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■23288 / inTopicNo.13)  B137
  
□投稿者/ pipit -(2022/05/16(Mon) 19:02:12)
    No23287
    『純粋理性批判』第二版B137 の英訳 です (T ^ T)
引用返信/返信 削除キー/
■23287 / inTopicNo.14)  進む。。。
□投稿者/ pipit -(2022/05/16(Mon) 18:59:33)
    2022/05/16(Mon) 19:13:17 編集(投稿者)
    2022/05/16(Mon) 19:13:00 編集(投稿者)

    No23282に返信(pipitさんの記事)
    >>私が(感性の)直観により与えられる全ての表象を『私の』表象と呼ぶということは、
    > その表象との関係において、同一の自己を意識しているのだ。<
    >
    >>言い換えれば、私は、私の表象の必然的にアプリオリな総合を自分で意識している。<
    >
    > ん??
    >
    > 、、、総合を意識する意識が統覚ということ??
    >
    > 総合を(自)覚すると、統覚????
    >
    > もう、今日は、考える気力がありませぬ。。。
    >
    > おやすみなさーい _(┐「ε:)_ ☆彡

    難しいよー (T ^ T)

    とりあえず、次に進みます。

    (次)J.M.D.Meiklejohnさまによる英訳

    The Principle of the Synthetical Unity of Apperception is the highest Principle of all exercise of the Understanding § 13
    The supreme principle of the possibility of all intuition in relation to sensibility was, according to our transcendental &#230;sthetic, that all the manifold in intuition be subject to the formal conditions of space and time. The supreme principle of the possibility of it in relation to the understanding is that all the manifold in it be subject to conditions of the originally synthetical unity or apperception.[17] To the former of these two principles are subject all the various representations of intuition, in so far as they are given to us; to the latter, in so far as they must be capable of conjunction in one consciousness; for without this nothing can be thought or cognized, because the given representations would not have in common the act Of the apperception “I think” and therefore could not be connected in one self-consciousness.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap43
引用返信/返信 削除キー/
■23286 / inTopicNo.15)  うましかさんへ
□投稿者/ pipit -(2022/05/16(Mon) 06:24:41)
    2022/05/16(Mon) 06:25:56 編集(投稿者)

    No23283に返信(うましかさんの記事)
    > pipitさん、こんばんはー(;´・ω・)
    >
    >>In other words, I am conscious myself of a necessary a priori synthesis of my representations, which is called the original synthetical unity of apperception, under which rank all the representations presented to me, but that only by means of a synthesis.
    >>
    >>(pipit日訳)
    >>言い換えれば、私は、私の表象の必然的にアプリオリな総合を自分で意識している。これは、統覚の根源的統一と呼ばれ、その下に、私に現れたすべての表象が位置するが、それは総合によってのみである。
    >
    >
    > *******
    >
    > 訳文中の
    >
    > >これは、統覚の根源的統一と呼ばれ、
    >
    > についてですが、J.M.D.Meiklejohnの英訳文によれば、
    >
    > >which is called the original synthetical unity of apperception,
    >
    > とあります。原佑訳や石川文康訳でも確認しましたが、"the original synthetical unity of apperception"は、「統覚の根源的・総合的統一」と訳されているようですm(__)m<

    うましかさん、おはようございます!

    あ!pipitの日訳は、『synthetical』部分が訳されてませんでした
    Σ(・□・;)
    統覚の根源的統一 と訳してしまった箇所を 統覚の根源的・総合的統一 に訂正しますね。

    教えてくださって、とても嬉しいです!
    ありがとうございますm(_ _)m

    また、霧の中みたいになっちゃって、うましかさんからご紹介いただいた論文を再読しようと思っていました。

    感謝です。


    > (/・ω・)/御子柴善之泉でパシャパシャ<

    読ませていただきますね!

