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■18175 / inTopicNo.25)  Re[45]: 〈私〉についての議論
  
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/11/02(Tue) 18:39:29)
    No18157に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > お邪魔しちゃうポン。

    お久しぶり。元気そうで何より^^

    > 黄昏に飛び立つふくろうさん、
    > ■18151、
    > なんかおもしろそう。

    ありがと。

    > ふくろうさんに、ちょっと聞いていい?
    > >それが「言語習得以前の主体」であるのなら、それは発達心理学などの対象になる、語りうる世界内存在者にすぎず<
    > の、>それ<って何を指してるの?

    “先言の〈私〉”

    だよん。
引用返信/返信 削除キー/
■18159 / inTopicNo.26)  Re[44]: 〈私〉についての議論
□投稿者/ パニチェ -(2021/11/01(Mon) 20:39:18)
    2021/11/02(Tue) 07:15:45 編集(投稿者)

    はじめまして、ザビビのふくろうさん。ようこそニーチェクラブへ。
    レスありがとうございます。
    ザビビのふくろうさんのNo18150の返信は気配りと誠意を感じました。
    私も一切の忖度抜きでストレートに返信させてもらいます。

    まず結論から言うと今回のザビビのふくろうさんのレスまたは反論はあまり刺激になるような内容ではなく、足元の地面が揺るぐような批判(笑)ではななかったです。
    ザビビのふくろうさんも補足されているように。。。

    > ただ、パニチェさんが、ご自身の考えとウィトゲンシュタインの考えとの異同をどう考えてらっしゃるのかが未だ把握できていないので、そのあたり、的外れになったら申し訳ありません。

    上記に尽きると思います。順を追って説明します。

    1、「比類なき先言の<私>」というのはパニチェのオリジナルテーマであり、それこそ物心ついた時からのライフホビー的な(ライフワークというほど大袈裟なものではないのでいつもライフホビーと表現してます)テーマであって、もともとは永井均氏やウィトゲンシュタインとは無関係です。
    但し、おそらく永井均氏が永井哲学の主要テーマとしている〈私〉とは同類(原理的に同じではありえないので)のものであるとは考えていますが、永井均氏に対しても異論や反論はありまます。

    2、ウィトゲンシュタインがパニチェや永井均氏と同類のテーマについて「語りえないもの」としていたかどうかについては、永井均的ウィトゲンシュタイン解釈をある程度のところまで支持していますが、ザビビのふくろうさんも述べている通り「専門家の間でも定説的解釈と言えるものがなかなかない」ので、断定的な解釈はしておりません。但し「比類なき先言の<私>」の探究ツールとしては有益だと思っています。

    3、先のレスから「ウィトゲンシュタイン(特に『論考』)解釈においては、アンチ永井均の立場」というところが見えませんし、「そ〜と〜な永井嫌い」である理由も分かりません。ウィトゲンシュタイン解釈についてのアンチ永井であるとしても、永井氏の主要テーマである「〈私〉の存在の比類なさ」をザビビのふくろうさんが理解されているとは(先のレスからして)到底思えず、この理解なしに「ウィトゲンシュタイン解釈においては、アンチ永井均の立場」というのはナンセンスであると思います。

    4、私のレスの引用もなく、ザビビのふくろうさんが解釈するパニチェの主張に対する反論というのは藁人形論法です。自分が主張していないことについての反論は誤解を解くところからとなり私にとっては時間と労力に見合うような価値を見出せません。一方的に自分の意見や見解を述べるのではなく、少なくとも相手の言説を引用した上でその言説に対する批判や反論という形をとっていただかないと的を射た生産的な議論はできないと思います。

    5、上記のことが後出しジャンケンでないことはニーチェクラブの「Panietzsche Room > 探究 >〈私〉の哲学」を見ていただければお分かりいただけると思います。

