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■17319 / inTopicNo.37)  みのりさんへ
  
□投稿者/ pipit -(2021/10/07(Thu) 21:11:52)
    No.17316
    みのりさん、ありがとうございます!


    パーリ仏典の
    『ウダーナ』1.10(PTS Text,pp.6-9.)
    菩提品第一
    10 バーヒヤ
    という章の最後に、涅槃の表現があるんです。
    石飛道子先生の訳がネットで見れて、石飛先生の訳の最後部分を引用させていただきます
    m(_ _)m
    『心にしみる原始仏典』
    manikana.la.coocan.jp/canon/bahiya.html


    『水も、地も、火も、風も、堅固に存在することのないところ、そこでは、星もまたたくことがなく、太陽も輝かない。
    そこでは、月も現れることがなく、そこでは、闇も存在しない。
    バラモンである聖者が、自己の寂黙によって知ったとき、かれは、形あるものからも形のないものからも、苦楽から解脱する。』

    意識にしろ、なんにしろ、自らが知ることが叶ったら嬉しいなと思います。

    すごく示唆に富んだコメントをいろいろありがとうございます!
引用返信/返信 削除キー/
■17316 / inTopicNo.38)  pipitさんへ
□投稿者/ みのり -(2021/10/07(Thu) 20:40:48)
    No17311に返信(pipitさんの記事)
    > あ、お聞きしたいのですが、
    >
    > 一つの意識の外、ってあると思われてますか?
    >
    > 存在でない領域、って 、、
    >
    > うーん。
    >
    > ?
    >
    > 存在は意識の内だとすると、意識の外って、どんな風に捉えられていますか?

    (一つの)意識の外ですか〜。
    知りえない、というのが一番しっくりきます。
    考えても解らないことなのかな、って。

引用返信/返信 削除キー/
■17311 / inTopicNo.39)  Re[47]: みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/10/07(Thu) 19:50:16)
    あ、お聞きしたいのですが、

    一つの意識の外、ってあると思われてますか?

    存在でない領域、って 、、

    うーん。



    存在は意識の内だとすると、意識の外って、どんな風に捉えられていますか?
引用返信/返信 削除キー/
■17310 / inTopicNo.40)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/10/07(Thu) 19:47:07)
    みのりさん、こんばんはー(*^◯^*)

    No17304に返信(みのりさんの記事)
    > pipitさん、こんにちは〜。 勝手に引用しちゃってすみませんでした。<

    全然かまわないです、これからもわたしのコメントに関しては全くご自由にされてください!(*^◯^*)v


    >>個別意識が本当は一つの大きな意識って、
    >>
    >>構造の考え方としては、例えば、電気みたいな感じでしょうか?
    >>
    >>スマホを動かしたり、電子ジャーでご飯を炊いたり、個別の働きしてるようでも、
    >>全部電気、みたいな。
    >>
    >>電子ジャーが壊れて電子ジャーの中で電気が働くことができなくなっても、電気は電気みたいな。
    >
    > うん、イメージ、比喩として適切な感じだと思います。
    > とりあえず、具体的なことに置き換えて理解してみて、別の角度から分かって来たとしたらまた、別のイメージ、比喩が浮かんだりすると思いますし。
    >
    > これまでもよく出て来てる、「スクリーンとそこに上映される個別の映画」でも、
    > 一つの意識と個別の意識の喩えになっていますよ。
    > もちろん、スクリーンが一つの意識です。
    > ラマナマハルシというアドヴァイタの覚者が最初に使った喩えだそうです。
    > 個別の映画(個別の意識があるみたいに思う人間のそれぞれのストーリー)が上映されてない時でも、スクリーンは在りますよね。
    >
    > あと、考えたのは。
    > カント認識論の「感性の形式」の時間・空間がそれぞれに無限である状態。
    > これが一つの意識とも言えるかな、と。(あくまで私の中での考えです。)
    > その、それぞれに無限なのをギューツと人間仕様に凝縮して私たちの個別の意識みたいにしている、というもの。<

    ありがとうございます!
    とりあえずの今段階としては、電気の構造が、腑に落ちました。
    またどんどん腑に落ち方が変化するのだろうと思っています。

    自分の意識って、めちゃ固有な感じがしてたのが、
    電気と同じかんじと思うと、サンカーラ(条件で現れたもの)って思えて、
    気持ちが少し安らぐ気がします。

    みのりさんのコメントを読んだ縁ですね、嬉しいです、ありがとうございます
    (#^.^#)

    おつかれさまです♪
引用返信/返信 削除キー/
■17304 / inTopicNo.41)  Re[45]: 意識
□投稿者/ みのり -(2021/10/07(Thu) 18:05:48)
    No17300に返信(pipitさんの記事)
    > みのりさん、こんにちは(*^▽^*)♪
    > ちょっとお聞きしていいでしょうか?

    pipitさん、こんにちは〜。 勝手に引用しちゃってすみませんでした。

    > 個別意識が本当は一つの大きな意識って、
    >
    > 構造の考え方としては、例えば、電気みたいな感じでしょうか?
    >
    > スマホを動かしたり、電子ジャーでご飯を炊いたり、個別の働きしてるようでも、
    > 全部電気、みたいな。
    >
    > 電子ジャーが壊れて電子ジャーの中で電気が働くことができなくなっても、電気は電気みたいな。

    うん、イメージ、比喩として適切な感じだと思います。
    とりあえず、具体的なことに置き換えて理解してみて、別の角度から分かって来たとしたらまた、別のイメージ、比喩が浮かんだりすると思いますし。

    これまでもよく出て来てる、「スクリーンとそこに上映される個別の映画」でも、
    一つの意識と個別の意識の喩えになっていますよ。
    もちろん、スクリーンが一つの意識です。
    ラマナマハルシというアドヴァイタの覚者が最初に使った喩えだそうです。
    個別の映画(個別の意識があるみたいに思う人間のそれぞれのストーリー)が上映されてない時でも、スクリーンは在りますよね。

    あと、考えたのは。
    カント認識論の「感性の形式」の時間・空間がそれぞれに無限である状態。
    これが一つの意識とも言えるかな、と。(あくまで私の中での考えです。)
    その、それぞれに無限なのをギューツと人間仕様に凝縮して私たちの個別の意識みたいにしている、というもの。



引用返信/返信 削除キー/
■17301 / inTopicNo.42)  Re[45]: 意識
□投稿者/ pipit -(2021/10/07(Thu) 16:53:07)
    No.17300
    誤解してるかもだけど、もし、意識もそう考えるなら(電気みたいなら)、
    とてもおもしろいと思いました。

    Σ(・□・;)シンセンー

    関連して書き込みいただいてありがとうございます!
    (誤読してたらすみません!)
引用返信/返信 削除キー/
■17300 / inTopicNo.43)  Re[44]: 意識
□投稿者/ pipit -(2021/10/07(Thu) 16:47:16)
    みのりさん、こんにちは(*^▽^*)♪
    ちょっとお聞きしていいでしょうか?

    個別意識が本当は一つの大きな意識って、

    構造の考え方としては、例えば、電気みたいな感じでしょうか?

    スマホを動かしたり、電子ジャーでご飯を炊いたり、個別の働きしてるようでも、
    全部電気、みたいな。

    電子ジャーが壊れて電子ジャーの中で電気が働くことができなくなっても、電気は電気みたいな。




引用返信/返信 削除キー/
■17298 / inTopicNo.44)  Re[43]: 意識
□投稿者/ みのり -(2021/10/07(Thu) 13:46:17)
    意識=気づき=真我 と言われるような「何か」は、すべてに先立って存在する。
    と、言えると思います。
引用返信/返信 削除キー/
■17297 / inTopicNo.45)  Re[42]: 意識
□投稿者/ みのり -(2021/10/07(Thu) 13:32:18)
    2021/10/07(Thu) 13:43:00 編集(投稿者)

    原初の人間も「歯が痛い、頭が痛い」はあったと思うけど、
    私の歯が痛い、私の頭が痛い というのは解らずに、
    言語表現できない強烈な不快さ、だけを感じていたのだと想像します。

    誰のものでもない強烈な不快さ、だけを感じる、というか。

    自我意識が発生してからは、「私の○○が不快だ、もやもやする」みたいになったんだろうな。(不快、もやもや という言葉も原初人は使ってないに決まってるけど、表現上使うしかない)
    歯、頭、痛い という言葉が生まれる前に、自他分別は発生してたと思うので、今書いたみたいになると考えます。


    こう考えると、もともと、すべてのものは誰のものでもないんですね。
    すべてはただ在った、ということ。 
引用返信/返信 削除キー/
■17296 / inTopicNo.46)  Re[41]: 意識
□投稿者/ みのり -(2021/10/07(Thu) 13:19:02)
    2021/10/07(Thu) 13:22:30 編集(投稿者)

    個別の意識の外に出る、というのは、「個として私」という考えを100%失った時には可能かもしれないですね。

    その時は、「ただ存在している」のだと思います。
    あるいは、「存在している」ことさえ気づいていないかもしれないですね。
    (原初の人間がそうであったと思います。)

    ただ、いつもそれだと現代人的日常生活が送れなくなると思います。
引用返信/返信 削除キー/
■17295 / inTopicNo.47)  Re[40]: 意識
□投稿者/ みのり -(2021/10/07(Thu) 13:08:33)
    一つしか存在しない存在論的な「意識」=「気づき」「真我」。
    ここから、人間の脳の発達によって、相手と自分を「分ける」考え方が生まれ、そこから自我意識として発達してきたのだと考えています。

    自我意識が発生する前の人間は、「ただ、 存在しているということに気づいている」だったのだと思います。 自他の区別もなく。
    その頃はまさに、「存在するということ = 意識のうちにある」だったのではないかな、と考えます。
引用返信/返信 削除キー/
■17294 / inTopicNo.48)  意識
□投稿者/ みのり -(2021/10/07(Thu) 12:57:52)
    2021/10/07(Thu) 14:37:35 編集(投稿者)
    2021/10/07(Thu) 14:36:01 編集(投稿者)

    pipitさんの御投稿をお借りしました。


    >わたしは、この、意識の外の存在に出てみたいの。

    >意識の外を知ることなんか、意識には無理なんかな。


    pipitさんが書かれている「意識」というのは、pipitさんご自身の意識、という意味なのかな、と思いました。
    その自分の「意識」の外に出てみたい、ということなのでしょうね。


    私の考えを書いてみます。 あくまで私の考えです。
    私は、「存在するということ = 意識のうちにある」だと考えています。
    存在論的な意識ですね。
    ここでの意味の「意識」は、一つしかない「意識」です。
    全体性の意識です。

    つまり、もともと人間は、一つしかない「意識」のうちにあるのだけれど、個別の人間がたくさん存在しているのだから、意識も当然に個別にあるのだと考えていて、それが常識のようになっているのだと思うのです。

    誰か、例えばAさんとして、その人が爆睡中であっても亡くなったとしても、世界は存在し続けます。
    一つの「意識」のうちにすべては存在するからです。
    宇宙でさえ、その一つの「意識」のうちに存在するものだと思います。

    脳と意識の関連は? という問題も出ると思います。
    (そのあたりに関しそうな考察を、この後のほうの投稿で少しだけしてみました。原初人の「痛み」として。)


    意識という言葉だと紛らわしいので、アドヴァイタや非二元などでは、意識という言葉よりも(それを使う人もいるけれど)、「気づき」「真我」などの言葉で示されます。




引用返信/返信 削除キー/

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