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■19137 / inTopicNo.1)  溺れるうましか実践つかめず(´;ω;`)ウッ
  
□投稿者/ うましか -(2021/11/20(Sat) 00:08:57)
    2021/11/20(Sat) 00:27:32 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんは沼ー

    救命活動していただき、ありがとうございますm(__)m

    おくたがわさんにも感謝です。


    恥ずかしながら、さっきまで「認識論では認識不可能とされる物自体について、思考することは可能なのだ」とカントが言ってることに、ちょっとした喜びを感じていたんですが、

    思考できるのが実践論なのだったといういろんな方々の説明を知って、そんな気持ちが萎んでしまいました(´;ω;`)ウゥゥ



    感性論の途中レベルでは、まだまだ風呂敷をひろげるには早すぎたようですねー


    でも『純粋理性批判』における"denken(思考する)" の、「物自体」に対する関係について考えてみるよいきっかけになりました。




    (/・ω・)/おれい沼〜


引用返信/返信 削除キー/
■19136 / inTopicNo.2)  Re[14]: 日記
□投稿者/ pipit -(2021/11/19(Fri) 23:53:23)
    死ぬまでに実践理性批判の読解にたどり着けるかどうかは
    不確定 (T ^ T)

    でも、たどり着けたらいいなー (●´ω`●)
引用返信/返信 削除キー/
■19135 / inTopicNo.3)  日記
□投稿者/ pipit -(2021/11/19(Fri) 23:50:12)
    現象を認識する世界では、第一原因は、わからない、と、隠されてしまってる。

    でも、行為するとき、現象世界の第一原因として行為(あるいは無為)をなすことができる

    とか????

    全然違うかも?????

    日記でしたー

    おやすみなさーい ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■19134 / inTopicNo.4)  Re[12]: うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/11/19(Fri) 23:38:51)
    2021/11/19(Fri) 23:42:02 編集(投稿者)

    No19133に返信(pipitさんの記事)
    > 沼こんばんはー( ^ω^ )♪
    >
    > >で、けっきょく、うましかは何が気になっているの?とお二方から問われるならば、くり返しになりますがカントの認識論からズレるかもしれませんけど、認識論では認識不可能とされる物自体について、思考することは可能なのだという、上のカントの主張に対してです。<
    >
    > 実践論では、思考することが可能! はいかがでしょうか?

    『マンガみたいにすらすら読める哲学入門』蔭山克秀先生著、だいわ文庫
    から、めちゃめちゃ端折って引用します。
    代ゼミ講師(執筆時)蔭山先生の倫理目線かもですが、(pipitとしては倫理目線に寄りすぎな気もしますが(^^;)

    p185より引用
    『カントにとって哲学のなすべきこととは、できもしない「"世界の本体"の認識」ではなく、「人間はどんな世界をめざすべきか」を「考える」ことだ。
    認識はできなくても、考えるだけならできる。
    では、ここからがカントの後半戦だ。』

    ※※※※※※※※※

    pipitは、家に『実践理性批判』を置いてさえないので、全然知らない領域なのですが、

    『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』伊藤邦武先生著、ちくまプリマー新書、p145には、

    実践理性について
    『カントはこれこそが、人間理性のもっとも重要な働きであり、この働きの中で、理性は現象世界を超えて、物自体の世界に触れることができると主張するのです。
    もちろん、人間が認識作用という仕方で精神を働かせている限り、理性は理論理性にとどまっていて、現象世界の認識しか行うことができません。
    (略)
    ところが、認識作用とはまったくの別の作用の局面では、人間は現象世界を超えて、物自体の世界に触れることができると、カントは考えるのです。
    (略)
    私たちは生物としての人間として見れば、たしかに他の生物と同じように、さまざまな生理的制約の下で生きています。
    しかし、人間を生物ではなく社会的存在者として考えれば、自分の行動を自分の価値判断の基準で評価し、それを実行に移す自由を持っています。
    実践理性の働きとは、人間精神がもっている、このような自律的行動を追求する能力のことをいいます。(略)』

    とありました。

    私は何を知るのか、の対象として物自体のことを考えるのではなく、
    私は何を為すべきか、の理由として物自体のことを考える可能性はどうかな?
    と、カント哲学をきちんと知らないpipitは今の時点で推測しました。

    全然勘違いしてたらすみません沼!



