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■17368 / inTopicNo.73)  Re[18]: ハイデッガーによるニーチェ解説書
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/09(Sat) 18:30:37)
    2021/10/09(Sat) 18:49:53 編集(投稿者)

    No17367に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■17345、パニさん、
    > 「力への意志 第617番」、なんかよくわかんかったんだけど、
    > これって、「ハイデッガー全集の第6−1巻&U巻」からの抜粋?

    違うねん。
    ちくま学芸文庫のニーチェ全集第13巻「権力への意志 下巻」からの引用です。

    ニーチェの死後、妹であるエリーザベトが生前の友人であったペーター・ガストの協力を得て1901年に出版された「権力の意志・習作と断片」というタイトルの本をもとに、後年にさらなる遺稿や断片を追加して出版した「権力への意志──すべての価値の価値転換」の焼き直しとしてまとめられた遺稿集みたいな書籍からの引用です。
引用返信/返信 削除キー/
■17367 / inTopicNo.74)  Re[17]: ハイデッガーによるニーチェ解説書
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/10/09(Sat) 18:06:09)
    ■17345、パニさん、
    「力への意志 第617番」、なんかよくわかんかったんだけど、
    これって、「ハイデッガー全集の第6−1巻&U巻」からの抜粋?



引用返信/返信 削除キー/
■17345 / inTopicNo.75)  ハイデッガーによるニーチェ解説書
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/09(Sat) 08:19:17)
    もっとも著名なニーチェ解説書というか、ニーチェ自身が出版を断念した「力への意志」をハイデッガーが完成させたとも評価される書籍。
    ハイデッガー全集の第6−1巻&U巻のニーチェは1936年から1940年までフライプルク大学で行った講義をもとに諸論文も加えて1940年から1946年にかけて編集された書籍で「力への意志」を最も重要なニーチェ哲学の根幹とみなした内容となっている。

    主にハデッガーが読解した「力への意志」と「永劫回帰」がまとめられており、「力への意志」をニーチェの主著とし形而上学の最終形とした上でハイデッガー哲学の主題である「存在論」の踏み台としている。
    ハイデッガーが最も重視したニーチェのアフォリズムが以下。これがハデッガー哲学「存在論」の踏み台となっている。

    『要旨再説。生成に存在の性格を刻印すること──これが権力への最高の意志である。
    二重の偽造、これは存在するものの、すなわち、停滞するもの、等価のものなどの世界を保存するために、感官からと精神からなされる、──すなわち、考察の絶頂。存在するものにあたえられる価値から、生成するものを断罪しそれに不満をおぼえることが由来する。これは、そうした存在の世界がまず捏造されていたからのことである。存在するものの諸変形(物体、神、理念、自然法則、定式その他)。仮象としての「存在するもの」。価値の逆転、すなわち、仮象は価値授与者であったのである──。認識自体は生成においては不可能である。それゆえ、いかにして認識は可能であるのか?おのれ自身についての誤謬として、権力の意志として、迷妄の意志としてである。捏造し、意欲し、自己否定し、自己超克するはたらきとしての生成。すなわち、いかなる主観もなく、行為し、定立するはたらきが創造的なのであって、いかなる「原因と結果」もない。・・・機械論的理論の無用、──それは無意味性という印象をあたえる。これまでの人類の全理想主義は、まさにニヒリズムへと一変しようとしている、──絶対的無価値性、言いかえれば絶対的無意味性によせる信仰へと。(力への意志 第617番)』

    個人的にはニーチェが出版を断念した「力への意志」を主著とするハイデッガーの見解には同意できないが、「力への意志」がある種の世界原理のような形而上学的なものとなってしまったことについてはハイデッガーの指摘通りだと思う。形而上学的なものやイデア的なものを否定し糾弾したニーチェが新たな形而上学的な概念をでっちあげてしまうことを危惧し出版を取りやめたのだろう。

    「力への意志」はフロイトの「リビドー」とほぼ同義か、もしくは「力への意志」の心理学的側面と言える。生物に生得的に備わっている生のベクトルであり人間の生命力の源泉にして生のエネルギーと読解する。
    後にユングはこのリビドーをエロス(性本能や自己保存を含む生の本能)とタナトス(死の本能)という二面性によってさらに分析した。

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引用返信/返信 削除キー/
■17273 / inTopicNo.76)  転がる石のように
□投稿者/ パニチェ -(2021/10/06(Wed) 21:51:18)
    2021/10/06(Wed) 22:01:26 編集(投稿者)

    “転石に苔は生ぜず”ってどういう意味?

