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■1754 / inTopicNo.37)  おくったがわさんへ
  
□投稿者/ pipit -(2019/08/27(Tue) 21:58:54)
    おくったがわさん、こんばんは(^O^)/


    > 外の世界に関して開発された理屈を心に適用するところから苦が始まる
    > というようなイメージを持っていて、<

    おくったがわさんのみてる世界、おもしろいな、って感想をもちます。
    そういうふうな考え、私は、思いつかなかった気がします。

    > 極論すると、心について理屈を徹底的に捨てさせる方法論が禅 なのか、とか。
    > しかし、それら全ても理屈ですし、そこから-- ゆえに心に理屈を適用してはいけないと導くのも理屈ですし。ちょっと、自分なりの理屈やイメージを離れてみようと考えました今(今って)<

    今、って、私も書き込みしてたら、よく出ます(^ ^)

    > そもそも「仏教についての知識」と「心に理屈を適用」は違うでしょうね。(苦を解消する目的で仏教を学ぶ場合は同じかな……ここは掘り下げるべき気がしてきましたが、もっと考えてからに。)<


    理屈って、〜だから○○、かなぁ

    あー、でも、苦しむから理屈捨てる、も、理屈ですもんね

    むむむ、身動きとれなくなる感覚になりそうです
    それも理屈で考えてるからで、実際に坐禅すると、体感的にいろんなことわかるのかな、と
    今、想像しました。

    > >>このサイトのリンク集にある正法眼蔵の辨道話を最近読み終わり、面白かったです。その程度の知識です。<
    >>
    >>通読されたことでも、すごいですよ!
    >>
    >>私は道元さんのことを(多分、わかりやすく)記したサイトでも、
    >>難しく感じて、最後まで読めないこと多いです(^^;;
    >>昔の言葉で難しいし ( ; ; )
    >
    > もちろん現代語訳付きのサイトですよ。読み下し文だけでは、まっタコ意味わかりません!イカにも難しくてイクラなんでも読めない(もういいから
    > 現代語訳を、あらかじめ自分の持っているイメージに重ねて、分かるつもりになれる部分がある → 面白いと感じる
    > という感じなので、本当に分かっているとは言えないです( ; ; )<

    タコイカイクラうまい!

    道元さんは人気ありますよね。
    気になるけど、、、やっぱり難しそうだー(^^;;

引用返信/返信 削除キー/
■1753 / inTopicNo.38)  Re[31]: 超越論的論理学・序文
□投稿者/ おくったがわ -(2019/08/27(Tue) 11:37:23)
    No1736に返信(pipitさんの記事)

    > この批判は、
    > これら2つの機能(知性&理性)の申し立てが根拠なき性質のものであることを暴露し、
    >
    > 単なる超越論的原則という手段だけで、
    > 私たちの認識の発見と拡張するという彼らの要求を無効にし、
    >
    > そして、
    > これらの機能の適切な使用とは、純粋知性(悟性)による判断を検査することと、
    > それをソフィスト的な惑わしから保護することだと明らかにするであろう。

    なんか、さっき書いたことが合ってる気がする(!)←控え目
引用返信/返信 削除キー/
■1752 / inTopicNo.39)  Re[28]: 超越論的論理学・序文
□投稿者/ おくったがわ -(2019/08/27(Tue) 11:28:30)
    No1733に返信(pipitさんの記事)
    (拒否されるので英文引用は割愛します)
    > さて、それ(超越論的分析論の内容)はただ知性の経験的使用の判断の基準とのみ、なるべきものでしかないのに、
    > 私たちがそれを、
    > 一般的かつ無制限な知性の働きの道具として使用しようとして、
    > 対象一般について、純粋知性(悟性)のみで総合的に判断し、主張し、規定しようとするとき、
    > この種の論理は誤用される。

