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■1722 / inTopicNo.61)  Re[23]: 第二部門 超越論的な論理学
  
□投稿者/ pipit -(2019/08/19(Mon) 23:28:48)
    Neither of these faculties has a preference over the other.

    これらの機能(感性、と、知性)は、どちらが他より優位ということはない。

    Without the sensuous faculty no object would be given to us,

    感覚的な機能を欠いては、私たちには対象は与えられないし、

    and without the understanding no object would be thought.

    知性(悟性)無しでは、対象が考えられない。

    Thoughts without content are void; intuitions without conceptions, blind.

    内容のない思考は空虚であり、
    概念のない直観は盲目なのだ。

    ※※※※※※※※

    感想
    感覚的な機能を欠いては、私たちには対象は与えられないし、

    対象が与えられていないのに考えることだけするのが、
    『内容のない思考』


    知性(悟性)無しでは、対象が考えられない。

    感性を通して対象は与えられてるが、考えてないのが、
    『概念のない直観』



    カントは、感性を通じて(つまり、空間と時間に位置を持つ)対象が与えられて、それについて考えることから
    認識がはじまる、と考えたのかな。
    認識の定義も問題で、
    カントは客観と言い得る判断を『認識』としてるかも。

    定義範囲がかなり狭いですね。

    御子柴善之先生は、カント哲学の解説として
    『個人の意識のことがらは、他人と共有できず、
    その内容の真や偽を判定できない。
    そうしたたんなる個人性を脱したところに「客観」が成立するのであり、
    そうした客観に妥当する判断を下すことが「認識」なのである。』
    (『カント哲学の核心』p49より引用)とされてました。

    範囲を狭く狭くとっていくから、
    つまらない人にはつまらないんだろうな。
    『認識』の定義をそんなに狭くしちゃったら、目に見えるもの、触れれるもの、しか、
    認識の土台に載せられなくなっちゃう。
    でも、多分、ここから、アクロバティックに道徳法則についてなどを展開していくんだろうな。

    無縁さんに教えてもらった『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』
    第1章目を通して、いよいよカント哲学についての記述が盛りだくさんの
    第2章に入ります。
    すごくわかりやすそうで、楽しみだな〜

    ちらっと見た、註釈みたいなページで、カントの議論の進め方がかなりアクロバット的
    と述べられてて、言い得て妙そう〜って思いました。

    私には、カントワールドは、楽しいなあ〜

    おやすみなさい ☆彡


引用返信/返信 削除キー/
■1717 / inTopicNo.62)  Re[23]: 知的直観
□投稿者/ pipit -(2019/08/18(Sun) 14:39:26)
    あ、知的直観のこと忘れてた、、、

    後で、、、、



    いつか、、、、、、
引用返信/返信 削除キー/
■1716 / inTopicNo.63)  日記
□投稿者/ pipit -(2019/08/18(Sun) 14:37:23)
    『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』
    伊藤邦武 ちくまプリマー新書

    買ってきましたよ〜

    でも本屋さんいくと、、、あれも欲しいこれも欲しいなってなってしまいます


    四冊買ってしまった中、

    一番目に読むのは、多分、、、


    マンガ
    『聖☆おにいさん17』中村光、、、

    どの本も楽しみだ〜

    至福〜〜〜(シュークリームまで買ってるのだ〜 V )
引用返信/返信 削除キー/
■1713 / inTopicNo.64)  思考
□投稿者/ pipit -(2019/08/18(Sun) 00:35:50)
    思考って、改めて考えると、なんなのか
    わからなくなって、
    wikiの『思考』開いてみたら

    カントせんせ、に遭遇。

    引用開始
    『思考とは何かという疑問は、人類の歴史の中で繰り返し問いかけられてきた。ただし思考だけを独立させて取り扱うのではなく、知能や生命、さらに社会など総体的に人間が生きる側面のひとつとみなし、複雑系を構成する要素として組織的に扱う必要がある[7]。イマヌエル・カントは、近代的な個人の思考とはひとりでは成り立たせることは不可能であり、必ず他者と共同され、公開し、主観を共有する状態からしか生まれないと述べた。そうでないものを「未成年状態」と定め、それを脱却するために啓蒙が必要と説いた。したがって、言論の自由とは意思を発表する権利という点に止まらず、思考の権利でもあると考えた[8]。』

