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■21681 / inTopicNo.1)  Re[57]: 143 総合的な統一
  
□投稿者/ pipit -(2022/03/20(Sun) 23:18:53)
    誤解してるかもの、下記の箇所を読んでの私見書きます。

    わたしは最初、例えば先に出した例えで出せば、レゴで作った何か(例えば、車、お城、花壇)など、単品としての統一を考えてたのですが、(車としての統一、お城としての統一、花壇としての統一、など)
    そうではなく、
    いろんな何かがあって、関係性をもって展開される世界観ひとつの統一性のようなものとしての【統一】を言ってるのかな、と、とりあえず考えときます。
    (ある統一性を持った対象全般世界、pipit的概念ワードで言えば、ストーリー)

    読解修正可能性大有りです!

    。゚(゚´ω`゚)゚。難しい。。。

    https://youtu.be/I-sH53vXP2A

    No21679に返信(pipitさんの記事)
    > みなさまこんばんは。
    >
    > No21662
    >
    >>これ、まだわからないけど、今思ってるのは、
    >>単一体として捉えることかなーと。
    >>違うかなあ。<
    >
    > 違うとカントが言ってました。(^^;)
    >
    ※アクセス禁止になるので英訳は省略します※
    > DeepL機械翻訳
    > したがって、この統一性の概念は、接続の概念から生じることはできない。むしろ、この概念は、多様体の表現と結合することによって、接続の概念を可能にするのである。この統一は、すべての接続の概念に先験的に先行するが、統一のカテゴリーではない(§6)。なぜなら、すべてのカテゴリーは判断の論理的機能に基づいており、これらの機能にはすでに接続があり、その結果、与えられた概念の統一がある。
    >
引用返信/返信 削除キー/
■21679 / inTopicNo.2)  143 総合的な統一
□投稿者/ pipit -(2022/03/20(Sun) 22:49:58)
    みなさまこんばんは。

    No21662

    > これ、まだわからないけど、今思ってるのは、
    > 単一体として捉えることかなーと。
    > 違うかなあ。<

    違うとカントが言ってました。(^^;)

    Conjunction is the representation of the synthetical unity of the manifold.[15] This idea of unity, therefore, cannot arise out of that of conjunction; much rather does that idea, by combining itself with the representation of the manifold, render the conception of conjunction possible. This unity, which &#224; priori precedes all conceptions of conjunction, is not the category of unity (§ 6); for all the categories are based upon logical functions of judgement, and in these functions we already have conjunction, and consequently unity of given conceptions.

    DeepL機械翻訳
    したがって、この統一性の概念は、接続の概念から生じることはできない。むしろ、この概念は、多様体の表現と結合することによって、接続の概念を可能にするのである。この統一は、すべての接続の概念に先験的に先行するが、統一のカテゴリーではない(§6)。なぜなら、すべてのカテゴリーは判断の論理的機能に基づいており、これらの機能にはすでに接続があり、その結果、与えられた概念の統一がある。

引用返信/返信 削除キー/
■21675 / inTopicNo.3)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/03/20(Sun) 18:23:48)
引用返信/返信 削除キー/
■21663 / inTopicNo.4)  読んでる場所
□投稿者/ pipit -(2022/03/19(Sat) 23:55:20)
    演繹論の位置の再確認で、
    過去投稿よりコピペします。

    さて、現在地(純粋知性概念の根拠づけ[=演繹])の確認。
    (pipitが勝手に地方や県などにたとえてます)

    ※カント純粋理性国には、「原理論」「方法論」の二地方があり、今いるのは「原理論」地方。 



    ※「原理論」地方には、「感性論」と「論理学」の二つの県があり、今いるのは「論理学」県。



    ※「論理学」県には、「分析論」と「弁証論」の二つの市があり、今いるのは「分析論」市。



    ※「分析論」市には、「概念の分析論」と「原則の分析論」の二つの町があり、今いるのは「概念の分析論」町。



    ※「概念の分析論」町は、カント的カテゴリーについての二つの章から成り、
    内容で言うと
    第一章・カテゴリーの導出
    第二章・カテゴリーの演繹への準備&カテゴリーの演繹

