(現在 過去ログ1 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■2733 / inTopicNo.25)  おくったがわさんへ
  
□投稿者/ pipit -(2020/04/23(Thu) 17:15:21)
    おくったがわさん、こんにちは


    >どれだけお役に立てるか能力的に疑問ですが、自分に分かることがあれば返事しますので、どしどしご応募ください(表現が変<

    やった〜〜〜
    頼りにしてます!!

    >引用ありがとうございます。
    自分が図からイメージしていたのは『すべてたがいに関連しあっていなければならないからである』の辺かな。<

    私が、円、と同様、おおぅ〜@@と感銘を受けたのは、
    おくったがわさんの
    『1〜4の何処が起点ということはなく』という言葉です。
    わたし、めっちゃ、1を起点に考えてました。。。ダイヤの頂点。。。
    でもおくったがわさんの意見読んで、目からウロコで、
    そしたら、カントの引用部分が頭に浮かんできました。
    有機体、が、浮かんだけど、そこみたら、すべてが関連しあって、という箇所もあって、、、
    カントの文は超悪文で名高いけど、依怙贔屓メガネで、美しく思えてしまいます(^^;;
    あばたもえくぼ !


    >カントの無限判断についてネットで幾つか見ていて、書き手によって解釈が違う感じがあり、カント自体の「無限判断」について決定的に合意されている解釈は無いのではないかと感じていたところ、まさに 曖昧・誤解を指摘した文章がありました。
    https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/215171/1/ybunr00620.pdf
    <

    ものすっごく、参考になる予感の論文のご紹介ありがたいです。
    要旨だけでもすごそうです。
    めっちゃ難しそうだけど、
    論文筆者のカントへの過剰的愛情がほんのりと伝わってきますね〜
    カントは本当に幸せものだと思います。
    あんな(!)悪文にいろんな人が、なんとか理解してみようと(^^;;

    果報者ですね〜

    実はわたし、、、カントのカテゴリーのとこ、ちゃんと読んでないんです。。。
    だって、読んでも、難文すぎて魂抜けていくかんじで。。。
    でもやっぱり、読むことにチャレンジしたいな、って思いました。

    おくったがわさんのおかげです。
    願わくば、読解が、おくったがわさんにもわたしにも、それぞれの果となりますように !!

    マイペースで進めていきますね
    ありがとうございます \(^o^)/
引用返信/返信 削除キー/
■2730 / inTopicNo.26)  Re[14]: 無限判断
□投稿者/ おくったがわ -(2020/04/23(Thu) 12:31:30)
    No2727に返信(pipitさんの記事)

    こんにちは。(先の投稿でご挨拶を忘れました。

    自分も「無限判断」に興味が湧いてネットを調べていたので、引用等ありがたいです。

    > ちなみに、今のところのpipit私見で間違えてるかもですが、カントのロジックとしては、
    > 人間の可能な判断形式(内容に関わらない単なる形式)をすべてを網羅した判断表を完成させ、
    > その判断表から純粋悟性概念を取り出し、
    > 今度はその概念が無ければ判断表は成り立たないことを示し、
    > 人間の知性にはこれらの純粋悟性概念が備わってるからこそ、判断の形式が成立すると説明してるのかな、と、考えています。)

    カントらしい行き方ですね(って知ってるのかよ、ですが、今まで見てきた中でのなんとなくイメージで)

    > 横道それましたが、無限判断に話を戻しまして。。。
    > 冨田恭彦先生は、「無限」と訳すよりは「不確定」と訳す方がわかりやすいと述べてられました。
    > 冨田恭彦先生の文章を引用しますね。
    >
    > 冨田恭彦先生『カント入門講義』p175〜
    > 『実はこの三つ目の「無限判断」、もともとラテン語で enuntiatio infinita とか、 propositio infinita とか言われていたもののことなんです。
    > 今、propositio infinita に話を限定しますと、これ、英語にすると、
    >
    > infinit proposition
    >
    > です。
    > 「インフィニット」というのは「無限の」と訳されるので、だからカントも「無限判断」と言うのだと考えられるかもしれませんが、
    > 実のところ infinita というラテン語の形容詞は、この場合には、元来、「不確定」を意味していると考えるのがいいのです。
    > 「確定」(finita)に対して「不確定」です。
    > ですから propositio infinita は、「不確定命題」と訳すほうがわかりやすいのです。