引用返信/返信 削除キー/
■23285 / inTopicNo.16)  御子柴善之泉:超越論的感性論 解説4
□投稿者/ うましか -(2022/05/16(Mon) 02:04:14)
    2022/05/16(Mon) 02:04:57 編集(投稿者)

    御子柴善之『カント 純粋理性批判』角川選書(シリーズ◆世界の思想)

    https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000036/

    p.84〜p.106、「第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論」を読んでいます(・∀・)

    -------

    ◆第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論

    ・『純理』本論… 超越論的原理論と超越論的方法論に分かれる
    ・超越論的感性論は原理論の冒頭に位置する。

    ・原理論…「いかにしてア・プリオリな総合的判断は可能か?」という問いに答えるための原理の探求
    ・私たち自身の認識に即した議論である。

    ※以下■=内容の見出し(本文では〈〉で表示)

    ■感性論と美学

    ・感性論 … エステーティク、「美学」と翻訳されることもある。
    ・カントは(先行するバウムガルテンのように)エステーティクを学問に高めようとすることは誤った希望だと主張する。→ 美を理性原理の下に批判的に判定しようとしても、その判定規則は経験的でしかあり得ないから。
    ・そもそもエステーティクは語源的にギリシア語のアイステーシス(感覚)に由来する。

    ■直観と感性

    ・感性論が扱うこと … 私たちがなにかを「感じる」ということ
    ・感性論の冒頭文:内容を@〜Dで分ける。

     @直観 … 認識において、人は何か(対象)を認識する。対象と認識の直接的な関係の仕方が直観。
     例)私の目の前にある書物→ 私はこの書物を直観している。

     A直観の成立する仕方 … 対象が「与えられる」という仕方でしかありえない。対象が与えられるとき人のこころ(意識)に起きるのが「触発」。

     B感性 … 直観において対象は「与えられる」。この与えられた対象を表象(例:この書物の意識)として受け取る能力がある。この受容性の能力が感性。カントによれば、感性を介してだけ対象が与えられ直観が成立する。とすれば、感性無しには認識は存在しないことになる。

     C悟性… とはいえ、認識は感性が提供する直観だけでは成立しない。私たちは見えているものについて「あれは何だろう?」と思考する。そうした思考能力が悟性であり、思考する際に使用するのが概念。

     例)今目の前にあるものを「書物である」と思考するとき、私たちは「書物」という概念を使用している。

     ちなみに、直観はそこに対象が与えられない限り成立しないが、概念はそこに無いものでも思考できる。概念は一般的な表象であり、悟性はそうした表象を生み出す能力。

     D悟性だけでも認識は成立しない。… 認識においては、悟性が感性に関係しなければならない。なぜなら思考するだけなら、矛盾を侵さない限り、色々とありもしないことを考えられるからである。

    ■感覚と現象

    ・『純理』本論の冒頭に置かれたカント認識論の基本概念 … 感性、直観、触発、悟性、概念 ※ただし悟性や概念は超越論的分析論で論じられるべきもの

    ・こころでは、個別的表象(この書物の直観)も一般的表象(書物一般の概念)も意識される。
    ・この「こころ」とは表象能力のこと。
    ・「ある対象が表象能力に及ぼす影響が、私たちが対象によって触発される限り、感覚である。」→ この表象能力(こころ)に対して触発によって引き起こされる結果が「感覚」。

     例)目の前の書物… 大きければ、広がりの大きさが感覚され、鮮やかな赤色ならば、その色が強く感覚される。

    ・このような感覚によって対象に関係される、その直観を「経験的」とよぶ。
    ・経験的な直観によって与えられる対象が「現象」

     例)私たちが年中見舞われる自然現象 … 日照りや台風、地震、火山噴火など、それらは常に感覚を介して直観される。

    ・私たちはそうした自然現象を「これは台風である」「あれは地震である」と概念を使用して認識する。

    ・そうした概念によって規定されていない対象が「現象」。
    ・もし適切な概念が見当たらない自然現象に遭遇するならば、私たちはまさに「現象」がそれとして与えられていることを意識する。

    ・現象は、内容と形式に分けられる。
    @内容 … 現象の内容は感覚。それは常に経験的でア・ポステリオリ。

    A形式 … 現象の多様を秩序づけるもの。
     例)二階の窓から見える街並み。見渡すと多くの建物や樹木が見えるが、それらは混沌ではなく、すでにある程度は分節化され秩序づけられて見えるはず。