    例えば以下。。。

    > ところで、『論考』の独我論は、その要として
    >  私は私の世界である
    > と言われていますから、前述の意味で、
    >  私は私の言語世界である
    > ということになります。
    > 当然、〈私〉が存在するときは言語世界が存在します。
    > ゆえに、
    >  〈私〉が存在するとき、常に既に、言語が存在します。
    > というわけで、少なくとも『論考』の〈私〉は、「先言の〈私〉」と同じものではありません。

    ウィトゲンシュタインが述べているのは「5.6言語の限界が私の世界の限界を意味する」あるいは「5.62世界が私の世界であることは、唯一の言語(私が理解する唯一の言語)の限界が私の世界の限界を意味することに、示されいる。」であって、「私は私の世界である」あるいは「私は私の言語世界である」とは微妙にニュアンスが違います(ウィトゲンシュタインがここでスポットを当てているのは、ザビビのふくろうさんが主語としている「私」でなはく「私の世界」です)。

    さらにウィトゲンシュタインは〈私〉という表記を論考では用いておりません。〈私〉という表記は永井哲学独特の表記であり、永井哲学に対する反論なのか、永井氏のウィトゲンシュタイン解釈に対する反論なのかも分かりませんし、さらに「先言の〈私〉」はパニチェのオリジナル用語であり、ウィトゲンシュタインはもちろん、永井氏もパニチェが知る限り用いておりません。

    何が言いたいのかというと、上記のザビビのふくろうさんの反論はウィトゲンシュタインと永井哲学とパニチェが探究しているテーマが混在しており、これを混同した上での反論や批判、つまり藁人形論法になっているということです。対象となるレスの引用がないので、永井氏のウィトゲンシュタイン解釈に対する反論なのか、パニチェのウィトゲンシュタイン解釈に対する反論なのか(私のウィトゲンシュタイン解釈を説明したレスはないと思います。みのりさんに〈私〉を伝えるため永井氏の「『青色本』を掘り崩す──ウィトゲンシュタインの誤謬」という著書から引用はしましたが,あくまで〈私〉を説明するためのツールとしての引用です)、永井哲学に対する批判なのか、パニチェの「比類なき先言の<私>」に対する批判なのかよく分かりません。

    もし議論するのであれば。。。
    1.ウィトゲンシュタインの論考に関する解釈(これは10年ほど前にYahoo!掲示板で善財さんやゲットさんと行いましたので、あまり興味はわきません)
    2.永井均氏のウィトゲンシュタイン解釈(これも先に述べた通り、現時点で解釈を固定させるつもりがないので興味がありません)
    3.永井哲学(〈私〉の存在の比類なさ)に関する議論
    4.パニチェの「比類なき先言の<私>」に関する議論
    上記の4つのどれかに絞る必要がありますが、3も4も〈私〉に関するある程度の理解がなければ不毛となるように思います。

    せっかくレスをいただいたので、ザビビのふくろうさんに聞きたいのですが、以下のウィトゲンシュタインの言説はどのように解釈されますか?

    『私はこう言おう。「正直なところを言えば、たしかに、私には他の誰にもない何かがあると言わねばならない」、と。──だが、その私とは誰だ。──くそっ。私の言い方はまずいがそこに何かがあるんだ!君だって私の個人的な経験というものがあり、またそれには最も重要な意味での隣人というものがないことを否定すまい。──だが君はそれがたまたま孤独だと言うつもりではないだろう。君の言いたいのはその何かの文法上の位置が隣人のない場所にあるということだろう。「しかしどうしたわけか我々の言語には、そこに他と比べることのできない何か、すなわち真に現前している経験、があるということがあらわれてはこないのだ。私はそのことに甘んずるべきだと君は言いたいのか。」(おかしいことに、日常生活で日常言語を使っていて何かに甘んじなければならないと我々が感じることはまったくない。)ウィトゲンシュタイン全集6『「個人的経験」および「感覚与件」について P.323』より』


    > ニークラという場の空気も一切考慮せず、突然で失礼かもしれないですが・・・
    > 歯に衣着せぬ物言い、ご容赦くださいm(__)m

    お気遣いなく全然大丈夫です♪^^
引用返信/返信 削除キー/
■18157 / inTopicNo.27)  Re[44]: 〈私〉についての議論
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/11/01(Mon) 19:38:20)
    お邪魔しちゃうポン。

    黄昏に飛び立つふくろうさん、
    ■18151、
    なんかおもしろそう。

    ふくろうさんに、ちょっと聞いていい?
    >それが「言語習得以前の主体」であるのなら、それは発達心理学などの対象になる、語りうる世界内存在者にすぎず<
    の、>それ<って何を指してるの?