    ありがとうございます。なるほどです。


    カントの無限判断についてネットで幾つか見ていて、書き手によって解釈が違う感じがあり、カント自体の「無限判断」について決定的に合意されている解釈は無いのではないかと感じていたところ、まさに 曖昧・誤解を指摘した文章がありました。
    https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/215171/1/ybunr00620.pdf
    『まず、カントの無限判断にまとわりついて離れない曖昧さの解消である。曖昧さを発生させる最大の要因は、19世紀の終わりに興隆したヘルマン・コーエンによる誤解に淵源する。カントの無限判断が、たんに研究者の間だけではなく、『純粋理性批判』の数多き邦訳者においても、つねに曖昧で不確かな取り扱いが許されてきたのは、当該の歴史的誤解が正しく克服されないまま現在に至っているからである。』

    ただ、論文要旨しか公表されておらず、この内容を含んでいるかもしれない著書は、『カントと無限判断の世界』\5,280
    高い! 図書館は緊急事態宣言で休館だし。
    しばらくはネットで(疑いを持ちつつ)色々見ていきます。pipitさんの投稿も楽しみにしています(といっても無理はなさらずに)。



引用返信/返信 削除キー/
■2729 / inTopicNo.27)  Re[13]: 判断表
□投稿者/ おくったがわ(okt -(2020/04/23(Thu) 09:34:33)
    > >が、少なくとも部分部分は論理学で理解できると思います。<
    >
    > 私も、論理学の考え方が、とても参考になるのだろう、と、思ってるのですが、私自身は論理学のことほとんど知らなくて、
    > おくったがわさん、もしよかったら、いろいろ教えてくださったらありがたいですm(_ _)m

    どれだけお役に立てるか能力的に疑問ですが、自分に分かることがあれば返事しますので、どしどしご応募ください(表現が変

    > 有機的というワードが出てくる、カテゴリー表について語っていると思われる、カントの文章を引用します。
    > 『そのためには、アプリオリな知性の認識の全体という理念が必要であり、この理念の規定に基づいて、この認識の全体を構成する諸概念を適切に分類する必要がある。さらにこれらの概念を一つの体系にまとめあげねばならないのである。(略)
    > だから純粋な知性というものは、それだけで自立し、自足した統一体であり、外部から何かがつけ加えられることで、増えたりすることのないものである。(略)
    > この体系が完全であり、さまざまな部分で有機的に構成されているかどうかは、この体系に含まれる個々の認識が適切で真正なものであることを判定する試金石となるのである。(略)
    > これらの純粋概念は、絶対的に統一されている知性のうちから、不純物なしに発生してくるものであり、一つの概念または理念のもとで、すべてたがいに関連しあっていなければならないからである。(略)』
    > 『純粋理性批判2』カント、中山元先生訳、p43.44.48より引用

    引用ありがとうございます。
    自分が図からイメージしていたのは『すべてたがいに関連しあっていなければならないからである』の辺かな。
引用返信/返信 削除キー/
■2727 / inTopicNo.28)  無限判断
□投稿者/ pipit -(2020/04/22(Wed) 16:34:50)
    おくったがわさん、みなさま、こんにちは
    おくったがわさんの書いてくださったコメントに沿って勉強してみます

    >2の「無限」は、先日リンクしたサイトでは何のことか自分には分からなかったのですが、
    田さんによると、否定が述語の何処にかかるか、だとのことですね。
    たぶん、否定 : I do'nt have (any) money. /  無限 : I have no money.
    という違いではないかと。
    それで日本語では後者の言い方はしないので、「無限」はピンと来ない。<

    はい、無限、ってピンと来ないですよね。
    何が無限か?
    I have no money.の例で言えば、
    moneyの他のものは、持ってる可能性は無限にある、みたいな感じで、無限判断ってなってるみたいです。
    お金は持ってなくとも、来週に当たる宝クジ券持ってるかも、カエル持ってるかも、ウサギ持ってるかも、みたいな。
    『否定が述語の何処にかかるか、』という説明はわかりやすいですね。

    それでカントは、この無限判断からは、【制限】という概念を引き出してるみたいです。
    おもしろいですよね。
    (肯定判断からは【実在性】。否定判断からは【否定】という概念を引き出してるみたいです。
    ちなみに、今のところのpipit私見で間違えてるかもですが、カントのロジックとしては、
    人間の可能な判断形式(内容に関わらない単なる形式)をすべてを網羅した判断表を完成させ、
    その判断表から純粋悟性概念を取り出し、
    今度はその概念が無ければ判断表は成り立たないことを示し、
    人間の知性にはこれらの純粋悟性概念が備わってるからこそ、判断の形式が成立すると説明してるのかな、と、考えています。)