    論理学は、経験の脈絡づけが正しい方法で為されているかどうかという判断基準(妥当な形式)を与える。
    一方、純粋知性のみで(経験抜きで)、総合(綜合)的な判断をするために用いられるなら誤用である。
    みたいなことかと思うのですが、どうでしょうか。
    もしもそうなら、現代の論理学と通じることを言っているように思われます。

    経験抜きで(論理だけでは)知識の拡張はできないと言ってしまうと簡単ながら、
    カントはアプリオリな知識の拡張がある、と主張しているとのことなので
    経験抜きの知識の拡張(綜合)はあるとカントは考えるが、それは(カントにおいても)論理によって為されるのではなく、、
    カントにおいても分析的(論理的)と綜合的の対立的区別は成立してることになるのかな。

引用返信/返信 削除キー/
■1751 / inTopicNo.40)  Re[20]:
□投稿者/ おくったがわ -(2019/08/27(Tue) 10:48:51)
    No1680に返信(pipitさんの記事)
    > No1675
    >
    >>収束思考と拡散思考というのをご存知だと思うのですが、<
    >
    > 知らなかったです(^^;;

    すいません。知識量が非常に少ない人間と自認してるので、自分の知ってることは誰でも知ってると思ってしまいがちなのです。よく知られていることかどうかの判断ができない。

    仕事とかだと最善の答えを論理等で絞っていく思考(たぶん収束思考)が要求されることが多いけれど、
    >>SNSでは、直接答えにつながるかどうかは分からない連想や思い付きを書いていく拡散思考が自分には楽しかったり。
    >>これは自分の日記とかトピでやるべきで、他の人にとっては迷惑かと思うのですが。

    というつながりでした。
    蛇足ですが、拡散思考が極端に悪い方に出る見本が百田尚樹タイプかと(好きな作家だったらすいません)

    > ちなみに私は、人間が全然なってませんです。

    そうは思えないです。

    > すこしずつよくなりたいです。

    それ以上ならなくていいです。(そこまで言う

    > 今、科学の最先端はすごく哲学的な世界になってそうですもんね(想像)

    宇宙論とか。無縁さんが紹介されてた本、面白そうですね。

    > ちょ〜初心者用の、飲茶さん著の文庫
    > 『哲学的な何か、あと科学とか』とか

    以前サイトを見てましたが、分かりやすくて面白いですね。
    今見たら
    >『最強のニーチェ』飲茶最新刊が、
    今なら0円でオーディオブックとして聞けます!<
    https://www.amazon.co.jp/gp/product/4864700915/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4864700915&linkCode=as2&tag=tetsugakute0c-22&linkId=b502d48e454c65eeaa4a3d62e148dbc6

    アマゾンで無料体験期間登録したら聞けるんでしょうね。

引用返信/返信 削除キー/
■1750 / inTopicNo.41)  Re[20]: pipitさんへ
□投稿者/ おくったがわ -(2019/08/27(Tue) 10:23:26)
    2019/08/27(Tue) 10:54:10 編集(投稿者)

    No1676に返信(pipitさんの記事)
    こんにちは。

    > 高峯一愚先生の注釈に、心(Gemut ・ ゲミュート)と、魂(Seele・ゼーレ)のカント的使用の差異について、
    > 『「心」(Gemut)はカントでは「感覚し思惟する単なる能力」で、「表象能力」と呼ぶこともできる。“Seele”ということばは「とくに人間中に内在する実体」を思わせることを嫌って、カントはこのような場合にはできるだけ用いないようにしている。(B74参照。)』
    > とありました。
    > (河出書房・世界の大思想10 カント〈上〉純粋理性批判 ・p84より参照)
    >
    > また、中島義道先生『カントの読み方』の第1章《実体としての魂の批判》p35〜70を読むと、カントの執筆時代、魂の実体論者で有名な方たちもいたようなので、その主張を意識して、『ただしこの内的な感覚能力は、魂(ゼーレ)そのものを一つの客体として直観するものではない。』という一文が、差し込まれてるのかもしれないな、と、私は思いました。

