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■18758 / inTopicNo.49)  謎沼探検記(;´・ω・)
  
□投稿者/ うましか -(2021/11/13(Sat) 06:51:02)
    2021/11/13(Sat) 06:51:54 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っす!(`・ω・´)ゞ

    ******* 山下和也 『カントとオートポイエーシス』*******

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    ◇第一章 オートポイエーシス論
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物学博士号をとりチリに帰国、チリ大医学生に生物の起源について講義していたなか学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが「生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。
    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。

    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」と言う。
    ・「オートポイエーシス・システム」の定義とは・・・
    「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕
    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。「産出」「連鎖」「循環」「閉鎖」というキーワードを使った山下による定義は次のようになる。・・・
    「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕
    ・APシステムの分かりやすい例とは、細胞システム(※ただし細胞そのものではない)。

    ■第三節 基本概念
    ・「コード」
    ・「構造的ドリフト」
    ・「構造変動」
    ・「メタモルフォーゼ」
    ・「システムの環境」
    ・「相互浸透」
    ・「攪乱」
    ・「構造的カップリング」
    ・「カップリング・システム」
    ・すべてのオートポイエーシス・システムに共通な性質・・・@個体性、A単位性、B自律性、C入力・出力の不在
    ・「言及システム」・・・ (元のシステムに対する新しいシステムとして)一階言及システム、二階言及システム〜

    ◇第二章 理性と認識システム
    ・オートポイエーシスの認識論の基本となる三つのシステム、生命システム、意識システム、認識システムと、カントのあげる三つの認識能力、感性、悟性、理性との対応を考える
    ・この図式が山下の展開する認識論の基礎となる。〔p.15〕
    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ・生命システム・・・認識を考える場合の出発点
    ・生命システムとは、生体器官を構成素とし、身体を構造とするAPシステムである。
    ・意識システム・・・脳における自己言及に基づく生命システムの一階言及システム。表象を構成素とするシステム
    ・認識システム・・・生命システムからは二階言及、意識システムからは一階言及のシステム
    ・認識システムとは、認識表象を構成素とし、認識を構造とする。
    ■第二節 感性・悟性・理性
    ・カントによる人間の認識(能力)
    「すべての我々の認識は感官に始まり、そこから悟性に進み、理性で終わる、理性を超えて、直観の素材を加工し、思惟の最高の統一の下へともたらす、より高次のものは我々のうちに見いだされない」(B355)
    「人間の認識には、おそらくは共通の、しかし我々には未知な根から生える二つの幹がある、すなわち、感性と悟性である。前者によって我々に対象が与えられ、後者によってしかし思惟される」(B29)
    ・山下のイメージでいえば、感性と悟性とによって個別の認識が成立し、理性によってそれが体系化される。

    ◇第三章 批判と二つの視点
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ■第二節 カント認識論の構図
    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    ◇第四章 自我とシステム
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    ◇第五章 感覚と攪乱
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論
    ■第二節 感覚の主観性
    ■第三節 感覚の客観性
    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚

    ◇第六章 カテゴリーと概念コード
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義
    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ■第四節 超越論的観念論再考

    ◇第九章 超越論的自由と自律性
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    ◇結 論 認識論の完成に向けて

    *******

    No.18527,18608,18670,18758

引用返信/返信 削除キー/
■18752 / inTopicNo.50)  日記!
□投稿者/ pipit -(2021/11/12(Fri) 21:34:57)
    感じたものに、考えたものに、全部「私」がピトっとくっつけられるシステムになってる、っていう考え方かな?

    基準を一つ置くと、いろんな配置が、それを基準として、可能になるね。




引用返信/返信 削除キー/
■18750 / inTopicNo.51)  日記?
□投稿者/ pipit -(2021/11/12(Fri) 21:21:31)
    みなさまこんばんは♪

    No18604 からの流れで、書いた
    No18684のpipitの書き込み文に沿って、関連あるかなぁとpipitが思う解説文(まずは中島先生の解説文を)を引用してみようと思います。