引用返信/返信 削除キー/
■18151 / inTopicNo.28)  Re[43]: 〈私〉についての議論
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/11/01(Mon) 17:45:56)
    パニチェさん

    ご承知だと思いますが、
    『論考』における“私の世界”とは、“私の言語”が語る世界です。
    「語りえぬ世界」というのは語義矛盾です。
    したがって、世界とは本質的に言語世界(言語によって語られる世界)のことです。
    だからこそ、
    言語の論理=世界の論理
    のわけです。

    ところで、『論考』の独我論は、その要として
     私は私の世界である
    と言われていますから、前述の意味で、
     私は私の言語世界である
    ということになります。
    当然、〈私〉が存在するときは言語世界が存在します。
    ゆえに、
     〈私〉が存在するとき、常に既に、言語が存在します。

    というわけで、少なくとも『論考』の〈私〉は、「先言の〈私〉」と同じものではありません。
    というより、『論考』の思想によれば世界は本質的に言語世界なので、「言語以前の(言語が存在しない)世界」は語義矛盾であり、(超越論的意味での)言語以前のいかなるものも、思考不可能・言語表現不可能です。
    それゆえ、“先言の〈私〉”なるものは、意図されているところでは言語の限界どころか言語を超越していることになると思われますので、だとしたらそれは当然言語によって語りも示しもできません。
    よって、「先言の〈私〉」という記号列は端的に無意味であり、言語表現ではありえません。
    したがって、この“先言の〈私〉”についての言説は、宗教的言語ゲームではありえても、哲学ではありません(一応、『論考』T.6.53で推奨されている哲学的実践のつもりです)。
    そしてもし、それが「言語習得以前の主体」であるのなら、それは発達心理学などの対象になる、語りうる世界内存在者にすぎず、少なくとも『論考』の〈私〉とは何の関係もありません。
    *************
    以上です。
    歯に衣着せぬ物言い、ご容赦くださいm(__)m

引用返信/返信 削除キー/
■18150 / inTopicNo.29)  Re[42]: 〈私〉についての議論
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/11/01(Mon) 17:43:00)
    パニチェさん
    はじめまして。
    ザビビのふくろうといいます。
    ただのウィトゲンシュタイン好きの哲ヲタです。

    ちょっと読ませてもらったところ、パニチェさんは相当なウィトゲンシュタイン好きで、非常によく勉強されていることもわかりました(なんか上から目線の物言いに感じられたらすみませんm(__)m)。
    ただ、私はたまたま、パニチェさんとは違い、ウィトゲンシュタイン(特に『論考』)解釈においては、アンチ永井均の立場なんです。
    そんなもんで、パニチェさんの論考をいくつか、ざっと読ませてもらったのですが、残念ながら、正直、違和感ありまくりだったんです。
    でもまあ専門家の間でも定説的解釈と言えるものがなかなかないウィトゲンシュタイン解釈なので、ここで私などがごちゃごちゃいちゃもんつけても意味ないかと思ってました。
    しかし、ここ最近、ついついこのニークラによく来てしまって、いろいろ読んでいるうちに、たまに批判があるのもパニチェさんの刺激になって悪くないかもという気がだんだんしてきたというか、なんか言いたくなってきたんです。わかってもらえるんじゃないかと思うんですが、なにせ私はそ〜と〜な永井嫌いなもので(笑)
    それで、No17912での永井の引用文に共感されているパニチェさんからすると迷惑なだけかもしれませんが、忖度無視で批判的見解を以下に少し述べさせてもらいたいと思います。

