| knowing itselfさんレスありがとうございます。
>>イエス様が、「わたしの父は、あなたがたに天からのまことのパンを与えてくださるのです」と言うと、それを聞いた人々は、「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」と言いました。この段階でも、彼らはイエス様が与えるパンは信仰によって与えられる霊的なパンであることを理解していませんでした。 >> >>それに対して、主はこのように言われました。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(ヨハネ6章34節35節) >> >>いずれにせよ、ヨハネ福音書にとって「イエスを信じること」と「聖体をいただくこと(イエスの肉を食べ、血を飲むこと)」は別々のことではなく、1つのことと考えられますね。 > > そうだと思います。かのマルティンルターは、四つの福音書の中でもヨハネ福音書を重んじたとされていますが、それ以前に、ヨハネ福音書は全章がカトリック神学によって書かれているという評価も可能なほどですね。プロテスタントの方も、一度はカトリックを学んでみると、ヨハネ福音書について大きな発見があると思います。
そうなのですね。 私は、カトリックではないので詳細は分かりませんが、きっと「ヨハネ福音書について大きな発見がある」のだと思って今後も研鑽を続けていきたいと思います。
なので、これからも、いろいろアドバイスをお願いしたいと思います。
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