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■22457 / inTopicNo.25)  永遠平和のために
  
□投稿者/ みのり -(2022/04/15(Fri) 09:03:03)
    NHKブックス100分de名著『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』
    萱野稔人 著
    を読んでいます。 その第2章を今回はまとめさせていただきます。

    まず、先日まとめた第1章の最後のあたりの補足。
    ※カントは平和を実現するためには国家は不可欠だと考えていた。なぜなら、国家とはその領域内で「法的な状態」を確立することで存立するものだから。言い換えるなら、国家が存立しているのは、戦争状態である自然状態がその領域内で克服された結果であるから。
    同書p46〜p47からまとめ。

    本来、自然状態では敵対行為に向かいやすい人間も、法に基づいて敵対行為を取り締まる公権力が存在することにより敵対行為が起きにくくなる、その結果として、その領域での内乱は起きにくくなる、ということ。

    ここから第2章。
    人間の本性は戦争に向かいやすい傾向性を宿しているので、平和実現のためには、戦争が起こりにくくなる社会の仕組みづくりが必要となる。
    カントの本著でも第2章で「国家間における永遠平和のための確定条項」として3つの条項を提示していて、これらは本著の主要部分となる考察だそうです。

    以下、1つづつ見ていきます。

    ※第一確定条項 どの国の市民的な体制も、共和的なものであること

    共和的な体制を構成する3つの条件として、
    @ 各人が社会の成員として自由であるという原理が守られること。ここでの自由とは、「他人に迷惑や危害を与えなければ何をしてもいい」という意味の自由ではなく、権力者が一方的に決定した法に人々が一方的に従うのではなく、法の決定に際して間接的にであっても関与できる、ということ。

    共和的な体制が戦争回避に有効な理由として。国民に主権があれば、国民の同意を得なければ戦争を起こせないし、敗戦などがあった場合の莫大な負担、自らが戦争に向かう必要がある(傭兵による軍隊をカントは批判していた)などから、戦争に対して慎重になる。

    日本でも憲法第九条を改正しようとする動きはあるけれど、その改正には反対も多いですね。


     一旦切って次に進みます。
引用返信/返信 削除キー/
■22367 / inTopicNo.26)  永遠平和のために
□投稿者/ みのり -(2022/04/12(Tue) 10:19:41)
    カントは、晩年の著書『永遠平和のために』で、人間にとって永遠平和は自然状態ではなく、また、戦争を好む傾向が人間に生まれつき備わった特性のように思える、ということも述べているそうです。

    そのため、自然状態では発生しやすい敵対行為を取り締まる法律が必要となるが、そうした法律は、国民主権を基礎とした国家において作成されたものであることが肝要となる、このようにカントは考えたようです。

    絶対王政下では、国土、人民は王の持ち物だったのを、カントは、「国家は人間が集まって結成したもの」という考え方に移行させるべきとし、法律という契約を人間同士で締結し、自らの自由と尊厳を自分たちで遵守していく、そういうあり方を理想としたのだと考えます。


    「常備軍はいずれ全廃すべきである」という章が『永遠平和のために』の中にあるそうで、この「常備軍」と言うのは絶対王政下で王に雇われていた傭兵のことなのだそうです。
    自国を守るために国民が自ら軍隊を組織することについては認めていた、のだそうです。
    他国からの侵略に備えて国民たちが自ら自分たちを守るために備えておくことについては賛同していた、ということになるのだと思います。
    このあたりついては、たんなる理想論が語られる内容ではなく、現実に即した考え方をカントがしていたということがうかがわれるのでしょう。


    カントはまた、植民地支配について批判していたそうです。
    国家とはその土地に根差した人々が集まって結成されたものであり、他の国家の所有とされてはならない、と考えるカントにとって、植民地支配は相いれないものだったのだろうと書かれています。


    カントが平和実現を希求して書物に残してくれたものは、後の国際組織の結成や、民主国家の法律に多大な影響を与えたとされますね。
    しかし、その願いもなかなかかなわず、以降も列強と呼ばれた各国は植民地を求めて、日本でいうと明治から昭和前半の時代までその政策は公然と行われてきた部分もあります。