    > 思考による内容空虚な編集の働きだから、感性による内容に依存して、各々唯一無二のコンテンツに仕上がってる。<

    (中島義道先生の解説文『カントの読み方』より引用)
    『カントは、たしかにS2に「根源的(ursprunglich)統覚」とか「純粋(rein)統覚」あるいは「超越論的(transzendental)統覚」という名前をつけますが、それは(少なくとも第一版においては)ただちに根源的実在であるわけではなく、さしあたりはどこまでも内容がまったく空虚である「何か」にすぎないのです。』p44
    『カントが求める自我論は、各人がそれである現実の「私」、あるとき生まれ、これまでずっと同一であり、固有の身体をもち、固有の個人史をもち、固有の性格をもち、そのつど固有の場所にいる、それぞれの自我のあり方に関する理論でなければならない。
     そのためには、「まったく空虚で無内容」な私などひねり出しても何にもならない。
    自我に関していかに高遠な理論を立ててもいいけれど、それは最終的には各人が日常的に端的に了解している「私」を意味しているのでなければならないというわけです。
     そうであるからには、もちろん超越論的統覚もこの要件を充たさねばならない。
    それがいかに論理的に無矛盾であっても、論理的に整合的に要請されても、それだけではその実在性は保証されないのです。
     こうした観点から見返すと、一つのアクロバティックとも言えるほどの大転換が見えてきます。
    すなわち、カントは概念だけから紡ぎ出されたこうした「主観」が「まったく空虚で無内容」であることに着目し、それ自体として「まったく空虚で無内容」であるからこそ、それは全世界を対象化する絶大な機能をもちうることを洞察したのです。』p73.74

    ※まずはここまでを投稿します。
    以下に対応するかなあ?と思う解説文などをまた後ほど引用していこうと思います。


    > 感性による内容は、カント的には、二値論理(真偽)の世界にあるものではなく、<

    >しかも本当の感覚の生の接点、源泉点は、触発による受動。<

    > 解説者の方が、文字通りの地動説としての回転という感じにおっしゃってた記憶あるけど、過去に引用してるので、そこらへんも絡めて書きたいと思ってます。<

引用返信/返信 削除キー/
■18684 / inTopicNo.52)  pipit沼日記
□投稿者/ pipit -(2021/11/11(Thu) 07:31:20)
    『カントとオートポイエーシス』の先の探検はうましかさんにおまかせして、pipitはもう少しオートポイエーシスシステムについて考えてみようと思ってます。

    今思いついてるアイデアは、例えば『旅館』という働きをオートポイエーシスシステムとして描くことです。
    全然アイデア倒れになるかもだけど、ちょっと考えてみたいと思ってます。

    その前に自分の中で宿題になってるものを書くかな。
    引用などをして、形にしてみたいと思ってます。
    ラフな思いを書けば、
    カントの考え方を推測する一つとしては、
    思考による内容空虚な編集の働きだから、感性による内容に依存して、各々唯一無二のコンテンツに仕上がってる。
    感性による内容は、カント的には、二値論理(真偽)の世界にあるものではなく、しかも本当の感覚の生の接点、源泉点は、触発による受動。
    解説者の方が、文字通りの地動説としての回転という感じにおっしゃってた記憶あるけど、過去に引用してるので、そこらへんも絡めて書きたいと思ってます。

    あぁ、したいと思います、が多いなぁ
    有言実行がpipitはなかなかできない(T ^ T)

    まあがんばろわたし!

    今朝思い出して聞いた曲
    ♪Blessing
    https://youtu.be/6QhwWghC9Ec




引用返信/返信 削除キー/
■18670 / inTopicNo.53)  おーとぽいえし〜っす! (;゚Д゚)謎沼
□投稿者/ うましか -(2021/11/10(Wed) 21:40:35)
    2021/11/10(Wed) 21:57:19 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っす!(`・ω・´)ゞ


    感想は、、、今のところ抽象的すぎて全然分かりません(;゚Д゚)

    とりあえず、拾い読みし継ぎ接ぎしていきますー


    ******* 山下和也 『カントとオートポイエーシス』*******

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    ◇第一章 オートポイエーシス論
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物学博士号をとりチリに帰国、チリ大医学生に生物の起源について講義していたなか学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが「生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。
    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。

    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」と言う。
    ・「オートポイエーシス・システム」の定義とは、「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕
    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。山下による定義は次のようになる。「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕 方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕
    ■第三節 基本概念

