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■2654 / inTopicNo.37)  カント的概念、の概念
  
□投稿者/ pipit -(2020/04/11(Sat) 18:02:46)
    こんにちは!
    メビウスリング掲示板に投稿したものをコピペします。

    ********

    >カントは概念をどう捉えていたかわかりますか?<

    私見ですが、人間の持つ認識(知る)機能を、《感じること》と《考えること》の二つに大別したとき、
    《感じること》において思考上では区別されてないものを、《考えること》において区別するようにするファンクション(機能)そのものも含め、【概念】と考えているように、私の今の理解では思いました。

    まず、前提として、
    『カント事典』の【概念】のページには、

    引用開始
    『概念という語はカントにおいてきわめて頻繁に現れ、また多義的に使われている。』
    引用終了

    と冒頭にあり、4通りに区分して各説明がありまして、
    1.経験的概念
    2.純粋悟性概念
    3.反省概念
    4.特殊な意味での概念

    と、このように多義的に記述されてるようですが、
    私たちが一般にイメージするのは、1の経験的概念かな、と、思うので、その部分から抜粋引用してみます。

    引用開始
    『【T】経験的概念
    (略)、素材としての多様で個別的な観念(カントでは「直観」)から
    どのようにして複数の事物に当てはまる概念的普遍性が生じてくるかという成立過程およびその普遍性がいかにして機能するかという点にカントの特色を見ることができる。(略)』
    引用終了

    カント著の『論理学』には、【概念】の生成過程は、3契機からなるとされてるそうです。『カント事典』をみると、

    1.比較

    2.反省

    3.抽象

    1.比較
    諸表象が相互に比較されて共通的徴表が洗い出され、

    2.反省
    共通的徴表の確定に関して把握され、

    3.抽象
    諸表象間で共通していない残余の徴表が捨てられ(捨像)、
    一つの概念として純化され完成する。

    みたいなかんじで記述されていました。

    『カント事典』前引用の続きの一部を引用します。
    引用開始
    『(略)さらに概念の抽象性と具体性とは 概念そのものではなく 捨像という能動的働きに基づいたその「使用(Gebrauch)」の問題だという、
    概念を実体的にではなく機能的に捉えた進んだ見解をカントは表明している(略)』
    引用終了

    カントは、【概念を機能的に捉えた】、というのは、
    区別されてないものから、区別をつける働き&その結果までをまとめて【概念】と考えていたのかな?と思いました。

    ものすごく単純化すると、
    センサーがキャッチした色(という意味しかない情報)を、
    情報処理して、例えば【鳥】というレッテルのグループ分けをつくるような働きを、最終的にできあがった【鳥】という名称まで含めて、【概念】と言っているのかな、と、思いました。

    概念の生成過程の3契機を、私なりにイメージしてみました。

    1.比較
    色の違いの感知を、空間的座標において隣り合う似た色での塊をつくったり、時系列においての一コマ一コマの連続という観点からの類似性を認識したりして、ひとまとまりのしての思考上の対象を措定し、

    2.反省
    その対象が複数の対象において共通する項目があるものをグループ化し、

    3.抽象
    グループ内にある個々の空を飛ぶ鳥から
    共通項の【空を飛ぶ特定の生き物】以外の個々に特有の性質は捨て、
    その残った項目でのグループの表題を【鳥】と名付ける

    みたいな感じが、カントにとっての概念という機能なのかな、と、思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■2621 / inTopicNo.38)  ピピットさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/04/08(Wed) 08:19:45)
    おはようございます。

    ここのBBSの基本はレスを付けるも付けないも個々人の自由、気の向くままに、好きなことをカキコするってことですから。。。^^

    今後ともよろしくお願いします。

    これへの返信はお気遣いなく♪
引用返信/返信 削除キー/
■2620 / inTopicNo.39)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/04/07(Tue) 17:23:13)
    No2614に返信(パニチェさんの記事)
    > アゲついでに。。。
    >
    > 私への返信は後回しで、こちら(純粋理性批判を読んでみる。4)へのカキコを優先してもらってもいいですよ。
    >
    > 私が言うまでもないかもしれませんが。。。^^ <

    こんばんは !

