人間の約束した定義に従って組み立てられた現象と現象の関係性に過ぎない。オームの法則は電圧・電流・抵抗という定義に基づいた関係性であって実体があるわけではない。人間が作った定義の関係性であり別の定義をすれば別の法則もありうる。社会的ルールが時において変更されるように違った定義では違ったルールの法則がありえる。電流も電子の流れとは逆に流れるように誤った定義を放置している。自然の法則も人為的なのだ。もともと現象と現象の関係性を自然の法則ととらえると現象はカント的には超越論的主観性によって構成されたものだから、認識される法則は主観的なものなのだ。ヒューム的にいえば因果法則は習慣からくる恒常的連接であって客観的必然性はない。オームの法則も別の惑星では通用しないかもしれない。法則を絶対視するのは共同体の社会的約束事つまりルールの疎外態として信仰の対象になっているからだ。
    共同体が絡む以上、個性は抹殺されるのが法則だ。普遍性の名のもとに個性は抹殺される。どこかの独裁国家では主体性思想というのが強調される。マルクス主義という思想を主体的に展開することをいう。社会的共同体のルールがマルクス主義であって、個性はその部品、ディバイスであるのが主体性なのだ。主体性とは本来そういうものだろうか。
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■2377 / inTopicNo.71)  思弁的実在論
□投稿者/ rest -(2020/02/09(Sun) 22:54:09)
    2020/02/11(Tue) 10:40:42 編集(投稿者)
    2020/02/10(Mon) 08:22:06 編集(投稿者)

    『有限性の後で』(カンタン・メイヤスー著 人文書院)によれば祖先以前の世界はつまり人間以前の世界は科学者共同体の間主観性によってその実在性が検証されるという間接証明からカント的物自体の認識不可能性を乗り越えようとしている。直接証明はその主観性ゆえに不可能だが間接的には証明可能ということのようだ。私の死後も世界は存在し続けるということは間接的に証明されるのである。
    そのことによって世界の実在性をすなわちカント的物自体を自由に思考しようというのがメイヤスーらの思弁的実在論の立場である。
    そこで私も自由に考えてみた。月の感覚は人間と対象との相関関係であり主観的なものであるが、物自体としては岩石など原子、分子から形成されていると考えられる。もっと根源的には量子・素粒子であり、それらの粒子は波の性質をもっていて波のエネルギーが働いている。そしてそれは私たちの主観における怒りや憎しみの感情と同一ではないかと推測している。津波が破壊的であるように怒りや憎しみの感情は破壊的エネルギーだからだ。つまり世界を根本的に構成しているエネルギーは実は主観的なものなのだ。そうなると唯物論(実在論)と観念論の統合の可能性が開かれていることになる。
    ただ性質が共通なので梵我一如という側面もあるが、個別性もある。普遍性に個性が潰されるのは納得できない。もうひとつ私の個人的見解にすぎないが、無我の境地に達したときの無の状態は空間意識でありそこは宇宙の無の空間と地続きである。無は形のない有であり存在の根源である。確かにそこは普遍性があると思う。しかし宇宙と一体になっても個性は失ってはならない。なぜなら個性を失えばある病気に苛まれることになるからだ。そこは木村敏に学ぶべきだろう。
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■2370 / inTopicNo.72)  個と類
□投稿者/ rest -(2020/02/09(Sun) 00:27:10)
    2020/02/09(Sun) 00:48:16 編集(投稿者)

    『自覚の精神病理』(木村敏著 紀伊國屋書店)によれば統合失調症という病気は個別化の原理が失われたことによる精神病理だということです。たとえば思考伝播という症状は自分の考えたことが他者に筒抜けになるという症状です。自分独自の考えが共有化される苦しみですが、極端にいうとプライバシーが共有化されてしまう恐怖ですね。本来、個に属すべき出来事が共同体という類に共有化されてしまうという事態です。むろん妄想ですがその症状は自己における個性と共同性という二面性の葛藤を示したものです。個性は異質なものに安住しますが、共同性は異質なものを嫌います。その症状は共同性という類による個への攻撃として思考伝播という形で現れます。これは個別化能力が弱っているときに生じます。個と類のバランスが崩れたときに生じるのです。世界という表象は超越論的主観性によって構成されますからその実体である超越論的統覚の有り方がそのまま反映されるのです。統覚は個と共同性という類から構成されていますのでそのアンバランスが世界構成に影響をあたえるのです。それがプライバシー崩壊を示す妄想症状なのです。要はバランスが大切であって、どちらか一方に一体化することではないということです。類という普遍性も大事ですが個という個別性も大事なのです。
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