    未成年状態と言えば、、、

    カントは、子供から大人になれ、って啓蒙したと私は思ってるけど、

    最期認知症になっていったとき、

    私を子供として扱ってください、って周りに言った、って記述読んだことあるんですよね

    自分が壊れていくことを自覚するカントの気持ちを思うと、切なくて泣けるんだけど、

    私は今のところ、心身二元論が心にあって、

    物体(脳)壊れたら、心が素直に出てしまう(制御出来難い)かな、ってなんとなく思ってて、

    記述から受ける私の印象は、
    チーズに異常に執著したり、失禁したりくらいは当たり前にあるものの(人間だもの)、
    カントの心は整っていたのかな、というもので、


    だから、認知症になった時の姿も、私にとっては先生にみえます。

    認知症になっても、幸せに生きれる社会が実現したらいいですね。

    現実は甘くないけど、

    店員が認知症の方がいっぱいの喫茶店、とか、認知症のチーム同士の野球の試合、などの
    記事を以前に読んだ記憶あります。

    でも、きっと、現実は厳しいぞ、ですよね。

    一切皆苦、なんですかね、

引用返信/返信 削除キー/
■1708 / inTopicNo.65)  知的直観
□投稿者/ pipit -(2019/08/17(Sat) 10:25:55)
    場所移動

    No1705-1707

    まだ、本で調べてないけど、
    ネットの辞書で『知的直観』検索したら

    『ちてき‐ちょっかん ‥チョククヮン【知的直観】
    〘名〙 (intellektuelle Anschauung の訳語) 哲学で、事物の本質をじかにとらえる精神的、超感性的な働き。主観・客観の対立を越えて、ものをあるがままに認識する神のような知性の直覚作用。カントでは、本体をとらえる超感性的な悟性の働きとして神にあるとして人には認めないが、フィヒテ、シェリングでは、人知の最高段階とされた。超感性的直観。〔善の研究(1911)〕』

    というのが載ってた。

    おもしろいです。

    超感性的な悟性の働き

    でも人間の悟性の働きにアプリオリに設定されているカテゴリーは
    知的直観には必要ないだろう、って記述読んだ記憶あるんだよね。
    確認しなくちゃだね!

    おもしろい。

    純粋悟性概念という形式を通らない、世界 !!
引用返信/返信 削除キー/
■1704 / inTopicNo.66)  Re[21]: 宇宙はなぜ哲学の問題になるのか
□投稿者/ pipit -(2019/08/17(Sat) 00:05:42)
    無縁さん、こんばんは
    本のご紹介、嬉しいです !

    > 伊藤 邦武 著
    > ちくまプリマー新書
    >
    > 「宇宙に果てはあるか」「広大な宇宙の片隅の私達は何者か」。プラトンもカントもウィトゲンシュタインも哲学は宇宙への問いから出発した。謎の極限への大冒険。
    >
    > ↑ 中高生向けの新書ながらカントのアンチノミー関連が全体の1/3くらいあります。<

    帯、めっちゃ惹かれます。。。
    『いちばんやさしい哲学入門』

    ふきだしに、『宇宙とは、そして私たちとは何者なのか?』って、私たち、も対象になってるんですね

    絶対、ってことば、使うのためらうけど、(だってなにがあるかわからないと思ってるから)
    気持ち的に、絶対買う、って思ってます

    ありがとうございます !