    実は少し前、カントのこと勉強するの、難しくてややこしくて
    ちょっと勉強するのイヤになって、さぼってました(^^;;

    でもまた、再開してみようかなー、と、思ってたところです。

    ん〜?

    何勉強してたか忘れました !!

    パニチェさん、いつもありがとうございます (^O^)/


引用返信/返信 削除キー/
■2614 / inTopicNo.40)  Re[1]: 純粋理性批判を読んでみる。4
□投稿者/ パニチェ -(2020/04/07(Tue) 10:02:26)
    アゲついでに。。。

    私への返信は後回しで、こちら(純粋理性批判を読んでみる。4)へのカキコを優先してもらってもいいですよ。

    私が言うまでもないかもしれませんが。。。^^
引用返信/返信 削除キー/
■2473 / inTopicNo.41)  構想力 の変更
□投稿者/ pipit -(2020/03/10(Tue) 22:18:22)
    こんばんは!
    メビウスリング掲示板に投稿したものをコピペします。
    この箇所、掘り下げれば、すごくおもしろいかもだけど、
    掘り下げるの大変そうだからなあ(*_*)

    ☆☆☆☆

    こんばんは!

    ><三段の綜合>における<想像力における再生産という綜合>の<想像力>って、
    「悟性」とは見られません?<

    するどいなぁ。
    私にわかってる範囲で、種明かししますね。

    第一版での想像力は、
    感性でも悟性でもない能力として置かれ、感性と悟性をつなぐ役割を担わされていたようです。
    ところが!
    その記述は第二版では削除され、
    想像力とは悟性の作用の一つである、と書き換えられたようです。

    その点に関して、著名な哲学者を含めて議論が起きているようですが、当のカントは、重大な変更とは自分では捉えてないとすると、
    もしかしたら、、、
    もともとカントの中では、
    游さんのように、悟性的な能力に思える要素も多分にあったのかもしれませんね。

    変更の経緯等をわかりやすく説明してくださってる、黒崎政男先生の文章を引用しておきますね。
    『(略)しかし、カント自身のこの発言とは裏腹に、「構想力」の位置づけは決定的な変更をこうむっている、と言わざるをえない。
    まずはっきりしているのは、「綜合」をになう役割が、構想力から悟性へと書きかえられていることは、誰の目にも明らかである。
    (略)
    第一版のカントは、認識能力として〈心の三元性〉を中心に論じていた。
    だから、悟性にも感性にも属さない「第三のもの」としての「構想力」が重要な役割を占めていた。
    ところが、第二版では、悟性(自発性)と感性(受動性)という二元性でカントは議論を進めるようになったのである。
    (略)
    おお!である。
    構想力は、実は悟性だった、ということになったのである。ものすごい変更である。
    さらに注目すべきは、本書で何回か引用している「心の不可欠な機能である構想力」(A78)という句が、のちにわざわざ、「悟性の一つの機能である構想力」と書きかえられるにいたるのである。
    カントによる、構想力の徹底的な消去、なのである。』
    『カント『純粋理性批判』入門』黒崎政男先生、p156〜158

    この変更を、黒崎先生はじめ、というか、ヘーゲルはじめ、ハイデッガーはじめ、たくさんの方が、論じられてるようです。
    游さんが引用してくれたメルロさんの文章でも、この変更についても言及されていると思っています。

    カントは、悟性の力を強く見過ぎな方向に進むのですかね〜
    勉強してみますね。

    (メルロさんは、もっと、身体を重要視するのかもしれませんね)

    >わたしのばあい「悟性」って〈推理〉ってしてます。<

    わたしも、けっこうそうです。
    カントからはなれるけど、
    今の段階の私見言えば、
    感性で感じてるそれそのものは直知だけど、それ以外のものは推理、って思うかなぁ。
    もちろん、これから、意見は変わるかもですけど。

    あーでも、いろいろ不思議だなぁ
    思考とか、クオリア?とか

    意識からして不思議ですもんね

    考える前は不思議に思わなかったのになー

    >ところでわたしのばあい「記憶」って、〈生産されたもの〉って見てます(何と何によって生産されたものなのかがわたしの問題なんだけど)。
    「すること」と「されたもの」の区別をしちゃうのはわたしの現象学的クセなのかもしれない。<

    そうですね、イチゴをイメージする、浮かんだ映像は、生産されたもの。
    区別すると、いろんなことがわかりやすく頭に入りますよね。
    游さんは、日常でも、そのような思考方法が働くのかもしれませんね。

    ☆☆☆☆

    以上で〜す

    みなさまおつかれさまです !

