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■11624 / inTopicNo.49)  定言的判断
  
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 20:05:00)
    コトバンクさんに載ってた『定言的判断』の説明文の一部を引用します。

    『(categorical judg(e)ment の訳語) 「もし天気なら、私は行く(仮言判断)」や「彼は大学生か会社員である(選言判断)」のような条件付きの判断に対して、「すべての人間は死ぬ」のように無条件で断定する判断。全称肯定・全称否定・特称肯定・特称否定判断を含む。定言判断。』

    あー、単称が入ってないけど、これについてカント先生なんかお話ししてたなぁ

    量の判断として、単称と全称をここの考察においては区別する、みたいな。

    ごにょごにょ(ごまかし擬音)
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■11625 / inTopicNo.50)  Re[48]: 定言的判断
□投稿者/ pipit -(2021/03/28(Sun) 20:09:51)
    コトバンクさんにのってた意味とカントが同じ意味で定言的判断という言葉を使っているか否かは、まだわたしにはわかりません。
    これから読んでいく箇所に載ってると思うので、読んでいってみます。


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■11655 / inTopicNo.51)  一般論理学と超越論的論理学との違い
□投稿者/ pipit -(2021/03/30(Tue) 22:38:24)
    中山元先生訳本第二巻p66〜
    B102あたり〜

    J. M. D. Meiklejohnさんの英訳

    On the contrary, transcendental logic has lying before it the manifold content of a priori sensibility, which transcendental aesthetic presents to it in order to give matter to the pure conceptions of the understanding, without which transcendental logic would have no content, and be therefore utterly void.
    (超越論的な論理学は、感性によるアプリオリな多様をすでに目の前に持ち合わせているのであり、ーーーこの多様なものは超越論的な感性論が、知性の純粋な概念に内容/素材を与えるために用意したものであり、ーーーこの多様なものなしでは超越論的な論理学は、内容を持つことは出来ずに全く空虚なものとなってしまうだろう。)

    (略)


    By means of analysis different representations are brought under one conception―an operation of which general logic treats. On the other hand, the duty of transcendental logic is to reduce to conceptions, not representations, but the pure synthesis of representations.
    (一般的な論理学の操作では、異なった表象を一つの概念の下に置くのであるが、
    超越論的な論理学の仕事は、
    表象たちではなく、表象たちの純粋な綜合を概念にもたらすことである。)

    ========
    (pipitの感想)
    一般論理学は、文章を与えられたら、その内容は無視して、、、一つの概念の下に置くという意味がはっきりとはわからないなぁ。
    例えば、『肯定』という概念、とか、『可能』という概念の下に配置するという意味なのか、ほかの意味なのか (・・?)

    まあ、もし、そうだとして、

    超越論的論理学は、そのような動き(表象たちを一つの概念の下に配置する)ではなく、
    表象の純粋な綜合を概念にもたらす、、、集約するというか、、概念化するということかなぁ。、そのような動きを体系化したもの。。。

    ちがうかなぁ (~_~;)

    カントの文章、今のわたしには、わかりそうでわからないんだよなぁ
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■11657 / inTopicNo.52)  感想
□投稿者/ pipit -(2021/03/30(Tue) 23:29:19)
    一般論理学における、A は B である。

    カントは、さまざまな中の一つのAが、Bという概念の下に配置された、という考え方なのかな

    それで、Aは、他から提供されたものだけど、

    超越論的論理学では、論理学の内側に、感性による多様を持っている、ということかな。

    素地を持ってる、ってかんじかな

    ピクセルを持ってるイメージ

    ちゃんとわかってないので、引き続き、『純粋理性批判』を細々と読みます。。。

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■11660 / inTopicNo.53)  Re[51]: 感想
□投稿者/ pipit -(2021/03/31(Wed) 10:32:33)
    すごく間違ってるかもだけど、今の段階で考えたことです。

    ========

    私は、感性によって得た世界を、分別して、文章化できる。
    「あれ、は、時計だ。」
    また、そのように感性によって得た概念を、さらに概念同士で、文章化できる。
    「時計、は、時間を知るための道具だ。」

    文章は、概念と概念の関係性を表現している。

    一般論理学は、文章を分析して、概念の内容は捨てた上で、関係性の形に還元して、文章の属するタイプの位置を決める。
    判断して文章化した、元の判断の形を取り出す作業だ。

    ========

    ここで最初に戻ろう。

    >私は、感性によって得た世界を、分別して、文章化できる。
    「あれ、は、時計だ。」<

    わたしは分別してるわけだが、
    さまざまな感覚を綜合して一つのものを措定している、とも言える。

    目を閉じて、物を触って対象を知ろうとする時、世界からある一部を分別するという行為は、その分別以前に知ったある感覚の一部を綜合して一つのものとして措定する行為でもある。
    つまり、感覚から頭の中に作る対象の分別は、感覚の綜合を前提としているということ。