    ■現象と形式 − それを取り出す手順
    ■外的感官と内的感官

    ■空間とはなにかを究明する
    ■空間の理解から帰結すること
    ■空間の経験的実在性と超越論的観念性

    ■時間とはなにかを究明する
    ■時間の理解から帰結すること
    ■時間の経験的実在性と超越論的観念性

    ■感性的認識一般の根本性質

    -------

    No.23249,23251,23262,23285
引用返信/返信 削除キー/
■23283 / inTopicNo.17)  Re[13]: 純粋理性批判B135.136あたりの英訳
□投稿者/ うましか -(2022/05/16(Mon) 00:48:19)
    pipitさん、こんばんはー(;´・ω・)

    > In other words, I am conscious myself of a necessary a priori synthesis of my representations, which is called the original synthetical unity of apperception, under which rank all the representations presented to me, but that only by means of a synthesis.
    >
    > (pipit日訳)
    > 言い換えれば、私は、私の表象の必然的にアプリオリな総合を自分で意識している。これは、統覚の根源的統一と呼ばれ、その下に、私に現れたすべての表象が位置するが、それは総合によってのみである。


    *******

    訳文中の

    >これは、統覚の根源的統一と呼ばれ、

    についてですが、J.M.D.Meiklejohnの英訳文によれば、

    >which is called the original synthetical unity of apperception,

    とあります。原佑訳や石川文康訳でも確認しましたが、"the original synthetical unity of apperception"は、「統覚の根源的・総合的統一」と訳されているようですm(__)m



    (/・ω・)/御子柴善之泉でパシャパシャ







引用返信/返信 削除キー/
■23282 / inTopicNo.18)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/05/15(Sun) 23:35:30)
    > 私が(感性の)直観により与えられる全ての表象を『私の』表象と呼ぶということは、
    その表象との関係において、同一の自己を意識しているのだ。<

    > 言い換えれば、私は、私の表象の必然的にアプリオリな総合を自分で意識している。<

    ん??

    、、、総合を意識する意識が統覚ということ??

    総合を(自)覚すると、統覚????

    もう、今日は、考える気力がありませぬ。。。

    おやすみなさーい _(┐「ε:)_ ☆彡
引用返信/返信 削除キー/
■23271 / inTopicNo.19)  Re[12]: 純粋理性批判B135.136あたりの英訳
□投稿者/ pipit -(2022/05/15(Sun) 16:50:14)
    2022/05/16(Mon) 06:27:22 編集(投稿者)
    2022/05/15(Sun) 20:30:13 編集(投稿者)

    うましかさん、こんにちはー
    御子柴善之泉おつかれさま!
    (*^▽^*)清らかー

    pipitも演繹論泥沼潜ります!
    ヽ(;▽;) 泥沼ー

    ※※※※※※※※※※※※

    No23250
    In other words, I am conscious myself of a necessary a priori synthesis of my representations, which is called the original synthetical unity of apperception, under which rank all the representations presented to me, but that only by means of a synthesis.

    (pipit日訳)
    言い換えれば、私は、私の表象の必然的にアプリオリな総合を自分で意識している。これは、統覚の根源的・総合的統一と呼ばれ、その下に、私に現れたすべての表象が位置するが、それは総合によってのみである。

    (pipit感想)
    みたものを【私の】みたもの。
    きいたものを【私の】きいたもの。としてる。
    このような事態は、
    現れる表象がどのようなものであれ、【私の】と意識することがアプリオリだから成り立つもの、と、すれば、
    それが、超越論的・根源的統覚である。
    【私の】という意識を生み出す意識(根源的統覚)の下に、表象は総合される(=総合の能力が、必要)

    統合 と 総合
    を、微妙に区別してる気がするな。

    総合、と、総合を統一すること。
    総合能力、と、統一能力、とすると、
    統一できるなら、総合能力は含まれて働いている。

    統一に総合能力は織り込み済み。
    だが、総合があるだけでは統一が必ず有るということではない。


引用返信/返信 削除キー/
■23262 / inTopicNo.20)  御子柴善之泉:超越論的感性論 解説3
□投稿者/ うましか -(2022/05/15(Sun) 10:11:19)
    2022/05/15(Sun) 14:58:24 編集(投稿者)

    御子柴善之『カント 純粋理性批判』角川選書(シリーズ◆世界の思想)

    https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000036/

    pipitさん、おはようございますー

    p.84〜p.106、「第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論」を読んでいます(・∀・)