    転々と仕事や住処を変えるヤツは

    スキルや信用も身につかないってこと?

    それとも、いつも元気で行動的なヤツは若々しいって?

    どちらも違うね

    転がり続けることに意味や価値が生じるってこと

    転がり続けることによって

    雪玉のように大きくなろうが

    落石のように砕け散ろうが

    川石のように丸くなろうが

    そんなことはお構いなし

    過去の自分を上書きし続けることこそ

    今まさに私が生きている証

    いくつになっても生きているかぎり

    死ぬまで転がり続けたい

    “Like a Rolling Stone(転がる石のように)”


    人生は転がる石のよう

    行き着くところはみんな同じ

    生まれる前に戻る

    巨万の富を築こうが

    名声を上げようが

    故郷に錦を飾ろうが

    全てはゼロに帰す

    何を得たのかではなく

    どんな言葉を残したのか

    どこまで自分を上書きできたか

    裸で生まれて裸で死ぬが

    先立った人の思い出は刻まれた人の心に残る

    いくつになっても生きているかぎり

    死ぬまで転がり続けたい

    “Like a Rolling Stone(転がる石のように)”

引用返信/返信 削除キー/
■16810 / inTopicNo.77)  ニーチェとワーグナー
□投稿者/ パニチェ -(2021/09/26(Sun) 09:20:17)
    2021/09/26(Sun) 09:36:34 編集(投稿者)

    おはようございます、田秋さん。レスありがとうございます。

    No16800に返信(田秋さんの記事)

    田秋さんのレスは面白く、ワーグナーに最も造詣の深い指揮者のお話など興味深く読ませていただきました。NIETZSCHE WONDERLANDでも少し触れましたがニーチェは気に入った友人を自分の中で理想化し尊敬する傾向があります。あくまでもニーチェの中で作り上げた理想像なので実像とのギャップが生じた場合にその落差が大きくその分失望も大きいのだと思います。これは好意をよせたザロメに対してもそうですし、ニーチェにとってはある時代において大きな仕事を共に成し遂げようとしたワーグナーについても同じです。

    ニーチェにとってワーグナーは同志でもあり戦友だったように思います。
    田秋さんが指摘するようにニーチェのワーグナーへの嫌悪は確かに世間知らずの青臭いものでもあると思いますが、言い方を変えれば、哲学は常識さえ懐疑する、その時代の大衆から受け入れられず、かけ離れようとも、孤高の探究者たれという理想を貫いたニーチェならではの純粋さだと思います。あと職業的な差もあるでしょうね。著作業にはあまりパトロンとか元手は必要ではありませんから。

    参考までにニーチェ側から書かれた伝記を引用しておきます。
    R・ザフランスキー著「ニーチェ その思考の伝記」より引用

    ******************************************

    リヒアルト・ヴァーグナーとフリードリヒ・ニーチェは、当時の時代を、意味に乏しいがゆえに危機を孕んだ社会的状況と感じていて、新しい神話を見つけ出す、ないしは作り出すことについて取りかかっていた。ニーチェが荒々しい生の力と文化の力を理解するためにギリシャの神ディオニュソスとアポロを引っ張り出すとき、彼は「現象の要約」(1,145)という意味でこの二人の神を使っている。──これがニーチェの神話の定義である。ニーチェとヴァーグナーはそれぞれの仕方で神話の再生を試み、マックス・ヴェーバーが後に言った、合理化と技術と市民的経済主義による世界の「脱魔術化」を受け入れることを拒否する。二人はその時代に神話がないことに悩み、芸術の領域に神話の再生ないし新生の可能性を見る。芸術が経済の重圧のもとに美しいだけの副次的なものになり始めた時代に、二人は芸術の地位向上のために戦い、芸術を生のありうるさまざまな目的の中で一番重要な地位に押し上げる。リヒアルト・ヴァーグナーの場合には、芸術は宗教の場所を占める。ニーチェはこれに影響を受けるが、結局はこうした芸術理解が彼にはあまりに敬虔にすぎるものに思われるようになり、そこから離れて技巧的な生の芸術という構想の方向に向かうことになる。彼が芸術に期待するのは救済ではなく、生の向上である。極端な場合──ニーチェはつねに極端な場合に狙いを定めている──人は自分の生を取り違えようのない独自の芸術作品にすべきだということになる。(P.83〜P.84)