    読んできたのは、

    第二章の前半、準備部分
    「第一節第一三項超越論的な根拠づけ一般の原理について、と、第一四項カテゴリーから超越論的な根拠づけへの移行」

    で、これから読むのが、
    後半の、カテゴリーの演繹

    【 第二節 純粋知性概念の超越論的な根拠づけ 】

    、、、

    の、途中からー

    みなさまおつかれさま!おやすみなさーい☆彡

    明日ワクチン接種3回目だよん
    希望だしてなかったからモデルナかなと思ってたけど、ファイザーだった。
引用返信/返信 削除キー/
■21662 / inTopicNo.5)  前回を思い出すメモ_φ(・_・
□投稿者/ pipit -(2022/03/19(Sat) 23:43:27)
    みなさま、こんばんは。
    純理の論理学の演繹論の続き読みます!の準備(^◇^;)

    ↓以下の過去投稿の続きから読みたいと思います。
    次は、143nか。。。なんのこと言ってるかわからなかった記憶あるなあ(ー ー;)

    No21243に返信(pipitさんの記事)
    > みなさま、こんばんは。
    >
    > ※『純粋理性批判』カント/中山 元先生訳 全7巻の目次とタイトル・リストを読解の参考にさせていただきます。
    >
    > https://www.kotensinyaku.jp/common/guide/pdf/kant01-07.pdf
    >
    > 第一五項 結合一般の可能性について
    > 142 知性による〈総合〉の根源性
    > 143 総合的な統一 ★
    > 143n 像についての意識
    > 第一六項 自己統合の意識[=統覚]の根源的で総合的な統一について
    >
    > ==================
    > 今日は、
    > 143 総合的な統一 ★
    > です。
    >
    > https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap42
    >
    > 英訳省略m(_ _)m
    >
    > (DeepL機械翻訳)
    > しかし、結合の概念には、多様体の概念とその合成の概念に加えて、それの統一の概念も含まれる。
    >
    > (pipit雑感)
    > conjunction(結合)の概念には、
    > 多様と、その総合に加え、
    > 統一の概念も含まれてる、と。
    >
    > レゴで考えてみます。
    > レゴの結合という概念には、
    > レゴブロックの多様、その多様の総合、そして統一という概念が含まれてる、と。
    >
    > 前の箇所でカントは
    >
    >>DeepL機械翻訳
    > この行為に対して、我々は一般的に合成という名称を与え、それによって同時に、我々は以前に我々自身で結合したことがなければ、対象の中で結合したものとして何かを表すことはできないということを示すことにする。<
    >
    > としてあり、
    > 結合像は、結合する行為によって可能となると言っていましたね。
    >
    > そして、結合する行為部分に、(synthesis)総合という単語をあてがっていましたね。
    >
    > レゴで言えば、
    >
    > バラバラのブロック→( the manifold)多様
    > お城→(conjunction)結合
    > お城を作る行為→(synthesis)総合
    >
    > というイメージかな、と。(違うかったらすみませんm(_ _)m)
    >
    > ここで最初のDeepL機械翻訳に戻りますね。
    >
    >>(DeepL機械翻訳)
    > しかし、結合の概念には、多様体の概念とその合成の概念に加えて、それの統一の概念も含まれる。<
    >
    > レゴで考えてみますね、
    >
    > お城という作品には、ブロック(感性による多様)とブロックを結合していく行為(総合)に加えて、【統一】the unityの概念も含まれてる、と。
    >
    > これ、まだわからないけど、今思ってるのは、
    > 単一体として捉えることかなーと。
    > 違うかなあ。
    >
    > ※※※※※※※※※
    >
    > ここで、御子柴善之先生の解説読みました。
    > ほー、なるほどー!(◎_◎;)
    > ↓御子柴先生の解説
    >
    > 『、この結合には「統一」という共通の場が必要なのです。多様なものを結合することができるのは、その多様が共通の場に位置しているからです。』
    > (『カント純粋理性批判』御子柴善之先生、p200)
    >
    > いろんな解釈あるかもだけど、御子柴先生的には、この統一の場に、「私は考える」という自己意識を持ってくるのかも!
    > ※p201の小題が、
    > 〈統一の場は「私は考える」という自己意識である〉となっていました。
    > このあたりは今読んでいる箇所よりもう少し後ででてくるかな。またその時にあらためて考えてみます。
    >
    > ※※※※※※※※※※※
    >
    > 143 総合的な統一 ★の読解に戻って、続けます。
引用返信/返信 削除キー/
■21652 / inTopicNo.6)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/19(Sat) 16:52:48)
    2022/03/19(Sat) 16:54:54 編集(投稿者)

