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■2252 / inTopicNo.85)  統覚〜
  
□投稿者/ pipit -(2020/01/12(Sun) 14:09:00)
    こんにちは。
    『統覚』について理解していこうと計画していますが、その前段階として、『純粋理性批判』そのものについて大雑把に掴むことを試みます。

    『純粋理性批判』は、【私は、何を知り得るのか?】について書かれたものとする解説をよく読みます。

    カントが何故、何を知り得るのか、を探索するのかというと、【形而上学という学問は人間に可能か?】に対する答えを見つけることが目的だと思っています。

    ここで言う【学問】は、客観に妥当する知識、人間にとっては普遍性のある知識を学問と考えてるのかな、と、私は今のところ思っています。

    もし、知識、を、言葉という単語に置き換えてもよいのなら、
    つまり、「形而上学という学問を組み立てる際に使用する、客観に妥当するような言葉を作ることは、人間に可能か?」
    という問題意識だと思っています。

    カントは人間が知識(言葉)を得るには、
    感性・悟性・理性の3つの性能が必要と考えたと私は思っています。
    感性は、感覚的に感じる能力
    悟性は、感じたものを判断する能力
    理性は、推論する能力

    さて、ここで思うことは、この土台はすべて個人から始まるということです。
    感じるのは、あなたです。
    感じるのは、わたしです。
    この現象を、、、わたしが見ている対象、あなたが見ている対象を、とりあえずは【主観】と呼べるでしょうか。

    まずは、主観から始まる私たちの《知る》に、客観性や普遍性を持たせるのは可能なのか、可能性があるのなら、それは如何にして可能となるのか、
    が、学問は可能か、の問題点として浮上すると思っています。

    ここで思い出すのは、黒崎政男先生の文章です。引用します。
    引用開始
    『つまり、誤解をおそれず、カントの基本的立場をラフに述べれば次のようになる。

    一、主観が世界を成立させる。
    一、その世界は物自体の世界ではなくて、現象の世界である。
    一、現象の認識は客観的だが、物自体についての認識は主観的なものにすぎない。

    この一見パラドキシカルに見える発想が、どのようにして可能となるのかについて、『純粋理性批判』の全思考が費やされたのである。』
    引用終了
    『カント『純粋理性批判』入門』黒崎政男先生、p30より引用

    私が今から調べようとしている『統覚』は、純粋理性批判第二版では
    『つまり、悟性は、ア・プリオリに結合する能力であり、また直観における多様な表象を統覚によって統一する能力にほかならない。そしてこの統覚の統一という原則こそ、人間の認識全体の最高の原理なのである。』(B135)
    と書かれてるそうです。
    (黒崎政男先生同本、p130参照)

    ※(ちなみに、最初に第二版では、と書いたのは、第一版では記述内容は違うようだ、ということです。この違いについては相当面白い箇所だと思っています。構想力という能力が関わります。)

    勉強前の私見ですが、(第二版では)
    『超越論的統覚』が、私の世界を成立させる最高原則として措定されているのかな、と思っています。

    というわけで、今から勉強する『統覚』についてのアレコレは、
    人間認識の原理論(感性論+論理学)の中で、
    悟性・理性を扱った論理学の中でも、
    悟性能力を扱った部門《先験的論理学の先験的分析論》にて記述されてるものです。

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■2245 / inTopicNo.86)  あけましておめでとうございます(^○^)
□投稿者/ pipit -(2020/01/09(Thu) 17:47:36)
    エフニさん、あけましておめでとうございます !