    バイロイトの第一回の祝祭劇の開幕の少し前、ニーチェはもう一度、市民社会の芸術の全的な荒廃について書いた。「判断の奇妙な混濁、楽しみや気晴らしに是非とも与りたいという半ば公然たる欲望、学者風の気配り、実演者の側の芸術の真面目さに対するこれ見よがしの勿体振り、企業の側の金儲けに対する飽くなき貪欲、(…)上流社会の浅薄さと無思想、これらすべてが相伴って、わが国の今日の芸術界に見られる重苦しい堕落した空気を醸し出している」(1,448、WB)。
    こうした状況はバイロイトによっても何一つ変わることがなく、ニーチェは大きな幻滅を味わっている。変わらなかったどころではなかった。ニーチは1876年7月末にバイロイトの試演に出かけて行き、そこでお祭り騒ぎを体験する──皇帝の来駕、祝祭劇場の丘の上の館やヴィンフリート邸でのリヒアルト・ヴァーグナーの豪著な生活、滑稽な演技を無理強いする演出、神話装置のドタバタ、芸術的情景の周りでの上機嫌で満ち足りて救済などまったく必あと要としない楽しいパーティー、終演後に大挙してレストランに殺到する観客──ニーチェは肝を潰し、すっかり気分を損ね、実際に病気にもなって数日後にはすでにバイロイトを後にしている。ニーチェはその前にこう書いていた、「ここバイロイトに諸君が見出すのは、身も心も洗い清められて用意の整った観衆、自らの幸福の頂点にいて、自らの全存在の要となるものを感じ取りながら、より高い目的に向かって新たな勇気を奮い立たせている人たちの心底からの感動である」(1,449,WB)と。ところがそうした観衆をニーチェはバイロイトで探したが、無駄であった。そうした観衆は自分が考えていただけであるのを、ニーチェは苦々しく思い知らされる。
    彼はヴァーグナーの音楽と楽劇についてあまりにも深く考え過ぎていたのではなかっただろうか。あまりにもそれに期待をかけ過ぎていたのではなかったか。1867年のバイロイトの幻滅の後、ニーチェは『人間的な、あまりに人間的な』の執筆に取りかかり、今後は幻滅しないようにしようとする。(P.104〜P.105)

    *************** 引用終わり ***************

    ツァラトゥストラは新しい神話を模索した果てにたどり着いた当時の現代版福音書であったように思います。

引用返信/返信 削除キー/
■16732 / inTopicNo.78)  Re[13]: ほっときゃいいんです^^
□投稿者/ アートポット -(2021/09/24(Fri) 21:38:52)
    2021/09/24(Fri) 22:05:24 編集(投稿者)

    No16717に返信(パニチェさんの記事)
    > こんばんは、アートポットさん。レスありがとうございます。
    >
    > ■No16690に返信(アートポットさんの記事)
    >
    >>(成る程、本人さんの話は、本人さんに確認する。)
    >>(それ以上に、)有難迷惑にならないようによく考えて発言する。
    >>有り難迷惑にならないように注意深く、注意深く、ですね。
    >>ありがとうございます。
    >
    > どういたいまして。
    > でもそんなに慎重に注意深くしてたら疲れますよ。^^
    >
    > 基本は。。。人のことはほっときゃいいんです。
    > かまって欲しいタイプの人もこれまでYahoo!掲示板なんかで見てきましたが、私が思うにニーチェクラブメンバーに関してはそんなにヤワではないし、ほっときゃいい人ばかりだと私は気楽に考えています。
    >
    > アートポットさんは気を使いすぎるところがあるから、もうちょいお気楽でいいと思います。
    >

