| もっとも著名なニーチェ解説書というか、ニーチェ自身が出版を断念した「力への意志」をハイデッガーが完成させたとも評価される書籍。 ハイデッガー全集の第6−1巻&U巻のニーチェは1936年から1940年までフライプルク大学で行った講義をもとに諸論文も加えて1940年から1946年にかけて編集された書籍で「力への意志」を最も重要なニーチェ哲学の根幹とみなした内容となっている。
主にハデッガーが読解した「力への意志」と「永劫回帰」がまとめられており、「力への意志」をニーチェの主著とし形而上学の最終形とした上でハイデッガー哲学の主題である「存在論」の踏み台としている。 ハイデッガーが最も重視したニーチェのアフォリズムが以下。これがハデッガー哲学「存在論」の踏み台となっている。
『要旨再説。生成に存在の性格を刻印すること──これが権力への最高の意志である。 二重の偽造、これは存在するものの、すなわち、停滞するもの、等価のものなどの世界を保存するために、感官からと精神からなされる、──すなわち、考察の絶頂。存在するものにあたえられる価値から、生成するものを断罪しそれに不満をおぼえることが由来する。これは、そうした存在の世界がまず捏造されていたからのことである。存在するものの諸変形(物体、神、理念、自然法則、定式その他)。仮象としての「存在するもの」。価値の逆転、すなわち、仮象は価値授与者であったのである──。認識自体は生成においては不可能である。それゆえ、いかにして認識は可能であるのか?おのれ自身についての誤謬として、権力の意志として、迷妄の意志としてである。捏造し、意欲し、自己否定し、自己超克するはたらきとしての生成。すなわち、いかなる主観もなく、行為し、定立するはたらきが創造的なのであって、いかなる「原因と結果」もない。・・・機械論的理論の無用、──それは無意味性という印象をあたえる。これまでの人類の全理想主義は、まさにニヒリズムへと一変しようとしている、──絶対的無価値性、言いかえれば絶対的無意味性によせる信仰へと。(力への意志 第617番)』
個人的にはニーチェが出版を断念した「力への意志」を主著とするハイデッガーの見解には同意できないが、「力への意志」がある種の世界原理のような形而上学的なものとなってしまったことについてはハイデッガーの指摘通りだと思う。形而上学的なものやイデア的なものを否定し糾弾したニーチェが新たな形而上学的な概念をでっちあげてしまうことを危惧し出版を取りやめたのだろう。
「力への意志」はフロイトの「リビドー」とほぼ同義か、もしくは「力への意志」の心理学的側面と言える。生物に生得的に備わっている生のベクトルであり人間の生命力の源泉にして生のエネルギーと読解する。 後にユングはこのリビドーをエロス(性本能や自己保存を含む生の本能)とタナトス(死の本能)という二面性によってさらに分析した。
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