    怒られたのは昨年末です〜
    ご指摘いただいたり対話してもらうのは、私にとってはありがたいことです
    「がんばってみてね、わたし o(^▽^)o」

    エフニさんも年明けでお忙しい毎日でしょうね、おつかれさまです!!
    体調にお気をつけくださいね(*^_^*)

    エフニさんの今年が幸福とともにありますように
    日々心地よくありますように

    今年もよろしくお願いいたします(^○^)♪
引用返信/返信 削除キー/
■2237 / inTopicNo.87)  謹賀新年
□投稿者/ エフニ -(2020/01/09(Thu) 03:13:33)
    ピピットちゃん、新年明けましておめでとうゥ

    今年もどうか一つ、よろしく哀愁廂

    >メビウス掲示板で、めっちゃ怒られたんですけど。<

    そっかぁ、新年早々怒られたのかぁ。

    「が、がんばれ、わたしァ」
引用返信/返信 削除キー/
■2235 / inTopicNo.88)  概念なき直観
□投稿者/ pipit -(2020/01/08(Wed) 23:59:32)
    あ、概念抜いた世界みたいなー、って思ってるけど、

    カントせんせは、
    概念なき直観は盲目って言ってたよね、たぶん
    それで、直観なき概念は空疎だ、みたいな

    それでも、観たいよ !!
    概念なき直観 @@

    おやすみなさ〜い ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■2234 / inTopicNo.89)  意識?無意識?
□投稿者/ pipit -(2020/01/08(Wed) 23:37:07)
    うう、嫌になりそう。。。_| ̄|○

    カント事典、パラパラ見てたら、事実学での人間学では、カントは無意識の状態も論じてるみたい。

    『無意識』の項目から抜粋引用
    『カント認識論において主要な役割を受け持つ意識とは、個々の事実的・心理的意識すなわち経験的意識ではなく、対象構成一般を可能にする権利的・論理的意識すなわち超越論的意識である。
    こうした認識論的文脈においては、事実的・心理的な意識に対立する事実的・心理的な無意識という概念が登場する余地はない。
    (略)
    だが、事実学としての『人間学』において、カントは「表象を持ってはいるが自ら意識していない」状態としての無意識を論じている。
    (略)
    このように、カントにおいて、無意識はライプニッツの「極小表象」に連なる意味と、構想力による明瞭な表象の意図的不明瞭化という意味とに分かれ、前者は「生理的人間学」に後者は「実用的人間学」に属する。
    このうち、われわれは
    構想力によって明瞭な表象を意図的に不明瞭化し、
    しかもそれには何らかの実用的観点が含まれている、という後者の無意識論のうちに、
    フロイトの無意識論やサルトルの自己欺瞞の先駆を見ることができるかもしれない。
    なお、後にN.ハルトマンは無意識を積極的に取り込んで独自の認識論・存在論を構築したが、これはむしろ前者の極小表象的無意識論をカント認識論の中に読み込んだものと言えよう。
    すなわち、ハルトマンによれば、超越論的意識の意味するところは、むしろ意志と表象という二つの属性を持つ無意識と呼ばれる絶対者なのである。』

    んー、対象一般を可能にするには、権利的・論理的に、意識というものが置かれる、
    この設定の中に無意識という概念が置かれる余地はない、ということかな。

    思い出すのは、仏教のアビダンマも、心(チッタ)の英訳が『consciousness』に統一されてるように見えて、一般的に無意識って言われてるものも英訳されたお坊さまは、意識ってとらえられてるのかな、って面白く見てたんですよね。

    そんなかんじかな ??

    にしても、いろいろややこしすぎ〜 !
引用返信/返信 削除キー/
■2230 / inTopicNo.90)  知覚と意識
□投稿者/ pipit -(2020/01/08(Wed) 13:31:02)

    > 人間として無意識で『知った』ことを、
    > エピソードとして整理して意識に登らせる部分に相当するのが、カントの認識論って考えたらわかりやすいんちゃうかな、って思ったんですよね。
    >
    > 主観として認識をまとめる作業工程が『純粋理性批判』で記述されてる内容として理解できないかなあ?って。<

    こんにちは。
    むむむ。
    『カント事典』の『知覚』の項目読んでたら、

    『(略)カントはライプニッツの表象の伝統に連なるために、知覚から意識を端的に排除することは到底考えられない。したがって、知覚は「意識を伴う表象」〔B376〕という規定に見られるように、意識によって知覚を定義するのが何よりの特徴である。(略)第三に、スコットランド思想と異なり知覚過程には意識が不可欠であると考えるために、知覚、感覚、意識をめぐる独特の理論を展開することになった。(略)。心理学の伝統は知覚を無意識的過程と見なすスコットランド思想の継承だったが、(略)。』