    5歳ぐらいの時、テレビで観たベトナムの少女の悲痛な少女の表情にくぎ付けになって以来、言い古された言葉ではありますが戦争の悲惨さについては事あるごとに考えさせられてきました。
    今回読んでいる「NHKブックス100分de名著 カント 永遠平和のために」の第1章を読んでそれをもとにまとめさせていただきました。
    続きについてもそうさせていただこうかな、と考えています。


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■22346 / inTopicNo.27)  日記
□投稿者/ みのり -(2022/04/11(Mon) 20:17:30)
    桜が見頃になった。

    桜舞い散る麗らかな朝。
    ひらひら落ちてくるたくさんの花びらが夢のように美しく、たまたま一緒に見たその当時大キライだった男子学生の顔さえもとても輝いてたなぁー。

    とあるバス停でバスを待つ間に、観た桜の光景は、何十年経っても鮮明な記憶。


    カントの平和論の解説本、興味深く読み進めています。
    後日、感想を少し書こうと思っています。


    先日、アートポットさんのポをボと打ってしまってました。
    ごめんね〜。


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■22000 / inTopicNo.28)  Re[59]: 漢字
□投稿者/ みのり -(2022/04/03(Sun) 08:06:41)
    No21919に返信(田秋さんの記事)
    > 2022/04/01(Fri) 09:48:43 編集(投稿者)

    田秋さん、おはようございます。
    投稿ありがとうございます。


    > 漢字テストについての意見や疑問は昔からありました。ボクが漢検に挑戦していた頃よく見ていた掲示板にもさまざま書き込みがありました。そのうち二つをご紹介します。

    あ、そういえば漢検のお話、書かれていたのなんとなく憶えてます。


    > 1.島という字
    > 親御さんからの書き込みで子供が書いた島という字が×だったが、どこが間違いかわからない。それで先生に尋ねたところ
    > 「山という字の1画目の縦棒がその上にある横棒から離れている」
    > という答えだったそうです。
    > その親御さんならずとも、ボクもそれはおかしい!と思いました。ところが殆どの印刷字体はくっついているのです。それで先生はそのように考えたのでしょうが、明らかに漢字についての基礎知識が欠如していると言わざるを得ません。山が上の横棒にくっつく必然性は全くありません。漢字は部品から成り立っていて山と上の横棒は異なる部品だからです。下の図の楷書体の島は離れています(ここを離して書いたからといって教科書体ではないとは言えないと思います)。

    山だけが上の横棒から離れていて、別の文字かぐらいの距離なら×でもしかたないでしょうけれど、くっつけないと×というのはおかしいですよね。

    > 2.練という字
    > 下図の練の糸偏の下が点、点、点を見て
    > 「これは間違っている」
    > という書き込みが何度もありましたが、実はこれが正しい楷書体なのです。
    > 楷書体というと何かの申し込み用紙に
    > 「楷書体で丁寧に書いて下さい」
    > とあるように、多くは読み手が読めるような字体で(草書体ではなく)書くことを言っているように思います。
    >
    > 但し、ただの糸は楷書体でも糸です^^

    そうなんですか。知りませんでした。^^

    > あと、旁の東、ここでは縦棒をハネていますね。教科書体ではハネません。こういうところも本来自由なはずですが、テストになると恰好の〇×問題となります。

    書道で書く時など、はねると見栄えがする気がします。

    > 漢字というのは奥が深くそれを添削する側にはそれ相応の造詣が必要ですが、そこまで小学校の先生に求めるのは酷かもしれません。

    現代は手書きの文字を書く機会も減り、小学校から英語学習もする時代です。
    覚えなくてはならないこともとても多いです。

    重箱の隅をつつくような、どこを間違えたのかわからないようなところを×にしたり、卒業式の起立練習を何度も繰り返すようなことに時間を費やさず、その分を有意義に使えたほうがいいんじゃないのかな、と思います。
    整った美しい文字を書きたいと思えば、一人で大人になってからでも練習できます。