    ただ、パニチェさんが、ご自身の考えとウィトゲンシュタインの考えとの異同をどう考えてらっしゃるのかが未だ把握できていないので、そのあたり、的外れになったら申し訳ありません。
    とは言え、あまり細かい議論をする余裕がありませんので、パニチェさんの『論考』に関する知識を前提にして、なるべく簡潔に、かつ、できるだけ本質的な点に絞って爆弾投下したいなと思っています。
    気持ちとしてはできるだけ、パニチェさんの足元の地面を揺るがすくらいに(笑)。
    それでももし、私の思惑に反して、私の批判がパニチェさんにとって何ら珍しいものでないか、あるいは、No17912で引用された永井と同様な考えで、パニチェさんにとってあまり反論意欲がわかないのであれば、遠慮なくその旨を述べていただいてもいいですし、いずれにしてもごく簡単な応答でかまいません。読んでくださった方に、『論考』の独我論解釈には、こういう観方もあるということを知ってもらえるだけでも投稿の意味は十分あると思いますので。
    ニークラという場の空気も一切考慮せず、突然で失礼かもしれないですが、よろしくお願いします。

引用返信/返信 削除キー/
■17987 / inTopicNo.30)  Re[45]: ウィトちゃんの序文
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/26(Tue) 18:19:19)
    ■17976、おくたがわさん、ありがとございま〜す。
    たしかにニュアンスかわる感じ〜。

    ウィトちゃん、賢い人なんだろうな〜、っていうのわたしにもあったのかも。
    わたしのばあい、もう一箇所あるのね、最初のほうの、
    『理解してくれる』っていうところを、わたし「理解できる」って見ちゃったのかも。

引用返信/返信 削除キー/
■17976 / inTopicNo.31)  Re[44]: ウィトちゃんの序文
□投稿者/ おくたがわ -(2021/10/25(Mon) 22:16:59)
    2021/10/25(Mon) 22:35:47 編集(投稿者)

    No17975に返信(おくたがわさんの記事)
    『論理哲学論考』の序の書き初め
    ウィトゲンシュタインセレクション 黒田亘編(該当部分の訳者不明)
    『この書物を理解してくれるのは、おそらく、ここに表現されている思想を、あるいは少なくとも類似の思想を、自分でも考えたことのある人だけであろう。』

    光文社古典新訳文庫 丘沢静也訳
    『この本を理解してくれる人は、ここで表現されている思想を――または似たような思想を――すでに自分で考えたことがある人だけかもしれません。』

    訳でニュアンスかわるね。
    原文知りませんが(知っていても読めませんが)ウィトゲンシュタインは賢い人なんだろうから、言いたいことは(論理的には)後者かなぁ……知らんけど
引用返信/返信 削除キー/
■17975 / inTopicNo.32)  Re[43]: 〈私〉についての議論
□投稿者/ おくたがわ -(2021/10/25(Mon) 22:13:54)
    2021/10/25(Mon) 22:34:41 編集(投稿者)

    No17928に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > たしかウィトちゃんの『論理哲学論考』の序の書き初めに、こんなことが書いてあった。【おそらくこの本書は、ここに表されいる思想――ないしそれに類似した思想――をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるでだろう。】
    > だって〜。
    > そして、永井ちゃんは、
    > >問題を感じない人は入ってこないでほしい<
    > だって〜。
    >
    > うん、わたしそれについて考えてないし、それに問題を感じてないから、
    >
    > 「はい終了」
    >
    >他者排除の典型例ね。

    いいね。

引用返信/返信 削除キー/
■17928 / inTopicNo.33)  Re[42]: 〈私〉についての議論
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/23(Sat) 20:34:31)
    「議論」だっって

    わたしのと違うから、ちょっと言いいたくて。

    たしかウィトちゃんの『論理哲学論考』の序の書き初めに、こんなことが書いてあった。【おそらくこの本書は、ここに表されいる思想――ないしそれに類似した思想――をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるでだろう。】
    だって〜。
    そして、永井ちゃんは、
    >問題を感じない人は入ってこないでほしい<
    だって〜。

