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■11593 / inTopicNo.37)  
  
□投稿者/ pipit -(2021/03/27(Sat) 06:48:47)
    No11587に返信(pipitさんの記事)
    > A judgement, therefore, is the mediate cognition of an object, consequently the representation of a representation of it.
    >
    > 判断は、対象の間接的な認識であり、対象の表象の表象である。
    >
    > ========
    >
    > 外の対象があるとき一番目のrepresentationが生じるかも、で、
    >
    > 一番目のrepresentationがあるとき、二番目のrepresentationも生じるかも、ってことかな、
    >
    > と思いました。<

    仏教で馴染みのある喩えの言葉『矢』

    正確にはその意味するところは一致しないだろうけど、

    一の矢、ニの矢、三の矢、、、、

    というイメージが頭に?心に?浮かびました。
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■11594 / inTopicNo.38)  Re[36]: 矢
□投稿者/ pipit -(2021/03/27(Sat) 06:55:37)
引用返信/返信 削除キー/
■11597 / inTopicNo.39)  Re[37]: 矢
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/27(Sat) 18:40:31)
    pipitさま、お邪魔しちゃうね。
    東光寺さんのを見て、ちょっと、わたしこの人の感性、ムカついっやったんで。

    バラの花を見て、「わーきれい!」って、おもわず茎を触ったら「痛い!」

    が、わたしの。

    第一の矢は、
    >何か物につまずいた時に「痛い!」と思う。美しい花を見て「きれい!」と思う。<
    もうじぇんじぇんわたしのと順序(秩序)が違う。

    わたしね、はっきり言って、キリストやゴータマ=シダルタ(釈迦)っていう”人”のお教え、大嫌いなのね。

    だって、彼ら、ひとの感性を”無”視して、ひとを思考の世界で見ることしか問題としてしてないだもの。





引用返信/返信 削除キー/
■11598 / inTopicNo.40)  Re[38]: 矢
□投稿者/ pipit -(2021/03/27(Sat) 19:00:45)
    No11597に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、お邪魔しちゃうね。
    > 東光寺さんのを見て、ちょっと、わたしこの人の感性、ムカついっやったんで。
    >
    > バラの花を見て、「わーきれい!」って、おもわず茎を触ったら「痛い!」
    >
    > が、わたしの。
    >
    > 第一の矢は、
    > >何か物につまずいた時に「痛い!」と思う。美しい花を見て「きれい!」と思う。<
    > もうじぇんじぇんわたしのと順序(秩序)が違う。
    >
    > わたしね、はっきり言って、キリストやゴータマ=シダルタ(釈迦)っていう”人”のお教え、大嫌いなのね。
    >
    > だって、彼ら、ひとの感性を”無”視して、ひとを思考の世界で見ることしか問題としてしてないだもの。<


    ほ〜い、悪魔ちゃんの気持ち、了解です。

    わたしは、お釈迦さまが大好き!お釈迦さまの教えに出逢えて心底に幸せと思ってる。

    別にいいでしょ?悪魔ちゃんは、pipitにお釈迦さまの教えを嫌え、とは言ってないよね??

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■11599 / inTopicNo.41)  判断における知性の論理的な機能について
□投稿者/ pipit -(2021/03/27(Sat) 21:02:59)
    中山元先生訳本、第2巻p53
    B95あたり〜


    SECTION II. Of the Logical Function of the Understanding in Judgements.

    If we abstract all the content of a judgement, and consider only the intellectual form thereof, we find that the function of thought in a judgement can be brought under four heads, of which each contains three momenta.

    ========

    【the function of thought in a judgement】
    four heads

    判断における思考の[機能]には四つある。

    前にカントは[機能]について、

    By the word function
    I understand
    the unity of the act of arranging diverse representations
    under one common representation.

    さまざまな表象たちを、一つの共通な表象の下に秩序づける行為の統一作用
    を、機能という言葉の意味と捉えてる、と言っていました。

    ファンクションのところに、前に言ってた言葉を置き換えると、

    【[the unity of the act of arranging diverse representations under one common representation] of thought in a judgement】

    そして、↑【  】が、

    can be brought under four heads, of which each contains three momenta.

    ↑の、four heads の 4 とは、


    関係
    様相
    ですね。







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■11601 / inTopicNo.42)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/03/27(Sat) 21:23:02)
    No.11597
    > もうじぇんじぇんわたしのと順序(秩序)が違う<

    そういえば、ホームページ先のお坊様?は大乗仏教で、


    パーリ仏典という大乗仏教には分類されない感じの種類の仏教の経典では、多分、書いてることは少し違うかもです。
    第一の矢と第二の矢の示す内容が、もしかしたら違うかも、です。

    でも、別に知りたくないでしょ?
    ので、調べ直さないよ。

    興味あって知りたいなら調べるから、その時は言ってね〜

    おつかれ! おやすみなさい (^^) ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■11609 / inTopicNo.43)  直観と思考と協働してつくる世界
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 11:59:26)
    中山元先生訳本第二巻p49
    B93あたり

    J. M. D. Meiklejohnさまによる英訳

    The understanding was defined above only negatively, as a non-sensuous faculty of cognition.
    (知性は、感性によらない認識能力、とここまでは消去法的に表現してきた。)

    Now, independently of sensibility, we cannot possibly have any intuition;
    (感性によらずに、直観を得ることはできない。)

    consequently, the understanding is no faculty of intuition.
    (したがって、知性は直観の能力ではない。・・・感性だけが直観を得る能力を持つので)

    But besides intuition there is no other mode of cognition, except through conceptions;
    (直観以外の認識要素とすれば、概念による認識しか残されていない。)

    consequently, the cognition of every, at least of every human,
    understanding is a cognition through conceptions―not intuitive, but discursive.
    (人間にとって、知性とは概念による認識。
    直観によってではなく、論証的・推論的に、概念による認識。)

    ========

    (pipitの感想)
    自分の認識を観察したとき、
    素材、と、思考
    があるように思える。

    五感によって現れてる直観、が素材で、
    その素材についての思考、と。

    ========

    おもちゃのレゴで考えてみます。

    @レゴの、バラバラの個パーツが素材。

    A個パーツを組み立て、ある存在物を作る。(車、とか、テーブルとか)

    Bその存在物を使って、命題文で表現されるような世界を記述する。(ストーリーの作成)

    今のところの予想私見を書きます。

    @が感性による直観を得ること、
    Bが知性による命題文として記述できるような世界を得ること、
    としてカントは考えてるのではないか、と。

    そしてAが、想像力・構想力による、@の結合で対象としての存在物を作る工程ではないかと。

    純粋知性概念は、Bに関わることである。
    そして、
    Aの取り扱いについて、第一版と第二版では変更されている、いや、変更されていない、と、様々な研究者が考察している箇所ではないかと。

    間違ってるかもしれませんが、今の感想です。
引用返信/返信 削除キー/
■11610 / inTopicNo.44)  Re[42]: 直観と思考と協働してつくる世界
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 12:10:42)
    カントはAを、人間の自発性能力としてとらえてるかもだけど、
    (でも、解説者によっては、迷ってる、と表現されることもあるみたい)

    そういう意味では、悪魔ちゃんが前に言った言、考え方、捉え方は面白かったなぁ

    外、が、自らを現す、みたいな。

    指示書持って入り込んでくるイメージが今上がりました。

    なんか、全然知らないんだけど、いろんな方が話してくださった、華厳経の世界のイメージもあがりました。

    世界は多面的、言葉は一面しか表現できない?そんなことはない?

    いろんな、言葉が、上がってきます。

    今日は雨です。雨の音が心地いいなぁ〜

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■11612 / inTopicNo.45)  Re[43]: 直観と思考と協働してつくる世界
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 13:02:38)
    @は受動的に与えられ、
    Bは自発的に作り上げる。

    Aは ?