    書道の時の炭の匂いが好きで・・・
    上手じゃないですけど、たまに書いてみたくなります。
引用返信/返信 削除キー/
■21919 / inTopicNo.29)  Re[58]: 漢字
□投稿者/ 田秋 -(2022/04/01(Fri) 09:24:09)
    2022/04/01(Fri) 09:48:43 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん

    漢字テストについての意見や疑問は昔からありました。ボクが漢検に挑戦していた頃よく見ていた掲示板にもさまざま書き込みがありました。そのうち二つをご紹介します。

    1.島という字
    親御さんからの書き込みで子供が書いた島という字が×だったが、どこが間違いかわからない。それで先生に尋ねたところ
    「山という字の1画目の縦棒がその上にある横棒から離れている」
    という答えだったそうです。
    その親御さんならずとも、ボクもそれはおかしい!と思いました。ところが殆どの印刷字体はくっついているのです。それで先生はそのように考えたのでしょうが、明らかに漢字についての基礎知識が欠如していると言わざるを得ません。山が上の横棒にくっつく必然性は全くありません。漢字は部品から成り立っていて山と上の横棒は異なる部品だからです。下の図の楷書体の島は離れています(ここを離して書いたからといって教科書体ではないとは言えないと思います)。

    2.練という字
    下図の練の糸偏の下が点、点、点を見て
    「これは間違っている」
    という書き込みが何度もありましたが、実はこれが正しい楷書体なのです。
    楷書体というと何かの申し込み用紙に
    「楷書体で丁寧に書いて下さい」
    とあるように、多くは読み手が読めるような字体で(草書体ではなく)書くことを言っているように思います。

    但し、ただの糸は楷書体でも糸です^^

    あと、旁の東、ここでは縦棒をハネていますね。教科書体ではハネません。こういうところも本来自由なはずですが、テストになると恰好の〇×問題となります。

    漢字というのは奥が深くそれを添削する側にはそれ相応の造詣が必要ですが、そこまで小学校の先生に求めるのは酷かもしれません。

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引用返信/返信 削除キー/
■21892 / inTopicNo.30)  漢字
□投稿者/ みのり -(2022/03/31(Thu) 10:27:11)
    昨日、Twitterで見たんだけど。

    小1の漢字テストで、「土」「目」などの漢字の採点がとても厳しくて、どこが間違えているのか解らないレベルで×がつけられてて、その子の採点は18点だった。

    例えば、「土」なら、上の横線の方が下の横線より長く書かれていたら「士」と読み間違えられてしまうから、それは×になるだろうけど、どこがどう間違えているというのかわからないレベルでの×というのは、子どものやる気を逆に削いでしまうんじゃないか、と感じました。

    諸外国では、例えばアルファベットが整った美しい文字で書かれることに重きを置く指導ってなされているんでしょうか?

    読めればいいって感じで、そういうのにはあまり拘らないと聞いたことがあるようにも思うのですが・・・。

引用返信/返信 削除キー/
■21890 / inTopicNo.31)  Re[57]: 分水嶺
□投稿者/ みのり -(2022/03/31(Thu) 10:11:47)
    No21876に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    > 自己の欲望と社会の在り方とのかかわり方のなかで分水領、
    > わたし、振り返ってみたんだけど、とくになかったみたい。
    >
    > ところで、みのりさんはどうなのかしら?

    悪魔ちゃん、投稿ありがとうございます。

    答えとして十分なものになるかわからないけど・・・
    20代の半ば頃に、物理的と経済的にも分水嶺となることはありましたよ。
    それまでふわふわと甘い考えで生きていたけど、それが通用しなくなり、ハードに働いた(当初は働かざるをえなくなった、という感じでもあったな)ことにより得るものがあった、ということです。

    具体的な書き方じゃなくてごめんね。


引用返信/返信 削除キー/
■21882 / inTopicNo.32)  Re[57]: 分水嶺
□投稿者/ 田秋 -(2022/03/30(Wed) 21:33:29)
    こんばんは、悪魔ちゃん

    読んでくれてありがとう!

