| 愛満開さん こんばんは
>>ちっちゃなパンは表。裏に含意されているのは、パンに相即して、パンを口に入れる人間の体が聖変化すること。真意はむしろこちら。人間といっても、二千年にわたって時空間を横断する膨大な人間たちだが、その人間の体が一つのキリストの体に聖変化する。人間たちの偶有性としての体の実体がキリストの体の実体に「なってしまう」。これが教会。教会とは人的組織、会合、権威的な集団ではなく、偶有性としての人間の生物的な身体が、全キリスト、神性と人性からなるキリストのすべてに実体変化した、そのキリストの体のことです。 > > 「人間の体が一つのキリストの体に聖変化」 > > へえーっ、そういうことなんですね。 > そこまでは、考えが及びませんでした。 パンという偶有性の形色の下にキリストの体が現存するとは、墓を空にして天に現存するに至ったキリストの復活の体がそこに現存することですね。
人間の心身に深く強固に蓄積した罪は、有限の壊れゆく体をキリストの復活の体によって入れ替えることによって、初めて実現するということだと思います。
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