| こんにちは!
なんか最近トップページでbbsのクリックができなかったり色々変じゃないですか?
そうだ、パニって確か真夏生まれでしたね(^^)!
蛇の説明もありがとうございました!
パニは数冊ツァラ持ってるんですね。 好きな訳者さんだと買う、とかなのでしょうか。 わたしは訳者さんは誰でも良いので、この本は電子図書で買いたかったです。それでワード検索するんです。どこに書いてあったか忘れてしまった言葉とかを。
>> >未完成のもの、未熟な未人は永遠を欲する。
>> ここなのですが、未熟なものが欲すのは永遠ではなく、自分自身ではない強いもの、明るいものだとあります。
>同意です。 >未熟な者が欲するのは「より自分らしくありたい(現状の自分ではない自分でありたい)」の運動(生)を肯定する自己超克ですね。完成は停止であり、自己超克は生という名の運動。 つまり永遠の未完こそが自己超克の源泉でもあり、永遠を好むってことだと思います。
わたしが、この酔歌の章に拘る一つの理由として、次のラストの章でツァラに初めて「徴」が現れますよね。なので、今迄の章では語られなかったはずの何かが絶対に語られてると思うのです。それなしには永劫回帰の教師にはなりえない何かが。。
生意気にすみませんが「永遠」という言葉はこの章では真夜中の属性として語られてると思うので、そう使われてないことに違和感を感じてしまうのです。
パニの解説ではいつも、自己超克と永劫回帰が一セットになっていると思うのですが、今更ですみませんが、「自己超克と永劫回帰」の繋がりが書かれてる場面てありますでしょうか。
上巻の「三段の変化」は、自由の精神やや新しい価値の創造について言っているだけで、自己超克は関係ないように思うのですが。
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