    暑いので体調お気をつけくださいね〜(^O^)/


引用返信/返信 削除キー/
■1702 / inTopicNo.67)  宇宙はなぜ哲学の問題になるのか
□投稿者/ 無縁仏三郎 RX -(2019/08/16(Fri) 12:57:12)
    伊藤 邦武 著
    ちくまプリマー新書

    「宇宙に果てはあるか」「広大な宇宙の片隅の私達は何者か」。プラトンもカントもウィトゲンシュタインも哲学は宇宙への問いから出発した。謎の極限への大冒険。

    ↑ 中高生向けの新書ながらカントのアンチノミー関連が全体の1/3くらいあります。
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■1699 / inTopicNo.68)  Re[22]: 第二部門 超越論的な論理学
□投稿者/ pipit -(2019/08/15(Thu) 23:53:31)
    英訳:
    We apply the term sensibility to the receptivity of the mind for impressions, in so far as it is in some way affected; and, on the other hand, we call the faculty of spontaneously producing representations, or the spontaneity of cognition, understanding.

    日訳:
    なんらかの方法で影響されるという限りでの(=触発されるという条件下で与えられる限りでの)印象を受容する心の性能に、わたしたちは『感性』という言葉を適用し、
    一方で、
    自発的に表象(representations)を作る能力、すなわち認識の自発性的な機能を『悟性(知性、understanding)』と呼ぶ。

    感想:
    感性は受け身
    理解は能動、かな
    わたしという主体があるとすれば、目を開けば、
    いろんなものを能動的につくることはできないが、
    その理解は能動、ということかな
    ちがったらすみませんm(_ _)m



引用返信/返信 削除キー/
■1680 / inTopicNo.69)  Re[19]: おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/08/12(Mon) 18:47:09)
    No1675

    > 収束思考と拡散思考というのをご存知だと思うのですが、<

    知らなかったです(^^;;

    > SNSでは、直接答えにつながるかどうかは分からない連想や思い付きを書いていく拡散思考が自分には楽しかったり。
    > これは自分の日記とかトピでやるべきで、他の人にとっては迷惑かと思うのですが。
    > つばめさんは迷惑がらずに対応してくれていたので、ありがたかったです。収束思考と拡散思考、両方の能力の高い人だと思います。pipitさんも、そうではないかなと感じます。<

    つばめさんとは直接お話ししたことはないのですが、
    とても素敵な言葉を紡がれる方だなーと、楽しく時々ロムさせてもらってました。
    つばめさんのお友達の方たちとの対話も、すてきでした。

    ちなみに私は、人間が全然なってませんです。
    すこしずつよくなりたいです。


    > もともと科学哲学に興味をもっていて人間原理とか面白いと思うのですが、さっきパニチェさんのリンクしている人間原理の記事を見たら、超越論的や物自体に関連付けて書かれていました。奇遇だな…と。
    > また、クワインという哲学者を以前から好きで、最初に読んだ本にアプリオリ-分析的・アポステリオリ-綜合的の話があったので、今回も興味を持ったのでした。<

    そうなんですね、科学哲学かぁ
    おもしろそうだけど、難しそうだなぁ
    今、科学の最先端はすごく哲学的な世界になってそうですもんね(想像)
    ちょ〜初心者用の、飲茶さん著の文庫
    『哲学的な何か、あと科学とか』とか
    さくら剛さんの
    『感じる科学』とかは読んだことあるけど、
    それさえもきちんとは理解できてないかも(^^;;

    でも、世界って、おもしろいな、って思っています。

    それでは、まだまだ暑いので、どうぞご自愛くださいませ

    台風どこも大きな被害がありませんように

    ありがとうございます (^O^)/

引用返信/返信 削除キー/
■1677 / inTopicNo.70)  Re[20]: おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/08/12(Mon) 17:59:36)
    No1676

    あ、

    >高峯一愚先生の注釈に、心(Gemut ・ ゲミュート)と、魂(Seele・ゼーレ)のカント的使用の差異について、
    『「心」(Gemut)はカントでは「感覚し思惟する単なる能力」で、「表象能力」と呼ぶこともできる。“Seele”ということばは「とくに人間中に内在する実体」を思わせることを嫌って、カントはこのような場合にはできるだけ用いないようにしている。(B74参照。)』
    とありました。
    (河出書房・世界の大思想10 カント〈上〉純粋理性批判 ・p84より参照)<

