| パタキさん レスありがとうございます。
> 以前はクラシックの良さがわからないのは残念なことだなあと思っていました。しかし、ボカロを聴いて「凄くいい!」と思うのとバッハに感動するのと果たしてどういう違いがあるのだろうか?と思うようになりました。何百年も残るのはバッハかも知れませんが、極論すればそれは一部のマニアの間だけの話です。
どんな音楽も聴いた人の中に感動を引き起こすトリガーのようなもので、音楽そのものより、その人の中に生まれた感動が本体という考え方もありえます。
先程とりあげたルパートスパイラはこの考え方を人間のすべての活動に当てはめる人です。宝くじに当たったり、ノーベル賞を取ったりの感動がいくら凄いものでも、本人にもともと(すべて人間にです)に備わっている、感動している状態を表に出す引き金に過ぎないとあう考え方です。宝くじやノーベル賞そのもの価値は、本人の感動に比べれば些末なこと。バッハやベートーヴェンの音楽を、rest of life、ずっと聴くこと以上に望ましいことはないと彼が言っているのも、バッハやベートーヴェンの音楽そのものの価値が素晴らしいからではなく、もともと自分にある、感動や至福や喜びを吐き出す引き金の役割をその音楽が果たすからという理由だと思います。ボカロでもその引き金になれば、バッハとの違いはないと思います。
> 音楽の本質とは何か?ひょっとすると何でも入れる事の出来る丼本体のようなものかもしれません。丼が作り出す空間はそれを使う人によってバッハになったりローリングストーンズになったり美空ひばりになったり、チャーリーパーカーになったり。 > > その丼自体が何で出来ているのかはわかりませんが、わからなくても取りあえず困ることはありません。 > > と思う今日この頃です。
丼本体の喩えは納得です。この丼は抽象的でよくわからないようでいて、人間が生きて体験するすべてを盛り込むことができるようです。人間が多様なジャンルの音楽にこれほど情熱を傾けることができるのは、そういうことなのかもしれません。
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