引用返信/返信 削除キー/
■19133 / inTopicNo.5)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/11/19(Fri) 23:08:14)
    沼こんばんはー( ^ω^ )♪

    >で、けっきょく、うましかは何が気になっているの?とお二方から問われるならば、くり返しになりますがカントの認識論からズレるかもしれませんけど、認識論では認識不可能とされる物自体について、思考することは可能なのだという、上のカントの主張に対してです。<

    実践論では、思考することが可能! はいかがでしょうか?
引用返信/返信 削除キー/
■19132 / inTopicNo.6)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/11/19(Fri) 23:05:10)
    2021/11/20(Sat) 07:03:39 編集(投稿者)
    おくたがわさん、こんばんは(^O^)/

    No19105に返信(おくたがわさんの記事)
    > 2021/11/19(Fri) 11:49:14 編集(投稿者)
    >
    > ■No19098に返信(うましかさんの記事)
    > うましかさん、pipitさん、おはようございます。
    > 以下うましかさんの疑問についてトンチンカンな投稿になっていたらすみません。
    > .    、、
    > 天野:思惟することができなければならぬ。
    >     、、、
    > 石川:考えることはできなければならない
    >         、、、、
    > 中村と原は「思考する」
    >
    > これは、我々が「物自体」について考える(=カントの考え)のと同じ「考える」と単純に解釈してはダメ?
    >
    > 『〜そうでないとすれば(=物自体として考えることができないとすれば)、現象となる元がないのに現象があるという不合理な命題が帰結してしまうからである』(石川)
    >
    > 現象があるならば、感性を触発してその現象を生じさせる「何か」(もの自体)があるはずだ、と考えることとか。<

    そうですね、御子柴善之先生の『カント哲学の核心』p159なども、そのような解説のように思えます。
    それと、全く不勉強のpipitの今のところの私見ですが、
    理性を理論理性と実践理性に分けて、実践理性の領分で考える余地を残してるようにも思えています。


    > ただ、
    > 『同一の対象を物自体として考える』といった表現が引っかかる気はします。うましかさんが気になるのも、その辺ですか?<

    これ、第二版序文の、中山先生第一巻p172(ページの下には、]]XVとあります。)の
    『しかし批判は、客体を二つの意味で、すなわち現象としての客体と、物自体としての客体として考えることを教えるのであり、・・・』のところを思い浮かべました。
    ここも、

    > pipitさんも書いてるように、ここにも因果性と自由が両立する根拠が書かれてますね。
    > 純粋悟性概念が適用されて因果性に束縛される(従って自由がなく道徳の前提が否定される)のは我々のうちにある現象であって、物自体の側には因果性はないゆえに自由がありうる。<

    このことについての言及だなぁと、今読んで改めて思いました。

    いつもありがとうございます!!
引用返信/返信 削除キー/
■19127 / inTopicNo.7)  ついに沼難事故か日記(´;ω;`)ウッ…
□投稿者/ うましか -(2021/11/19(Fri) 21:39:06)
    2021/11/19(Fri) 21:56:43 編集(投稿者)

    pipitさん、おくたがわさん、こんばんはー

    溺れかけのうましかに手をさしのべていただきありがとうございましたm(__)m

    No.19105 (おくたがわさん)

    >以下うましかさんの疑問についてトンチンカンな投稿になっていたらすみません。

    トンデモナイです! いつも助言いただきありがとうございますm(__)m

    >これは、我々が「物自体」について考える(=カントの考え)のと同じ「考える」と単純に解釈してはダメ?

    うーん、、、私にはそもそもカントが以下の引用でいう「思考する denken」をどのような意味で使っているのか未だよく分からないのです。
    なので、おくたがわさんにダメか?と問われても答えることができません、現段階では。申し訳ないです。

    >… それにもかかわらず、十分に注意されなければならないことであるが、私たちがまさにこの同一の諸対象を諸物自体そのものとしても、たとえ認識する≠アとはできないにせよ、それでも少なくとも思考する≠アとはできるにちがいないということは、やはりそのさい常に保留されている。なぜなら、さもなければ、現象はそこで現象する或るものなしで存在するという不合理な命題が、そこから生ずるであろうからである。<

    → 原佑訳上巻、p.57

    ただ、「(それでも少なくとも思考する≠アとはできるにちがいないということは、やはりそのさい常に保留されている。)なぜなら、さもなければ、現象はそこで現象する或るものなしで存在するという不合理な命題が、そこから生ずるであろうからである。」とあるので、カントがいう「思考」の役割とは推論?と関わっているだろうということは文脈から理解できなくもないです。おくたがわさんのいう「現象があるならば、感性を触発してその現象を生じさせる「何か」(もの自体)があるはずだ、と考える」ということですね。

    pipitさんの助言からもいただいていますね。

    No.19112 (pipitさん)

    >めっちゃシンプルなところで言えば、感じたものを考えて認識としてる、がカントの考え方なのではないかと思っています。感じたもの、がないところで、思考だけしてると二律背反になったりすると言ってるんじゃないかなーと今のところ思っています。

    「感じたもの、がないところで、思考だけしてると二律背反になったりする」というコメントは、まさにカントに沿った理解なんだろうなーとおもいました。

    で、けっきょく、うましかは何が気になっているの?とお二方から問われるならば、くり返しになりますがカントの認識論からズレるかもしれませんけど、認識論では認識不可能とされる物自体について、思考することは可能なのだという、上のカントの主張に対してです。

    この主張は、私うましかにとって、認識不可能とされる物自体をいかに認識するかについて論じようとする試みよりも魅力的に映ってしまったのでした(;´・ω・)


    現象を何かの現象として認識はできないが思考することはできるんですかね?!(゚д゚)!


    今夜も沼まみれ(/・ω・)/沼

    pipitさん、中山元訳と御子柴善之小泉の紹介箇所、ありがたく頂戴いたしましたm(__)m




















引用返信/返信 削除キー/
■19123 / inTopicNo.8)  お月様で思い出した日記
□投稿者/ pipit -(2021/11/19(Fri) 19:33:53)
    ムッター尼様の次の偈は、プンナー尼様の偈

    『プンナー〔尼〕よ。十五夜の月のように、もろもろの徳を完成せよ。
    知慧を完成して、〔無知の〕暗黒のかたまりをうち砕け。
            プンナー尼 』

    (同本p7より引用)
引用返信/返信 削除キー/
■19121 / inTopicNo.9)  Re[9]: 月食で思い出した日記
□投稿者/ pipit -(2021/11/19(Fri) 19:22:41)
    お釈迦様の時代も(経典がいつ書かれたのか、真実か否かとかはわからないかもですけど)

    月食という現象があったのだなー

    人々は、その現象を見ていたのだなー

    とも思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■19120 / inTopicNo.10)  月食で思い出した日記
□投稿者/ pipit -(2021/11/19(Fri) 19:14:16)
    みなさまこんばんは!
    こちらは綺麗に月食見えてます!ん?見えてます?

    月食で、ある尼様の偈を思い出していました。

    『ムッター〔尼〕よ。悪魔ラーフに捉えられた月がその縛(いまし)めから脱するように、もろもろの軛(くびき)から脱れよ。
    そなたは心が解脱して、負債の無い者として、托鉢の食物を受用せよ。
        尊き師は、しばしこの詩句をとなえて、見習尼ムッターをこのように教えさとされた。』

    (岩波文庫『尼僧の告白 テーリーガーター』p7より引用)


    中村元先生の注釈によると
    『古代インド一般に、日蝕や月蝕はラーフ(RAfu)という名の魔王が太陽や月を捕えるために起こる、と考えられていた。』
    とありました。
    (岩波文庫『尼僧の告白 テーリーガーター』p99より引用)



引用返信/返信 削除キー/
■19113 / inTopicNo.11)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/11/19(Fri) 16:51:04)
    おくたがわさん、こんばんは!
    書き込みありがとうございますー(o^^o)♪

    後でゆっくり楽しみに読ませていただきますね!
    用事してきますー。゚(゚´ω`゚)゚。

    絵画は、因果律が関係あるのかな?
    pipitは、因果律に支配されてる世界を想起したけど、
    もしかしたら、おくたがわさんは、逆?自由?

    そんなことも想像して、おもしろいなーと思いました。

    いってきます!
引用返信/返信 削除キー/
■19112 / inTopicNo.12)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/11/19(Fri) 16:42:50)
    2021/11/19(Fri) 16:45:26 編集(投稿者)

    うましかさん、こんにちは!

    No19098
    > 中山元訳第3巻の中山による段落番号369〜371、目を通してみましたが、私がまだ感性論でうだうだしているレベルなので、内容が細かすぎて???です。ただもう少し遡ってみると、中山段落番号348(p.260)あたりからライプニッツについて論じているのでおもしろそうだとおもいました(;´・ω・)<

    はいー、なんか細かーーーーーーいですよねー(^^;;
    ライプニッツに対する言及のとことかちゃんと理解してないんですけど、そのうち理解できたらいいなー、おもしろそう、と、pipitも思ってます。


    > ところで、私が 
    >
    > >… それにもかかわらず、十分に注意されなければならないことであるが、私たちがまさにこの同一の諸対象を諸物自体そのものとしても、たとえ認識する≠アとはできないにせよ、それでも少なくとも思考する≠アとはできるにちがいないということは、やはりそのさい常に保留されている。なぜなら、さもなければ、現象はそこで現象する或るものなしで存在するという不合理な命題が、そこから生ずるであろうからである。<
    >
    > → 原佑訳上巻、p.57
    >
    > で気になっているのはなぜかというと、もしカントが上で「対象は物自体として思考はできる」と考えているとすれば、カント認識論?の関心とはズレるかもしれませんが、カントの「認識するerkennen」と「思考するdenken」の区別、「認識する」に対する「思考する」の位置づけはどのようなものなんだろう?とおもうからなのでした(´;ω;`)ウッ…<

    めっちゃシンプルなところで言えば、感じたものを考えて認識としてる、がカントの考え方なのではないかと思っています。
    感じたもの、がないところで、思考だけしてると二律背反になったりすると言ってるんじゃないかなーと今のところ思っています。

    カントの認識論の大枠については、中山先生の第2巻の冒頭がわかりやすいんじゃないかなぁとpipitは思いました。
    第2巻p17、独自段落番号で言えば、
    081
    082
    あたりです。

    思考については、第2巻p49
    102
    が面白そう、と、pipitは思っています。


    > 物自体は認識はできないが思考はできる、、、とすれば、物自体について、私自身、不可能だと考え過ぎていたかもしれないのかな?、と。
    >
    >
    > 朝から沼〜(/・ω・)/
    >
    > 【追記】
    >
    > いま、Wikipediaの「ヌーメノン」をみていたら、語源的なギリシャ語の「ヌース」に由来する、「考えられたもの」という意味があるとありました。カントのいう「物自体は思考できる」の「思考」は、これと関連するのかな…?(;´・ω・)
    >
    > 暇になったらもうちょっと調べてみよっと(/・ω・)/<

    ヌーメノンとか絡めての解説が、
    『カント哲学の核心』御子柴善之先生著、p159から載っていました。
    御子柴善之先生の解説文章でいえば
    『悟性は、この事実を見抜きつつ、現象はまさに現象であるから、何かの現象であるはずだと〈考える〉。』p161
    と解説されてて、
    ここら辺ちょうどうましかさんの疑問あたりへの言及になってないかな?と改めて今思いました。

    >
    >
    > https://de.wikipedia.org/wiki/Noumenon (゚Д゚; ) うわぁぁ!! ← 謎の叫び<

    ドイツ語やったーーーーーぁ (;o;)
引用返信/返信 削除キー/

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