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■2546 / inTopicNo.37)  Re[59]: 共同体原理
  
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/30(Mon) 16:30:03)
    No2545に返信(restさんの記事)

    > むつかしいところがあります。パニチェさんの思想哲学にかなり共感しているのですが、この共感がくせもので実は共同体の論理なのです。差異化がいいと反対すればこれまた共同体の論理なります。実にやっかいなものです。賛成、反対の論理じたいが共同体の論理なのです。民主主義では反対は少数派の意見の尊重として尊重されますが一般的には共同体の論理をストレートに押し付け反対派を抹殺します。科学もしかりです。普遍性という近代の論理は共同体の論理をベースにして差異を抹殺します。共同体の論理は自然界においても見られます。「共同体原理」とは「類的結合は同時に異質なものと対立する」というものです。自然界では一般的です。たとえば群れをなす動物は類的結合ですがそれは異質的なものへの対立を同時に発生させます。これが異種間の対立「」であり、いわゆる食物連鎖の状態を造り出しています。
    >  個性原理は都市型市場の論理であり、共同体原理は農村型社会の論理です。
    > ポストモダンの失敗は共同体原理をパージして個性原理一色単にしてしまおうとするところに原因があるのではないかと考えています。ポストモダンは民族の多様化を認めてグローバル化しましたが、その結果極端な貧富の格差が生じてしまいました。その批判として各国のポピュリズムの台頭があるのです。いわゆる民族共同体主義への揺り戻しです。それが戦争を誘発しなければいいのですが。

    なるほど、ありがとうございます。
    今のポピュリズムの台頭をポストモダンの結果のひとつと考えられてるわけですね。
    過度のポピュリズムは排他性を伴いますからね。それはある意味で理性(近代)よりも情動重視と言える。
    排他性を伴わない個別性の重視、所謂「個人主義」というのは掲げる看板としては見てくれはいいですが、なかなか二律背反的で具体的な実践となると難しいのかもしれません。

引用返信/返信 削除キー/
■2545 / inTopicNo.38)  共同体原理
□投稿者/ rest -(2020/03/29(Sun) 22:43:21)
    2020/03/30(Mon) 08:21:31 編集(投稿者)


    No2539に返信(パニチェさんの記事)

    > 日常的には自然的態度をベースとして生活していても、人は絶対的に孤独であり他者から隔絶した存在であるという独我論的な視座を根底としている人の方が他者を尊重し思いやりの心をもって優しくなれる。
    >
    > 人は一人では生きられないし、他者や動植物も含めた自分以外の存在に支えられていることに変わりはないが、一人であり孤独であることは絶対的な事実である。
    >
    > 他者の私秘性は認識の地平の彼方であるし、生まれる時には多くの人手に助けられるが、臨終の際には何ものも役立たず、家族に囲まれていても絶対的な孤独の中で一人で死にいく。
    >
    > 人は絶対的に孤独であるからこそ、他者に優しくなれる。
    > それはニーチェが批判するところの不十分な自己愛の変形である隣人愛や、場合によってはますます相手を弱体化させてしまう同情的な憐みではない。
    >
    > ポストモダンの行きつく先は独我論的視座ではないか。
    >
    >>世の共同存在主流のなかにあって個性的つながりはもっと認められていいのではないか。ポストモダンもそういう志向性だったが失敗だったようだ。なぜかわからないが。
    >
    > ちなみにポストモダンが失敗に終わったとrestさんが判断される根拠というか理由を、もしよろしければ教えて下さい。
    >

    むつかしいところがあります。パニチェさんの思想哲学にかなり共感しているのですが、この共感がくせもので実は共同体の論理なのです。差異化がいいと反対すればこれまた共同体の論理なります。実にやっかいなものです。賛成、反対の論理じたいが共同体の論理なのです。民主主義では反対は少数派の意見の尊重として尊重されますが一般的には共同体の論理をストレートに押し付け反対派を抹殺します。科学もしかりです。普遍性という近代の論理は共同体の論理をベースにして差異を抹殺します。共同体の論理は自然界においても見られます。「共同体原理」とは「類的結合は同時に異質なものと対立する」というものです。自然界では一般的です。たとえば群れをなす動物は類的結合ですがそれは異質的なものへの対立を同時に発生させます。これが異種間の対立であり、いわゆる食物連鎖の状態を造り出しています。
     個性原理は都市型市場の論理であり、共同体原理は農村型社会の論理です。
    ポストモダンの失敗は共同体原理をパージして個性原理一色単にしてしまおうとするところに原因があるのではないかと考えています。ポストモダンは民族の多様化を認めてグローバル化しましたが、その結果極端な貧富の格差が生じてしまいました。その批判として各国のポピュリズムの台頭があるのです。いわゆる民族共同体主義への揺り戻しです。それが戦争を誘発しなければいいのですが。
引用返信/返信 削除キー/
■2539 / inTopicNo.39)  Re[57]: 個性原理
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/29(Sun) 08:46:12)
    2020/03/29(Sun) 09:37:35 編集(投稿者)

    No2538に返信(restさんの記事)
    > 社会哲学というべきかもしれないが個性原理というのがある。個と類の関係を示したものであるが、これを初めて世に問うたある書物は注目されることもなく異端の書として黙殺された。その書物によれば個性原理とは「個性的結合は類的対立を同時に引き起こす」というものである。端的にいえば個性の違いを尊重しあう関係では同時に個性の似た者同士で対立が生じるというものだ。市場社会では同質の商品を取り扱う類似企業は対立・競争関係になる。しかし質の異なる商品を扱う企業間に競争はなくむしろ親和的関係である。
    > 「私」という個別的存在が「他我」と共通の類似存在と意識するとたちまち競争・対立関係になり、相手をパージするようになる。ところが相手をまったく異質な存在だとみれば対立は起こらない。フッサールのモナド論は相手が類だから間主観が存在するのだが、まったく違う個性的存在とすれば間主観性は成立しない。そうなると独我論的世界になる。あるいは他我を自己と違う個性的存在とみて親和的な繋がりを認めるようになる。

    概ね同意です。

    日常的には自然的態度をベースとして生活していても、人は絶対的に孤独であり他者から隔絶した存在であるという独我論的な視座を根底としている人の方が他者を尊重し思いやりの心をもって優しくなれる。

    人は一人では生きられないし、他者や動植物も含めた自分以外の存在に支えられていることに変わりはないが、一人であり孤独であることは絶対的な事実である。

    他者の私秘性は認識の地平の彼方であるし、生まれる時には多くの人手に助けられるが、臨終の際には何ものも役立たず、家族に囲まれていても絶対的な孤独の中で一人で死にいく。

    人は絶対的に孤独であるからこそ、他者に優しくなれる。
    それはニーチェが批判するところの不十分な自己愛の変形である隣人愛や、場合によってはますます相手を弱体化させてしまう同情的な憐みではない。

    ポストモダンの行きつく先は独我論的視座ではないか。

    > 世の共同存在主流のなかにあって個性的つながりはもっと認められていいのではないか。ポストモダンもそういう志向性だったが失敗だったようだ。なぜかわからないが。

    ちなみにポストモダンが失敗に終わったとrestさんが判断される根拠というか理由を、もしよろしければ教えて下さい。

引用返信/返信 削除キー/
■2538 / inTopicNo.40)  個性原理
□投稿者/ rest -(2020/03/28(Sat) 20:58:15)
    社会哲学というべきかもしれないが個性原理というのがある。個と類の関係を示したものであるが、これを初めて世に問うたある書物は注目されることもなく異端の書として黙殺された。その書物によれば個性原理とは「個性的結合は類的対立を同時に引き起こす」というものである。端的にいえば個性の違いを尊重しあう関係では同時に個性の似た者同士で対立が生じるというものだ。市場社会では同質の商品を取り扱う類似企業は対立・競争関係になる。しかし質の異なる商品を扱う企業間に競争はなくむしろ親和的関係である。
    「私」という個別的存在が「他我」と共通の類似存在と意識するとたちまち競争・対立関係になり、相手をパージするようになる。ところが相手をまったく異質な存在だとみれば対立は起こらない。フッサールのモナド論は相手が類だから間主観が存在するのだが、まったく違う個性的存在とすれば間主観性は成立しない。そうなると独我論的世界になる。あるいは他我を自己と違う個性的存在とみて親和的な繋がりを認めるようになる。
    世の共同存在主流のなかにあって個性的つながりはもっと認められていいのではないか。ポストモダンもそういう志向性だったが失敗だったようだ。なぜかわからないが。
引用返信/返信 削除キー/
■2521 / inTopicNo.41)  Re[55]: 現金か商品券か 2
□投稿者/ rest -(2020/03/25(Wed) 10:09:28)
    2020/03/25(Wed) 21:15:36 編集(投稿者)

     朝三暮四の議論だ。貯蓄が先か後かのことであって結果は同じだ。現金を支給すればそれが貯蓄にまわるのと、商品券を先に支給してあまった所得が貯蓄に回るのと結果は同じ。それよりもヘリコプターマネーというか十分に現金を支給して充分と思われる貯蓄ができれば余裕から消費が増えるのではないか。将来が心配だから貯蓄が増えるのであってある程度心配が薄れれば消費は増える。ヘリコプターマネーの代わりに2年間だけベーシックインカムを実施しても効果はあると思う。
引用返信/返信 削除キー/
■2512 / inTopicNo.42)  現金か商品券か
□投稿者/ rest -(2020/03/22(Sun) 23:17:07)
    現金か商品券かということでコロナ景気対策でもめているようだが、私は現金がいいと思う。現金を否定する人たちは現金では貯金に回ってしまうのではないかと心配しているが、私は商品券も同じだと思う。必需品に商品券を使ったら、使わなかった現金(所得)は貯蓄に回る計算だ。結局同じだ。だとすれば現金のほうが所得増の感覚が直接的なので、ケインズの消費関数よろしく消費がふえるのではないか。現金のほうが自由度があっていい。
引用返信/返信 削除キー/
■2511 / inTopicNo.43)  新型ウィルスの弱点
□投稿者/ rest -(2020/03/22(Sun) 22:41:40)
    COVID−19の弱点は湿度に弱いことである。湿度50%でセ氏22.22度で活動停止。空気中で3時間生存し、銅製品で4時間、厚紙の表面で24時間、プラスチックやステンレス上では3日間滞留する。
     既存の薬でアビガン、オルベスコ、カレトラ、レムレシビルなどの4種の薬はその有効性が確かめられている。
     私の考えでは最低でも3日間国民はじっとしていて、その間に感染者を隔離治療するという計画。
引用返信/返信 削除キー/
■2507 / inTopicNo.44)  Red Garland Quintet
□投稿者/ rest -(2020/03/21(Sat) 09:34:39)
引用返信/返信 削除キー/
■2498 / inTopicNo.45)  Re[51]: 独在性
□投稿者/ rest -(2020/03/17(Tue) 08:43:20)
    2020/03/17(Tue) 08:57:54 編集(投稿者)

    注意点  羅針盤のN極が北を示すので、北極の磁極はS極です。同様に羅針盤のS極は南を指していますので南極の磁極はN極となります。普通は北極はN極ですが磁極はS極です。南極も普通はS極ですが磁極としてはN極になります。したがって磁力線はN極からS極へと流れていますので、南極から北極へと磁力線が流れていることになります。
    フレミングの左手の法則より電流を西から東へと流すと電線は上向きの力が働きます。
     重力はその逆だと考えています。すべての物質が電子を多くもっていますので(物質は不均衡に電子が多くマイナスイオンの状態であり何らかの理由で、たとえば電車の中の人が実際は動いているのに中では止まって見えるように電気的に中性化しているように見えるだけだと考えています)自転によって西から東へと地球が動くことは電流が東から西へと流れることを意味しています。フレミングの左手の法則によりすべての物質は下向きの力が働くことになります。これが重力です。
引用返信/返信 削除キー/
■2496 / inTopicNo.46)  Re[50]: 独在性
□投稿者/ パニチェ -(2020/03/16(Mon) 15:00:05)
    restさん、丁寧な返信をいただきありがとうございました。
    心地よい知的刺激をいただきました。
    私も探究を続けていきたいと思います。
    今後ともよろしくお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■2495 / inTopicNo.47)  Red Garland
□投稿者/ rest -(2020/03/16(Mon) 08:37:09)
引用返信/返信 削除キー/
■2494 / inTopicNo.48)  Re[49]: 独在性
□投稿者/ rest -(2020/03/15(Sun) 16:44:40)
    2020/03/15(Sun) 16:47:48 編集(投稿者)

    > 例えば集団にかけられた覚醒催眠によって(事前の刷り込み効果もあり)目撃される空飛ぶ円盤は実在とみなしますか?
    またダブルスリットの実験において一度の実験ではスクリーンに一点の到達痕を残すのみとなりますが(単発や数度程度では干渉縞は現れない)このことについては(波エネルギーとしてとらえた場合)どう解釈されますか?

    むつかしい質問ですね。マトリックスに絡めてということなんでしょうが、ユングのいう集合無意識だったと思うのですがUFOは心理現象だともいえます。しかしUFOの飛行原理はいたって簡単です。フレミングの左手の法則に従えば、地球の南極がN極であり北極がS極ですから電流を西から東に向かって流すと電線は上向きの力を受ける。左右は電線をかたむければ可能だし、前進は磁力を使えばできる。理論上はOKだが実際上はだれもやったものはいないでしょう。
    ダブルスリットの実験では光子や電子は数少ないうちは点として粒子の痕跡を残すのですが多くなるとその痕跡が干渉縞を形成するようになるということのようですが、波だからこそ干渉縞ができるのですが、一つ一つ見ると粒子の痕跡なんですよね。だから粒子と波の二重性というのですが、波は通常のエネルギー波ではなく、確率波ということのようです。解釈がいろいろ割れているようですね。ボームは確率波を否定してエネルギー波つまりパイロット波(粒子が波にサーファしている状態)を想定しています。
    私は無の空間は形のない有といいましたが、単純に無の空間が有るということを無と有が矛盾なく成立している状態をいったまでです。無のもつ有の性質が真空中の媒質となって光が波として伝わるのではないか。粒子はその波のサーファとして運ばれるのではないか。などと考えてみました。

      >> 自己とは何かというと老子・荘子の無の考え方に近い。付け加えると「無」は形のない「有」であり有の性質をもった実体であるといえる。その有の性質が自己を形成し言語を駆使する思考の主体だと考える。そして感情的エネルギーも動力源として形成される。

     >これは他者(自我に対する他我や自己に対する他己など)にも言えることでしょうか?

     カンタン・メイヤスーなどの思弁的実在論の立場に共鳴しカントの物自体を自由に考察してみようということから私も自由に考察しているだけです。基本的にカントの不可知論は認めていますので上述のことは私の私的考察であって他我にも通用するということは考えていません。他我のことは不可知です。間主観性ということで共有化したら私の存在感は希薄になりますからある意味で恐怖です。ひとつの考え方だとみなしてください。別の解釈も可能と思います。  
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