    -------

    ◆第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論

    ・『純理』本論… 超越論的原理論と超越論的方法論に分かれる
    ・超越論的感性論は原理論の冒頭に位置する。

    ・原理論…「いかにしてア・プリオリな総合的判断は可能か?」という問いに答えるための原理の探求
    ・私たち自身の認識に即した議論である。

    ※以下■=内容の見出し(本文では〈〉で表示)

    ■感性論と美学

    ・感性論 … エステーティク、「美学」と翻訳されることもある。
    ・カントは(先行するバウムガルテンのように)エステーティクを学問に高めようとすることは誤った希望だと主張する。→ 美を理性原理の下に批判的に判定しようとしても、その判定規則は経験的でしかあり得ないから。
    ・そもそもエステーティクは語源的にギリシア語のアイステーシス(感覚)に由来する。

    ■直観と感性

    ・感性論が扱うこと … 私たちがなにかを「感じる」ということ
    ・感性論の冒頭文:内容を@〜Dで分ける。

     @直観 … 認識において、人は何か(対象)を認識する。対象と認識の直接的な関係の仕方。
     例)私の目の前にある書物→ 私はこの書物を直観している。

     A直観の成立する仕方 … 対象が「与えられる」という仕方でしかありえない。対象が与えられるとき人のこころ(意識)に起きるのが「触発」である。

     B感性 … 直観において対象は「与えられる」。この与えられた対象を表象(例:この書物の意識)として受け取る能力がある。この受容性の能力が感性。カントによれば、感性を介してだけ対象が与えられ直観が成立する。とすれば、感性無しには認識は存在しないことになる。

     C悟性… とはいえ、認識は感性が提供する直観だけでは成立しない。私たちは見えているものについて「あれは何だろう?」と思考する。そうした思考能力が悟性であり、思考する際に使用するのが概念。

     例)今目の前にあるものを「書物である」と思考するとき、私たちは「書物」という概念を使用している。

     ちなみに、直観はそこに対象が与えられない限り成立しないが、概念はそこに無いものでも思考できる。概念は一般的な表象であり、悟性はそうした表象を生み出す能力である。

     D悟性だけでも認識は成立しない。… 認識においては、悟性が感性に関係しなければならない。なぜなら思考するだけなら、矛盾を侵さない限り、色々とありもしないことを考えられるからである。

    ■感覚と現象

    ・『純理』本論の冒頭に置かれたカント認識論の基本概念 … 感性、直観、触発、悟性、概念



    ■現象と形式 − それを取り出す手順
    ■外的感官と内的感官

    ■空間とはなにかを究明する
    ■空間の理解から帰結すること
    ■空間の経験的実在性と超越論的観念性

    ■時間とはなにかを究明する
    ■時間の理解から帰結すること
    ■時間の経験的実在性と超越論的観念性

    ■感性的認識一般の根本性質

    -------

    No.23249,23251,23262
引用返信/返信 削除キー/
■23251 / inTopicNo.21)  御子柴善之泉:超越論的感性論 解説2
□投稿者/ うましか -(2022/05/14(Sat) 18:36:26)
    2022/05/14(Sat) 18:38:39 編集(投稿者)

    御子柴善之『カント 純粋理性批判』角川選書(シリーズ◆世界の思想)

    https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000036/

    p.84〜p.106、「第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論」を読んでいます
    (・∀・) pipitさん、こんばんはー

    -------

    ◆第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論

    ・『純理』本論… 超越論的原理論と超越論的方法論に分かれる
    ・超越論的感性論は原理論の冒頭に位置する。

    ・原理論…「いかにしてア・プリオリな総合的判断は可能か?」という問いに答えるための原理の探求
    ・私たち自身の認識に即した議論である。

    ※以下■=内容の見出し(本文では〈〉で表示)

    ■感性論と美学
    ■直観と感性
    ■感覚と現象
    ■現象と形式 − それを取り出す手順
    ■外的感官と内的感官

    ■空間とはなにかを究明する
    ■空間の理解から帰結すること
    ■空間の経験的実在性と超越論的観念性

    ■時間とはなにかを究明する
    ■時間の理解から帰結すること
    ■時間の経験的実在性と超越論的観念性

    ■感性的認識一般の根本性質

    -------

    No.23249,23251

引用返信/返信 削除キー/
■23250 / inTopicNo.22)  Re[11]: 純粋理性批判B135.136あたりの英訳
□投稿者/ pipit -(2022/05/14(Sat) 17:02:31)
    わーい、うましかさん、こんにちは!
    o(^▽^)o♪