引用返信/返信 削除キー/
■2470 / inTopicNo.42)  想像力(構想力)
□投稿者/ pipit -(2020/03/09(Mon) 23:02:05)
    >で、超越論的想像力の三段の綜合ということですが、、、
    三段の綜合は、多分、、、

    直観における把握という綜合
    想像力における再生産という綜合
    概念における再認という綜合
    かな、と。<

    あれ?
    三段の真ん中が、
    >想像力における再生産という綜合<
    なのに、

    >超越論的想像力の三段の綜合<


    というわけで、
    これに関連するカントの文章を引用します。

    カントの文章(第一版より)中山元先生訳
    『わたしたちのきわめて純粋でアプリオリな直観といえども、多様なものの結びつきを含んでいて、これがいたるところで再生の総合を可能にするからこそ、わたしたちは認識できるのである。
    このことが洞察できれば、この想像力の総合もまた、すべての経験に先立って、アプリオリな原理を基礎としていることを示せるだろう。
    だからわたしたちは想像力の純粋な超越論的な総合というものが行われることを想定しなければいけないのであり、この総合は、すべての経験の可能性の根底にあるものなのである(すべての経験の可能性は、さまざまな現象の再生可能性を前提とせざるをえないのである)。
    (略)
    しかしわたしがもしも先行する像をいつも忘れてしまっているとしたら、そしてその次に来る像を思い浮かべるときに、その前にあった像を再生しないとしたら、いかなる全体的な像を思い浮かべることもできないだろうし、すでに述べたような思想を思い浮かべることもできないだろう。
    ましてや、空間と時間という、もっとも純粋で第一の根本的な像が生まれることもありえないだろう。
    だからこの再生の総合は、把握による総合と分かちがたく結びついているのである。』
    (A102)

    あ、読み進めたら、把握に想像力が必要とされる(言い換えますと、想像力により把握という名の総合が行われる)と述べてる別の箇所をみつけました。
    こちらの方がストレートでわかりやすいかな。
    引用します。

    カントの文章(第一版より)
    『すべての現象には多様なものが含まれるために、わたしたちは心の中でばらばらな個々の知覚に出会うことになる。
    こうした知覚を結びつける必要があるが、感性のうちには、その結びつきをみいだすことはできない。
    だからわたしたちのうちで、多様なものを総合する別の能力が活動しているはずであり、これを想像力と呼ぶのである。
    そして想像力がさまざまな知覚において直接に働くことによって生まれる働きを把握と名づける。
    想像力は、直観のうちに含まれる多様なものを一つの形象にしあげるのである。
    ただしそのために想像力はまず、さまざまな印象をみずから働きの中に取り込んでおく、すなわち把握しておく必要があるのである。
    (注)このように想像力は知覚そのものを構成する不可欠な要素なのであるが、心理学者たちはこのことに思い及んだことがなかった。
    想像力という能力はたんに再生の働きだけをするものだとみなしたからである。
    それだけではなく、感覚能力は印象をもたらすばかりか、さまざまな印象を合成することができ、これが対象についての形象までもたらせてくれると考えたからである。
    しかしそのためには、印象を受容する能力だけではなく、それ以上の能力、すなわちさまざまな印象を総合する機能が必要なのである。』
    (A120)

    これが、まず、想像力の・直観における把握という綜合、についての部分ですが、、、

    ちょっと今の興味としまして、
    現代科学的に、人間の認識論としてはどうなってるのかなーって知りたくなりました。
    おもしろいですよね、
    カントは、
    ばらばらな知覚を想像力(構想力)により一つの形象に仕上げる、と言っていると私は今のところ理解します。

    全体を一気に知覚してるのではなく、
    一部分、一部分、を知覚し、
    それを綜合する能力により、一つの形象をつくっている、と。

    すごくおもしろく感じます。

    カント先生が自分で自分の認知行為を観察した結果なのかな?
    それともカント流論理思考の結果?