    悪魔ちゃんの人生のターニングポイント、これからあるかもよ。



引用返信/返信 削除キー/
■21876 / inTopicNo.33)  Re[56]: 分水嶺
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/03/30(Wed) 20:54:59)
    お邪魔します〜。

    田秋さんの分水領のお話し、とってもおもしろかったで〜す。
    実体験がゆえに、かな。

    自己の欲望と社会の在り方とのかかわり方のなかで分水領、
    わたし、振り返ってみたんだけど、とくになかったみたい。

    ところで、みのりさんはどうなのかしら?

引用返信/返信 削除キー/
■21875 / inTopicNo.34)  食料の自給などについて
□投稿者/ みのり -(2022/03/30(Wed) 20:39:02)
    ロシア産の小麦を輸入することができなくなり、今後不足することが予想されるという話が出たと思ったら、今度はロシア産の蕎麦の実も入らなくなったので、蕎麦の価格も上昇するだろう、と報道されていました。

    蕎麦は冷涼な土地であれば肥沃な土でなくても作れるのじゃなかったかな?
    日本でも今後、たくさん生産していけばいいのじゃない。

    小麦粉の代替として米粉が考えられると思うのだけれど、この米粉というのは、販売価格が高いです。
    米の消費量が減少しているのでもっと消費してほしい、という声はよく聞くのに、なぜ小麦粉より米粉の価格が高いのか。。
    どういうカラクリなのかな?
    米からは米油も作れて、これは身体にも優しいとされているのに、やはり価格はサラダ油(トウモロコシを主原料としてるものが多いのかな)よりだいぶ高いのだ。
    米、余ってるんじゃないのですかね〜?

    牛乳も需要と供給のバランスが崩れて、生産が多く見込まれる4月には、更に廃棄分が増えざるをえないと聞いたのだけど。。。
    価格をグンと引き下げれば売れ行きは上がるんじゃないのかな。
    赤字にしてまで出荷したくないから、それはしないと言われればそれまでか。。

    食料の自給率は上げておくほうがいいんじゃないか、と
引用返信/返信 削除キー/
■21873 / inTopicNo.35)  Re[55]: 分水嶺
□投稿者/ みのり -(2022/03/30(Wed) 20:17:40)
    No21859に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、こんばんは〜。 投稿ありがとうございます。

    東京にある芸校への進学を先生に勧められるほど才能あふれた田秋さんが猛練習しても試験に通ることができなかったというのは、かなりハイレベルでのしのぎの削り合いだったのですね。

    > 家に帰ったのは12時近くでした。家に帰るなり父が、兎束先生(ボクの先生で当時校長でした)から電話があって、帰ったらすぐに電話せえ言うことやと言うのです。
    > 何のことかわかりませんでしたが、本人が電話しろということだったのでとにかく電話しました。
    > 「オマエ、どうして来なかったのだ!」
    > 先生の第一声がこれでした。
    >
    > その辺りの具体的な先生とのやり取りは覚えていませんが、どういうことかというと、合格発表のボードの一番下に「以下の者は教務に来るように」と書いてあり、そこにボクの番号があったのです。前にたくさん人がいて後ろからは見えなかったし、落ちたと確信していて合格者に自分の番号もなかったので、わざわざ人を押しのけて一番前までいかなかったのです。
    >
    > 先生の話は、転科の話でした。ビオラに変わらないかというのです。ビオラなら入れてやる(表現は違いましたが)、ビオラで芸高に入るか、もう3年勉強してヴァイオリンで芸大を受けるか、この電話で即答しろというのです。
    > 入れるならビオラだろうがチャルメラだろうがなんでもいい、と思いました。実際実物のビオラはそれまで見たことありませんでした。
    > 「ビオラでお願いします」
    >
    > この深夜の電話でのやりとりがボクの人生の分水嶺でした。
    >
    > 言い訳ですが、転科については受験要綱に「面接の際に転科を勧めることがある」とありました。だから2次試験の時にはそれはなく、合否の発表だけだと思っていたのです。当時は携帯電話などありませんから、こういう絶対忘れられないエピソードが生まれました。
    >
    > 面接のとき教頭から「さあ、この慌て者の顔をみてやろう」と言われたのも忘れられません。
    > この受験譚とは関係ありませんが、この教頭が最初の授業(楽典)のとき
    > 「お前らの未来は暗い」
    > と仰ったのも忘れられません。希望に燃えている新1年生にそういうこと言うか!?
    > と思いましたが、就職は大変だぞという先生のご神託が実際大学を卒業するときに正しかったことがよくわかりました。
    >
    > というわけで高校1年生から東京に出たのでした。 チャンチャン
    >
    > おしまい