    わたしもがんばってみよー
    _φ( ̄ー ̄ )

    前の投稿
    No23143
    >(原文のJ. M. D. Meiklejohnさんの英訳)
    省略

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap43

    (英訳のpipit意訳)
    すべての多様が意識そのものによって(実存的に)与えられる知性は直観的であろう。(=直観できる知性・知的直観);
    だが私たち(人間の)知性は、ただ考えることができるだけであり、直観は感覚に求めなくてはならない。<

    ============
    からの、続き!

    I am, therefore, conscious of my identical self, in relation to all the variety of representations given to me in an intuition, because I call all of them my representations.

    (pipit日訳)
    私が(感性の)直観により与えられる全ての表象を『私の』表象と呼ぶということは、
    その表象との関係において、同一の自己を意識しているのだ。

    ============

    pipit感想

    人間の直観は感性的

    感じた直観 全て を 私の(直観)とみなす。

    直観 は その都度 バラバラ の 生起。

    バラバラ を、 全て 『私の』 と 意識 する。

引用返信/返信 削除キー/
■23249 / inTopicNo.23)  御子柴善之泉:超越論的感性論 解説1
□投稿者/ うましか -(2022/05/14(Sat) 15:14:24)
    2022/05/14(Sat) 15:15:15 編集(投稿者)

    御子柴善之『カント 純粋理性批判』角川選書(シリーズ◆世界の思想)

    https://www.kadokawa.co.jp/product/321707000036/

    p.84〜p.106、「第四章 論理学の外部に位置づく感性論 − 超越論的感性論」を読んでいきたいとおもいます(・ω・)ノ

    -------

    ◇内容の見出し(本文では〈〉で表示)

    ・感性論と美学
    ・直観と感性
    ・感覚と現象
    ・現象と形式 − それを取り出す手順
    ・外的感官と内的感官

    ・空間とはなにかを究明する
    ・空間の理解から帰結すること
    ・空間の経験的実在性と超越論的観念性

    ・時間とはなにかを究明する
    ・時間の理解から帰結すること
    ・時間の経験的実在性と超越論的観念性

    ・感性的認識一般の根本性質

    -------

    No.23249

引用返信/返信 削除キー/
■23247 / inTopicNo.24)  超越論的感性論 第七項:[−3
□投稿者/ うましか -(2022/05/14(Sat) 13:16:33)
    2022/05/14(Sat) 14:04:17 編集(投稿者)

    pipitさん、おはようございますー


    カント沼感性論、飛び込みます! (`・ω・´)ゞ


    (/・ω・)/パシャパシャ



    *******

    T 超越論的原理論
    第一部門 超越論的感性論

    第二節 時間について
     第七項 解明

    ◆ しかし、こうした異議がこのように異口同音になされ、しかも、それにもかかわらず、空間の観念性についての説に対して何ら明白な反論を示し得ない人々によってなされる原因は次の通りである。
    彼らは空間の絶対的実在性を確然的に立証し得るとは期待しなかった。というのも彼らは観念論に直面しており、その観念論に従えば外的な諸対象の現実性は何ら厳密に証明され得ないが、これに反して私たちの内的感官の対象(私自身と私の状態)の現実性は、直接的に意識を通じて明瞭であるからである。
    彼らの見解によれば、外的な諸対象は単なる仮象であり得たかもしれないが、内的感官の対象は何か現実的なものであることは拒みがたいというわけである。しかし、彼らは表象としての両者〔外的な諸対象と内的感官の対象〕の現実性は拒否され得ないとしても、にもかかわらず両者とも現象にだけ属しているということを見落としていた。
    この現象はいつでも二つの側面を持っている。一方は、客体がそれ自体そのもので考察される側面である(この場合にはこの客体を直観する様式にかかわりなく考察され、まさにこのゆえに、この客体の性質はいつでもあくまでも問題としては残る)。
    他方は、この対象の直観の形式が考慮される側面であり、この形式はその対象自体そのものの内にではなく、その対象がそれに現象する主体のうちに求められねばならないが、それにもかかわらず、その対象の現象に、現実的かつ必然的に帰属するのである。

    --- No. 23113 からの続き ---

    ◇したがって時間と空間は二つの認識源泉〔zwei Erkenntnisquellen〕であり、そこから様々な綜合的認識がア・プリオリに汲み取られ得るのであるが、とりわけ純粋数学が空間とその諸関係についての認識に関して、一つの輝かしい実例を示している。

     ※1 時間と空間は二つの認識源泉→様々な綜合的認識がア・プリオリに汲み取られる
     ※2 例として、空間とその諸関係についての認識に関する純粋数学
     ※3 「空間とその諸関係についての認識」 (;´・ω・)?空間と何の関係?