    事実に、あってるの?
    事実に、間違ってるの?

    謎だ !!

引用返信/返信 削除キー/
■2468 / inTopicNo.43)  想像力による3種の総合
□投稿者/ pipit -(2020/03/08(Sun) 19:13:00)
    みなさまこんばんは

    メルロさんの文章の続き、なんとかがんばってみようと思います。
    難しくて苦戦してます。

    もう今日は、家事して、ドラマみて、アイス食べて、
    気軽に好きな本読もうかな!
    (あ、漫画の宇宙兄弟の新刊、今日読ませてもらいました。おもしろいな!)
    これだけの文章の内容↓調べるだけで、かなーり疲れた〜 (*_*)
    しかも、はっきり、まだ、わからん〜 カント先生の○○〜 ψ(`∇´)ψ

    メルロさんの文章
    >また〈超越論的想像力〉の三段の綜合――を放棄して、<

    これは、『純粋理性批判』第一版では、
    ●〈超越論的想像力〉の三段の綜合
    があった、と、メルロさんは言ってるのですね。
    でも、それを、第二版では放棄した、と。


    まず、「想像力」ですが、これは多分【Einbildungskraft】アインビルドゥングスクラフト
    の訳語だと思っています。
    よく見る日訳は、「構想力」です。

    黒崎政男先生の文章を引用します。
    『なになに?
    第一版で存在していた〈構想力〉への見通しが、第二版では覆いかくされてしまったと?
    構想力は、
    ドイツ語の原語では、アインビルドゥングスクラフ(Einbildungskraft)であり、
    英語のイマジネーション(imagination)とほぼ同じと考えて よい。
    つまり、普通に言えば、〈想像力〉のことである。』
    『カント『純粋理性批判』入門』黒崎政男先生p143より引用

    で、超越論的想像力の三段の綜合ということですが、、、

    三段の綜合は、多分、、、
    直観における把握という綜合
    想像力における再生産という綜合
    概念における再認という綜合
    かな、と。

    カントの文章(中山元先生訳)
    『この自発性こそが、すべての認識のうちに必然的に含まれる三種類の総合の土台となるのである。
    三種類の総合とは、
    直観において心が変容したときにさまざまな像が把握され、
    想像力において像が再生産され、
    概念において像が再認される
    営みである。』
    純粋理性批判2.p186より引用

    メルロさんは、
    ●〈超越論的想像力〉の三段の綜合
    と言ってるのだから、
    この三つの綜合は、超越論的想像力によっておこなわれてる、ってことかな。

    カントの文章では、自発性が土台になる、ってなってましたね。
    も少し前を見てみましょうか。
    先に引用した文章の直前4つのカントの文章です。↓
    『もしもわたしたちが心に思い描く個々の像が、他の像とはまったく異質なものでおり、たがいに孤立していて、他の像とは分離しているならば、わたしたちに認識のようなものが生まれることはないだろう。
    認識とは、さまざまな像を比較し、結びつけて形成されたまとまりのある全体的なものだからである。
    ところで感覚能力はその直観のうちに多様なものを含んでいるのであるから、この多様なものを〈見渡す作用・ジェノプシス〉のようなものが感覚能力のうちにあるはずであり、この作用が総合を作りだすに違いないのである。
    そして受容性が、自発性と結びつくことによって、初めて認識が可能となるのである。』
    同本、p185.186より引用

    とりあえずここまでを投稿します。




引用返信/返信 削除キー/
■2462 / inTopicNo.44)  カント的表象と直観
□投稿者/ pipit -(2020/03/06(Fri) 18:06:57)
    カント的表象と直観についてメビリン掲示板に投稿したものを
    コピペします。
    pipitはまだ、カント的表象と直観について、把握・理解できたとは
    到底思えないので、
    これから印象は変わっていくかもしれません。

    あ〜、なんにしろ、遠いな〜 (c_c)

    ※※※※※※※※

    >>552
    游さん、こんばんは!