    横道それましたが、無限判断に話を戻しまして。。。
    冨田恭彦先生は、「無限」と訳すよりは「不確定」と訳す方がわかりやすいと述べてられました。
    冨田恭彦先生の文章を引用しますね。

    冨田恭彦先生『カント入門講義』p175〜
    『実はこの三つ目の「無限判断」、もともとラテン語で enuntiatio infinita とか、 propositio infinita とか言われていたもののことなんです。
    今、propositio infinita に話を限定しますと、これ、英語にすると、

    infinit proposition

    です。
    「インフィニット」というのは「無限の」と訳されるので、だからカントも「無限判断」と言うのだと考えられるかもしれませんが、
    実のところ infinita というラテン語の形容詞は、この場合には、元来、「不確定」を意味していると考えるのがいいのです。
    「確定」(finita)に対して「不確定」です。
    ですから propositio infinita は、「不確定命題」と訳すほうがわかりやすいのです。

    不確定命題の比較的わかりやすい例を挙げますと、「犬はウサギを噛んではいない状態にある」というのがそれです。
    主語は「犬」で、はっきりしていますよね。
    こういう主語のあり方を「確定」と言うのです。

    ところが、述語は「ウサギを噛んではいない状態に」で、こういう述語は「確定」じゃなくて、「不確定述語」(praedicatum infinitum)と言います。

    どうしてかというと、ウサギを噛んでいるんじゃないということが言われているだけですから、犬が、寝ていたり、ドッグフードを食べていたり、ひたすらテレビを観ていたり、ビールを飲んでいたり(あ、これはあまりないか)、ともかくウサギを噛んでいるのでさえなければ、なんでもOKですよね。
    ですから、これと決まらなくて、「不確定」なんです。
    だから、全体としてーーつまり、命題としてもーー「不確定」となり、それで「不確定命題」なんです。

    けれども、「これこれではない」という言い方で言われる場合、じゃあ具体的には何なのかということになりますと、その可能性は無限にありそうですよね。

    ですから、そういう否定的な言い回し
    を含む命題は、「無限命題」とか「無限判断」とか言われるようになったのです。』
    引用終了。

    ここで一旦投稿します(^O^)/
引用返信/返信 削除キー/
■2720 / inTopicNo.29)  判断表
□投稿者/ pipit -(2020/04/20(Mon) 22:58:02)
    おくったがわさんこんばんは(^O^)

    >判断表は、一般の論理学を参照して作ったとカント自身が述べているそうで(ネット検索によります)、実際には一致していないという批判もあるとのことですが、<

    カントの文章を引用してみますね。
    中山元先生訳です※残念ながら原本の判断表の独特の形は、この訳本では保たれていないようです(第2巻p52〜)
    『ところでわたしたちは、知性のすべての振舞いを結局のところは判断とみなすことができる。(略)
    判断において統一する機能を完全に列挙することができれば、知性のすべての機能を発見することができる。(略)
    判断一般について、そのすべての内容を無視して知性のたんなる形式だけに注目すると、判断における思考の機能が、大きく分けて四つの部門に分類できること、そしてそれぞれの部門には三つの判断要素が含まれることが分かる。
    これは次の表で示すことができる。

    一 判断の量
    全称判断
    特称判断
    単称判断
    二 判断の性質
    肯定判断
    否定判断
    無限判断
    三 判断の関係
    断言判断
    仮言判断
    選言判断
    四 判断の様相
    可能判断
    現実判断
    必然判断

    この分類は、いくつかの点で、論理学者が一般に利用している方式とは異なっているようにみえるはずなので(ただしその違いは本質的なものではない)、ここで誤解を防ぐために次の点に留意を求めることも、むだではあるまい。

    (略)』引用終了

    と、カントは述べてるものの、カント事典には、
    『、歴史的に見てもとくにカントが「いくつかの点で論理学者たちのふつうの流儀とは違っているように見える」と断っている点でも明らかなように、カントのここでの分類は先行する類例を見ないものであり、その点でも判断表の由来は議論を呼んでいる。(略)』
    とありました。
    ヘーゲルなどには辛辣に非難されているみたいです(^^;;

