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■22100 / inTopicNo.1)  Re[42]: 謎。
  
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/04/06(Wed) 19:49:35)
    悪魔ちゃん

    No22094に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ふくろうさん、
    >
    > ウィットちゃんの場合、
    > >世界の本質<を、って言うことみたいだけど、
    > もうちょっと、
    > ウィットちゃんの「世界」の中に「私」は含まれてるのかしら?
    >
    >
    **********************
    『論考』では、「世界」とは「語りうるもの」なので、

    科学的対象となる「私」は世界に含まれますが、

    世界の限界としての“私”は含まれません。
引用返信/返信 削除キー/
■22094 / inTopicNo.2)  Re[41]: 謎。
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/04/06(Wed) 19:27:17)
    ふくろうさん、

    ウィットちゃんの場合、
    >世界の本質<を、って言うことみたいだけど、
    もうちょっと、
    ウィットちゃんの「世界」の中に「私」は含まれてるのかしら?


引用返信/返信 削除キー/
■22044 / inTopicNo.3)  Re[40]: 謎。
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/04/05(Tue) 20:42:49)
    No22038に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 『論考』って何を見えるようしようとしてるのかしら?

    **********
    「世界とは何か?」の解答。

    即ち、

    世界の本質。
引用返信/返信 削除キー/
■22038 / inTopicNo.4)  Re[39]: 謎。
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/04/05(Tue) 19:50:18)
    『論考』って何を見えるようしようとしてるのかしら?
引用返信/返信 削除キー/
■22026 / inTopicNo.5)  Re[38]: 謎。
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/04/04(Mon) 18:42:26)
    2022/04/05(Tue) 09:15:27 編集(投稿者)

    パニチェさん

    本来この問題は、本格的に論じようとすると論理学のテクニカルな議論が必要となるもので、さすがに無理があると思います。
    なので、とりあえず、詳細には踏み込まず、簡単に私見を述べておきます。
    というか、ある程度、専門家の議論を踏まえて紹介しておきます。



    No21999に返信(パニチェさんの記事)
    > 論理学には疎い私ですが現時点で私の思うところをカキコしてみます。
    >
    > ***以下「大修館書店「ウィトゲンシュタイン全集8 論理哲学論考」よりの引用**
    >
    > 1.13 論理空間における諸事実が世界である。
    > 2.01 事態とは諸対象(事物、もの)の結合である。
    > 2.0272 諸対象の配置が事態を形づくる。
    > 2.17 現実をそれなりの様式で──正しくであれ誤ってであれ──写像しうるために、
    >     像が現実と共有せねばならないものは、像の写像形式である。
    > 2.19 論理像は世界を写像しうる。
    > 3.24 複合物に関わる命題は、その構成要素に関わる命題と内的な関係にある。
    >     複合物は記述によってのみ与えられうる、そしてその記述は正しいか正しくないかのいずれかとなる。
    >     複合物について論じている命題は、当の複合物が存在しない場合、無意義とがならず、ただ偽となるのである。
    > 4.2 命題の意義とは、命題の、諸事態の存立非存立の諸可能性との一致不一致である。
    > 4.463 真理条件は、命題が事実に対して許している活動の余地を決定する。
    > 5. 命題は要素命題の真理関数である。
    > 5.521 私は全てという概念を、真理関数から切り離す。
    >
    > *************** 引用終わり ***************
    >
    > ある命題あるいは文や言葉が世界と写像関係になるかどうかで、その命題や文や言葉が真か偽か、あるいは意義か無意義かが決定する。
    >
    > よって写像理論には述語論理学は不要ということなのかな。
    >
    ***************************************
    私としては,やはり「述語論理は不要」という表現には抵抗を覚えます。
    実際,ウィトゲンシュタイン自身、そこまでは言ってませんしね。

    ウィトゲンシュタインはT:5.52で,操作Nによる量化命題の構成法を例示していますが,飯田隆先生は,それを引いて次のように言っています(『言語哲学大全U』p.73)(引用記号表記が不正確につき確認請う)。