    >調べ、私は考える、っていうの疲れるね。
    でも、”知りたい”っていう欲求があるからやってる、っていうことになるのかも。<

    そうですよね、疲れるけど、自分の頭で一所懸命に考えてはじめて届く見解もある。
    あ、そうかも!って思えたとき、私はすごく、喜びがわきます。
    游さんもかなーって想像(o^^o)

    >ところで、カントは「表象」「直観」っていう語をどのような意味で使っているのかしら?<

    カント解釈はいろいろなものがあるので(私見・カント先生の悪文??のせいや〜)

    まずは中山元先生による訳注を引用しますね。

    ●表象についての中山先生の見解
    『ここで「像」と訳した語の原語はフォアシュテルングである。
    これは前に(フォア)置く(シュテレン)、思い描くという意味のフォアシュテレンという動詞から作られた名詞である。
    カントの翻訳ではこの語は「表象」と訳されることになっているが、本書ではこの訳語は使わない。
    表象という日本語はさまざまな意味で使われていて、カントの使った用語とはずいぶんかけ離れていることが多いからだ(東京大学教養学部の表象文化論のことを考えてほしい)。
    思い描かれたものとしては、触発してきた対象についての像と、その像についての観念が考えられる。
    これはここで言われている二つの道のそれぞれに対応した違いであり、感覚において思い描いたものは像となるだろうし、知性で考えたものは観念となるだろう。
    だからこの語は「像」あるいは「観念」と訳すが、必要に応じて[=表象]という注をつけておくので、ほかの翻訳では表象と訳されていることを想起してほしい。
    またこの語には、思い描くという行為の側面と、思い描かれたものとしての観念や像という側面の両方の意味があるが、表象と訳してはその違いはわかりにくい。定訳というものには、そう訳していれば安心であるという思考を停止させる強い働きがあるものだ。
    あえて定訳を使わないのは、読者にも立ち止まって考えてほしいからだ。』
    『純粋理性批判1』中山元訳、p247.248より引用

    ●直観についての中山元先生の見解
    『カントの概念のうちで混乱を招きがちな概念として直観(アンシャウウング)という概念がある。直観はラテン語ではイントゥイティオという語で、デカルトでは、演繹のような推論によらなければ理解できないことと対比して、「すぐに疑問の余地なく理解できること」を意味する語である。
    日本語では直感という語があってまぎらわしいので注意が必要である。
    また直観という語には「観る」という意味が含まれるが、まなざしだけではなく、身体のすべての機能を使って、対象を看取するのである。
    時に直観という働きではなく、直観されたものを示すことがあり、そのときは具体像という訳語をつけている。』
    同本p249.250より引用

    ☆pipitの私見
    表象についてですが、中山先生は、

    >思い描かれたものとしては、触発してきた対象についての像と、その像についての観念が考えられる。
    これはここで言われている二つの道のそれぞれに対応した違いであり、感覚において思い描いたものは像となるだろうし、知性で考えたものは観念となるだろう。<

    と書かれており、
    游さんがイチゴ見た時、
    游さんが感覚において思い描いた「像」と、
    その「像」について
    游さんが知性によって思い描いた「観念」
    このどちらもが、カントにとっては[表象]とよばれるものなのかな、と、思いました。

    游さんには、
    感覚において思い描いた「像」、というのが納得できないかもしれませんね。
    カントは例えばイチゴ自体は不可知だとしてると思うので、游さんの見てるイチゴは、イチゴ自体ではなく、イチゴ自体によって触発されて游さんが感覚において思い描いた像を游さんがみてる、ってかんじになるのかな、と、私は思っています。

    直観についても、イチゴ自体を直観してるのではなく、
    イチゴ自体に触発されて、游さんの思い描いたイチゴ像を直接看取してるのが、直観している、という事態なのかなと思いました。