    ですが、
    中山元先生の注釈には、

    『カントは心を示すために、意識という心理学的な意味の文脈では
    ゲミュートという語を使い、霊魂の意味ではゼーレを使うが、厳密な区別ではない。』
    とありました。
    (純粋理性批判1.p255.256)

    厳密な区別ではない、って、ちょっと私には意味がとりにくいけど、
    カントは曖昧に毎回言葉を使ってるってことかな?
    それとも、ドイツ語的に厳密な区別ではないけど、カントはそのように区別して
    使用してるってことかな?

    ちゃんとわからなくてすみませんm(_ _)m

引用返信/返信 削除キー/
■1676 / inTopicNo.71)   おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2019/08/12(Mon) 17:46:29)
    No1673

    おくったがわさん、こんにちは!

    > その部分の『この内的な感覚能力は、魂(ゼーレ)そのものを一つの客体として直観するものではない』
    > とは、外の世界に関して物自体を直観することはできないというのと同じなのでしょうか。あるのだけれど、そのものの有様を人は知ることができない、と。<

    私はそのように理解しています。
    自己を直観するといっても、物自体としての魂を客体として直観するという意味で「自己を直観する」と表現しているわけではない、という意味に、私は捉えています。

    高峯一愚先生の注釈に、心(Gemut ・ ゲミュート)と、魂(Seele・ゼーレ)のカント的使用の差異について、
    『「心」(Gemut)はカントでは「感覚し思惟する単なる能力」で、「表象能力」と呼ぶこともできる。“Seele”ということばは「とくに人間中に内在する実体」を思わせることを嫌って、カントはこのような場合にはできるだけ用いないようにしている。(B74参照。)』
    とありました。
    (河出書房・世界の大思想10 カント〈上〉純粋理性批判 ・p84より参照)

    また、中島義道先生『カントの読み方』の第1章《実体としての魂の批判》p35〜70を読むと、カントの執筆時代、魂の実体論者で有名な方たちもいたようなので、その主張を意識して、『ただしこの内的な感覚能力は、魂(ゼーレ)そのものを一つの客体として直観するものではない。』という一文が、差し込まれてるのかもしれないな、と、私は思いました。
    事情を知らないと、なんでこの一文が唐突(?)に出てくるのかな?と、ちょっと不思議なかんじがしますよね。

    物自体は不可知であって、私たちが知る対象は、自己にまつわる像であっても、それは《現象》なんだ、ってことなのかなと思いました。(自信なしです・汗)

    引用文の少し先になるのですが、
    自己意識や、自己触発について、物自体を直観できるような知的直観についても含めて(ややこしく)述べられてる箇所がありますが、そこでも
    『自己を意識する能力はこのようにしてみずからを直観するのだが、その際にみずからの像を自発的に直接に思い描くのではなく、みずからがその内部から触発される方法にしたがうのである。だからみずからを、その〈あるがままに〉ではなく、〈みずからに現れるがままに〉直観するのである。』
    (中山元訳・純粋理性批判1、p134より引用)
    とあるので、心というものがあって、その働きが〈ある〉(現象)というのは、自分でも直観できるけど、その働きの主体そのもの(物自体)を直観できるわけではない、と、カントは言いたいのかな、と、今の所考えています。

    引用を読みたいと思われたときは、遠慮なくおっしゃってください。
    喜んでさがして引用します(^^)
    とても勉強になります(^人^)


    >>>『内的な規定に属するすべてのものは、この時間という形式との関係で心に思い描かれる』
    >>この部分の中山元さん以外の和訳はお持ちですか? <
    >>
    >>今手元にあるのは図書館で借りてきた、高峯一愚訳(河出出版)p65
    >>『したがって内部的規定に属するすべては時間関係において表象されるのである。』
    >>
    >>Kindleで購入した、天野貞祐訳(講談社学術文庫)p147
    >>『すなわちすべて内的限定に属するものは時間関係においてのみ表象せられるのである。』
    >
    > ありがとうございました。内的な規定というのが自分にはよく分からず、もしかして「心に思い描かれる」も含めて別な意味なのかな、と思ったのですが、「時間関係において表象される」なら三人とも同様な意味に捉えておられるのでしょうね。
    > 今後分かるようになれば…と思っています。<

    はい、私も、内的な規定、ってちゃんとわからないです。
    規定が英訳では、determinations、、、
    対象としての確定、を言ってるのかな、と、今、考えて思いました。
    意見変わったらすみません。
    私も、今後わかるようになれば、、、です(^^;;


    >>おくったがわさんは、大乗仏教とかにもお詳しいのかなー(私は全然詳しくないです)
    >
    > 自分はまっタコ詳しくないです。<

    まっタコ、わざとかな?わざとでないのかな?
    かわいい使い方!って思いました♪


    > 興味はあるのですが、知識ではなく体験すべきものという刷り込みもあって勉強せずに来まして(他のことも勉強しないので、単に意欲がないだけか)<

    体験がなにより大事、ってイメージ、言われてみれば私もあります。
    禅は特にそうなのかなー
    仏教知識あって、捨てるのがいいのか
    最初からないほうがいいのか
    どうなのかな??
    人にもよるのかな??


    > せっかくパニチェさんや転法さんを知る機会があったのだから、もう少し質問等しておけばよかったと最近思ったり。<

    おくったがわさんが、パニチェさんや転法さんや他の方と対話されたら、読むのめっちゃ!!楽しみです〜


    > このサイトのリンク集にある正法眼蔵の辨道話を最近読み終わり、面白かったです。その程度の知識です。<

    通読されたことでも、すごいですよ!

    私は道元さんのことを(多分、わかりやすく)記したサイトでも、
    難しく感じて、最後まで読めないこと多いです(^^;;
    昔の言葉で難しいし ( ; ; )


引用返信/返信 削除キー/
■1675 / inTopicNo.72)  Re[18]: おくったがわさんへ
□投稿者/ おくったがわ -(2019/08/12(Mon) 16:55:45)
    No1636に返信(pipitさんの記事)

    こんにちは。さっき挨拶を書き忘れました。

    > 詩的ですね。私は直接お話ししたことないけど、おくったがわさんとお知り合いのつばめさんのことが頭に浮かびます。

    > >。o0 即今は心の消去なのか… <
    >
    > そういう考え方、私は思いついたことありませんでした。
    > おもしろいなぁ、大乗仏教にもそういう考え方あるかなー、って、全然知らないまま思いました。

    収束思考と拡散思考というのをご存知だと思うのですが、
    SNSでは、直接答えにつながるかどうかは分からない連想や思い付きを書いていく拡散思考が自分には楽しかったり。
    これは自分の日記とかトピでやるべきで、他の人にとっては迷惑かと思うのですが。
    つばめさんは迷惑がらずに対応してくれていたので、ありがたかったです。収束思考と拡散思考、両方の能力の高い人だと思います。pipitさんも、そうではないかなと感じます。

    心−時間- 仏教については色々連想が広がったのですが、もう少しまとまってから、と。

    > つばめさんをはじめ、いろんな方がニーチェクラブにトピを作ってくださったら、
    > 一つの街みたいで、楽しいな〜
    > そうなったら嬉しいな〜

    同意同意。。

    > おくったがわさんは、お気に入りの哲学者とかおられるのですか?

    もともと科学哲学に興味をもっていて人間原理とか面白いと思うのですが、さっきパニチェさんのリンクしている人間原理の記事を見たら、超越論的や物自体に関連付けて書かれていました。奇遇だな…と。
    また、クワインという哲学者を以前から好きで、最初に読んだ本にアプリオリ-分析的・アポステリオリ-綜合的の話があったので、今回も興味を持ったのでした。
引用返信/返信 削除キー/

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