    こんばんは、パニチェさん

    まさかのレスに感動しています。ありがとうございます。

    昔話をひとつ戯れ程度に聞いていただけるとありがたいです。
    私がゲームセンター仲間に参加したのが、ゲーセンレギュラーとしては1995年。
    Takさんが1997年、Taoさんが1998年。
    で、2000年に、この二人が急接近して二人でコンビになって、
    ワタクシは、凄く心配しました。
    理由は、この二人の長所が被りまくってて、どの長所も僅かにTakさんが優位。
    恐らくTaoさんがストレス堪って対立するな、って読んでたんですが、
    やはり予想通りTaoさんが激怒してゲーセン仲間のほとんどを味方につけて、
    恐い方向に話を進めたので、私は、調停者になって和解させようとしましたが平行線で話にならない。
    何故か自責を抱いたワタクシは、ワイヤーで自分の首を絞めるのが癖になり、
    視界に白い霧がかかると止めるを繰り返し、一時的にですが左腕が肩より腕に上がらなくなり、恐怖して止めました。

    その後、Taoには裏切り者と呼ばれ誘われなくなり、Takとは誘ってくれるけどワタクシ自ら距離を取りました。

    で、2004年にゲーセン仲間のヒト運び屋Gaoさんと遊んだら、
    「あの二人パチスロ交流がきっかけで仲直りしたよ。」
    とのことでした。

    パニチェさんの仰る通り、ほっときゃいいんです、ね。(゚∀゚)

    昔話を読んでいただき、ありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■16717 / inTopicNo.79)  ほっときゃいいんです^^
□投稿者/ パニチェ -(2021/09/24(Fri) 20:08:51)
    こんばんは、アートポットさん。レスありがとうございます。

    No16690に返信(アートポットさんの記事)

    > (成る程、本人さんの話は、本人さんに確認する。)
    > (それ以上に、)有難迷惑にならないようによく考えて発言する。
    > 有り難迷惑にならないように注意深く、注意深く、ですね。
    > ありがとうございます。

    どういたいまして。
    でもそんなに慎重に注意深くしてたら疲れますよ。^^

    基本は。。。人のことはほっときゃいいんです。
    かまって欲しいタイプの人もこれまでYahoo!掲示板なんかで見てきましたが、私が思うにニーチェクラブメンバーに関してはそんなにヤワではないし、ほっときゃいい人ばかりだと私は気楽に考えています。

    アートポットさんは気を使いすぎるところがあるから、もうちょいお気楽でいいと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■16690 / inTopicNo.80)  Re[11]: 憶測で他者を語ることなかれ
□投稿者/ アートポット -(2021/09/23(Thu) 18:40:29)
    こんばんは、みのりさん、パニチェさん

    返信ありがとうございます。

    >言われた方は有難迷惑なバヤイもあるんじゃないかなぁ〜。<

    (成る程、本人さんの話は、本人さんに確認する。)
    (それ以上に、)有難迷惑にならないようによく考えて発言する。

    有り難迷惑にならないように注意深く、注意深く、ですね。

    ありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■16685 / inTopicNo.81)  憶測で他者を語ることなかれ
□投稿者/ パニチェ -(2021/09/23(Thu) 15:54:11)
    2021/09/23(Thu) 16:54:02 編集(投稿者)

    こんにちは、アートポットさん。レスありがとうございます。

    No16680に返信(アートポットさんの記事)

    > 悪魔ちゃんに関しては、
    > パニチェさんや、マジモンさんや、アートポットなどが、記事を書いて満足しているときに
    > 即行、遠回しな指摘をすることによって、我々に考えさせて、
    > 「おごり高ぶり」や「盲信」の危険性を教えようとしてくれているのだと推測します。
    > 遠回しな指摘が、あまりに早すぎて、余韻にひたれないので、気に食わなく思えることもあるかもしれません。
    > 悪魔ちゃんの指摘の速さが、キャラクターの特長であり、小悪魔振りであり、
    > 厳しさであり、「おごり高ぶりで将来の失敗につながらないでね。」っていう彼女なりの優しさなのだとワタクシは思います。

