| ■No22969に返信(パニチェさんの記事) > こんばんは、みのりさん。 > 横レス失礼します。 > > ■No22367に返信(みのりさんの記事) >>カントは、晩年の著書『永遠平和のために』で、人間にとって永遠平和は自然状態ではなく、また、戦争を好む傾向が人間に生まれつき備わった特性のように思える、ということも述べているそうです。 > > 個人的には人間には肉食獣と草食獣の両面があるように競争淘汰(弱肉強食)と共存共栄の相反する本能が同居していると思っているんですが、カントが人間は生まつき戦争を好む特性が備わっていると考えた理由や根拠って何なんでしょうかねぇ〜。
パニチェさん、こんばんは。投稿ありがとうございます。
・・・・・ 国債の発行によって戦争の遂行が容易になる場合には、権力者が戦争を好む傾向とあいまって(これは人間に生まれつきそなわっている特性のように思える)、永遠平和の実現のための大きな障害となるのである。 ・・・・・ NHKブックス100分de名著『カント 永遠平和のために 悪を克服する哲学』 萱野稔人 著 p36より引用 この部分は、萱野さんが、カント『永遠平和のために』中山元 訳から引用したもの。
ここに該当の文章はあるようです。
また、 ・・・・・ しかし戦争そのものにはいかなる特別な動因も必要ではない。戦争はあたかも人間の本性に接ぎ木されたかのようである。 ・・・・・ ともカントは書いているそうです。 同書p37より引用。
(ここ、pipitさんも悪魔ちゃん宛で引用してくれてますね。)
萱野さんの本を読む限りでは、なぜ、人間は戦争を好む特性があるとカントは考えたのか、の根拠や理由については触れられてはいません。
カントが道徳について書いた著作でも、「人間は悪に流されやすい傾向性がある」のように書かれている、というのを何かで読んだような気がします。 でも、根拠や理由までは書かれていなかったように思うんです。
私の想像でしかないもので書いてみますね。 人間は叡智界と現象界の両方に生きているけれど、人間に認識できるのは現象界でのものだけなので、人間がそのままを完全、完璧に認識することは不可能な叡智界的調和の生き方を遂行することはとても困難である、とカントは考えたとか、そういうことなのかな、と。
正確なことが書けなくてすみません。<(_ _)>
次回まとめてみようかな、と思っている萱野さんの著書の第三章のタイトルが、 「人間の悪こそ平和の条件である」です。 なかなかおもしろそうです。
新しいトビ、ありがとうございました。^^
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