| NHKブックス100分de名著『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』 萱野稔人 著 を読んでいます。 その第2章を今回もまとめさせていただきます。
>>人間の本性は戦争に向かいやすい傾向性を宿しているので、平和実現のためには、戦争が起こりにくくなる社会の仕組みづくりが必要となる。 >>カントの本著でも第2章で「国家間における永遠平和のための確定条項」として3つの条項を提示していて、これらは本著の主要部分となる考察だそうです。
今回も引き続き、その三つ目。 ※第三確定条項 「世界市民法は、普遍的な歓待の条件に制限されるべきこと」 を見ます。
外国を訪問する人が平和的に振舞う限りには、その地に住む人々に歓待される権利がある、とカントは言います。 歓待の権利=訪問の権利。
しかし、外国から来た人が無条件にその地に移住する権利=客人の権利を、外国から来た人が自ら要求することはできない、とも言います。 この二つ目の、客人の権利は認められない、とカントがした理由を今日は見ます。
・・・・・ 十八世紀から十九世紀の初めにかけて、外国への訪問で一般的だったのは、先進国であるヨーロッパ諸国の人びとがそれ以外の地域を訪問することでした。 逆に、先進国への移民の流入が問題になったのはようやく二十世紀の後半になってからです。 そうしたカントの時代の訪問において何が起こっていたのかといえば、ヨーロッパ諸国による侵略と植民地支配です。彼らは訪問先の住民を武力で制圧して支配権を獲得したり、あるいは現地の住民たちを焚きつけることで戦争を起こさせて、その隙をみて自分たちの支配権を獲得したりして、植民地支配を確立していきました。 つまり当時、外国人を敵としてあつかっていたのは訪問された側の人たちではなく、訪問する側の人たちだったのです。 カントが「敵として扱われない権利」としての「歓待の権利」を主張した背景には、そうした先進国の訪問者たちによる「歓待に欠けた態度」がありました。 ・・・・・ 同書p99より引用
植民地を求めて外国にやって来たヨーロッパの人々というのは、その地の人々にとって歓待できるような存在ではなかったでしょう。 しかし仮に、訪問者が平和的に訪問した外国に振舞う限りには、歓待の権利=訪問の権利がある、ということです。
カントは「本来いかなる人も地球上の特定の土地に居住する権利を他のひとよりも多く認められているわけではない」と述べているが、しかし、後から来た人もその土地に住む権利を認められるべきとは一言も書いていない。 なぜかと言うと、それだと植民地支配のような暴力的な制服を正当化してしまうから。(p101からまとめ)
カントはこのような理由から、客人の権利=自由に外国の土地に移住できる権利を正当なものではない、としました。
もともとは誰のものでもなかった土地に、住み始めた人々が継続して安住するうちにその人たち、一族の所有地となっていったのだけれど、既に持ち主がいて生活している土地を奪取しようとする行為は、争いを呼ぶものですね。 カントが遠く離れた植民地とされていた国々の人々の暮らしを気にかけていてくれたというのを知り嬉しい思いです。
・・・・・ これらの諸国がほかの大陸やほかの諸国を訪問する際に、きわめて不正な態度を示すことは忌まわしいほどであり、彼らにとって訪問とは制服を意味するのである。 ・・・・・ 同書p100より引用 ここは、カント『永遠平和のために』の和訳から。
同書には3章、4章と続きがあります。 読んでみてまとめてみようかな、と思う部分が出てきたら続けてしようと思います。
移民ということを現代で考えると。 貧困や戦乱のため、母国にいられなくなった人々が外国に生きる場所を求めて移動する、という場合が取り上げられるようになりました。 労働力としてうまくマッチすれば、互いにとっての利益となる(かつてのオーストラリアの発展などはそうですね。)けれど、そうでない場合もあり、問題化しているのですね。
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