| 続きになります。
>>>真の神であると同時に真の人間である全キリストの実体に変わった。パンとワインの実体は跡形もなく、ひたすらキリストの実体(感覚的には不可知)だけがそこに現存する。 >> >>人間からみると「聖体を食べる」ことは、神からみると「真の神であると同時に真の人間である全キリストの実体を与え尽くす」こと。これが新しい契約、新約になると思います。いや、これ以外に新約はない。けっして新約聖書という書物が新約ではないですね。 > > キリストの実体がリアルに自分の中に現存するということは、父なる神から子なるキリストに注がれたのとまったく同じ、寸分も変わらず同じ愛が、自分の心と体にも注がれていることを含意します。これ以上のゴールはありません。
そうですね。 三位一体の神の愛の光が、イエス様から自分に放たれていることを、聖霊によって自分自身の目で見る。そして、自分の身体全体が明るくなる。 これこそ、奇蹟、御利益であり、ゴールと言っていいのかなと思います。
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