    うん、わたしそれについて考えてないし、それに問題を感じてないから、

    「はい終了」

    他者排除の典型例ね。















引用返信/返信 削除キー/
■17912 / inTopicNo.34)  〈私〉についての議論
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/23(Sat) 10:29:54)
    2021/10/23(Sat) 16:23:57 編集(投稿者)

    過去〈私〉について議論できた人は。。。

    KIDAMASAさん

    転法祖師

    エフニさん

    ゴウさん

    knowing itselfさん

    みのりさん

    やっぱ少ないなぁ〜。^^;


    『それにしても、ある新しい問題提起が人々に理解してもらえるためには、どれほどの根気と労力と時間が必要であるか、この間の私は痛感せざるをえなかった。人々は、頑ななまでに新しい問題提起というものに鈍感で、かつ拒絶的である。そして、どういうわけか、問題が世の中で少しでも注目されるようになると、今度は精確に理解しようともせずに、さまざまな角度からその問題の悪口を言って、なんとかそれを旧来の枠組みに押し込めて抹殺してしまおうとする人が、次々と現れるのである。自分にとって異質な問題が存在するということ自体がたえがたいような人々が居るらしいのだ。・・・もし、ここで論じられているような問題が確かに存在し、それを論じる私のやり方に大過がないことが納得できたなら、私は次に、このような問題が人生にとってどういう意味をもつかを、主題に考察していきたい。これまで考えてきた道徳哲学やニーチェに関する問題と交差する地点に、徐々に接近していきたいと思う。・・・だが、問題を感じない人は入ってこないでほしい。ひょっとすると、私はただ特殊な種類の錯覚にとらわれているだけかもしれない──それはありうることだ──が、たとえそうだとしても、それがいかなる錯覚であるかを解明できるのは、同じ種類の錯覚に悩まされた経験がある人だけなのである。(勁草書房刊 永井均著 「〈私〉の存在の比類なさ はじめに」より)』
引用返信/返信 削除キー/
■17821 / inTopicNo.35)  息抜きにどうじょ
□投稿者/ 田秋 -(2021/10/21(Thu) 13:04:07)
    2021/10/21(Thu) 13:19:56 編集(投稿者)

    こんにちは、おくたがわさん

    ウィトゲンシュタインに疲れたらこれで息抜きして下さい^^

    https://www.youtube.com/watch?v=oyeES-321xc&t=81s

    冒頭はオッフェンバックの「天国と地獄」より《地獄》から始まります。そのうちヨハンシュトラウスやらブラームスなどが乱入してきますが・・・

    ボクはこの冒頭の曲、けっこう大人になるまでずっと天国だとばかり思ってきました。地獄もこれだけ楽しければ堕ちてみてもいいかな。。。

    追加
    これもなかなか楽しいです。微笑ましい・・・
    https://www.youtube.com/watch?v=T59EDTqqW0A
引用返信/返信 削除キー/
■17819 / inTopicNo.36)  Re[39]: 思いがけず
□投稿者/ おくたがわ -(2021/10/21(Thu) 12:44:37)
    No17603に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、こんにちは
    さきほど田秋さんあての投稿でウィトゲンシュタインの「言葉が使用」について書いたところでした。
    「語り得ぬこと」についての件で読んだ論理哲学論究の訳本で参考図書の「一冊だけならこれ」とされていた「ウィトゲンシュタイン・セレクション」を持っていたので(なのに読んでない)、読み始めました。きっかけを頂きありがとうございました。
    (先ほどの投稿でご挨拶を書き忘れましたが、編集キーを設定し忘れていたので書き直せず、そのままで失礼しています。すみません)


    >『ある語の意味を「知っている」とは、その語の「使用法を弁えている」という以上のことではない、というのがウィトゲンシュタインの洞察だった。』

引用返信/返信 削除キー/

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