    ありがとうございます。分かりやすいです。

    > 引用文の少し先になるのですが、
    > 自己意識や、自己触発について、物自体を直観できるような知的直観についても含めて(ややこしく)述べられてる箇所がありますが、そこでも
    > 『自己を意識する能力はこのようにしてみずからを直観するのだが、その際にみずからの像を自発的に直接に思い描くのではなく、みずからがその内部から触発される方法にしたがうのである。だからみずからを、その〈あるがままに〉ではなく、〈みずからに現れるがままに〉直観するのである。』
    > (中山元訳・純粋理性批判1、p134より引用)
    > とあるので、心というものがあって、その働きが〈ある〉(現象)というのは、自分でも直観できるけど、その働きの主体そのもの(物自体)を直観できるわけではない、と、カントは言いたいのかな、と、今の所考えています。

    心が心自身を見るとはどういうことか的な話を愚さんがしていましたが、関連ありそうな気が。

    > 引用を読みたいと思われたときは、遠慮なくおっしゃってください。
    > 喜んでさがして引用します(^^)
    > とても勉強になります(^人^)

    ご迷惑おかけしてますが、そう言っていただいてありがたいです。またよろしくお願いします(また頼むつもりかよ、と)

    >>興味はあるのですが、知識ではなく体験すべきものという刷り込みもあって勉強せずに来まして(他のことも勉強しないので、単に意欲がないだけか)<
    >
    > 体験がなにより大事、ってイメージ、言われてみれば私もあります。
    > 禅は特にそうなのかなー

    それでかな。自分の仏教への関心はほぼ禅なのでした。禅に限っては宗教色を感じないので好きです。

    > 仏教知識あって、捨てるのがいいのか
    > 最初からないほうがいいのか
    > どうなのかな??
    > 人にもよるのかな??

    中沢新一という人が仏教の長老から「理屈から入る方が早いタイプと体験が早いタイプがいる」と言われたという話も見たことありますし、知識から入ることは必ずしも否定されるものではないんでしょうね。
    それは前から知ってたのだから、自分が勉強しなかったのはやはり意欲が無かったのが主だと思います。

    少し前に、たぶんパニチェさんとpipitさんの会話で、どちらも有効というような話をしておられて、自分が今回道元さんを読みだしたのはそれがきっかけだったかも。


    外の世界に関して開発された理屈を心に適用するところから苦が始まる
    というようなイメージを持っていて、
    極論すると、心について理屈を徹底的に捨てさせる方法論が禅 なのか、とか。
    しかし、それら全ても理屈ですし、そこから-- ゆえに心に理屈を適用してはいけないと導くのも理屈ですし。ちょっと、自分なりの理屈やイメージを離れてみようと考えました今(今って)

    そもそも「仏教についての知識」と「心に理屈を適用」は違うでしょうね。(苦を解消する目的で仏教を学ぶ場合は同じかな……ここは掘り下げるべき気がしてきましたが、もっと考えてからに。)

    >>このサイトのリンク集にある正法眼蔵の辨道話を最近読み終わり、面白かったです。その程度の知識です。<
    >
    > 通読されたことでも、すごいですよ!
    >
    > 私は道元さんのことを(多分、わかりやすく)記したサイトでも、
    > 難しく感じて、最後まで読めないこと多いです(^^;;
    > 昔の言葉で難しいし ( ; ; )

    もちろん現代語訳付きのサイトですよ。読み下し文だけでは、まっタコ意味わかりません!イカにも難しくてイクラなんでも読めない(もういいから
    現代語訳を、あらかじめ自分の持っているイメージに重ねて、分かるつもりになれる部分がある → 面白いと感じる
    という感じなので、本当に分かっているとは言えないです( ; ; )
引用返信/返信 削除キー/
■1748 / inTopicNo.42)  超越論的論理学・序 超越論的論理学の理念
□投稿者/ pipit -(2019/08/26(Mon) 21:27:55)
    超越論的論理学の、序、の今までの抜粋引用をまとめました。

    英文いっぱいだと投稿禁止されちゃうみたいなので、
    英文は最初のところだけ投稿します。

    SECOND PART. TRANSCENDENTAL LOGIC.
    INTRODUCTION.
    Idea of a Transcendental Logic.

    (略)


    第二部門 超越論的な論理学

    序文・超越論的な論理学の理念

    (略)

    いずれかの形で影響(=触発)される限りでの、印象を受容する心の性能に、私たちは『感性』という言葉を適用し、
    一方で、
    自発的に表象を作る能力、すなわち認識の自発性的な機能を『知性(悟性)』と呼ぶ。

    (略)

    これらの機能(感性/知性)のどちらも、片方が他方より優先ということはない。
    感性能力を欠いては、私たちには対象は与えられないし、
    知性(悟性)能力無しでは、対象が考えられない。
    内容のない思考は空虚であり、
    概念のない直観は盲目である。

    (略)

    感性と知性(悟性)の性能は、その特有の機能をお互いに交換することはできない。
    知性(悟性)には直観できないし、
    感覚能力には考えることができない。
    両者が結合されて働く以外に、知識が生じる道は無いのだ。

    だからといって、それぞれが寄与する要素の違いを見落としてはいけない。
    私たちには、感性と知性(悟性)を慎重に切り離し区別するための重大な理由がある。
    それゆえに私たちは、感性の法則の学〜すなわち感性論(aesthetic)を、知性(悟性)の法則の学〜すなわち論理学(logic)から区別するのだ。

    (略)

    もしかしたら対象にアプリオリに関わる概念〜純粋な直観でもなく感覚的な直観でもなく(経験を起源とする概念でもなく感覚を起源とする概念でもなく)、単なる純粋な思考の働きとしての〜そのような概念が存在するかもしれないという期待、
    ーこの期待の中で私は述べる。
    私たちは前もって、純粋な悟性認識と理性認識の学を構築する、と。
    これにより私たちは対象を完全にアプリオリに思考できるかもしれない。

    この種の学は、そのような(悟性や理性による)認識の起源と範囲と客観的妥当性を規定するべきもので、
    超越論的論理学と呼ばれるべきものである。

    (略)

    超越論的感性論で感性を孤立させたように、超越論的論理学では知性(悟性)を孤立させて、私たちの認識からその起源が知性(悟性)のみにある思考の部分を選出する。

    (略)

    超越論的論理学のうち、知性(悟性)の純粋認識の要素と、対象を思考するために不可欠な原理とを扱う部門が、超越論的分析論であり、それは同時に真理の論理学でもある。

    (略)

    さて、それ(超越論的分析論の内容)はただ知性の経験的使用の判断の基準とのみ、なるべきものでしかないのに、
    私たちがそれを、
    一般的かつ無制限な知性の働きの道具として使用しようとして、
    対象一般について、純粋知性(悟性)のみで総合的に判断し、主張し、規定しようとするとき、
    この種の論理は誤用される。

    したがって、我々の超越論的論理学の第二部は、
    弁証論的幻覚(仮像)の批判とならねばならない。
    そしてこの批判を私たちは超越論的弁証論と呼ぶことになるが、
    その意味するところは、そのような幻覚(仮像)を独断的に作る技術(残念ながら形而上学ジャグリングの演者たちに流行し過ぎてる技術)という意味ではなく、
    知性(悟性)と理性の超自然(ハイパーフィジカル)的な使用に関しての批判、という意味である。

    この批判は、
    これら2つの機能(知性&理性)の申し立てが根拠なき性質のものであることを暴露し、

    単なる超越論的原則という手段だけで、
    私たちの認識を発見し拡張するという彼らの要求を無効にし、

    そして、
    これらの機能の適切な使用とは、純粋知性(悟性)による判断を検査することと、
    それをソフィスト的な惑わしから保護することだと明らかにするであろう。



引用返信/返信 削除キー/
■1747 / inTopicNo.43)  Re[38]: 英文について
□投稿者/ pipit -(2019/08/25(Sun) 22:23:52)
    よかったです

    おつかれさまです (^ ^)
引用返信/返信 削除キー/
■1746 / inTopicNo.44)  Re[37]: 英文について
□投稿者/ Mobius -(2019/08/25(Sun) 21:00:50)
    pipitさん、

    教えて戴いたとおりに検索し、無事 お目当ての英文にたどり着くことができました。ありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■1745 / inTopicNo.45)  Re[36]: 英文について
□投稿者/ Mobius -(2019/08/25(Sun) 18:45:55)
    pipitさん、情報ありがとうございました。
    教えていただいた情報を頼りに検索してみます。

引用返信/返信 削除キー/
■1744 / inTopicNo.46)  Re[35]: 英文について
□投稿者/ pipit -(2019/08/25(Sun) 15:57:25)
    Mobiusさん、こんにちは

    > ところで、ここに掲載されている英文は、どこかの無料WEBサイトで読めるような代物でしょうか?
    > もしそうであれば、URL等を紹介していただけると嬉しいです。<

    プロジェクト・グーテンベルクという、著作権切れの作品をダウンロードできるサイトがあり、
    そのページからダウンロードしました。

    プロジェクト・グーテンベルクのサイトアドレスは、
    、、、アドレス書くと投稿不可になるようなので、
    日本版wikiで『プロジェクト・グーテンベルク』を検索していただくと、
    その項目の中にアドレスも載っているので、そこから移動して、
    プロジェクト・グーテンベルクのサイトで、searchの欄に、『the critique of pure reason』と入力していただくと、ダウンロードできるページが出ると思います。

    私は、英語は中学英語程度しか読めないけど、勘で操作して、
    kindleに、Translated by J. M. D. Meiklejohnの純粋理性批判の英訳をダウンロードできました。
    西暦1836年にスコットランドで産まれた青年が20歳頃に翻訳した英訳みたいです。

    英訳を自由に使わせていただきとてもありがたいです。
    先人のお仕事に感謝してます(^人^)


引用返信/返信 削除キー/
■1742 / inTopicNo.47)  英文について
□投稿者/ Mobius -(2019/08/25(Sun) 06:33:21)
    パニチェさん、返信ありがとうございます。よろしくお願いします。

    pipitさん、
    ところで、ここに掲載されている英文は、どこかの無料WEBサイトで読めるような代物でしょうか?
    もしそうであれば、URL等を紹介していただけると嬉しいです。
引用返信/返信 削除キー/
■1740 / inTopicNo.48)  Re[33]: はじめまして
□投稿者/ パニチェ -(2019/08/24(Sat) 21:54:51)
    はじめまして、Mobiusさん。
    パァ〜になったニーチェこと、パニチェと言います。
    ようこそニーチェクラブへ。
    堅苦しいことは抜きでここでは自由気ままに投稿して下さい。
    トピを設置したい場合はトピ名を教えていただければ設置します。

    No1738に返信(Mobiusさんの記事)
    > 哲学については、「ソフィーの世界」とか、飲茶氏の「哲学的な何か、あと科学とか」くらいしか読んだことがなく、哲学入門書は「ニーチェ入門」を読んだくらいです。カントの入門書は読んだことがありません。

    哲学そのものは哲学書を読んでいるかどうかなんて関係ないですからね。全然大丈夫です。

    > こんな私ですが、メビウスリングで読書会をやっているのを見て興味を惹かれたので、「自分も読んでみようかな?」と思い、読み始めました。
    > ほとんどついていけないかもしれませんが、よろしくお願い致します。

    こちらこそ、よろしくお願いします。

    > とりあえずご挨拶まで。

    ご丁寧にありがとうございました。^^

引用返信/返信 削除キー/

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