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■4 / inTopicNo.1)  仏教、ニーチェ、脳科学他
  
□投稿者/ パニチェ -(2016/08/15(Mon) 12:14:28)
    初期仏教、中論、唯識、華厳、大乗仏教

    ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、〈私〉の哲学、科学哲学など哲学全般

    脳科学、進化論、物理(相対性理論、量子力学)などなど

    意見交換、議論、質問、思うこと、何でもどうぞ。

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■26 / inTopicNo.2)  コンプレックス
□投稿者/ パニチェ -(2016/10/01(Sat) 06:45:15)
    ニーチェの哲学用語として有名になったルサンチマンってのは現代風に言えばコンプレックスとほぼ同義だろう。
    ニーチェも指摘している通り、ルサンチマンがユダヤ教を生み出したようにコンプレックスも創造力として表出したり、その人のパワーやモチベーションの源泉であったりする。

    キリスト教を断罪し、いるはずもない全知全能の人格神の呪縛から人類を解放し、いつの日か生まれ出るべき人間の理想的進化形である超人を神に対峙させたのも、ニーチェのファーザーコンプレックスが原動力であったかもしれない。

    その人の拘りや過敏に反応するツボは幼少時代からくる何らかの体験的なコンプレックスであることが多い。

    琴線と逆鱗はコンプレックス(ルサンチマン)の表裏である。

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■32 / inTopicNo.3)  弱者
□投稿者/ パニチェ -(2016/11/11(Fri) 22:10:06)
    2016/11/13(Sun) 09:40:34 編集(投稿者)

    久々にニーチェ絡みのレス交換ができて嬉しいです。^^

    No31に返信(ひよこさんの記事)

    >>■No29に返信(ひよこさんの記事)
    > >>ニーチェの「弱者は死ね」とか言っている彼の恐ろしい面を全く抜きにして、

    >>これってニーチェがどこで言ってましたっけ?

    > 「アンチクリスト」を読むと、「弱者と出来損ないは滅びるべし」と言っています。

    以下の箇所でしょうか?

    『善とは何か?──権力《政治的支配のみを表す通俗の「権力」とは異なり、ニーチェに特有の形而上的概念で、「力」と訳してもよいが、自然的物理的力とも異なるので、敢えて「権力」に統一する》の感情を、権力の意志を、人間のうちにある権力そのものを高めるいっさいのもの。悪とは何か?──弱さに由来するいっさいのもの。幸福とは何か?──権力がしだいに大きくなる感情──抵抗を克服してゆく感情。満足ではなくて、より多くの力。総じて平和ではなくて、戦争。徳ではなくて、有能(ルネッサンス式の徳vitu《イタリア語で、卓越した男性的な美点》、道徳のくさみのない徳)。弱者と出来損ないは亡びるべし、──これはわれわれの人間愛の第一命題。彼らの滅亡に手を貸すことは、さらにわれわれの義務である。およそ悪徳よりも有害なものは何か?──すべての出来損ない的人間と弱者に対する同情的行為──キリスト教…(白水社版「アンチクリスト2」より)』

    面白いのは、同じ箇所がちくま学芸文庫では『弱者や出来そこないどもは徹底的に没落すべきである。これすなわち、私たちの人間愛の第一命題。そしてそのうえ彼らの徹底的没落に助力してやるべきである。』という訳になってます。

    「亡びる」と「没落」はニュアンス的に多少の違いがありますね。原語ではどうなってるんやろ。。。。

    >「ツァラトゥストラ」もこの考え方がテーマになっていて、
    >それを「道徳の系譜学」で詳しく説明していると思います。

    ユダヤ教も含めたキリスト教的な価値観(善悪二元論道徳=奴隷道徳、本来個性的な人間を没個性化し、家畜化するような教義や、ダイナミックな生を委縮させ罪深いものとするような発想)を断罪してますね。その言い回しの中に、全知全能で唯一無二の絶対的な人格神を捏造した上で、これを拠りどころとするような依存心が強くルサンチマンの塊のような弱者を批判する意味で「亡びるべし」とか「没落すべき」と述べています。