    ========

    分別の前提である、知性の綜合能力によって作られる思考の基幹概念は、
    分別の体系から見出すことができるはず。

    ========

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■11667 / inTopicNo.54)  Re[52]: AはBである
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/31(Wed) 19:49:14)
    opipitさま、お邪魔しま〜す。

    ■11657の、
    >一般論理学における、AはBである。<
    なんだけど、なんかヘンじゃない? だってAとBは「字」が異なってるじゃん。

    「字」が違うんだから、たとえば、Aをイチゴってして、Bをぶどうってして、異なる「字」にして見るね。
    ってすると、
    「AはBである」は、「イチゴはぶどうである」ってなるんだけど、ねえ、これってヘンじゃない?

    ちなみに「AはAである」っていうのあるみたい。「トーロジー」っていうのかな?
    こういうのって、ただ口真似してるだけ。


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■11668 / inTopicNo.55)  Re[53]: AはBである
□投稿者/ pipit -(2021/03/31(Wed) 19:55:36)
    こんばんは〜

    イチゴは食べ物である。という判断の型とかが、AはBである。なんじゃない?

    Aはイチゴ、で、Bは食べ物。という概念。

    で、Aイチゴを、B食べ物という概念の下に包摂(?)させてる判断。かな?

    ちゃんとは知らんけど。(。-∀-)
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■11669 / inTopicNo.56)  Re[54]: AはBである
□投稿者/ pipit -(2021/03/31(Wed) 19:56:48)
    ライオンにとっては、イチゴは食べ物ではない。

    だと、AはBではない。で、否定的判断なんじゃない?
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■11670 / inTopicNo.57)  Re[55]: AはBである
□投稿者/ pipit -(2021/03/31(Wed) 19:58:25)
    イチゴはブドウではない。

    も、否定的判断なんじゃない?
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■11671 / inTopicNo.58)  Re[56]: AはBである
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/31(Wed) 21:25:38)
    ■11670
    pipitさま、わたしね
    >一般論理学における、AはBである。<
    の、>論理学<を問題としてたの。

    「論理学」って、わたし「哲学(フィロソフィア)」っていう全体の、そのなかのひとつの「科」、「科学」って見てる。

    で、その科っていう一つの「論理(科)学」では、そのなかで、それなりの「否定」の意味があるみたい。

    「イチゴはブドウではない。」は、一つの「判断」なのかもしれないけど、
    でも、これ「イチゴ」を「否定」してるんじゃないと思う。

    >ライオンにとっては、イチゴは食べ物ではない。<
    うんそうみたい。「それ」を「食物」とするのは〈食べる者〉によって異なるみたい。

    わたしが何言ってるのか分かんないと思ってるけど書いたやったよ〜。


引用返信/返信 削除キー/
■11672 / inTopicNo.59)  Re[57]: AはBである
□投稿者/ pipit -(2021/03/31(Wed) 21:54:27)
    No11671に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■11670
    > pipitさま、わたしね
    > >一般論理学における、AはBである。<
    > の、>論理学<を問題としてたの。
    >
    > 「論理学」って、わたし「哲学(フィロソフィア)」っていう全体の、そのなかのひとつの「科」、「科学」って見てる。<


    わたしはね、カントの考えてることが知りたいの。

    > で、その科っていう一つの「論理(科)学」では、そのなかで、それなりの「否定」の意味があるみたい。
    >
    > 「イチゴはブドウではない。」は、一つの「判断」なのかもしれないけど、
    > でも、これ「イチゴ」を「否定」してるんじゃないと思う。<

    イチゴという概念がブドウという概念の下に包摂されるのを否定してる判断を表現した文章だとわたしは思ってるよ。


    > >ライオンにとっては、イチゴは食べ物ではない。<
    > うんそうみたい。「それ」を「食物」とするのは〈食べる者〉によって異なるみたい。
    >
    > わたしが何言ってるのか分かんないと思ってるけど書いたやったよ〜。<

    AはBである。が、AとBが字が違うからオカシイと思ったんでしょ?

    だから、イチゴは食べ物である。を、字が違っても成立する判断の例として悪魔ちゃんに提示してみたんだよ。



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■11673 / inTopicNo.60)  分別と無分別
□投稿者/ pipit -(2021/03/31(Wed) 22:04:18)
    それは善である。
    それは悪である。

    は、それ、が、善の下に配置されること。
    それ、が、悪の下に配置されること。


    悪と善の分けを決めて、
    それを善に配置した人にとっては、
    それは悪ではない、という判断は成立するのだろうか。

    善悪の分けが無いとき、、、

    我、無我の分けがないとき、、、

    主客の分けがないとき、、、

    どんな世界か想像できないなぁ
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