| 2021/10/14(Thu) 20:37:59 編集(投稿者)
■No17535に返信(パニチェさんの記事)
> お陰様で本当に充実した実験ができました。 > 言葉で表現できないものを指し示すことによって、どれだけ他者に伝えられることができるか?という実験は初めての経験でしたし、しかも大成功でした。 > 大成功だったのは、みのりさんが何の先入観も持たず、純粋な好奇心と理解してみようという真摯なスタンスだったからだと思います。 > 私の方こそ感謝です。
そう言っていただけるとほんとうに有難いです。 今だから言えますが、やりとりに際してけっこう緊張してて、アイスの食べ過ぎもあり、胃が痛くなったりもしてたんですよ〜(笑) 教えてください、って言って、ちっとも理解できなかったらどうしよ〜、ハズイよね〜ねみたいに。(笑)
> 今なら以下のウィトゲンシュタインの言わんとしていることが分かるのではないでしょうか。 > 〈私〉が言葉で他者に伝わらないもどかしさを言葉にしています。後半はちょい分かり難い表現になっていますが。。。 > > 【私はこう言おう。「正直なところを言えば、たしかに、私には他の誰にもない何かがあると言わねばならない」、と。──だが、その私とは誰だ。──くそっ。私の言い方はまずいがそこに何かがあるんだ!君だって私の個人的な経験というものがあり、またそれには最も重要な意味での隣人というものがないことを否定すまい。──だが君はそれがたまたま孤独だと言うつもりではないだろう。君の言いたいのはその何かの文法上の位置が隣人のない場所にあるということだろう。「しかしどうしたわけか我々の言語には、そこに他と比べることのできない何か、すなわち真に現前している経験、があるということがあらわれてはこないのだ。私はそのことに甘んずるべきだと君は言いたいのか。」(おかしいことに、日常生活で日常言語を使っていて何かに甘んじなければならないと我々が感じることはまったくない。)ウィトゲンシュタイン全集6『「個人的経験」および「感覚与件」について P.323』より】
・・・・・ 「しかしどうしたわけか我々の言語には、そこに他と比べることのできない何か、すなわち真に現前している経験、があるということがあらわれてはこないのだ。私はそのことに甘んずるべきだと君は言いたいのか。」(おかしいことに、日常生活で日常言語を使っていて何かに甘んじなければならないと我々が感じることはまったくない。) ・・・・・
去年にも出していただいた文章ですね。^^ 去年は、前半部分もうっすら理解できるぐらいの感じでしたし、今、自分で引用してみた後半部分に関しては、何がなんだか理解できなかったのですが、今はたしかになんとなく理解できます。
>(おかしいことに、日常生活で日常言語を使っていて何かに甘んじなければならないと我々が感じることはまったくない。)<
この部分がおもしろい、と思うんですよね。 日常会話は人と人との間で、それなりに意思の疎通がなされるから会話ができる。 でも、〈私〉は、表現できない。 なぜ、日常会話を人と人との間では自然になすことができるのか、これについて多分、ヴィトゲンシュタインはどこか別のところで(著作などで)言ってるんだとは思いますけど・・・もしかしたら、言語ゲームが絡んでくるのかな、とは想像してます。
前半部分に関しては、今はよくわかるようになってました。
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