    中山先生は、

    >時に直観という働きではなく、直観されたものを示すことがあり、そのときは具体像という訳語をつけている。<

    と書いてるところの、「具体像」が游さんの直観しているイチゴ像ではないかと、思いました。

    ちなみに、思い描く、というと能動的にも感じられますが、
    カント的には、感性は受容的とされてます。
    例えてみます。
    テレビは電波を拾って映像を映し出します。
    映像内容はテレビにとって受容的に決められてます。
    テレビの好き勝手にはできません。
    が、
    テレビが映像を映す、と表現できます。
    そのように、感受は受容的だけど、能力として、思い描くと表現することは可能なのではないかと私は思っています。
引用返信/返信 削除キー/
■2453 / inTopicNo.45)  触発される仕方を奪ってそれを悟性に与え2
□投稿者/ pipit -(2020/03/04(Wed) 14:19:38)
    カント事典p82より。
    >『純粋理性批判』においては、「われわれが対象によって触発される仕方によって表象を受け取る能力(受容性)が、感性と呼ばれる」[B33]と定義されている。』<

    私見書きます。
    感性により、表象を空間・時間という形式で受け取る。
    この時の内容(質料)の受け取り方は、受容的。
    人間の自発的な働きかけは、感受性には無力。

    このことについてが、
    メルロさんの文章
    >〈感性〉から「形式的直観」、つまり「超越論的感性論」の言う「われわれの触発される仕方」<

    であり、

    純粋理性批判の解説本『カント『純粋理性批判』入門』黒崎政男先生、p128、129で、訳されてるカントの文章の内容であるのかと思いました。

    カントの文章↓
    『感性に関して、すべての直観を可能ならしめる最高原則は(超越論的感性論によれば)、直観におけるすべての多様なものが、空間と時間という形式的(formal)条件にしたがうことであった。(続く)(B136)』

    そして、この上記カントの文章(B136)には、続きがありまして、
    その続きが、
    メルロさんの文章
    >を奪って、それを〈悟性〉に与え<
    に該当する箇所かと思いました。

    カントの文章の続きを引用します。

    『(続き)悟性に関して、すべての直観を可能ならしめる最高原則は、直観における多様なものが、統覚の根源的・総合的統一の諸条件にしたがうということである。(B136)』

    ●カントの文章の黒崎先生による訳をつなげて引用します。
    【感性に関して、すべての直観を可能ならしめる最高原則は(超越論的感性論によれば)、直観におけるすべての多様なものが、空間と時間という形式的(formal)条件にしたがうことであった。悟性に関して、すべての直観を可能ならしめる最高原則は、直観における多様なものが、統覚の根源的・総合的統一の諸条件にしたがうということである。(B136)】

    私見書きます。
    直観を可能ならしめる最高原則。
    感性・・・直観におけるすべての多様が空間と時間という形式的条件にしたがうこと。
    悟性・・・直観における多様なものが思考の領域における機能の諸条件にしたがうこと。

    あー、なるほど。。。

    もともとカントは、
    『、この感性だけが直観をもたらすのである。』
    (中山元先生訳、第1巻p70)
    と、超越論的感性論のところで述べています。
    そして、感性が直観を可能ならしめる最高原則が、直観における多様なものが空間と時間という形式的条件にしたがうという原則であると述べてた。

    それが、超越論的論理学にいたると、
    直観を可能ならしめるのは、直観における多様なものが、統覚の根源的・総合的統一の諸条件にしたがうということ、と述べ出した。

    枠組みとしては、直観したものを、思考で考える、のはずだった、
    のに、
    そもそも直観を可能にするのが、統覚の諸条件にしたがうことだといいだした。

    それが、メルロさんの
    >『純粋理性批判』の第二版は、〈感性〉から「形式的直観」、つまり「超越論的感性論」の言う「われわれの触発される仕方」を奪って、それを〈悟性〉に与え、<
    というカント哲学に対する見解になったのかな、と、思いました。

    間違えてるかもしれないけど、ここまで考えるのに疲れました!
    ので、このまま投稿します。

    おつかれさまです (^^)