    ◇すなわち、時間と空間は、両者合わせて全ての感性的直観の純粋形式であり、だからこのことによってア・プリオリな諸綜合的命題を可能ならしめる。しかし、これらのア・プリオリな認識源泉はまさに次のこと(それらが単に感性の条件であるということ)によってその限界〔Grenzen〕を設定される。

     ※4 感性的直観の純粋形式(時間と空間)→ア・プリオリな綜合的命題を可能とする条件 ← 感性の条件であることによる限界がある。

    ◇すなわち、それは時間と空間とが、現象として考察される限りでの諸対象にのみ関わり、諸物自体そのものを描出しないということである。現象だけが時間と空間の妥当性の分野であって、その分野からは人がそこを越え出ていくなら、もはやそれらのいかなる客観的使用も生じない。

     ※5 「現象」として考察される限りでのみ諸対象に関わる
     ※6 「客観的使用」とは、時間と空間のどのような使用のことか(;´・ω・)?

    ◇いずれにしても、空間と時間とのこうした実在性は経験認識〔Erfahrungskenntnis〕の確実性を侵すものではない。なぜなら私たちは、空間と時間というこれらの形式が諸物自体そのものに結びついているにせよ、これらの諸物の私たちの直観にだけ必然的に結びついているにせよ、同じく経験認識を確信しているからである。

     ※7 「こうした実在性」 ・・・ 経験的実在性のこと?
     ※8 空間と時間という(感性的直観の純粋)形式は、物自体に、、、結びついているの(;´・ω・)?

    ◇これに反して、空間と時間との絶対的実在性を主張する人々は、たとえ彼らがこれら両者を基体的なものとして想定するにせよ、或いは内属的なものとしてのみ想定するにせよ、経験自身の諸原理と一致しなくならざるを得ない。

    ◇なぜなら、彼らがこれら両者を基体的なものとして想定する第一の立場(これは一般に数学的自然探究者がとる立場である)をとることに決めれば、彼らは永遠無限な独立して存立する二つの不可解なもの(空間と時間)を想定せざるを得ず、これらの不可解なものは(なんとしても現実的なものであるということ無しに)全ての現実的なものをそれ自身の内に包括するためにのみ現存することになる。

     ※9 第一の立場 ・・・ 永遠無限な独立して存在する不可解な(絶対的実在性)ものとしての時間空間 → 全ての現実的なものをそれ自身の内に包括するためにのみ現存する
     ※10 経験自身の諸原理と一致しない


    † 原佑訳上巻、p.169〜p.171参照。他に、石川文康訳上巻を参照。
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。


    *******
    [−1 No.23091、[−2 No.23113、[−3 No.23247
    Z−4 No.22690、Z−5 No.23032
    Z−1 No.21262、Z−2 No.21969、Z−3 No.22067
    Y−1 No.20986
    X−4 No.20772
    X−1 No.20568、X−2 No.20578、X−3 No.20699
    W−10 No.20434
    W−7 No.19817、W−8 No.20105、W−9 No.20168
    W−4 No.19542、W−5 No.19668、W−6 No.19682
    W−1 No.18802、W−2 No.19157、W−3 No.19216
    V−7 No.18378、V−8 No.18764
    V−4 No.17945、V−5 No.18058、V−6 No.18323
    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    第一項 No.16440,16454,16495,16741,16783
    第二項 No.17515,17588,17841,17945,18058,18323,18378,18764
    第三項 No.18802,19157,19216,19542,19668,19682,19817,20105,20168,20434
    第四項 No.20568,20578,20699,20772
    第五項 No.20986
    第六項 No.21262,21969,22067,22690,23032
    第七項 No.23091,23113,23247

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