    いいえ、全然そうは思いませんし、見解の相違ですね。
    これ余計なお世話かもしれませんが、アートポットさんはあまり自分の憶測で他者のことをああだこうだと言わない方がいいと思いますよ。それが例えば誰かを心配したり庇おうとするアートポットさんなりの優しさや思いやり、意図があったとしても、言われた方は有難迷惑なバヤイもあるんじゃないかなぁ〜。

    このレス交換に関して私の方からは終わりです。

引用返信/返信 削除キー/
■16681 / inTopicNo.82)  Re[10]: 凄いぞ自分
□投稿者/ みのり -(2021/09/23(Thu) 15:35:08)
    2021/09/23(Thu) 16:23:32 編集(投稿者)
    No16680に返信(アートポットさんの記事)

    パニチェさんよりお先に横レスで、アートポットさん、パニチェさん
    すみません。


    > ワタクシは、
    > ハエを心配する自分ってマジ優しいぃぃいいいいい。
    > ハエの尊厳をって言う自分スゲェェエエエエエ。
    > って酔っているのかもしれません。


    それに酔うのは・・う〜ん。。ちょっと残念な感じするかな。。
    でも、気づいたんだから〜、ですよね。^^


    > 悪魔ちゃんに関しては、
    > パニチェさんや、マジモンさんや、アートポットなどが、記事を書いて満足しているときに
    > 即行、遠回しな指摘をすることによって、我々に考えさせて、
    > 「おごり高ぶり」や「盲信」の危険性を教えようとしてくれているのだと推測します。
    > 遠回しな指摘が、あまりに早すぎて、余韻にひたれないので、気に食わなく思えることもあるかもしれません。
    > 悪魔ちゃんの指摘の速さが、キャラクターの特長であり、小悪魔振りであり、
    > 厳しさであり、「おごり高ぶりで将来の失敗につながらないでね。」っていう彼女なりの優しさなのだとワタクシは思います。

    いや、悪魔ちゃんは、ほんとに天然でいろいろ言ってるだけと思いますよ。
    それがたまたま人に刺さる場合があると。
    何も教えようとはしてないと思います。

    例えば ↓ こういうことやのに、パニチェさんに何かを教えようとしている、っていうのは、パニチェさんもさすがに疲れるちゃうかな。
     知らんけど・・(^▽^;)

    ■16518 / inTopicNo.10)  Re[51]: 比喩への反論はナンセンス
    ▲▼■
    □投稿者/ パニチェ -(2021/09/20(Mon) 20:13:36)
    2021/09/20(Mon) 20:44:21 編集(投稿者)

    No16516に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■16515、
    > ねえ、パニさん、
    > 「センス」っていう語、パニさんの場合、どいう意味で使ってるの?

    センスは悪魔ちゃんが辞書で調べてみて。
    私が使ったのはナンセンス。

    goo辞書によれば。。。
    [名・形動]意味をなさないこと。無意味であること。ばかげていること。また、そのさま。ノンセンス。「ナンセンスな議論」
    以下の悪魔ちゃんのツッコミがナンセンスということ。
    もっとハッキリ言えばツッコミが浅い→無意味である。バカげているということ。
    理由は「アリとキリギリス」で説明済。

    > No16308に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ストラさんって、ハエが嫌いだったのね。
    > ハエだって生きられた世界のうちで自身の生を一生懸命生きようとしてるんじゃないかしら。
    > 「え〜い!うるさいハエどもめ!」としか思うことができない人を、ストラさんは「高貴な人」っていう名で呼んでるのかな?って。


    ちなみに以下も同様でまったくもってナンセンス

    No16472に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > No16464
    > >136年前の書籍ですが現代にも通用するのは凄いですね<
    > そうね、現代教科書的な戯言にはとってもあってるかも。


    レスは気にしないでください。^^

引用返信/返信 削除キー/
■16680 / inTopicNo.83)  凄いぞ自分
□投稿者/ アートポット -(2021/09/23(Thu) 14:47:23)
    パニチェさん、こんにちは