    受動と自発の、、、オートポイエーシスはどうかなぁ。入出力はもたないけど、環境からの撹乱という概念が設定されてるのかなぁ

    そういえば、ちゃんと読めてないけど、カントの感性論があれで受動と呼べるのか、みたいな文章見た記憶あるなぁ

    こちら側固有の形式下で現れるとされてる感じやもんなぁ
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■11616 / inTopicNo.46)  Re[44]: 判断
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/28(Sun) 18:44:08)
    pipitさま、お邪魔しちゃうね。

    ■11598
    >別にいいでしょ?悪魔ちゃんは、pipitにお釈迦さまの教えを嫌え、とは言ってないよね??<

    じぇーんじぇーん!そんなこと言ってないよ〜。ましていいもなにもないじゃん、好き嫌いって。好き嫌って、ご自由に、っていう感じがわたしの好みだし。

    〈それは○○である〉っていうのを、わたし「判断」っていう名にしてる。
    「それは真である」「それは偽である」「それは善である」「それは悪である」「それは好きである」「それは嫌いである」こういうのぜ〜んぶ「判断」ってしちゃってる、っていうこと。

    わたし「真・偽」「善・悪」「好・嫌い」っていう判断にはそれぞれ〈独自性〉があるって思ってる。そうでなけれはこのようには分けられていなんじゃない?でなければ分ける意味ないんじゃない?

    だから、それぞれのその独自性を認めたうえで、その連関性を見ようとするのわたし賛成なんだけど、このような判断のどれか一つににほかのものをすべて含めちゃうっていうの反対なのね。

    「真偽」「善悪」を関係で見て見ると、「真は善である」「偽は悪である」、「善は真である」「悪は偽である」、ん〜ん、ありえそう。

    ん〜ん、でもね、じゃこうのはどうかしら。「わたし、イチゴ好き」に、「それは偽である」とか「それは悪である」な〜んて言うヤツがいたら、わたし何言ってるの?大きなお世話、ってわたしなる。
    あまりにしつこかったら、聞いちゃうよ。あんたの言う「真偽」ってなんなの?あんたの言う「善悪」ってなんなのよ?ってね。おそらく”だんまり”。たぶん。

    で、逆に「真・偽」「善・悪」っていう判断を「好・嫌い」っていう判断から見たらどうかしら。「真は好き、偽は嫌い」「善は好き、悪は嫌い」って、なんかふつうに通用する気がする。あ、「偽が好き、真が嫌い」「悪が好き、善が嫌い」っていうばあいもあるかも。でもこのばあいでも「真偽善悪」ってなあに?っていうのが問題となってくるんじゃないかしら?

    あ、ごめんね、な〜んかだらだら、長くなっちゃみたい。
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■11621 / inTopicNo.47)  Re[45]: 判断
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 19:40:19)
    No.11616
    悪魔ちゃん、こんばんは〜
     
    今見てる世界 −(マイナス) 感情 = 客観的判断 、という考え方どうかなあ、と思うけど、

    感情があるということと、世界が見えることが同時にあると考えると、マイナスすることは無理なのかなぁと思ったり。

    今から見ていくつもりなんだけど、
    それは◯◯だ、は、カントの分類としては、単称的肯定判断で、この判断をするときに使用する概念は、分量、と、性質、という概念かな?と思ってるよ。

    あー、めんどくさいね。もう勉強せんでもいいか、と、5%くらいは思うけど。
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■11622 / inTopicNo.48)  Re[46]: 判断
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 19:49:31)
    判断の種類として、

    (分量)を判断してる
    全称的判断
    特称的判断
    単称的判断

    (性質)を判断してる
    肯定的判断
    否定的判断
    無限的判断

    (関係)を判断してる
    定言的判断
    仮言的判断
    選言的判断

    (様相)を判断してる
    蓋然的判断
    実然的判断
    必然的判断

    を、カントはあげてます。

    ん?

    それは◯◯だ、は、単称的肯定判断と思ったけど、
    ん?定言的判断とも言えるのかな???

     要・勉強  (T_T)

    _φ(・_・



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