    ◇第二章 理性と認識システム
    ・オートポイエーシスの認識論の基本となる三つのシステム、生命システム、意識システム、認識システムと、カントのあげる三つの認識能力、感性、悟性、理性との対応を考える
    ・この図式が山下の展開する認識論の基礎となる。〔p.15〕
    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ・生命システム・・・出発点としての。
    ・生命システムとは、生体器官を構成素とし、身体を構造とするAPシステムである。
    ・意識システム・・・表象を構成素とするシステム
    ・認識システム・・・生命システムからは二階言及、意識システムからは一階言及のシステム
    ・認識システムとは、認識表象を構成素とし、認識を構造とする。
    ■第二節 感性・悟性・理性

    ◇第三章 批判と二つの視点
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ■第二節 カント認識論の構図
    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    ◇第四章 自我とシステム
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    ◇第五章 感覚と攪乱
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論
    ■第二節 感覚の主観性
    ■第三節 感覚の客観性
    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚

    ◇第六章 カテゴリーと概念コード
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義
    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ■第四節 超越論的観念論再考

    ◇第九章 超越論的自由と自律性
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    ◇結 論 認識論の完成に向けて

    *******

    No.18527,18608,18670

引用返信/返信 削除キー/
■18668 / inTopicNo.54)  今の時点の思ったこと
□投稿者/ pipit -(2021/11/10(Wed) 21:35:46)
    とりあえず、、、

    物体ではなく、物体などをつくる【働き】に注目して、
    その【働き】が循環的に閉鎖しながら、【働き】を維持する動的システム(自己を更新し続けながら、新たな自己として自らを生み出しながら、自己を閉域として維持する活動)を
    オートポイエーシスシステムというのかなぁ
    違うかもかも

    みたいな。

    まだまだ全然解釈を変更していくと思いますm(__)m
引用返信/返信 削除キー/
■18665 / inTopicNo.55)  Re[11]: うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/11/10(Wed) 21:17:51)
    ちょっと読み進めてみます。

    【オートポイエーシス・システムとは、ネットワークの、自己完結的閉域である。】
    【閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ。】
    【ネットワークの閉鎖により構成素が作る一つのまとまりが「システムの構造」である。】p5

    誤解を防ぐために、注意しておこう。

    【このシステムは、産出プロセスがつくるネットワークがつくる閉域の方であり、それが産出する構造のことを言うのではない。】p5
    ※産出される構成素や構造はシステムに属してさえいない。p5
    とはいえ、システムと構造は不可分なのだが。p5

    【このシステムは産出プロセスという働きから成るので、三次元の固定的実体ではなく、空間的あり方もしていない。が、実体ではないが実在する。】p6


引用返信/返信 削除キー/
■18663 / inTopicNo.56)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/11/10(Wed) 21:04:39)
    うましかさん、沼っすー
    (*^◯^*)/

    No18608
    そういえば、馬鹿の壁の印税で建てた別荘だから、馬と鹿のカベ作ったとも言ってたような
    (・・?)

    養老先生はなんかゴーイングマイウェイでおもしろいです♪

    『カントとオートポイエーシス』を改めて読んでいますが、
    相当やっかいですよね( ; ; )

    かなり抽象的だし。
    とりあえず山下先生の定義に従って解読していくとして、

    >「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕 方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕<

    私見解釈?書きますね。
    うましかさんが引用してくれた文を、縮めてみますね。

    【オートポイエーシス・システムとは、ネットワークの、自己完結的閉域である。】
    【閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ。】

    とりあえず、そう理解してみて、読み進めてみようと思います。

    ありがとうございます。
    うましかさんも無理しないでくださいね!
引用返信/返信 削除キー/
■18642 / inTopicNo.57)  pipit沼日記
□投稿者/ pipit -(2021/11/10(Wed) 13:53:49)
    沼っす !

    No18608
    うぅ、うましかさんにお返事書きたいけど、ちゃんと該当箇所読んでからお返事するの。。。

    それから、
    No18604
    > 誰にでも当てはまる空虚なまとめ訳が、各々に生じる現象をまとめあげるとき、唯一無二の経験が立ち現れる。
    まだ仕事の昼休み中なので、純理トピに思うこと、書けたら書いてみます!<