    こんにちは!書き込みありがとうー(^○^)

    No21649
    > いずれにしても、デカルトもカントも、「考える」っていうことを「私」の精神の真ん中に置いてる、っていうことのように見える。
    でも、わたし、身体もってるし、わたしの精神は考えることだけじゃなくて、感じることもしてるん。<

    悪魔ちゃんにはそう見えたこと、了解。

    私にはカントは感性の方も大切に置いてると思ってるけど。

    カント自身の文章を引用しておくね。
    ※そういえば、カントの純理で、精神って言葉あまり見ないなぁ。
    翻訳が関係してるのか、原語でもそうなのか、どっちかなー
    心って単語の方がよく見る気がするよ。

    カントの文章、B76あたり、中山元先生訳、第二巻p76、中山先生番号082)
    『わたしたちの心が何らかの形で触発されたときに、心のうちに像をうけとる能力が受容性であるが、この受容性を、感性と呼ぶことにしよう。
    これにたいして心には、みずから像や観念を作りだす能力も存在しているが、これは認識の自発性であって、これを知性[=悟性]と呼ぶことにしよう。
    わたしたち人間の本性からして、直観は感覚的なものでしかありえないのであり、わたしたちが対象によって触発される方法だけを含む。
    これにたいして知性とは、感覚器官が直観した対象を思考する能力である。
     この二つの能力の特性を比較してみても、どちらが勝っているとも言えない。
    感性なしでは対象が与えられないし、知性なしでは[対象を]思考することができない。
    内容のない思考は空虚であり、概念のない直観は盲目である。
    だから対象の概念を感覚的なものにすること、すなわち概念に直観の対象を与えることが必要であると同時に、直観を理解できるものにすること、すなわち直観の対象を概念のもとに配置することもまた必要なのである。
     これら二つの能力あるいは性能は、その機能をたがいに交換することができない。
    知性は何ものも直観することができないし、感覚能力は何ものも思考することができない。
    このためにこの二つが結びつかなくては、認識が生まれないのである。
    だからといってこれらの能力のそれぞれの〈持分〉を混同してはならない。
    それぞれの能力を慎重に分離して区別するには、それだけの重要な理由があるのである。
    だからここでは感性論(エステティーク)を論理学(ローギク)と区別するのである。
    感性論は、感性一般の規則の学であり、論理学は知性一般の規則の学である。』
    引用終了

    ※※※※※※※※※※※※


    (カントの文章)
    【この二つの能力の特性を比較してみても、どちらが勝っているとも言えない。
    感性なしでは対象が与えられないし、知性なしでは[対象を]思考することができない。】

     【これら二つの能力あるいは性能は、その機能をたがいに交換することができない。
    知性は何ものも直観することができないし、感覚能力は何ものも思考することができない。
    このためにこの二つが結びつかなくては、認識が生まれないのである。
    だからといってこれらの能力のそれぞれの〈持分〉を混同してはならない。】

    【それぞれの能力を慎重に分離して区別するには、それだけの重要な理由があるのである。
    だからここでは感性論(エステティーク)を論理学(ローギク)と区別するのである。
    感性論は、感性一般の規則の学であり、論理学は知性一般の規則の学である。】

    少なくとも、この文章では
    心の能力には、感じる能力と考える能力があり、どちらも大切、と主張してるね。
    でもカントはややこしいから、どうなんだろうね、
    (−_−;)......

引用返信/返信 削除キー/
■21649 / inTopicNo.7)  Re[52]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/19(Sat) 15:04:56)
    No21628、ありがと、pipitさま。

    いろいろ考えて見たんだけど、そこんとこと、カントのわたしの書いて見るね。

    抜粋してもらったカントの文章を“わたし”に焦点を当て見て見たのね。
    ここには訳者?の表記の仕方として4つに分けられている気がする。

    (1)わたし
    (2)「わたし」
    (3)[わたし]
    (4)〈わたし〉

    カントの文章の“わたし”にこの番号をつけて見たよ。
    (a)
    『だからわたし(1)はデカルトのやったように、自分の現存を、「わたし(2)は考える」という命題から推測することはできない(これが推測によるものだとすれば、その前に「思考するものはすべて現存する」という大前提が必要となるだろう。』
    『わたし(1)』=カント。
    『わたし(2)』=デカルト。
    デカルト“が”「わたしは考える」って言ったのよね。
    ここに『自分』っていうの出てくるけど、わたしこれ、〈○○の自分〉ってして見た。デカルトの自分、カントの自分、pipitさまの自分・・・みたいなのね。『自分の現存』は、〈デカルトの現存〉〈カントの現存〉〈pipitさまの現存〉・・・っていうことになるのかな?あ、これはここでは取り扱わないことにするね。

    (b)
    『「わたし(2)は考える」という命題と「わたし(?)は現存する」という命題は、同一の命題である。この命題が表現しているのは、経験的で未規定な直観なのであり、知覚なのである(だからこの命題が証明しているのは、感性に属する感覚が、この[わたし(3)の]現存を主張する命題の根底にあるということである)。』
    『わたし(?)』は分かんないけど、「現存する」を〈存在する〉ってして見ると「わたしは存在する」ってなるから、これもデカルトが言ったこととして見て、『わたし(?)』は『わたし(2)』ってしとく。
    ここに[わたし]が出てきてるよね。
    『経験的で未規定な直観』=「知覚」=『感性に属する感覚』によるものとしての“わたし”を[わたし]と表記しているって見たよ。
    簡単に見て、〈経験による感-知覚によってもたらされた“わたし”〉を[わたし]。

    (c)
    『ここでは未規定な知覚とは、たんに思考一般に与えられた実在的なものを意味するだけであり、現象として与えられたものではないし、物自体(叡智的な存在/ヌーメノン)として与えられたものでもない。』
    『経験的で未規定な直観』=「知覚」=『感性に属する感覚』、これを簡単に〈経験的な感-知覚されたもの〉ってしちゃうよ。〈経験的な感-知覚されたもの〉は、『たんに思考一般に与えられた実在的なものを意味するだけ』ってカントは見てるのね。

    『現象として与えられたものではないし、物自体(叡智的な存在/ヌーメノン)として与えられたものでもない。』
    カントのいう『現象』っていうの、中島さんによると、「正しい現れ」っていう意味で使ってるみたい(誤った現れを仮象として区別している)だから、そう見とく。
    で、
    〈経験的な感-知覚されたもの〉は、『たんに思考一般に与えられた実在的なものを意味するだけ』であり、かならずしも〈それ〉は、思考に〈正しい現れ〉として与えられてるのではない。っていってるのかな?

    『物自体』っていうのが「叡知的な存在」という意味だとはわたし知らなかった。

    『ただ実際に現存し、「わたし(2)は考える」という命題において、そのようなものとして提示された何かとして与えられているのである。ここで注意する必要があるのは、わたし(1)は「わたし(2)は考える」という命題を経験的な命題と呼んだのだが、そのことでわたし(1)は、この命題に含まれるわたし(1)が、経験的な像であることを主張しようとしたけではない。この〈わたし〉(4)は思考一般に属するものであるから、これは純粋に知的な概念なのである。ただ思考の素材となる経験的な像が存在しない場合には、〈わたしは考える〉という心的な作用も生じないはずである。要するに経験的なものは、純粋な知性的な能力を適用し使用するための条件に過ぎないのである。』
    ここに〈わたし〉が登場してくるよね。

