| 11:33 だれもあかりをともして、それを穴倉の中や枡の下に置くことはしない。むしろはいって来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台の上におく。
この「あかり」は、イエス様御自身ですが、燭台の上に置かれている、とはどういうことでしょうか。
「あかり」を灯すなら、入って来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台の上におくとある様に、イエス・キリストは、誰でも見ようとしさえすれば、イエスが神の御子、救い主だと判る様に、神は、していると言うことだと思います。
現に聖書は、世界一のベストセラーと言われるほど多くの人々が知っていて、特に現代では、紙の本は勿論のこと、ネットでの電子書籍やYouTube等の動画で誰でも聖書を読み福音を聞こうとすれば出来る状況にあります。
ところが現実には、イエスを自分の救い主として信じる人は、それほど多くはありません。なぜなのでしょうか。
その原因は、聖書や福音つまり“神の側”にあるのではなく、人の側の目の悪さにあると聖書は言います。
11:34 あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。
「あかり」が燭台の上に置かれる如く、イエス・キリストの御業が公然と行われ福音が様々な手段で世界中に伝えられていても、イエスが誰かを見抜いて信じるには“澄んだ目”、すなわち聖霊による霊的な視力が必要なのだと思います。
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