    >が、少なくとも部分部分は論理学で理解できると思います。<

    私も、論理学の考え方が、とても参考になるのだろう、と、思ってるのですが、私自身は論理学のことほとんど知らなくて、
    おくったがわさん、もしよかったら、いろいろ教えてくださったらありがたいですm(_ _)m

    >その場合、1〜4の何処が起点ということはなく包含関係も一定ではないと思うので、円構造にしたのかなと思いました。<

    上記のおくったがわさんのコメントにも影響を受けて、『純粋理性批判』文中に出てくる【有機的】という言葉が頭に浮かんできます。

    有機的というワードが出てくる、カテゴリー表について語っていると思われる、カントの文章を引用します。
    『そのためには、アプリオリな知性の認識の全体という理念が必要であり、この理念の規定に基づいて、この認識の全体を構成する諸概念を適切に分類する必要がある。さらにこれらの概念を一つの体系にまとめあげねばならないのである。(略)
    だから純粋な知性というものは、それだけで自立し、自足した統一体であり、外部から何かがつけ加えられることで、増えたりすることのないものである。(略)
    この体系が完全であり、さまざまな部分で有機的に構成されているかどうかは、この体系に含まれる個々の認識が適切で真正なものであることを判定する試金石となるのである。(略)
    これらの純粋概念は、絶対的に統一されている知性のうちから、不純物なしに発生してくるものであり、一つの概念または理念のもとで、すべてたがいに関連しあっていなければならないからである。(略)』
    『純粋理性批判2』カント、中山元先生訳、p43.44.48より引用

    円、という、私には驚きの視点をありがとうございます。
    もう、ダイヤ&#9826;に見えなくなりました !(私の認識は、ほんまいいかげんやね〜)

    >くれぐれも無理しないで。<

    ありがとうございます!
    おもしろくて、続けたくなるけど、
    無理せず、今日はここで終わりにしようと思います(^_^)v

    今はいろいろ大変な状況の方が多いかと思いますけど、

    おくったがわさんとまわりの方々が、大丈夫でありますように

    ニコってする出来事が、大変な中にも、いっぱい起こりますように

    幸せを望む生き物に、幸せが訪れますように

    みなさま、おつかれさまです、おやすみなさ〜い (o^^o)


引用返信/返信 削除キー/
■2719 / inTopicNo.30)  Re[11]: 言い訳日記☆
□投稿者/ おくったがわ(okt -(2020/04/20(Mon) 18:10:36)
    No2712に返信(pipitさんの記事)

    判断表は、一般の論理学を参照して作ったとカント自身が述べているそうで(ネット検索によります)、実際には一致していないという批判もあるとのことですが、少なくとも部分部分は論理学で理解できると思います。
    その場合、1〜4の何処が起点ということはなく包含関係も一定ではないと思うので、円構造にしたのかなと思いました。

    > 順番は、単に、そのあとの説明として振ったものかも

    そうかもしれないですね。うんうん。

    > 判断表のこと、書き込みしたいとずっと思ってるんだけど、
    > 仕事も今の所は休みにならず、
    > あと、さぼってて、
    > なかなか書き込めずにいますm(_ _)m

    くれぐれも無理しないで。
    何か月も投稿しなくなる自分は無理しなさすぎですけど。。

    > 論文のご紹介↓
    > 『文法の支配する世界ー認識論的範疇と文法ー』
    > 田大介さん
    > h
    > ttp://www.waseda.jp/bun-france/pdfs/vol22/05%8D%82%93c065-082.pdf

    面白いですね。世界を認識する際に用いる基本的なカテゴリーの分類を哲学者がするとき、当人が使っている言語の文法に影響されていると。

    > それで、きちんと確かめなくちゃだけど、
    > 今、自分でおもってることがあって、
    > カテゴリー表の1234、
    > あれ、昔、英文法で、SVCとか習ったけど、
    > 1はS
    > 2はV

    1、全称 「全てのリンゴは赤い」
      特称 「あるリンゴは赤い=赤いリンゴが存在する」
      単称 「このリンゴは赤い」
    主語・Sを制限している
      
    2、否定 「リンゴは白くない」
      無限 「リンゴは白に非ざる色である」
    述語・Vを制限

    ということで pipitさんのお考えどおりだと思います。

    2の「無限」は、先日リンクしたサイトでは何のことか自分には分からなかったのですが、
    田さんによると、否定が述語の何処にかかるか、だとのことですね。
    たぶん、否定 : I do'nt have (any) money. /  無限 : I have no money.
    という違いではないかと。
    それで日本語では後者の言い方はしないので、「無限」はピンと来ない。

