(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■19234 / inTopicNo.13)  Re[69]: Z 第一部 説話[17]
  
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/11/23(Tue) 07:41:58)
    No19226に返信(みのりさんの記事)
    > [17] 創造者の道について
    >
    > ・・・・・
    > 27 しかし、きみこそがつねにきみ自身にとって、およそきみが出会いうる最悪の
    >   敵であるだろう。
    >   きみ自身が、もろもろの洞窟や森のなかで、きみを待ち伏せしているのだ。
    > ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p116より引用
    >
    > この章を読み、一番気に入った一文を引用しました。
    > 心にとめておきたい言葉です。
    >
    > この章は飛ばして次回、新しい章に入ります。
    >
    > タイトル「老若の女どもについて」です。 いつもながらタイトルが強烈。(^▽^;)
    > ツァラトゥストラは何を語っているのか、楽しみです。




    なぜ、創造者の章を飛ばすのですか?
引用返信/返信 削除キー/
■19226 / inTopicNo.14)  Z 第一部 説話[17]
□投稿者/ みのり -(2021/11/22(Mon) 08:36:15)
    [17] 創造者の道について

    ・・・・・
    27 しかし、きみこそがつねにきみ自身にとって、およそきみが出会いうる最悪の
      敵であるだろう。
      きみ自身が、もろもろの洞窟や森のなかで、きみを待ち伏せしているのだ。
    ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p116より引用

    この章を読み、一番気に入った一文を引用しました。
    心にとめておきたい言葉です。

    この章は飛ばして次回、新しい章に入ります。

    タイトル「老若の女どもについて」です。 いつもながらタイトルが強烈。(^▽^;)
    ツァラトゥストラは何を語っているのか、楽しみです。

引用返信/返信 削除キー/
■19182 / inTopicNo.15)  みのりさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/21(Sun) 10:41:17)
    No19180に返信(みのりさんの記事)
    > ■No19177に返信(パニチェさんの記事)
    >>おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    >>■No19175に返信(みのりさんの記事)

    > >>restさんのトピからお借りしてきました。

    > >>※ ※ ※ ※ ※
    > >>パニチェからすれば「かみ合っていない」「衝突が生じている」というよりも、ザビビのふくろう氏が確認もせずにのっけから「比類なき先言の<私>」を全く理解していないにもかかわらず、理解しているかのような前提で批判的な(反論的な)投稿をし、これをパニチェが指摘したにもかかわらず、ザビビのふくろう氏は自身の無理解を認めることもなく(パニチェからすれば)強弁や詭弁を繰り返しているたために衝突となっているというのが現時点でのパニチェの見解です。

    > >>一番最初に返信した以下(No18159)
    > >>>> 何が言いたいのかというと、上記のザビビのふくろうさんの反論はウィトゲンシュタインと永井哲学とパニチェが探究しているテーマが混在しており、これを混同した上での反論や批判、つまり藁人形論法になっているということです。

    > >>簡単に言うとパニチェが言っている「比類なき先言の<私>」はパニチェは100%知っているので、ザビビのふくろう氏が述べている「先言の〈私〉」は「比類なき先言の<私>」を全く理解していない「似非比類なき先言の<私>」でしかないということが分っているということです。
    > >>※ ※ ※ ※ ※

    > >>パニチェさんとフクロウさんの議論は複雑化していて完全には把握しきれず、また、議論されている内容そのものも私にはもともと理解が完全ではないものです。
    > >>そうした中ではありますが、一つパニチェさんに確認したい点を書かせていただきます。
    > >>パニチェさんからフクロウさんに向けて、「パニチェ(さん)の〈私〉をフクロウさんが理解しているというなら、どういう内容か書いてみてほしい。」という投稿があったように私は記憶しています。
    > >>こうした投稿をパニチェさんは、フクロウさんに対してされていますよね?
    > >>そして、それに対しての返答は、フクロウさんからありましたか?

