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■1541 / inTopicNo.97)  人間の認識
  
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/07/19(Fri) 01:06:59)
    これが難しいところで「認識」というのは「知覚」を言語で再構成した言語構成物
    ではないかと考えてます。

    そうすると時間と空間も物自体からの知覚による言語構成物。

    認識を人間の内部だけで考えるのは無理があります。

    環境と知覚と言語構成をセットにしたものが認識。

    夢のように記憶と言語構成だけだと環境情報が抜け落ちるので現実と夢は違ってきます。音や皮膚の環境情報はあるので主に視覚情報が抜け落ちるというべきかも。

    時間と空間を言語構成物とすると数学も言語構成物の一種なので数学が
    時間と空間を説明できるわけです。

    人間の認識能力についてカントが語ったことはすべて言語構成物として
    我々に理解されます。この点でカントは言語構成物から一歩も出ていません。

    環境と知覚と言語構成物のセットが認識なのに環境と知覚を切り離した言語構成物のみを認識と考えたのがカントの誤りと思ってます。
引用返信/返信 削除キー/
■1540 / inTopicNo.98)  自分とかへ
□投稿者/ pipit -(2019/07/18(Thu) 23:36:42)
    ちょっとひといき

    カントは従来の形而上学を愛する人からは嫌われてることも多そうですよね 汗

    すごくつまらない範囲になっちゃうじゃないか、って。

    さっきの書き込みするために初めて目を通した、方法論の最初の文章が
    私には興味深かったです。

    引用します。
    超越論的な方法論・序(カントの文章です)

    『ここで思索に基づく純粋な理性の認識の全体を、一つの建造物のように考えてみよう。(略)
    そこで明らかになったのは、わたしたちは当初は天にとどくほどの塔を建造するつもりだったのが、
    手持ちの材料を検討してみると、やっと一軒分の住宅が建てられるほどの材料しかなかったことである。
    しかしこの住宅は、経験という平野でわたしたちが仕事をするには十分な広さがあり、
    この平野を見渡すにも適切な高さであることが、明らかになったのである。
    しかも[天にまでとどくほどの塔を建造するという]あの無謀な企ては、
    言語の混乱が起きていなかったとしても、材料不足のために失敗に終わらざるをえなかったのである。
    かつては言語の混乱のために人々は建物の設計について分裂せざるをえなかったのであり、彼らは地のすべての場所に散らばって、それぞれの自分たちの計画によって建築を進めざるをえなかったのだった。

     しかし今ここで問題にしているのは材料ではなく設計であって、わたしたちは自分のもてるすべての能力を超えるような恣意的で、盲目的な計画を立ててはならないことを警告されているのである。
    しかしそれだからといってわたしたちは、堅固な住宅を建築するという計画まで放棄することはできない。
    わたしたちがなすべきことは、自分たちに与えられていて、しかもわたしたちの必要を満たすことができる材料を使って、建物を建築することなのである。

    (略)』
    『純粋理性批判7』カント/中山元訳、p13.14より引用


引用返信/返信 削除キー/
■1539 / inTopicNo.99)  引用番号まちがえた〜
□投稿者/ pipit -(2019/07/18(Thu) 23:10:36)
    No1531
    としなくちゃいけなかったのですね

    うっかりものです 汗 
引用返信/返信 削除キー/
■1538 / inTopicNo.100)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/07/18(Thu) 23:05:52)
    No1

    こんばんは、ありがとうございます

    カント初心者ですが、いろいろな方にpipitの間違い等をご指摘いただきながら
    勉強していけたらいいな、と思います。

    引用等を続けますが、もちろん読む読まない、返信するしない等はパニチェさんの全くのご自由にされてくださいませ。

    それで、、、今の段階で私が思ってることがあって、それを書いたら、
    この先の話題の見通しが少しでもよくなるかな?と思ってることを
    書きますね。
    関連して、先にご質問いただいている内容のひとつにも触れてみるつもり
    してます。


    今の段階で思っている『純粋理性批判』の構成のイメージ(勘違いしてたらすみません)↓

    カントは人間が形而上学を欲するのは、心の本能みたいなもの、としています。
    ただ、形而上学は、例えば数学などのように、学として耐えれるような、確実さが全く確立されてない。
    みんながそれぞれ好き勝手なこといっているだけだ、と。

    学としての形而上学を誕生させるために、まず、学の土台となるものを
    明晰にする目的で書かれたのが『純粋理性批判』だと、今の私は思っています。

    それで、どのような学を作るにしても、私たちの認識の上で学はなりたちますよね。
    カントはまず、
    @私たち人間の認識の原理を考査し、
    A次にその人間の認識の原理内で確実な『知』をどのように築くか、
    の二部構成で『純粋理性批判』を記した、と私は思っています。
    (まだ本文はほとんど目を通せてなくて、微々たる読んだ本文&解説書等からそのように考えています。)


    @は、『T・超越論的原理論』
    Aは、『U・超越論的方法論』
    と名づけられている箇所です。

    @の認識の『原理論』ですが、pipitはこの論を、
    【 脳みその働き・論 】
    って考えたら、すごく理解しやすいんちゃうかな、って今考えています。

    『原理論』は〈感性論〉と〈論理学〉の二部構成なのですが、
    『脳みその働き論』〈右脳論〉と〈左脳論〉
    ってイメージしたら、全体構成が把握しやすくなるんじゃないか、と。

    (脳科学も知見は常に変化してるのでしょうけど、厳密にではなく、捉えるためのイメージとして、です
    ちなみにコトバンクでは、
    右脳:視空間性、非言語性の情報処理を行うと考えられている。左脳に比して直感的で全体把握に優れている。
    左脳:言語・文字などの情報の処理を行なっていると考えられている。右脳に比して論理的で分析的処理に優れている。)


    『原理論』のもう少し詳しい小見出しを、〈イメージ〉とともに書きます。
    (見やすくするため超越論的という言葉を省いています)

    T・原理論〈私たちの認識をつくる脳みその働き〉

    第一部門・感性論〈右脳〉・・・空間について/時間について

    第二部門・論理学〈左脳〉・・・分析論/弁証論


    です。

    そしてカントの自我論ですが、『自我論』という言葉で記されているのではなく、
    『超越論的統覚』という概念で
    第二部門・論理学〈左脳〉の分析論内に記されています。

    で、なぜ、このことを書いたかというと、
    パニチェさんから受けた質問にでてくる、カントの文章の内で、
    感性論〈右脳〉にでてくる文章のものもあって、
    説明するときにいろいろ分別しやすくなるかな、と、
    今の自分の中にあるイメージを書き込みしました。
    (いろいろ勘違いしていたらすみません)


    というわけで、書き込み予定の順番を変更して、
    明日以降に、感性論にでてくる文章についてのご質問への返信に
    チャレンジしてみますね。

    もちろん、読むのスルーするのも、どうぞ自由に決めてくださいね

    おつかれさまです




引用返信/返信 削除キー/
■1531 / inTopicNo.101)  純粋理性批判を読んでみる。2
□投稿者/ パニチェ -(2019/07/18(Thu) 06:41:20)
    トピ主:pipitさん

    101まで投稿できますがパート2を設置しておきます。
    引き続きよろしくお願いします
引用返信/返信 削除キー/

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