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No19142 の記事


■19142 / )  ひとりごとメモ
□投稿者/ みのり -(2021/11/20(Sat) 10:00:36)
    2021/11/20(Sat) 11:00:50 編集(投稿者)

    以下に書いていくものは、何かを主張するためのものではなく、考えをメモ的に文章としておくためのものです。
    したがって、読む方には意味不明に感じられたリ、間違いを見つけられたリもすると思うのですが、できればスルーいただければありがたいです。
    (議論などできないので。ただ、議論ではなく、教えてあげるよというスタンスなら歓迎です。)
    ウィトゲンシュタイン言説について何も知らないのだけれど、おもしろそうだなぁ、と直感的に感じる部分を文章にしてみたい、というのが主旨というか、それを書きます。

    以下。『読まずに死ねない哲学名著50冊』平原 卓 著 を参考に書きます。

    前期ウィトゲンシュタインは、「言語と世界は論理を介して対応している」という言語観を持っていたが、後期においては、「言語とは言語ゲームにおける用法である」と論じるようになった。

    生活様式を共有している限りにおいて、言語ゲーム内での「直示的定義」は可能になる。
    経験の類似性が言語ゲームにおける一致の根拠であると考えるのだ。

    「経験の類似性と言語ゲーム」の例として。
    バレーボール部で「ネット持ってきて」と言えば、バレーボールをする時のネットのことだと仲間内では当然伝達可能であり、インターネットをするためのPCを持ってきてという伝達だとは、仲間内では思われない。

    ・・・・・
    世界に根本要素は存在せず、それに対応する言語の根本単位もまた存在しないという立場から、言語の要素は観点に相関した「範型」(パラダイム)であり、叙述のためにつくり出され、用いられる道具であると考える。

    ※ 「範型」 言葉はあらかじめ決まった意味をもっているのではなく、経験の共通部分を切り出して作られる「道具」だということ。

    ・・・・・同書p329より引用

    例で考えてみます。
    「蕾」と言うと植物の花の蕾が連想されることが多いですが、
    あるものがまだ花開いていなくこれから咲くことが予想できる場合を指して、
    「蕾」という表現が用いられたリします。
    彼女の夢はまだ蕾だが、やがて花開くだろう。
    というように。

    また、「車」と言う時、家族などでこの言葉を使う時、自分の家の自家用車を指すことが多いと思うのですが(共通する生活様式での言語ゲームの最たる例)、
    「車」に別の言葉をくっつけた「台車、歯車、自転車、消防車 などなど」の言葉もたくさんあり、まさに言語は道具である、ということがわかると思います。

    ここで再び、最初に書いた

    >>前期ウィトゲンシュタインは、「言語と世界は論理を介して対応している」という言語観を持っていたが、後期においては、「言語とは言語ゲームにおける用法である」と論じるようになった。<<

    このことの意味に納得がいくように思えます。

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