    >>そのまま引用しておきますね。

    >>************************************


    >>No 18176 ザビビのふくろう
    >>ただ、私の主張は,簡単に言うと、
    >>1. パニチェさんの「比類なき先言の<私>」は、『論考』で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものである。
    >>2. パニチェさんの「比類なき先言の<私>」についての言説は、無意味である


    >>No18454 ザビビのふくろう
    >>【「先言の〈私〉」について】

    >>「先言の私」というのは、言語主体、すなわち「語る私」を実体化し(デカルト的自我「考える私」のヴァリエーション)、
    >>その主体が言葉を有するのは、その前に、言葉を持たない主体が存在して言葉を習得したからでなくてはならない、という根拠なき因果律の適用(∵“私”が実体でないなら、適用不可)により、存在すると思い込まれた単なる錯覚に過ぎない。

    >>以上の見解の根拠となるP氏の主張を、一応以下に掲げる。
    >>因果関係の思考ではないと言っているが、それ以外のなにものでもない。
    >>そして最後の文。逃げの言い訳(しかも間違っている)。
    >>*******************
    >>(引用)
    >>哲学全般、科学(科学哲学)、仏教etc 8
    >>No17554
    >>>> 直知の対象があるから、直知する主体がある、という因果関係の思考ではないのですか?
    >>>そうではないと思います。
    >>>因果関係もそうですが、思考って言語的になされますよね?
    >>>〈私〉は言語に先んじて(言語を覚える前から)存在する主体です。
    >>>これなくして言語の習得や普遍文法の習得はありえません。

    >><私> の哲学
    >>13.無我説と〈私〉
    >>>先言の〈私〉は言葉に先立つ〈私〉。
    >>>つまり、言語学習をする主体者にして、言語学習以前に存在する〈私〉のこと。
    >>>言語習得後のエピソード記憶(言語的記憶)によって(物心がついた後に)形成される自己連続的(自己統一的)かつ自覚的な「私」は〈私〉とは異なる存在。
    >>>あるいは重層的構造をイメージした場合には、基底なる〈私〉の上に「私」が形成されると考えた方が妥当であるように思う。

    >>哲学全般、科学(科学哲学)、仏教etc 9
    >>No18251
    >>>五識で考えるより、ポイントを絞り「先言」の字面通り、言語と〈私〉で考えた方が分かりやすいです。
    >>>上記と同じように言葉に先んじた主体がなくして、一体どうやって誰が言語を習得できるか、ってことになります。
    >>>但し、これは「先言」を説明しているだけの言葉となり、おそらく万人に共通するであろう「先言的な主体」の説明でしかありません。
    >>***********
    >>逃げのゴタクは要らない。
    >>根拠を提示するだけでよろしい(他人には根拠となる文を引用しろと要求するくせに)。
    >>提示できないなら、それは正しく独断論ってこと。
    >>カンタンな話。


    >>No19035 パニチェ
    >>〈私〉という表記に関して何も理解してない。
    >>ザビビの藁人形製フクロウは形而上学的主体である「私」を常に〈私〉と表記しとるけど何でやねん。
    >>理解してると言うなら説明してみろ。


    >>No19040 パニチェ
    >>アンチ永井なんやろ?
    >>永井の著作も読んで理解した上でアンチやったよな?
    >>〈私〉という表記に関して何も理解してない。
    >>理解してると言うなら説明してみろ。


    >>No19063 ヴィランの梟氏
    >>あのさ。これほどあからさまでなりふりかまわん『論点すり替え』は,めったに見られへんと思うわ(笑)
    >>乗るわけないやん、そんなことすら、わからんの?^^

    >>************************************

    >>以上です。

    > パニチェさん、引用で示していただいてありがとうございます。

    > パニチェさんのNo19035、No19040の投稿
    > それに対するヴィランの梟さんのNo19063の返信。

    > これを示していただいたことにより、私が知りたかった点について把握できました。

    > お手数をおかけしました。

    どういたしまして。
引用返信/返信 削除キー/
■19180 / inTopicNo.16)  パニチェさんへ
□投稿者/ みのり -(2021/11/21(Sun) 10:35:18)
    No19177に返信(パニチェさんの記事)
    > おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。
    >
    > ■No19175に返信(みのりさんの記事)
    >
    >>restさんのトピからお借りしてきました。
    >
    >>※ ※ ※ ※ ※
    >>パニチェからすれば「かみ合っていない」「衝突が生じている」というよりも、ザビビのふくろう氏が確認もせずにのっけから「比類なき先言の<私>」を全く理解していないにもかかわらず、理解しているかのような前提で批判的な(反論的な)投稿をし、これをパニチェが指摘したにもかかわらず、ザビビのふくろう氏は自身の無理解を認めることもなく(パニチェからすれば)強弁や詭弁を繰り返しているたために衝突となっているというのが現時点でのパニチェの見解です。
    >>
    >>一番最初に返信した以下(No18159)
    >>>> 何が言いたいのかというと、上記のザビビのふくろうさんの反論はウィトゲンシュタインと永井哲学とパニチェが探究しているテーマが混在しており、これを混同した上での反論や批判、つまり藁人形論法になっているということです。
    >>
    >>簡単に言うとパニチェが言っている「比類なき先言の<私>」はパニチェは100%知っているので、ザビビのふくろう氏が述べている「先言の〈私〉」は「比類なき先言の<私>」を全く理解していない「似非比類なき先言の<私>」でしかないということが分っているということです。
    >>※ ※ ※ ※ ※
    >
    >>パニチェさんとフクロウさんの議論は複雑化していて完全には把握しきれず、また、議論されている内容そのものも私にはもともと理解が完全ではないものです。
    >>そうした中ではありますが、一つパニチェさんに確認したい点を書かせていただきます。
    >>パニチェさんからフクロウさんに向けて、「パニチェ(さん)の〈私〉をフクロウさんが理解しているというなら、どういう内容か書いてみてほしい。」という投稿があったように私は記憶しています。
    >>こうした投稿をパニチェさんは、フクロウさんに対してされていますよね?
    >>そして、それに対しての返答は、フクロウさんからありましたか?
    >
    > そのまま引用しておきますね。
    >
    > ************************************
    >
    >
    > No 18176 ザビビのふくろう
    > ただ、私の主張は,簡単に言うと、
    > 1. パニチェさんの「比類なき先言の<私>」は、『論考』で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものである。
    > 2. パニチェさんの「比類なき先言の<私>」についての言説は、無意味である
    >
    >
    > No18454 ザビビのふくろう
    > 【「先言の〈私〉」について】
    >
    > 「先言の私」というのは、言語主体、すなわち「語る私」を実体化し(デカルト的自我「考える私」のヴァリエーション)、
    > その主体が言葉を有するのは、その前に、言葉を持たない主体が存在して言葉を習得したからでなくてはならない、という根拠なき因果律の適用(∵“私”が実体でないなら、適用不可)により、存在すると思い込まれた単なる錯覚に過ぎない。
    >
    > 以上の見解の根拠となるP氏の主張を、一応以下に掲げる。
    > 因果関係の思考ではないと言っているが、それ以外のなにものでもない。
    > そして最後の文。逃げの言い訳(しかも間違っている)。
    > *******************
    > (引用)
    > 哲学全般、科学(科学哲学)、仏教etc 8
    > No17554
    > >> 直知の対象があるから、直知する主体がある、という因果関係の思考ではないのですか?
    > >そうではないと思います。
    > >因果関係もそうですが、思考って言語的になされますよね?
    > >〈私〉は言語に先んじて(言語を覚える前から)存在する主体です。
    > >これなくして言語の習得や普遍文法の習得はありえません。
    >
    > <私> の哲学
    > 13.無我説と〈私〉
    > >先言の〈私〉は言葉に先立つ〈私〉。
    > >つまり、言語学習をする主体者にして、言語学習以前に存在する〈私〉のこと。
    > >言語習得後のエピソード記憶(言語的記憶)によって(物心がついた後に)形成される自己連続的(自己統一的)かつ自覚的な「私」は〈私〉とは異なる存在。
    > >あるいは重層的構造をイメージした場合には、基底なる〈私〉の上に「私」が形成されると考えた方が妥当であるように思う。
    >
    > 哲学全般、科学(科学哲学)、仏教etc 9
    > No18251
    > >五識で考えるより、ポイントを絞り「先言」の字面通り、言語と〈私〉で考えた方が分かりやすいです。
    > >上記と同じように言葉に先んじた主体がなくして、一体どうやって誰が言語を習得できるか、ってことになります。
    > >但し、これは「先言」を説明しているだけの言葉となり、おそらく万人に共通するであろう「先言的な主体」の説明でしかありません。
    > ***********
    > 逃げのゴタクは要らない。
    > 根拠を提示するだけでよろしい(他人には根拠となる文を引用しろと要求するくせに)。
    > 提示できないなら、それは正しく独断論ってこと。
    > カンタンな話。
    >
    >
    > No19035 パニチェ
    > 〈私〉という表記に関して何も理解してない。
    > ザビビの藁人形製フクロウは形而上学的主体である「私」を常に〈私〉と表記しとるけど何でやねん。
    > 理解してると言うなら説明してみろ。
    >
    >
    > No19040 パニチェ
    > アンチ永井なんやろ?
    > 永井の著作も読んで理解した上でアンチやったよな?
    > 〈私〉という表記に関して何も理解してない。
    > 理解してると言うなら説明してみろ。
    >
    >
    > No19063 ヴィランの梟氏
    > あのさ。これほどあからさまでなりふりかまわん『論点すり替え』は,めったに見られへんと思うわ(笑)
    > 乗るわけないやん、そんなことすら、わからんの?^^
    >
    > ************************************
    >
    > 以上です。

    パニチェさん、引用で示していただいてありがとうございます。

    パニチェさんのNo19035、No19040の投稿
    それに対するヴィランの梟さんのNo19063の返信。

    これを示していただいたことにより、私が知りたかった点について把握できました。

    お手数をおかけしました。
引用返信/返信 削除キー/
■19177 / inTopicNo.17)  みのりさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/21(Sun) 09:54:23)
    おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。

    No19175に返信(みのりさんの記事)

    > restさんのトピからお借りしてきました。

    > ※ ※ ※ ※ ※
    > パニチェからすれば「かみ合っていない」「衝突が生じている」というよりも、ザビビのふくろう氏が確認もせずにのっけから「比類なき先言の<私>」を全く理解していないにもかかわらず、理解しているかのような前提で批判的な(反論的な)投稿をし、これをパニチェが指摘したにもかかわらず、ザビビのふくろう氏は自身の無理解を認めることもなく(パニチェからすれば)強弁や詭弁を繰り返しているたために衝突となっているというのが現時点でのパニチェの見解です。
    >
    > 一番最初に返信した以下(No18159)
    > >> 何が言いたいのかというと、上記のザビビのふくろうさんの反論はウィトゲンシュタインと永井哲学とパニチェが探究しているテーマが混在しており、これを混同した上での反論や批判、つまり藁人形論法になっているということです。
    >
    > 簡単に言うとパニチェが言っている「比類なき先言の<私>」はパニチェは100%知っているので、ザビビのふくろう氏が述べている「先言の〈私〉」は「比類なき先言の<私>」を全く理解していない「似非比類なき先言の<私>」でしかないということが分っているということです。
    > ※ ※ ※ ※ ※

    > パニチェさんとフクロウさんの議論は複雑化していて完全には把握しきれず、また、議論されている内容そのものも私にはもともと理解が完全ではないものです。
    > そうした中ではありますが、一つパニチェさんに確認したい点を書かせていただきます。
    > パニチェさんからフクロウさんに向けて、「パニチェ(さん)の〈私〉をフクロウさんが理解しているというなら、どういう内容か書いてみてほしい。」という投稿があったように私は記憶しています。
    > こうした投稿をパニチェさんは、フクロウさんに対してされていますよね?
    > そして、それに対しての返答は、フクロウさんからありましたか?

    そのまま引用しておきますね。

    ************************************


    No 18176 ザビビのふくろう
    ただ、私の主張は,簡単に言うと、
    1. パニチェさんの「比類なき先言の<私>」は、『論考』で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものである。
    2. パニチェさんの「比類なき先言の<私>」についての言説は、無意味である


    No18454 ザビビのふくろう
    【「先言の〈私〉」について】

    「先言の私」というのは、言語主体、すなわち「語る私」を実体化し(デカルト的自我「考える私」のヴァリエーション)、
    その主体が言葉を有するのは、その前に、言葉を持たない主体が存在して言葉を習得したからでなくてはならない、という根拠なき因果律の適用(∵“私”が実体でないなら、適用不可)により、存在すると思い込まれた単なる錯覚に過ぎない。

    以上の見解の根拠となるP氏の主張を、一応以下に掲げる。
    因果関係の思考ではないと言っているが、それ以外のなにものでもない。
    そして最後の文。逃げの言い訳(しかも間違っている)。
    *******************
    (引用)
    哲学全般、科学(科学哲学)、仏教etc 8
    No17554
    >> 直知の対象があるから、直知する主体がある、という因果関係の思考ではないのですか?
    >そうではないと思います。
    >因果関係もそうですが、思考って言語的になされますよね?
    >〈私〉は言語に先んじて(言語を覚える前から)存在する主体です。
    >これなくして言語の習得や普遍文法の習得はありえません。

    <私> の哲学
    13.無我説と〈私〉
    >先言の〈私〉は言葉に先立つ〈私〉。
    >つまり、言語学習をする主体者にして、言語学習以前に存在する〈私〉のこと。
    >言語習得後のエピソード記憶(言語的記憶)によって(物心がついた後に)形成される自己連続的(自己統一的)かつ自覚的な「私」は〈私〉とは異なる存在。
    >あるいは重層的構造をイメージした場合には、基底なる〈私〉の上に「私」が形成されると考えた方が妥当であるように思う。

    哲学全般、科学(科学哲学)、仏教etc 9
    No18251
    >五識で考えるより、ポイントを絞り「先言」の字面通り、言語と〈私〉で考えた方が分かりやすいです。
    >上記と同じように言葉に先んじた主体がなくして、一体どうやって誰が言語を習得できるか、ってことになります。
    >但し、これは「先言」を説明しているだけの言葉となり、おそらく万人に共通するであろう「先言的な主体」の説明でしかありません。
    ***********
    逃げのゴタクは要らない。
    根拠を提示するだけでよろしい(他人には根拠となる文を引用しろと要求するくせに)。
    提示できないなら、それは正しく独断論ってこと。
    カンタンな話。


    No19035 パニチェ
    〈私〉という表記に関して何も理解してない。
    ザビビの藁人形製フクロウは形而上学的主体である「私」を常に〈私〉と表記しとるけど何でやねん。
    理解してると言うなら説明してみろ。


    No19040 パニチェ
    アンチ永井なんやろ?
    永井の著作も読んで理解した上でアンチやったよな?
    〈私〉という表記に関して何も理解してない。
    理解してると言うなら説明してみろ。


    No19063 ヴィランの梟氏
    あのさ。これほどあからさまでなりふりかまわん『論点すり替え』は,めったに見られへんと思うわ(笑)
    乗るわけないやん、そんなことすら、わからんの?^^

    ************************************

    以上です。

引用返信/返信 削除キー/
■19175 / inTopicNo.18)  パニチェさんへ
□投稿者/ みのり -(2021/11/21(Sun) 08:55:23)
    2021/11/21(Sun) 09:01:40 編集(投稿者)

    パニチェさん、おはようございます。
    restさんのトピからお借りしてきました。

    ※ ※ ※ ※ ※
    パニチェからすれば「かみ合っていない」「衝突が生じている」というよりも、ザビビのふくろう氏が確認もせずにのっけから「比類なき先言の<私>」を全く理解していないにもかかわらず、理解しているかのような前提で批判的な(反論的な)投稿をし、これをパニチェが指摘したにもかかわらず、ザビビのふくろう氏は自身の無理解を認めることもなく(パニチェからすれば)強弁や詭弁を繰り返しているたために衝突となっているというのが現時点でのパニチェの見解です。

    一番最初に返信した以下(No18159)
    >> 何が言いたいのかというと、上記のザビビのふくろうさんの反論はウィトゲンシュタインと永井哲学とパニチェが探究しているテーマが混在しており、これを混同した上での反論や批判、つまり藁人形論法になっているということです。

    簡単に言うとパニチェが言っている「比類なき先言の<私>」はパニチェは100%知っているので、ザビビのふくろう氏が述べている「先言の〈私〉」は「比類なき先言の<私>」を全く理解していない「似非比類なき先言の<私>」でしかないということが分っているということです。
    ※ ※ ※ ※ ※



    パニチェさんとフクロウさんの議論は複雑化していて完全には把握しきれず、また、議論されている内容そのものも私にはもともと理解が完全ではないものです。

    そうした中ではありますが、一つパニチェさんに確認したい点を書かせていただきます。

    パニチェさんからフクロウさんに向けて、「パニチェ(さん)の〈私〉をフクロウさんが理解しているというなら、どういう内容か書いてみてほしい。」という投稿があったように私は記憶しています。
    こうした投稿をパニチェさんは、フクロウさんに対してされていますよね?

    そして、それに対しての返答は、フクロウさんからありましたか?
引用返信/返信 削除キー/
■19146 / inTopicNo.19)  Re[63]: ひとりごとメモ
□投稿者/ みのり -(2021/11/20(Sat) 11:09:40)
    No19144に返信(パニチェさんの記事)
    > 2021/11/20(Sat) 10:31:58 編集(投稿者)
    >
    > おはようございます、みのりさん。横レス失礼します。
    >
    > ■No19142に返信(みのりさんの記事)
    >
    >>「経験の類似性と言語ゲーム」の例として。
    >>バレーボール部で「ネット持ってきて」と言えば、バレーボールをする時のネットのことだと仲間内では当然伝達可能であり、インターネットをするためのPCを持ってきてという伝達だとは、仲間内では思われない。
    >
    > 的確な例えですね。^^
    > これって日常生活でも教訓になりますよね。
    >
    > 聞きかじりとか、一部を切り取って表記された文とか、インタビューで質問に対する回答を編集して回答だけフォーカスするとか。。。。
    >
    > 噂話とか、人から聞くこと、メディアリテラシーなどなど、気をつけないといけないですね。
    >
    > 言語ゲームを読んでいるにもかかわらず「論語読みの論語知らず」は多いように思います。

    パニチェさん、レスありがとうございます。

    マスコミからの情報の選択の仕方、受け止め方とか、考えないといけないな、と自分のところでも思います。
引用返信/返信 削除キー/
■19144 / inTopicNo.20)  Re[62]: ひとりごとメモ
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/20(Sat) 10:31:35)
    2021/11/20(Sat) 10:31:58 編集(投稿者)

    おはようございます、みのりさん。横レス失礼します。

    No19142に返信(みのりさんの記事)

    > 「経験の類似性と言語ゲーム」の例として。
    > バレーボール部で「ネット持ってきて」と言えば、バレーボールをする時のネットのことだと仲間内では当然伝達可能であり、インターネットをするためのPCを持ってきてという伝達だとは、仲間内では思われない。

    的確な例えですね。^^
    これって日常生活でも教訓になりますよね。

    聞きかじりとか、一部を切り取って表記された文とか、インタビューで質問に対する回答を編集して回答だけフォーカスするとか。。。。

    噂話とか、人から聞くこと、メディアリテラシーなどなど、気をつけないといけないですね。

    言語ゲームを読んでいるにもかかわらず「論語読みの論語知らず」は多いように思います。
引用返信/返信 削除キー/
■19143 / inTopicNo.21)  風景
□投稿者/ みのり -(2021/11/20(Sat) 10:14:09)
    夏の終わりごろだったかな。
    下校途中の小学3年か4年ぐらいの男の子と女の子が、屈託のない笑顔で楽しそうに話しながら手をつないで歩いていたのを見た。
    あまりにも屈託がなく、存在そのものが幸せという笑顔で、見てるほうもとても幸せな気持ちになった。

    昔だったら、その年頃の男の子と女の子が手をつないで歩くって、とんでもないことだったんだろうな。
    第二次大戦中って、男女別クラスだったそうだし。
    かなり昔の話だけど・・・

    屈託のなさというのは、無防備というのとも重なるんだろうな。
    そんなふうにも感じる。
引用返信/返信 削除キー/
■19142 / inTopicNo.22)  ひとりごとメモ
□投稿者/ みのり -(2021/11/20(Sat) 10:00:36)
    2021/11/20(Sat) 11:00:50 編集(投稿者)

    以下に書いていくものは、何かを主張するためのものではなく、考えをメモ的に文章としておくためのものです。
    したがって、読む方には意味不明に感じられたリ、間違いを見つけられたリもすると思うのですが、できればスルーいただければありがたいです。
    (議論などできないので。ただ、議論ではなく、教えてあげるよというスタンスなら歓迎です。)
    ウィトゲンシュタイン言説について何も知らないのだけれど、おもしろそうだなぁ、と直感的に感じる部分を文章にしてみたい、というのが主旨というか、それを書きます。

    以下。『読まずに死ねない哲学名著50冊』平原 卓 著 を参考に書きます。

    前期ウィトゲンシュタインは、「言語と世界は論理を介して対応している」という言語観を持っていたが、後期においては、「言語とは言語ゲームにおける用法である」と論じるようになった。

    生活様式を共有している限りにおいて、言語ゲーム内での「直示的定義」は可能になる。
    経験の類似性が言語ゲームにおける一致の根拠であると考えるのだ。

    「経験の類似性と言語ゲーム」の例として。
    バレーボール部で「ネット持ってきて」と言えば、バレーボールをする時のネットのことだと仲間内では当然伝達可能であり、インターネットをするためのPCを持ってきてという伝達だとは、仲間内では思われない。

    ・・・・・
    世界に根本要素は存在せず、それに対応する言語の根本単位もまた存在しないという立場から、言語の要素は観点に相関した「範型」(パラダイム)であり、叙述のためにつくり出され、用いられる道具であると考える。

    ※ 「範型」 言葉はあらかじめ決まった意味をもっているのではなく、経験の共通部分を切り出して作られる「道具」だということ。

    ・・・・・同書p329より引用

    例で考えてみます。
    「蕾」と言うと植物の花の蕾が連想されることが多いですが、
    あるものがまだ花開いていなくこれから咲くことが予想できる場合を指して、
    「蕾」という表現が用いられたリします。
    彼女の夢はまだ蕾だが、やがて花開くだろう。
    というように。

    また、「車」と言う時、家族などでこの言葉を使う時、自分の家の自家用車を指すことが多いと思うのですが(共通する生活様式での言語ゲームの最たる例)、
    「車」に別の言葉をくっつけた「台車、歯車、自転車、消防車 などなど」の言葉もたくさんあり、まさに言語は道具である、ということがわかると思います。

    ここで再び、最初に書いた

    >>前期ウィトゲンシュタインは、「言語と世界は論理を介して対応している」という言語観を持っていたが、後期においては、「言語とは言語ゲームにおける用法である」と論じるようになった。<<

    このことの意味に納得がいくように思えます。

引用返信/返信 削除キー/
■19110 / inTopicNo.23)  田秋さんへ
□投稿者/ みのり -(2021/11/19(Fri) 13:27:43)
    2021/11/19(Fri) 13:31:09 編集(投稿者)

    田秋さん、こんにちは〜。

    今日は小春日和という感じの暖かさです。


    放送大学のお勉強を楽しみながらされているのを拝見して、素敵な時間の
    過ごし方をされているなぁ、と感じていました。
    田秋さんの暮らし方そのものが素敵なんですね。
    生活のいろいろを丁寧にされているのが伝わってきます。

    私も田秋さんをお手本に、これからの生活をさらに楽しみたいです。

引用返信/返信 削除キー/
■19102 / inTopicNo.24)  Re[59]: 健康を保つ
□投稿者/ 田秋 -(2021/11/19(Fri) 09:14:31)
    おはようございます、みのりさん

    本当に1年経つのが早いですね。特に放送大学に入ってからは勉強に追いまくられて1週間が3日くらいに感られます。人生の終点なんて考えもしない20歳前後の大学生なら問題ありませんが、先が見えてきてのこの時間経過のスピード感に、マジで恐怖を感じたりすることもあります。でも勉強が好きなので止められまへん・・・

    ツァラトゥストラを読む!マイペースで頑張って下さい。ボクもばんがる!


引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -