| >未完成のもの、未熟な未人は永遠を欲する。
ここなのですが、未熟なものが欲すのは永遠ではなく、自分自身ではない強いもの、明るいものだとあります。
未熟なものたち→自分では無く強い子どもを求める、憧れの気持ち
ましな人間→この世が熟れたときに幸せのあまり死にたいと思う気持ち
更に岩波書店p321での「ましな人間たちよ、あなたがたの所へは匂ってこないのか?ひそかに湧き上がるひとつの匂いがある」というツァラの考えがでてきます。
その湧き上がる匂いというのが、「また戻ってきてくれ!」という永劫回帰なんでしょうね。
ここでの場面の永劫回帰は、「未熟な人間にとっての然り!」というよりむしろ、完全に熟したはずのものが、さらなる深い苦悩を欲しがる、というニュアンスを感じます。
なんとなく、以前パニにも聞いたことあったと思うのですが「この世は深い、昼が考えたよりも更に深い」の意味がわかりかけた気がするんです。
次の昼がある、ということそのものが証というか、前の夜で嘆きの深さより深い永遠を求める気持ちが勝ったということではないでしょうか。
でなければ、夜に熟れた状態のまま死ねば良いことになる、と思うのです。
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