□投稿者/ pipit -(2022/03/15(Tue) 00:09:52)
| 2022/03/15(Tue) 00:12:43 編集(投稿者)
悪魔ちゃん、こんばんは! No21504 >で、わたしがpipitさまに聞きたかったのは、二つあるの。 (1)第一版から第二版になるとき、カントは心変わりしたのかな? (2)『純理』(第一版、第二版関係なく)は、カントの根源的出発点として、〔それらの表象がすべて「我思う」に関係づけられていなくてはならない〕っていうのがそもそもあったのかな? っていうこと。<
まず、(1)に関するカントの文章を引用するね。 カント自身は、心変わりはしてないと主張してるみたいだね。
純粋理性批判第二版序文から抜粋引用します。『純粋理性批判1』カント、中山元先生訳、p185より引用
(カントの文章) 『(略)ところでこの第二版については、当然のことながら、この機会を利用して、初版で理解しがたいところを訂正し、意味のとりにくいところを改善しようと試みた。 わたしにも責任があるのだろうが、初版にあった問題点のために、初版を批評された多数の鋭い評者のうちに、誤解が生じたらしいからである。 しかし本書で提示した命題と、その命題の証明の根拠について、さらに本書の計画の形式とその完全さについて、修正すべき点は発見できなかった。 それは本書の刊行に先だって、わたしが長い時間をかけて吟味したからであり、あるいは問題となっている事柄の性質に(すなわち思索をこととする純粋な理性の性質に)よるからでもある。 (略) ただ、記述のしかたにはまだ多くの改善すべき点があり、この第二版ではさまざまな改善を試みた。 とくに改善したところをあげるならば、まず感性論における誤解、とくに時間の概念における誤解を解消するようにした。 次に知性の概念の根拠づけのうちの曖昧なところを取りのぞき、 さらに純粋な知性の原則の証明における明証性の欠如(と思われたもの)をなくし、 最後に合理的な心理学を批判的に考察した誤謬推論の部分についての誤解を解消するように試みた。 ただし記述の方法を修正したのはそのくらいであり(すなわち超越論的弁償論の第一章の最後までであり)、その後はとくに変更を加えていない(注)。というのは時間があまりにも不足しているだけでなく、専門的な見地から公正に吟味した人々のうちでも、残りの部分については誤解が発生していないからである。 (略) (注)ほんらいの意味で[初版と比較してこの第二版が]増加したところは、証明方法だけにかかわる部分であり、二七三ページにおいて、心理学的な観念論を新たに論駁し、外的な[事物の]直観の客観的な実在性について厳密な証明を示したところだけである(略)』 引用終了
今日はもう寝るね、おやすみー(^ ^)☆彡
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