    「わたしは考える」と〈わたしは考える〉というように、異なる表記で両者が区別されてるんだと思う。
    じゃ『この〈わたし〉』ってどういうのかしら?
    〈わたし〉=『思考一般に属するもの』『純粋に知的な概念』 かな。

    まとめると、
    (1)わたし=カント
    (2)「わたし」=デカルト
    (3)[わたし]=経験的で未規定な直観、知覚、感性に属する感覚よるもの
    (4)〈わたし〉=思考一般に属するもの、純粋に知的な概念

    (b)に、
    『(だからこの命題が証明しているのは、感性に属する感覚が、この[わたし(3)の]現存を主張する命題の根底にあるということである)』ってあるから、
    カントは、デカルトの「わたしは考える」の“わたし”というのを[わたし](経験的で未規定な直観、知覚、感性に属する感覚におけるもの)として見ている、っていうことじゃないかしら?
    それに対してカントの「わたしが考える」は〈わたしは考える〉であって、〈わたし〉(思考一般に属するもの、純粋に知的な概念)として見ている、っていうことじゃないかしら?

    簡単に見ちゃうと、
    カントは、デカルトにおける「わたしは考える」の“わたし”は[わたし](経験によるもの)である。
    って見てて、
    一方、カントの場合、〈わたしは考える〉の“わたし”は〈わたし〉(経験によるものではなくて、純粋に知的な思考一般に属すもの)としている。
    って見ちゃったよ。

    いずれにしても、デカルトもカントも、「考える」っていうことを「私」の精神の真ん中に置いてる、っていうことのように見える。
    でも、わたし、身体もってるし、わたしの精神は考えることだけじゃなくて、感じることもしてるん。

    pipitさまがカントの抜粋してくれたところ、“わたし”に焦点を当てて見て見たんだけど、どうしてかっていうこと、長居しちゃったから、Whatのところに書いとくね。

引用返信/返信 削除キー/
■21646 / inTopicNo.8)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/03/19(Sat) 12:58:18)
    No21628

    > (カントの文章)
    『「わたしは考える」という命題と「わたしは現存する」という命題は、同一の命題である。
    この命題が表現しているのは、経験的で未規定な直観なのであり、知覚なのである(だからこの命題が証明しているのは、感性に属する感覚が、この[わたしの]現存を主張する命題の根底にあるということである)。』
    同本p138、B423あたり<

    うろ覚えで書きまーす。

    カントは意識された表象が知覚と言ってたような?

    するともしかしたら、カント的には、
    知覚の時点で、根源的な自我意識が関わり、(わたしは考える)が張り付いてると考えるのかもしれないね。

引用返信/返信 削除キー/
■21628 / inTopicNo.9)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/18(Fri) 00:36:14)
    2022/03/18(Fri) 07:05:19 編集(投稿者)
    2022/03/18(Fri) 00:50:45 編集(投稿者)
    2022/03/18(Fri) 00:39:01 編集(投稿者)

    悪魔ちゃん、こんばんは!

    No21504
    >で、わたしがpipitさまに聞きたかったのは、二つあるの。
    (1)第一版から第二版になるとき、カントは心変わりしたのかな?
    (2)『純理』(第一版、第二版関係なく)は、カントの根源的出発点として、〔それらの表象がすべて「我思う」に関係づけられていなくてはならない〕っていうのがそもそもあったのかな?
    っていうこと。
    もし、(2)だとしたら、カントの『純理』は、デカルトのが根本にあるのかな?って思うのね。<

    (1)については、
    No21568で引用したから、次は(2)の質問にチャレンジしてみるね。
    とりあえずカント自身は、自分はデカルトとは違うと言ってるみたい。
    引用するね。

    (カントの文章)
    『だからわたしはデカルトのやったように、自分の現存を、「わたしは考える」という命題から推測することはできない(これが推測によるものだとすれば、その前に「思考するものはすべて現存する」という大前提が必要となるだろう。』
    『純粋理性批判4』カント、中山元先生訳、p137、B423あたり