引用返信/返信 削除キー/
■2452 / inTopicNo.46)  触発される仕方を奪ってそれを悟性に与え、
□投稿者/ pipit -(2020/03/04(Wed) 14:18:19)
    こんにちは!
    メビウスリング掲示板に投稿したものをコピペします。

    メルロさんの文章
    >>(34)原注
    『純粋理性批判』の第二版は、〈感性〉から「形式的直観」、つまり「超越論的感性論」の言う「われわれの触発される仕方」を奪って、それを〈悟性〉に与え、また〈超越論的想像力〉の三段の綜合――を放棄して、意識のすべての水準‐−それは抽象的分析によってのみ区別される――に「我思う」が現前しているということを、第一版よりもいっそう明らかにしようとしているのである<
    に関連するところを、カント哲学の解説書などから探っていけたらな、と、考えています。<

    んー、難しい!
    どう進めばいいかな。

    とりあえず区切ろう。

    メルロさんの見解では、
    第2版では、
    ●「超越論的感性論」の言う「われわれの触発される仕方」を奪って、それを〈悟性〉に与え

    >われわれの触発される仕方<
    これ、カント事典の【感性】のページに、ヒントになりそうな文章があったので、引用しておきます。p82
    『「感性」は、カント哲学において非常に重要な役割を担う概念であり、『純粋理性批判』においては、「われわれが対象によって触発される仕方によって表象を受け取る能力(受容性)が、感性と呼ばれる」[B33]と定義されている。』

    この仕方を奪って、悟性に与え、ってメルロさんは見てるのかな?
    ここらへんのとこを、紐解くチャレンジしてみたいと思ってます。

    ☆☆☆☆

引用返信/返信 削除キー/
■2449 / inTopicNo.47)  認識能力・快と不快の感情・欲求能力
□投稿者/ pipit -(2020/03/02(Mon) 23:08:31)
    こんばんは!
    メビウスリング掲示板で、游さんから興味深い文章を引用していただきました。

    >フランツ・ブレンタ―ノにおける超越論的現象学の萌芽」のなかでカントについてのがあったので書いて見ます。
    「テーテンスらの影響下にカントは、周知のごとく、心の能力を@認識能力Erkenntnisverm□genA快と不快の感情Gef□hlB欲求能力Begehrungsverm□gen、という相互に導出不可能の三基本類に区別した。カントにおいては、欲求は客観を実現しようとする能力であり、認識は客観を把握し評価するが、感情は客観には関係せず主観のみに関係するとされる。」(おそらく□になっちゃ所はoのうえに・・がついたやつね)<

    ほんとにありがたいです(o^^o)

    それで、カント事典をよんだ感想を書きました。
    コピペします↓

    カント事典の項目読んでみました。
    難しかったので誤読してたらすみませんが、私見書きます。
    全然違うかも!です。

    游さんに教えてもらったように、客観、を、対象(客体)として考えて上記文を読みますと、

    >欲求は客観を実現しようとする能力であり<

    目指すべき対象がまず頭にあり、その対象を現実化する能力が、欲求能力なのかな、と、思いました。

    カント事典の【欲求能力】から抜粋引用します。p523
    『(略)つまり欲求能力は表象の対象を現実化する能力であり、(略)。』

    で、感情は客観には関係せず、とは書いてあるけど、
    カント事典の【感情】p78を読むに、
    けっこう複雑っぽくて、

    『一般に感情とは主観の心的状態のことを言い、主観性を特徴とする。カントにおいても基本的にそうだが、感情がカント哲学に果たす役割は決して小さくはない。(略)さらに、基本的枠組みとしては、カントは感情を認識と欲求(あるいは理論と実践)を媒介する位置に据えようとするが、その媒介ということ自体を理解するのも難しい。カント哲学における感情の概念は見極めがたい問題だが、それだけに魅力的でもある。(略)』
    とありました。

    全然違うかもの私見書きますね。

    感情は認識(客体を学として規定できる知見)自体には入ることは許されない。
    だけど、この、認識行為、に、感情が絡んでいる。
    感情が原因となりうるのではないかと。

    でも、多分カントの文章がややこしすぎて、議論は分かれてるかも?
    カント事典では、
    『(略)すると、認識の営みの言わば原理的なところに、快の感情が存在すると考えることもできる。この点に関しては、同書(判断力批判)での「認識一般」に関する議論もさらに考え合わせねばならない。
    (略)』
    とありましたが、
    ややこしいことがいっぱい書いてあったので、

    結論・カント先生の書き方が、きっと、わかりにくいのでしょう !
    ということで(^^;;

    ☆☆☆☆
    コピペ終わります。

    何も本などで確認とらず、いい加減な感想書きます。

    仏教って、色受想行識でしたっけ?