    校長先生からの連絡が何かの手違いで田秋さんに届かなかったりしたら、また、転科を田秋さんが希望されなかったら、音楽とは違う道に進まれていた可能性もあったかもしれず。。。
    まさに分水嶺ですね。^^

    貴重なお話をありがとうございました。


引用返信/返信 削除キー/
■21859 / inTopicNo.36)  Re[54]: 分水嶺
□投稿者/ 田秋 -(2022/03/30(Wed) 09:25:13)
    おはようございます、みのりさん

    続きです。

    当時芸高はお茶の水にあり、歩いて15分くらいのところに母と共に宿を取っていました。入試はヴァイオリンで受けました。1次はローデというエチュードでこれはうまくいきました。2次はラロのスペイン交響曲(名前は交響曲ですがヴァイオリンコンチェルトです)の1楽章でしたが、1ページ目の中ほどのパッセージで指がもつれ大失敗、もう舞い上がってしまい頭の中は真っ白、その後何をどう弾いたのか全く記憶がありません。

    もう絶対ダメだと確信しましたが、納得するため(?)発表を見に行きました。発表ボードの前は黒山の人だかりでしたが、合格者番号は順番に書いてあり、自分の番号が無いことはわかりました。

    あれほど厳しかった母が、失敗してダメだったと報告したとき怒らなかったのは当時としては意外でした。この母の心情が本当にわかったのは、自分が親になってからかもしれません。まあ、あとは家に戻るだけ、母と二人での帰りの車中のことも全く記憶にありません。

    家に帰ったのは12時近くでした。家に帰るなり父が、兎束先生(ボクの先生で当時校長でした)から電話があって、帰ったらすぐに電話せえ言うことやと言うのです。
    何のことかわかりませんでしたが、本人が電話しろということだったのでとにかく電話しました。
    「オマエ、どうして来なかったのだ!」
    先生の第一声がこれでした。

    その辺りの具体的な先生とのやり取りは覚えていませんが、どういうことかというと、合格発表のボードの一番下に「以下の者は教務に来るように」と書いてあり、そこにボクの番号があったのです。前にたくさん人がいて後ろからは見えなかったし、落ちたと確信していて合格者に自分の番号もなかったので、わざわざ人を押しのけて一番前までいかなかったのです。

    先生の話は、転科の話でした。ビオラに変わらないかというのです。ビオラなら入れてやる(表現は違いましたが)、ビオラで芸高に入るか、もう3年勉強してヴァイオリンで芸大を受けるか、この電話で即答しろというのです。
    入れるならビオラだろうがチャルメラだろうがなんでもいい、と思いました。実際実物のビオラはそれまで見たことありませんでした。
    「ビオラでお願いします」

    この深夜の電話でのやりとりがボクの人生の分水嶺でした。

    言い訳ですが、転科については受験要綱に「面接の際に転科を勧めることがある」とありました。だから2次試験の時にはそれはなく、合否の発表だけだと思っていたのです。当時は携帯電話などありませんから、こういう絶対忘れられないエピソードが生まれました。

    面接のとき教頭から「さあ、この慌て者の顔をみてやろう」と言われたのも忘れられません。
    この受験譚とは関係ありませんが、この教頭が最初の授業(楽典)のとき
    「お前らの未来は暗い」
    と仰ったのも忘れられません。希望に燃えている新1年生にそういうこと言うか!?
    と思いましたが、就職は大変だぞという先生のご神託が実際大学を卒業するときに正しかったことがよくわかりました。

    というわけで高校1年生から東京に出たのでした。 チャンチャン

    おしまい

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