    ここも書きたいけど、まだ書けてないの。書きたいなと思ってるの。

    それから、
    No18633
    > 未熟者愚か者pipitの今の段階の私見を書きますね。
    loveと訳されてる原語は『kAmo』
    おそらく『kAma』の変形だと思ってるのですが、
    『kAma』の辞書での意味は、欲、愛欲、欲念、欲情、欲楽。<

    kAma(カーマ)という単語について一つ思い出したの、渇愛(タンハー)の中の一つが、欲愛(カーマ)だったな、って。

    wiki『渇愛』より。パーリ語部分は文字化けするのでカタカナ表記にpipitが上書きします。

    『渇愛[1](かつあい、巴: タンハー 梵(略))とは、十二因縁の一つで、対象のものごとを貪ったり、執着することを指す[2]。仏教においては中核的概念のひとつであり[3]、身体・精神的な「渇き、欲望、渇望、貪欲」を指している[4][5]。愛(あい)とも訳される[2]。
    * 欲愛[2](巴: カーマタンハー) - 感官によって得られる刺激・快楽への渇愛
    * 有愛[2](巴: バワタンハー) - 存在することへの渇愛
    * 非有愛[2](巴: ヴィバワタンハー) - 存在しなくなることへの渇愛』



    まずは、本を読んでうましかさんに返信したいぞー
    ふぁいとー
    p(^_^)q

    あ、でも、サボってた家事します。。。
引用返信/返信 削除キー/
■18608 / inTopicNo.58)  うましか壁日記(・ω・)ノ
□投稿者/ うましか -(2021/11/09(Tue) 19:38:33)
    2021/11/09(Tue) 22:48:39 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っスo(・x・)/ ! 

    養老孟司の馬と鹿の壁、ありがとうございまーす(・∀・)

    まっしろな壁に、微妙な距離でむかいあうウマとシカの線画、、、

    ふしぎな感じですねー  

             
        (;´・ω・)        (゚Д゚;)


    https://shae-bear.com/archives/4600


    ******* 山下和也 『カントとオートポイエーシス』*******

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    ◇第一章 オートポイエーシス論
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物学博士号をとりチリに帰国、チリ大医学生に生物の起源について講義していたなか学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが「生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。

    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。


    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」と言う。

    ・「オートポイエーシス・システム」の定義とは、「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕

    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。山下による定義は次のようになる。「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕 方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕


    ■第三節 基本概念

    ◇第二章 理性と認識システム
    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ■第二節 感性・悟性・理性

    ◇第三章 批判と二つの視点
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ■第二節 カント認識論の構図
    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    ◇第四章 自我とシステム
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    ◇第五章 感覚と攪乱
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論
    ■第二節 感覚の主観性
    ■第三節 感覚の客観性
    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚

    ◇第六章 カテゴリーと概念コード
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義
    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ■第四節 超越論的観念論再考

    ◇第九章 超越論的自由と自律性
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    ◇結 論 認識論の完成に向けて

    *******

    No.18527,18608

引用返信/返信 削除キー/
■18544 / inTopicNo.59)  Re[8]: 何が面白いのかなー
□投稿者/ pipit -(2021/11/08(Mon) 15:38:05)
    おくたがわさん、こんにちは!
    返信ありがとうございます(o^^o)

    No18541
    >>おくたがわさん、カントおもしろい????
    >>(聞いてみたくなってしまいましたー)
    >
    > なんかしらんけどおもしろいです。<

    なんかうれしすです (●´ω`●)


    > ときどき読みたいという欲求がわいてくるので、たぶん面白いのでしょう(いきなりトーンダウンしてるけど)。
    > 一文一文が知恵の輪でできている暗号文の解読。
    > 知恵の輪も暗号も常に楽しいとは限らないので『たぶん面白いのでしょう
    > 』となるけれど、根本的に面白さがなければやろうと思わないんじゃないかなぁ。<

    知恵の輪という例えは、わたしにもそうだなぁと思えました。
    カント本人はそんな気持ちなく、文章書いてるのかもしれませんけどね
    (^◇^;)

    難儀やわー ヽ(;▽;)ノ
    (でも楽しいのが、、、これまた、難儀やわーー)

    ありがとうございます!


引用返信/返信 削除キー/
■18543 / inTopicNo.60)  Re[17]: カント沼蜜蜂便o(・x・)/ !
□投稿者/ pipit -(2021/11/08(Mon) 15:27:05)
    No.18527
    うましかさん、沼ですー(^ν^)

    山下和也先生『カントとオートポイエーシス』の目次の書き込み(コピペでなく手入力??)ありがとうございます!

    なんか、ユクスキュルさん思い出して、養老先生思い出して、虫の視点思い出しました。

    あ、そういえば、養老先生の別宅は、馬と鹿の壁があると読んだような。。。
引用返信/返信 削除キー/

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