    このうち、受想行識が、心の領域?

    で、

    紹介いただいた
    >テーテンスらの影響下にカントは、周知のごとく、心の能力を@認識能力Erkenntnisverm□genA快と不快の感情Gef□hlB欲求能力Begehrungsverm□gen、という相互に導出不可能の三基本類に区別した。<

    の@が、想
    Aが、受
    Bが、行
    @ABの生じてる場が、識

    って、なんとなく、思いました。

引用返信/返信 削除キー/
■2420 / inTopicNo.48)  現象学のはじめのはじめ
□投稿者/ pipit -(2020/02/22(Sat) 19:54:04)
    メビウスリング掲示板で現象学のことを
    すこしずつ教えてもらってます。
    いつものごとく、勘違いいっぱいしてたらすみませんm(_ _)m
    現象学は、難しそう、ややこしそぅ、繊細そう、だなぁ、
    私の投稿の一つをコピペします(^^)

    ※※※※※※※※

    游さん、ありがと!

    >〔(32)Analorgiechlu□:類比を使った推論(Schlu□)という知的操作である。他者(他の人の心)についての知を類推説によって定式化したのは、J・S・ミルであったが、それに対して批判を加え、「いかなる推論でもなく、或る根源的で、それ以上遡ることのできない本能的事実」として「感情移入」を主張したのがリップスであった。〕(FD)<

    興味深いです。

    >わたし、2の【より高次の発生のおかげで、この意味のうえに新しい意味を積み重ねるような】は、はずせない。
    「発生」っていう見方からするとね。<

    了解です!

    私が今読んでる本(『カントとオートポイエーシス』)に、ある例えが出てくるんだけど、それが浮かんできます。
    記憶から書いてみますね。
    (本では、視点の違いを説明する例えとして出されていたものです)

    海に沈んで走行してる潜水艦のコックピットに游さんがいて操作してるとします。
    游さんが実際に見てるものを、見てる光景として知覚を統合するのが、
    1【その発生からして純粋に原初的領分に属するような統覚】
    かな、と。

    そして、游さんの視界に、別の潜水艦が映った時、
    海という場に、二つの潜水艦が対峙している関係などを俯瞰的に客観として提示するのが、
    2【もう一つには他我という意味とともに現れ、より高次の発生のおかげで、この意味のうえに新しい意味を積み重ねるような統覚、という二つの統覚の区別である。・・・】
    かな、と。

    認識システム、があるとして、

    認識システム単体からの視点で統合されるのが
    1原初的領分に属するような統覚で、

    認識システム単体、認識システム単体以外のもの、を合わせて、
    認識システム単体から飛び出し、観察者として俯瞰的に全体を統合するのが
    2他我という意味とともに現れ、より高次の発生のおかげで、この意味のうえに新しい意味を積み重ねるような統覚、

    かな?と。
    とりあえずこんなふうな思いが出ました。

    >
    <哲学者によってもいろいろ違ってる>みたい。でも共通するところもあると思う。
    どのようなものが共通していてどのようなことが違っているのか、っていうの、探し出すのもおもしろいと思う。
    あ、それとわたしのと、ね。<

    いいですね、
    特に、最後の行が !

    おもしろいですね、
    生き物と生き物が、
    こうやって会話できる。
    意思疎通を試みれる。

    不思議じゃないのに(?)
    不思議に感じます。

    游さん、ありがとう !

    ※※※※

    以上です。

    みなさま、おつかれさまです!
    みな無事で安穏となりますように


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