    3は、接続詞に関与
    仮言「ここが日本ならば、リンゴは赤い」
    選言「リンゴは赤いかまたは青い」
    4は法助動詞に関与
    蓋然「リンゴは赤いことがあり得る」
    必然「リンゴは赤くなければならない」

    とのことでした。
    法助動詞てなんやねんとググったら、助動詞と言って普通に思い浮かべるのが法助動詞なのでした。
    https://www.ne.jp/asahi/davinci/code/english/modal_auxiliary/
    『 法助動詞は、話し手の気持ちや態度を表す。
    これは、主語に対する働きかけ(許可:may、提案:shall、強制:must、意思:willなど)とそれに対する話し手の感じる蓋然性で表現する。
    話し手の感じる蓋然性とは、1/0の間の推量(%で表される)のことであり、 話し手の主観的判断を表すとも言える。 』

    判断表の4が「様相」となってますが、やはり様相論理に対応するようですね。
    様相論理は新しいように思っていましたが、wikiによると『古くアリストテレスまで遡ることができる』とあるので、カントも取入れて不思議はないのでした。

    >4が、I think と、命題の関係

    『話し手の感じる蓋然性』ですね。
引用返信/返信 削除キー/
■2712 / inTopicNo.31)  言い訳日記☆
□投稿者/ pipit -(2020/04/19(Sun) 22:04:05)
    判断表のこと、書き込みしたいとずっと思ってるんだけど、
    仕事も今の所は休みにならず、
    あと、さぼってて、
    なかなか書き込めずにいますm(_ _)m

    途中、私にとってとても新鮮な視点をいただいた論文をみつけました(
    といってもまだ読み込んでませんけど・泣)

    論文のご紹介↓
    『文法の支配する世界ー認識論的範疇と文法ー』
    田大介さん
    h
    ttp://www.waseda.jp/bun-france/pdfs/vol22/05%8D%82%93c065-082.pdf

    それで、きちんと確かめなくちゃだけど、
    今、自分でおもってることがあって、
    カテゴリー表の1234、
    あれ、昔、英文法で、SVCとか習ったけど、
    1はS
    2はV
    3はCとかOとか

    で、上記概念が互いに関係しあい命題が成り立ち、

    4が、I think と、命題の関係

    とポヤポヤ思っています。

    それがきちんとあてはまるかとか含めて、きちんと一度関連箇所を読んだり
    してみたいな、と思ってるのですが、

    怠け者ということも含めて、
    なかなか時間が〜(^^;;
    あれ〜??

    ということで、とりあえず、こういう方向で調べてみます、ということで

    お、おやすみなさ〜い (o^^o) ☆彡


引用返信/返信 削除キー/
■2696 / inTopicNo.32)  おくったがわさんへ♪Re[9]: 判断表
□投稿者/ pipit -(2020/04/15(Wed) 16:48:12)
    おくったがわさん、書き込みとても嬉しいです
    ありがとうございます

    また解説書など読んで書き込みますけど、
    まず、驚きを先に、、、

    >判断表の配置については、順不同だから円なのかと思ったのですが、それだと番号振ってあるのが何故か、ですね。<

    !!!
    私の考え違いだったら申し訳ないけど(いつも可能性大m(_ _)m)、、、

    円、で、完璧を表してたのかも!!!

    私はほんまあほやな〜
    あの形、ダイヤ◇、に見えてました。。。

    そうじゃなくて、あれは円のイメージで、
    知性に備わる概念の体系としての完全さを意識して書いたのかも、、、

    で順番は、単に、そのあとの説明として振ったものかも

    説明が、多分、1.2.3.4.として説明してるんじゃないかな。。。
    (すみません、詳細、まだ調べられてないです、後で見てみるつもりですm(_ _)m)

    私はきちんと哲学を知らなくて、ご紹介されてたページの説明の方が絶対信頼性あると思います。
    ので、もちろん、ご紹介先の説明を第一に理解されてください。

    その前提で、また、自分(精神レベル中2)の今の段階の感想を
    書きますね。

    とりあえず失礼します。

    おお、、、円、、、とは、円、かも、、、◯
    おくったがわさん、いつも本当にありがとうございます!(^人^)

引用返信/返信 削除キー/
■2685 / inTopicNo.33)  判断表
□投稿者/ おくったがわ -(2020/04/14(Tue) 13:09:10)
    こんにちは。とてもお久しぶりです。

    カントの判断表について、こちらのサイトが自分にとって非常に分かりやすかったです。
    https://qlocozy.com/western-philosophy/kant-05/

    最後にpipitさんに教えていただいていた件(I think と統覚の関係など)にもつながっているようで面白いです。
    ただし、自分にとって分かりやすいからといって正しいとは限りませんから(初心者向けサイトのもよう)、pipitさんから見て問題点とかありましたらまた教えてください。

    判断表の配置については、順不同だから円なのかと思ったのですが、それだと番号振ってあるのが何故か、ですね。

引用返信/返信 削除キー/
■2657 / inTopicNo.34)  思惟の自発性に基づく機能・概念
□投稿者/ pipit -(2020/04/11(Sat) 18:20:11)
    カントの文章

    >直観を知性化すること(すなわち直観を概念のもとに入れること)<

    という記述が、概念のイメージとしてわかりやすいかな、と、思いました。

    直観を概念のもとに入れる。

    あるいは、下位概念を上位概念のもとに入れる、とかもありそうですね。

    概念に包摂させる営みを含めて、カントは概念についての自分の考え方を述べてるのかなと思いました。

    直観、を、
    直観すること、と、直観されたもの
    ひっくるめて表現しちゃう、ちょっとおおざっぱな?言葉の使い方に似たかんじ?

    か、おおざっぱ、というよりは、
    機能・はたらき、を中心に考える思考回路だから、そうなるのか。

    ?(← 逃げ !)

引用返信/返信 削除キー/
■2656 / inTopicNo.35)  経験的に生成される概念とアプリオリな概念
□投稿者/ pipit -(2020/04/11(Sat) 18:07:09)

    思考能力で認識対象をグループに分けてグループ名を付ける。
    内容と名前のセット。
    それがカントの考えてた「一般的な概念」みたいなかんじかなー、と、とりあえずのところ思いました。

    そして、「純粋悟性概念」は、上記のように経験から捨像などを経て得た概念ではなく、
    なぜか知らないけど、もともと知性にそれとして備わってる、アプリオリな概念として、カントは記述してるのかな、
    と、今のところ、思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■2655 / inTopicNo.36)  カントの文章の引用
□投稿者/ pipit -(2020/04/11(Sat) 18:03:31)
    カントの文章を引用します。

    『純粋理性批判(一)』講談社学術文庫
    天野貞祐先生訳、p186〜 (74〜)
    引用開始
    『われわれの認識は心性の二つの源泉から発現する、

    その第一は表象を受け取る能力(印象の感受性)、
    その第二はこの表象によって対象を認識する能力(概念の自発性)である。

    前者によってわれわれに対象が与えられ、
    後者によってこの対象が(心性の単なる限定としての)かの表象との関係において思惟せられる。

    すなわち概念と直観とはわれわれのあらゆる認識の要素を構成する、(略)

    われわれの心性がいずれかの仕方で触発せられるかぎりにおいて表象を受け取る感受性が感性と名づけられるならば、
    これに反して、
    表象そのものを産出する能力すなわち認識の自発性は悟性である。

    (略)

    内容なき思考は空虚である、
    概念なき直観は盲目である。

    それゆえに概念を感性化すること(すなわち直観において概念にその対象を付与すること)と
    直観を知性化すること(すなわち直観を概念のもとに入れること)とは
    ともに同じく必要である。(略)

    右にわれわれは悟性を単に消極的に説明して、非感性的認識能力といった。(略)
    すなわち、悟性は直観の能力ではない。
    しかるに、直観のほかには概念による認識方法があるのみである。
    すなわち、悟性認識は少なくともわれわれ人間にあっては概念によるものである、直観的でなくして比量的である。

    あらゆる直観は感性的としては触発に基づくが、
    概念は機能に基づく。

    私が機能というのは、種々の表象を一つの共通な表象のもとに統整(とうせい)するはたらきの統一性である。
    ゆえに概念は思惟の自発性に基づく、感性的直観が印象の感受性に基づくごとくに。

    いったい悟性はこれらの概念をそれによって判断するよりほかに用いることはできぬ。
    (略)
    思惟は概念による認識である。』
    引用終了


引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -