| 2021/09/28(Tue) 08:44:09 編集(投稿者)
[14] 友人について
・・・・・ 19 きみは自分の友人にとって、清く澄んだ空気にして孤独、パンにして薬であるか? 自分自身の鎖を解くことができないにもかかわらず、友人にとっては一人の 救済者である者が、少なくないのだ。 ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p103より引用
穏やかで美しさも感じられる表現だと思います。 あえて、解釈はしないでおきます。 このままを味わうほうがいいと思うので。
・・・・・ 23 今なお女には友情を結ぶ能力がない。女どもは依然としてネコであり、鳥 である。 あるいは、せいぜいのところ、雌ウシなのだ。
24 今なお女には友情を結ぶ能力がない。だが、わたしに言え、君たち男どもよ、 きみたちのうちの誰に、いったい、友情を結ぶ能力があるか?
25 おお、きみたち男どもよ、きみたちは魂がなんと貧しいことよ、なんとけち くさいことよ! きみたちが友人に与えるほどのものなら、わたしは自分の 敵にだって与えるだろう。そうしたからとて、わたしは別に、それだけ貧しく なりはしないであろう。
26 仲間同士の親しみというものはある。友情があるとよいのだが! ・・・・・同書 p104より引用
おもしろいなと思うので、いつくも引用しました。 このあたりは、読む人によって受ける印象も違うこと多しかもしれないですね。
私は、最後の26に、この章が集約されていると感じました。 仲間同士で親しむことについて、ニーチェは特に否定してはいないとあくまで 私はですが考えます。 たしか、ニーチェ自身、下宿先のおかみさんやその子供たちと親しく交流したそうです。 ただ、ニーチェにとって真の友人、友情というのは、親しみあう仲間というよりも、 精神的に自立した者どうしが共に高め合い、尊敬できるような関係なのだと考えました。
これで、この章は終了です。
次回から、「千一の目標について」というタイトルの章に入ります。 まだまったく読んでないので、どんな内容なのかわかりません。
♪ パニチェさん、トピの作成ありがとうございました。
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