| パニチェさんが考えてることを教えてくださって ありがとうございます
改めて今考えてみると、
どう生きるか、しか、直接的には行為できないですよね。
ふと思い出してダンマパダを取り出しました。
青空文庫だったかな?無料で手に入れた萩原雲来さん訳のダンマパダの一節を読みました。
『此の身は瓶の如しと觀 、此の心を城の如く安住せしめ 、慧の武器を以て魔と戰ひ 、彼の捕虜を守り懈廢すること勿れ 。
嗟 、此の身久しからずして地上に横たはらん 、神識逝けば棄てられ 、猶ほ無用の材の如けん 。
怨が怨に對して爲し 、敵が敵に對して爲す處は如何なりとも 、邪に向ふ心の造る害惡に若くものなし 。
母 、父 、また其他の親戚の爲す所は如何なりとも 、正に向ふ心の造れる幸福に若くものなし 』
訳に意訳が入ってるかもしれませんけどね 多分、神識と訳されてるとこも、原語では、ただの意識という単語なんじゃないかなー と思ってますが、調べてないからわからないけど。 (中村元先生訳では、意識、でした。)
何はともあれ、 せっかく生きてるから、生きてるうちに、私の場合はちょっとでも煩悩捨てることを上手になりたいな。 (煩悩にまみれてますけど。ほど遠いですけど。)
ありがとうございます(o^^o)
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