    めっちゃ誤解してるかものpipitの私見読解で書くね。

    カントのデカルト解釈は、
    『我思う、ゆえに、我あり。』
    を成り立たせるためには、三段論法にあてはめると、
    大前提(思考するものはすべて現存する。)
    小前提(わたしは思考する。)
    結論(ゆえにわたしは現存する。)
    の大前提が成り立っている必要があるけど、その原理が証明されているわけではないから、
    この論法を、カントとしては使えないと言ってるのかと。

    カントは、わたしは考える、は、わたしは現存する、と同一のことを表現してるにすぎなく、しかも、実体としてのわたしの現存ではなく、知覚が表れてるなにかがあるという意味での現存とイコールの命題に過ぎない、と、言ってるのではないかと。

    (カントの文章)
    『「わたしは考える」という命題と「わたしは現存する」という命題は、同一の命題である。
    この命題が表現しているのは、経験的で未規定な直観なのであり、知覚なのである(だからこの命題が証明しているのは、感性に属する感覚が、この[わたしの]現存を主張する命題の根底にあるということである)。』
    同本p138、B423あたり

    それで悪魔ちゃんの

    >(2)『純理』(第一版、第二版関係なく)は、カントの根源的出発点として、〔それらの表象がすべて「我思う」に関係づけられていなくてはならない〕っていうのがそもそもあったのかな?<

    についてなんだけど、思考する際には不可避として関係づけられてくる宿命のような関係性として置かれてるのではないかと。

    感性による経験的な像について知性が思考する、その時に思考の領域に属する(わたし)が出てくるということかと。

    (カントの文章)
    『ここでは未規定な知覚とは、たんに思考一般に与えられた実在的なものを意味するだけであり、現象として与えられたものではないし、物自体(叡智的な存在/ヌーメノン)として与えられたものでもない。
    ただ実際に現存し、「わたしは考える」という命題において、そのようなものとして提示された何かとして与えられているのである。
    ここで注意する必要があるのは、わたしは「わたしは考える」という命題を経験的な命題と呼んだのだが、そのことでわたしは、この命題に含まれるわたしが、経験的な像であることを主張しようとしたわけではないということだ。
    この〈わたし〉は思考一般に属するものであるから、これは純粋に知的な概念なのである。
    ただ思考の素材となる経験的な像が存在しない場合には、〈わたしは考える〉という心的な作用も生じないはずである。
    要するに経験的なものは、純粋な知性的な能力を適用し使用するための条件に過ぎないのである。』
    同本p138.139、B423あたり

    感じたものは現存する、感じたものを考えるとき〈わたし〉もある、って感じかな。
    カントの場合は、感性と知性を線引きしすぎ(割り切りすぎ)かもしれないね。

    いろいろ誤読してたらごめんね!
引用返信/返信 削除キー/
■21592 / inTopicNo.10)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/16(Wed) 19:13:38)
    No21590に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■21586、
    > >設定伝わってる?<
    >
    > だめ〜、ますます分かんなくなってきた〜
    >
    > お手上げで〜す
    >
    > ごめんね<

    ううう、本当にごめんよ m(__)m (>_<)

    いっぱい答えてくれてありがとう!!

    きっと悪魔ちゃんとの対話、後々わたしの中でいろんなことにつながる気がしてる。
    (今、新しい本を読んでるんだー)

    ほんとありがと!


引用返信/返信 削除キー/
■21590 / inTopicNo.11)  Re[48]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/16(Wed) 17:57:42)
    ■21586、
    >設定伝わってる?<

    だめ〜、ますます分かんなくなってきた〜

    お手上げで〜す

    ごめんね
引用返信/返信 削除キー/
■21586 / inTopicNo.12)  Re[47]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2022/03/15(Tue) 21:27:24)
    話してOKと考えて書くね、勘違いしてたらごめん!

    私は、そして悪魔ちゃんは、それぞれ景色を見てて、これは記憶ある場合だから、実際に見てるよね。

    そんでそれぞれが記憶能力ないとして、今見てる景色を見る(想像してみる)。

    この2パターンの光景について、お互いどんなこと思うか話してもらえるということ?

    設定伝わってる?(><)



引用返信/返信 削除キー/

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