| こんばんは、みのりさん
>楽器の練習の音の関係で学生会館からは引っ越されたということなのでしょうか。 クレームが出たのだと思います。学生会館にはアップライトのピアノが入った小部屋があってそこで練習していたのですが、防音ではなかったので 1,音が気になる。練習というのは聴いててもつまらないですから。 2,ピアノの入った部屋を独占していて、他の人も使いたい。 そんなことで、出て行って欲しいと言われました。
また何十年ぶりかの記憶が蘇りましたが、当時市内通話は10円で無制限でした。
>田秋さんは、高校は地元ではなく東京だったのですね。 よくぞ聞いてくださいました。長い話になりますが、絶対飽きさせませんのでどうぞお聞きくださいまし。
中学3年の春、バイオリンの先生(当時はバイオリンを習っていました)が母に芸高に受かるだろうと仰ったのです。 芸高というのは東京芸術大学音楽学部付属音楽高等学校というチョー長い名前の高校のことです。 芸高という存在は知っていました。しかしそれは雲の上の話で、ボクには関係のない存在でした。それが突然関係ないとは言えない存在になったのです。
その時ついていた先生は桐朋系の先生で、芸高受けるなら芸大系の先生の方がいいということで、8月から先生が変わり、9月に受験要綱が発表されました。受験は1月7日から1週間でした(1次、2次、学科、面接)。
この期間が生涯で一番さらった時期です。一日7時間さらいました。学校行く前に2時間、学校から帰って夕食前に2時間、夕食後3時間です。なにしろ、どのくらい弾ければ受かるのか見当もつかないのです。 毎週日曜日は東京までレッスンです。先生の方針で「君は何時から」というのを決めないのです。早いもの順、他の生徒のレッスンを聴くのもレッスンということです。
朝6時ころの汽車に乗って先生のお宅に10時過ぎに着いたとしてもレッスンは3時ころでした。昼食、どうしたんでしょうね。サンドイッチかおにぎりか食べたのでしょうか。先生もお昼ご飯お食べになったでしょうからお昼休憩があったのだと思いますが、全く記憶がありません。
家に戻るのは10時か11時でした。
続く 後半はもっと面白いどすえ〜^^
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