    >  現象学研究会の西研さんは、永劫回帰を受け入れられるか、受け入れられないかが、
    >  ニーチェの考える弱者と強者の境目なんだと言っていますが、
    >  これは違うと思います。

    永劫回帰を受け入れられるかどうかが唯一の弱者と強者の違いだとは思いませんが、少なくとも永劫回帰(「悦ばしき知識 第341番」の悪魔による最大の重し)に「然り!」と答えれる人は強者だとは思います。

    >ニーチェの言う弱者というのは普通の意味というか、
    >胆力がない、勇気がない、臆病、気が小さい、
    >そういう人を指して言っていると思います。

    ほぼ同意です。
    あと依存心が強いとか、飼い馴らされた人間とか、去勢とか、群れとか、同情深いなどなどですね。

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■36 / inTopicNo.4)  弱者とルサンチマン
□投稿者/ rami -(2016/11/16(Wed) 13:59:07)
    パニ、お久です^^

    ひよこさん、はじめましてラミと申します(^^)


    パニのコンプレックスについてを読んで少し違和感があったのですが、今カレーを作り終えたら何でか分かったので書いておきます。





    >ニーチェも指摘している通り、ルサンチマンがユダヤ教を生み出したようにコンプレックスも創造力として表出したり



    これって、ニーチェはユダヤ教をルサンチマンが創造力として表出したものと捉えてるんでしょうか。むしろその創造は妄想ということを言ってたんじゃないでしょうか?


    ニーチェの言うルサンチマンは、コンプレックスや心の琴線だけで終わりではなく、弱者が力への意思という真理の中では生きられない為に、そこから逃げ勝手に価値を転換してしまうこと迄を含んでるのかなと思っています。


    コンプレックスを克服しようと前を向き努力する姿はルサンチマンでしょうか。何というか、やはり自分仕様に価値を転換することが結果として含まれていなければ、ルサンチマンという言葉が合わなく感じてしまいます。



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■38 / inTopicNo.5)  Re[4]: 弱者とルサンチマン
□投稿者/ パニチェ -(2016/11/16(Wed) 21:06:18)
    らみぃ〜久しぶり♪元気そうで何より!

    レスありがとぉ〜。^^

    この返信は次の休みの日にしかっり調べてから書きたいからお待ちをば。 
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■39 / inTopicNo.6)  ルサンチマンと創造(1)
□投稿者/ パニチェ -(2016/11/18(Fri) 23:00:21)
    こんばんは、らみぃ〜♪


    No36に返信(ramiさんの記事)

    > これって、ニーチェはユダヤ教をルサンチマンが創造力として表出したものと捉えてるんでしょうか。むしろその創造は妄想ということを言ってたんじゃないでしょうか?

    ニーチェが言うところの創造には捏造も妄想も含まれるのだと思います。
    以下のアフォリズムではルサンチマンが創造的になりうることを示しています。

    『道徳における奴隷一揆は、ルサンチマンそのものが創造的となり、価値を生み出すようになったときにはじめて起こる。(道徳の系譜 第一論文10)』

    『すなわち、根本においてはそれは、そのような世界があればとの願望である。同時に、苦悩をひきおこす世界に対する憎悪は、別の、もっと価値のある世界が空想されるということのうちに表現されている。すなわち、現実的なものに対する形而上学者たちのルサンチマンがここでは創造的となっているのである。(力への意志 第579番)』


    で、究極のところニーチェは私たちは真理のための器官を持っていないと断言しています。肯定的に言えば私たちは解釈によって自分が創造主として自分の世界を創造しているし、否定的に言えば私たちは誤謬によって各々の世界をでっちあげているってことだと思います。

    『認識の起源──知性が非常に永い時間をかけて造り出したものは、誤謬以外の何ものでもなかった。その誤謬の幾つかは、有益で種属保持に役立つものとなった。(悦ばしき知識 第110番)』

    『われわれは認識のための、「真理」のための器官を、全く何ひとつ有(も)っていない。われわれは、人間群畜や種属のために有用だとされるちょうどそれだけを「知る」(あるいは信ずる・あるいは妄想する)のである。(悦ばしき知識 第354番)』


    続きます
引用返信/返信 削除キー/
■40 / inTopicNo.7)  ルサンチマンと創造(2)
□投稿者/ パニチェ -(2016/11/18(Fri) 23:14:03)
    2016/11/19(Sat) 12:23:05 編集(投稿者)

    > ニーチェの言うルサンチマンは、コンプレックスや心の琴線だけで終わりではなく、弱者が力への意思という真理の中では生きられない為に、そこから逃げ勝手に価値を転換してしまうこと迄を含んでるのかなと思っています。

    力への意志はさまざまなかたちで表出します。
    真理への意志も力への意志のいち側面であり、ニーチェは以下のように述べています。

    『真理への意志とは、固定的なものをでっちあげること、真なる・持続的なものをでっちあげること、あの偽りの性格を度外視すること、このものを存在するものへと解釈し変えることである。それゆえ「真理」とは、現存する或るもの、見出され、発見されるべき或るものではなく、──つくりだされるべき或るもの、過程に代わる、それのみならず、それ自体では終わることのない征服の意志に代わる名称の役目をつとめる或るもののことである。すなわち、真理を置き入れるのは、無限過程、能動的に規定するはたらきとしてであって──それ自体で固定し確定しているかにみえる或るものの意識化としてではない。それは「権力への意志」の代名詞である。(力への意志 第552番)』

    ルサンチマンも力への意志であり、その表出として固定的なものをでっちあげる真理への意志という創造力によってユダヤ的な世界や奴隷道徳をでっちあげる。

    > コンプレックスを克服しようと前を向き努力する姿はルサンチマンでしょうか。何というか、やはり自分仕様に価値を転換することが結果として含まれていなければ、ルサンチマンという言葉が合わなく感じてしまいます。

    コンプレックスを克服しようとするベクトルはルサンチマンとは思いません。
    先の投稿で私が言いたかったのは無意識的なところで、その人の琴線や逆鱗になているのはコンプレックスであることが多く、それがその人の力の源泉になっているところもあるのではないか?ということです。

    下世話な話で申し訳ないのですが、私が知るかつての上司は女性に対する執着が人一倍強かった、異常なまでに女性の目を気にしている。それがその人の仕事への活力やある種のスマートさの理由でもあったし、女性に好かれる男でいたいという願望からきていた。

    その深層には母親を早くなくしたことからくる強烈なマザコンにあると(私には)映りました。

引用返信/返信 削除キー/
■45 / inTopicNo.8)  Re[6]: ルサンチマンと創造(2)
□投稿者/ rami -(2016/11/20(Sun) 23:54:17)
    パニ、返信に気づくのが遅くなりごめんなさい<(_ _)>


    とてもわかりやすい説明を有難うございました(^^)!又何かあったらよろしくお願いします!









引用返信/返信 削除キー/
■48 / inTopicNo.9)  Re[7]: ルサンチマンと創造(2)
□投稿者/ パニチェ -(2016/11/21(Mon) 21:04:05)
    No45に返信(ramiさんの記事)
    > パニ、返信に気づくのが遅くなりごめんなさい<(_ _)>

    いえいえ、お互い時間のある時に返信すればいいわけで。。。^^

    > とてもわかりやすい説明を有難うございました(^^)!又何かあったらよろしくお願いします!

    どういたしまして。
    久々にニーチェ絡みのレス交換ができて楽しかったし、調べて勉強にもなりますた。
    (^^)v


引用返信/返信 削除キー/
■67 / inTopicNo.10)  比類なき私
□投稿者/ パニチェ -(2016/12/25(Sun) 12:01:39)
    あれ?『〈仏教3.0〉を哲学する』の中で永井均氏が「比類なき私」という表現をP60で使ってる、というかこの著書によれば、仏教に造詣の深い宮崎哲弥氏が呉智英氏との共著「知的唯仏論」の中で『いったん「比類なき私」というのを提示しておいて、それば大事なんだけれども、それをさらに否定するところが仏教のいちばんすごいところなんだ、というふうにおっしゃっている(P29)”』とある。

    宮崎哲弥氏が「比類なき私」という表現を用いたそうな。。。
    永井均氏の専売特許は「〈私〉の存在の比類なさ」で「比類なき私」という表現にはちょい驚いた。

    まぁ、文脈からすればそのような表現になるには必然とも言えるけども、十数年前に掲示板でキダマサ氏から命名してもらった呼び名が「比類なき先言の〈私〉」だったことからして、やっぱ同じ(同じであって、同じではないが・笑)対象について語っていることは間違いなさそうだとは思う。

引用返信/返信 削除キー/
■178 / inTopicNo.11)  船に乗れ!
□投稿者/ パニチェ -(2017/04/13(Thu) 06:42:51)
    その人流儀の生き方や考え方に関する哲学的な全般的是認が、
    それぞれの人にどういう影響を及ぼすか
    (──すなわち温め祝福し実らせつつ特別にその人を照らす太陽のように)、
    また、そうした是認は、どんなに人を毀誉褒貶から自由にし、
    自足させ、豊かにし、幸福や好意を恵むうえで気前良くさせるか、
    また、それはどんなに絶え間なく悪を善に改造し、
    あらゆる力を開花・成熟させ、
    大小とりまぜての怨恨や不機嫌の雑草を
    皆目生ぜしめないようにするか、

    ──そうしたことを考えると、
    とうとうわれわれは待ちきれなくなって叫びを上げるのだ。
    ──おお、もっと多くのそういう新しい太陽が
    創造されたらいいのに!
    悪人も、不幸者も、例外人も、自分の哲学、自分の正当の権利、
    自分の太陽の光を持つべきだ!彼らに同情する必要などはない!

    ──これまで永いこと人類は同情というやつを覚えこみ、
    それの稽古をつんできたけれども、
    そうした高慢不遜の思い付きを
    われわれは忘れ去らねばならぬ、──

    彼らのために聴罪師も設けてやる必要はない
    彼らに必要なのは、むしろ、ひとつの新しい正義なのだ!
    また、一つの新しい解決なのだ!
    さらには、新しい哲学者たちなのだ!

    道徳的地球だって円い!
    道徳的地球だってその対蹠人をもっている!
    対蹠人らにだって生存の権利がある!
    さらに別の一世界が発見されねばならぬ
    ──いな、一つに限らず多くの世界が!
    船に乗れ、君ら哲学者たちよ!

    ──ニーチェ著「悦ばしき知識 第289番」より──

    ----------------------------------------------------------

    体制にも反体制にも
    右にも左にも
    大衆にも金持ちにも
    ノイジーマイノリティーにも
    サイレントマジョリティーにも
    国家にも宗教にも
    ナショナリズムにも
    グローバリズムにも
    もちろんマスメディアにも
    迎合しない言論
    船に乗れってか?
    どうすっかなぁ〜
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■192 / inTopicNo.12)  酔歌
□投稿者/ パニチェ -(2017/04/20(Thu) 22:24:18)
    No187に返信(らみさんの記事)

    > >・・・「然り!」と答えることがきる選択を行い続けることによって人事が及ぶ範囲のところは自らの自由意志で選択していく。


    > こちらを読むと永劫回帰とか運命愛の思想って、なんだかとても前向きでシンプルなイメージを持つのですが、ツァラトゥストラを読んだ時のイメージでは私はむしろマゾヒズムっぽさを感じていました。

    > というか、「力への意思」こそがマゾ的なのか?


    > わたしは下巻の「酔歌」の章が好きなのですが、あの箇所って永劫回帰を「人事を尽くして天命を待つ」のような意味として読むと、ちょっと違和感を感じます。あの章は、マゾ的な気質を持って浸りながら読みたいです笑。


    ツァラトゥストラはやっぱ難解だし、読み応えがありますね。

    酔歌の章を読み解くキーワードは。。。

    「最も醜い人間」

    最も影が短くなる正午に対して影が主役となる「真夜中」

    永劫回帰の暗黒面

    「甘いブドウ酒に酔っていた」=ディオニュソス

    こんなところですかねぇ〜

    ちゃんと読み直して返信します。^^

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