    >転法祖師の言葉を借りれば「そんなもんはハエの知ったこっちゃオマへん!」や。<

    この一言で、なんか分かった気もします。
    ワタクシは、
    ハエを心配する自分ってマジ優しいぃぃいいいいい。
    ハエの尊厳をって言う自分スゲェェエエエエエ。
    って酔っているのかもしれません。
    転法祖師さんとパニチェさんに教えられました。

    悪魔ちゃんに関しては、
    パニチェさんや、マジモンさんや、アートポットなどが、記事を書いて満足しているときに
    即行、遠回しな指摘をすることによって、我々に考えさせて、
    「おごり高ぶり」や「盲信」の危険性を教えようとしてくれているのだと推測します。
    遠回しな指摘が、あまりに早すぎて、余韻にひたれないので、気に食わなく思えることもあるかもしれません。
    悪魔ちゃんの指摘の速さが、キャラクターの特長であり、小悪魔振りであり、
    厳しさであり、「おごり高ぶりで将来の失敗につながらないでね。」っていう彼女なりの優しさなのだとワタクシは思います。

    ワタクシは、基礎学力も低く、文字入力恐怖症なので、拙い文章ですが、
    以上、思うところを述べさせていただきました。
引用返信/返信 削除キー/
■16669 / inTopicNo.84)  Re[9]: 市場のハエで分からなかった部分
□投稿者/ パニチェ -(2021/09/23(Thu) 10:28:17)
    2021/09/23(Thu) 11:26:39 編集(投稿者)

    おはようございます、おくたがわさん。横レス失礼します。

    No16664に返信(おくたがわさんの記事)
    > 市場のハエで(しつこい)
    > 『君の無言のプライドは、いつも連中の趣味に反する。君が謙虚になって、虚栄心のあるところを見せてやれば、連中は小躍りして喜ぶ。』
    > ニーチェ.ツァラトゥストラ(上)丘沢静也訳(光文社古典新訳文庫)

    > この「謙虚になって」が自力では分からなかった。吉沢の方の注釈を辿ると「人間と交わるための賢さについて」の注で、
    > 「虚栄心の強い者は、その心の奥底で、自分は何ものでもないと感じている点で、つまり何らの自己お確信も持たず、その意味で全く無私である点で、謙虚である。」

    以下に自分なりの読解をカキコしてみます。

    まずハエのような民衆は「偉大なもの、すなわち創造的なものを、民衆はあまり理解しない。だが民衆は、偉大な事柄を上演するすべての者たち、それを演ずるすべての俳優たちに対しては、感受性をそなえている。(ツァラトゥストラ 市場のハエどもについて5)」です。

    さらに俳優については「俳優は精神を持っているが、精神の良心を持っていない。彼がつねに信じるものは、ひとをして最も強く信じさせるための手段、──彼自身を信じさせる手段なのだ!彼は、明日には一つの新しい信念を持ち、明後日にはさらに一つの新しい信念を持つ。彼は、民衆と同じく、すばやい感受性を持つ。そして、気分の変わりやすいお天気屋だ。(同書 市場のハエどもについて7〜8)」とあります。


    ツァラトゥストラが「きみ」と語りかける相手は自分自身も含めた自己超克に挑む高等な人間のことです。
    高等な人間は偉大なことを偉大なままに、例えそれが民衆に理解されず受け入れられないとしても、(民衆に迎合して変質させずに)説くとするなら説きます。だからツァラトゥストラは民衆に受け入れられなかったのですが。。。

    一方、俳優は偉大なことを変質させても民衆に受け入れられるようなパフォーマンスを重視します。
    それは偉大な事柄よりも、自分自身への賞賛を重視するからです。

    高等な人間は「偉大なものや創造的なものを理解しない」民衆の前では無言であることのプライドを貫くべきで連中の趣味には反するが、高等な人間が民衆の望むところを演じるまでに謙虚な俳優となり虚栄心の塊になるのなら民衆は小躍りして喜ぶ、何故なら民衆は「偉大な事柄を上演するすべての者たち、それを演ずるすべての俳優たちに対しては、感受性をそなえている」からだと読みました。


    PS.ありがとうございます。この手のレスは大歓迎です。



引用返信/返信 削除キー/

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