    とありました。

    そうかぁ、知覚は無意識下で起きてるのかなぁと思いはじめてたんだけど、
    カント先生は、知覚は意識を伴う表象、と、考えられてたのですね。

    眼識、耳識、、、

    概念が無くとも、私の意識に生じてる。

    私は概念抜いた世界を見たくて、目を閉じてその場でクルクル周り目を開ける、を何回か繰り返したけど、概念を抜いた世界を認識できたとは思えなかった。
    だから、概念と結びついた知覚しか意識に登らないのかなと思いかけたけど、
    先入観もったらダメですね。
    ああ、わたしはアホやな〜 _| ̄|○

    とりあえず今の段階では、私には概念抜いた景色は意識できなかった。
    そこでストップですね。
    そこから先の先入観は作ったらあかんかったんだよね、うーん、仮説ならいいのかな。
    固定観念にしたらマズイのかな。

    いつか、概念抜いた世界を見れたらいいな
引用返信/返信 削除キー/
■2229 / inTopicNo.91)  怒られました
□投稿者/ pipit -(2020/01/07(Tue) 22:33:43)
    メビウス掲示板で、めっちゃ怒られたんですけど、

    人間として無意識で『知った』ことを、
    エピソードとして整理して意識に登らせる部分に相当するのが、カントの認識論って考えたらわかりやすいんちゃうかな、って思ったんですよね。

    主観として認識をまとめる作業工程が『純粋理性批判』で記述されてる内容として理解できないかなあ?って。

    めっっちゃ怒られたけど (T ^ T)

    ストーリーは、私の中では、嘘っていうつもりじゃ全然なかったんです。
    ストーリーは、私の中では、世俗諦のニュアンスでした。
    世俗としては真実。
    でも、仏教徒でなくキリスト教の方に、ストーリーという単語は、私の考えてること伝わらないですよね、私の責任です、すみません 、です。
    こういうのが、独りよがりな言葉の使い方かもですね。m(_ _)m

    (あー、でも、前にパニチェさんに教えてもらった世俗諦はちょっと定義が違ったかなぁ)


引用返信/返信 削除キー/
■2228 / inTopicNo.92)  認識成立の七段階
□投稿者/ pipit -(2020/01/07(Tue) 21:59:24)
    前にメビウス掲示板に投稿したものの再編をコピペします。

    ※※※※※※※※
    >『認識という意味で』における「アプリオリ」って、わたし、見たんだけど。
    ってすると、カントさんが言う「認識」ってどういう意味で使ってるのかしら?<

    『純粋理性批判2』中山元訳のあとがき部分に、中山先生による解説がのっていまして、その中で、カントが『論理学』にて説明した【認識の成立プロセス】を紹介されていました。

    7段階に認識の成立プロセスを分けてるそうで、

    1.感性の働きで、外部の事物から触発されて、心のうちで外部のものの像が思い浮かべられる。(フォアシュテレン)

    2.注意を向けて、知覚する。(ペルキペーレ)能動的に特定の像にフォーカスするかんじかな?

    3.知覚した多様なものを区別する。見分けること(ノスケレ)。

    4.知性を働かせ、見分けたものを、ある共通点に基づいて、様々な違いを抽象する、すなわち切り捨て、ひとつの共通点だけを残す。この段階をカントは『認識』(コグノスケレ)と呼ぶ。

    5.知性によって概念の力を借りて認識することが成立する。理解する(インテリゲレ)段階。〇〇は□□だ、という判断を下す段階。概念の下への包摂。

    6.理性によって洞察すること(ペルスピケーレ)

    7.会得すること(コンプレヘンデレ)。きわめて高度なものとされる。

    私見書きます。

    言語により表現しようと思えば表現できる段階を認識と言ってるのかな、と、今の段階では思いました。(違ってたらごめんなさい)

    カント哲学を解説した本から引用します。御子柴善之先生の文章です↓
    『(略)客観に妥当する判断を下すことが「認識」なのである。』
    (カント哲学の核心、p49)

    ※※※※※※※※
    コピペ終わり。

    私がイメージする、概念抜いた世界は、1、ですね。
    この1は、顕在意識にも登ってるだろうと思ってたんだけど、
    もしかしたら、無意識の世界に登ってるのかも、って、思いました。

    でも、そもそも、意識って何、の定義からして、超難問っぽいからなあ(^^;;

    カントも、生きてる間に考えていることは変化していったと思いますけど。

    2と3も、カント先生が考えていたこと、いつか理解できたらいいな。
    文章難しすぎますよ( T_T)


引用返信/返信 削除キー/
■2227 / inTopicNo.93)  明日『カント事典』が届くよ♪
□投稿者/ pipit -(2020/01/07(Tue) 21:37:02)
    コンビニに、明日頼んでた本が届くと連絡ありました。
    うれしいな(o^^o)

    それで、今、思ってることなんですけど、
    無縁先輩に、またハッタリ日記書いてやがると思われそうなんですけど、

    みなさん今、何か見てるでしょう?
    その見てるものから、概念抜いたら、映像知覚や音の知覚って残ると思われますか?

    私は最近まで知覚は残るやろう、と、思ってたんですけど、
    概念と感覚知覚が結びついてから顕在意識となる、可能性もあるんじゃないかな、と、フと思いました。


    でも、まあ、そんなことはないかな〜。
    知覚だけでも意識できるのかなあ
    っていうか、色の名前の概念もなく、あー、どんな景色なのかなぁ

    自分で確かめたいけど、概念抜けないです!!

    普通に考えたら、知覚→概念把握、なんだけど。
    『知る』も考えれば深いなあ。

    カントは概念抜いた眼識を『直観』に含めてると思ってるんですけど、
    直観を『知る』と言っていいのか、、、

    パニチェさんが前に教えてくれたように、結局、『知る』の定義によるんやろうなぁ。

    考える、って、難しいなぁ。

引用返信/返信 削除キー/
■2202 / inTopicNo.94)  Re[7]: 統覚
□投稿者/ pipit -(2019/12/31(Tue) 12:49:17)
    うわ〜

    統覚の箇所、読むの忘れてたわ〜 _| ̄|○

    ら、来年は、

    『カント事典』届いたら、、、届いたら、、、


    がんばろー o(^▽^)o


引用返信/返信 削除キー/
■2187 / inTopicNo.95)  統覚
□投稿者/ pipit -(2019/12/21(Sat) 23:51:16)

    さっき、中山元先生訳の『純粋理性批判』の文章見てたけど、やっぱり、むっちゃ疲れます。。。
    なんやあの文章、と、いいたくなるけど、そこはガマン?
    自分が進化?して、スラスラ読めるようになるといいな♪

    で、統覚って、どこの箇所にでてくるのかな〜、と、竹田青嗣先生の『完全解読カント『純粋理性批判』』という本をめくってると、【先験的統覚】を発見。
    お、【根源的統覚】【純粋統覚】という言葉も発見しました。

    【統覚】は、『純粋理性批判』の中の、
    先験的論理学の中の、先験的分析論の中の、純粋悟性概念の先験的演繹の中で記述されるみたい。

    竹田先生の本の該当箇所を通して読んでみようかとおもうけど、今日は
    疲れた〜

    ので、また明日か明後日か明明後日かその後か忘れるか、で、

    今日はもうやめよかな

    おつかれさまです、おやすみなさい(^_^)
引用返信/返信 削除キー/
■2186 / inTopicNo.96)  カント事典
□投稿者/ pipit -(2019/12/21(Sat) 20:22:13)
    疲れた〜
    やっと、オムニセブンのパスワード再設定できた〜

    ややこしいし、自分で設定したidやらパスワードやら全然わからなくなってるし、

    疲れたけど、でけた〜 o(^▽^)o

    さっそく『カント事典』縮小版?頼みましたよ〜

    メーカーから取り寄せだから来るの時間かかるやろうけど

    楽しみだな ♪
引用返信/返信 削除キー/

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