    「このようにして量化を含む文もまた,真理関数的操作N(ξ ̄)によって得ることができることから,ウィトゲンシュタインは,次のように断言することが許されると考えたのであろう。
                         
    「T:6.001 いかなる命題も,要素命題に操作N(ξ ̄)を繰り返し適用した結果である」

    なので,ウィトゲンシュタインの考えは,量化命題を含むすべての命題は,事態の写像である要素命題の真理関数である,ということだと思います。

    また,T:5.521に引っかかる人もあるかもしれませんが,これは末木剛博先生によると,「全て」という概念は「ξ ̄」という可変記号で表されるので真理関数ではないが,全称命題は連言命題として表現されるので真理関数である,ということです(『論理哲学論考研究T』(p.377)。
    つまり,同じ「真理関数理論」と言っても,現在の命題論理とイコールの真理関数理論とは異なり,ウィトゲンシュタインの真理関数理論は,任意個の命題変数の値に適用可能な真理操作N(ξ ̄)を用いることにより,述語論理もカバーするものであるわけです。
    ですから,ラフに言いかえると,ウィトゲンシュタインの意図したものとしては,『論考』で提示された真理関数理論は少なくとも一階述語論理と同等以上の論理システムであると――正誤はべつにして――言えると思います。

    ちなみに,野矢先生や飯田先生が言及しているFogelinとGeachの論争で,後者が『論考』の記号法に修正を加えて提示した表記法によれば,量化命題の表現は次のようなものです。但し、ここで「(x:N(fx))」という表現は、xを定項に置き換えてできる命題変数fxの値である命題のクラスを表します。(表記しにくいので略記)。
    これを用いればFogelinが構成不可能だとした全称命題も多重量化命題も,操作Nで容易に構成可能です。

     ∀xfx= N(x:N(fx))
    ∃xfx=N(N(x:fx))
    ∀x∃yfxy=N(x:N(y:fxy))
    ∃x∀yfxy=N(N(x:N(y:N(fxy))))

    で、最後にこれは全くどうでもよい蛇足にすぎませんが,実は,このギーチの記号法,以前私も自分で思いついて,「やったぜ!」と喜んだんですが,とっくの昔にギーチが提案していたことを知り,大変ガッカリしました(笑)

引用返信/返信 削除キー/
■21999 / inTopicNo.6)  Re[37]: 謎。
□投稿者/ パニチェ -(2022/04/03(Sun) 08:00:52)
    論理学には疎い私ですが現時点で私の思うところをカキコしてみます。

    ***以下「大修館書店「ウィトゲンシュタイン全集8 論理哲学論考」よりの引用**

    1.13 論理空間における諸事実が世界である。
    2.01 事態とは諸対象(事物、もの)の結合である。
    2.0272 諸対象の配置が事態を形づくる。
    2.17 現実をそれなりの様式で──正しくであれ誤ってであれ──写像しうるために、
        像が現実と共有せねばならないものは、像の写像形式である。
    2.19 論理像は世界を写像しうる。
    3.24 複合物に関わる命題は、その構成要素に関わる命題と内的な関係にある。
        複合物は記述によってのみ与えられうる、そしてその記述は正しいか正しくないかのいずれかとなる。
        複合物について論じている命題は、当の複合物が存在しない場合、無意義とがならず、ただ偽となるのである。
    4.2 命題の意義とは、命題の、諸事態の存立非存立の諸可能性との一致不一致である。
    4.463 真理条件は、命題が事実に対して許している活動の余地を決定する。
    5. 命題は要素命題の真理関数である。
    5.521 私は全てという概念を、真理関数から切り離す。

    *************** 引用終わり ***************

    ある命題あるいは文や言葉が世界と写像関係になるかどうかで、その命題や文や言葉が真か偽か、あるいは意義か無意義かが決定する。

    よって写像理論には述語論理学は不要ということなのかな。

引用返信/返信 削除キー/
■21805 / inTopicNo.7)  Re[36]: 謎。
□投稿者/ エフニ -(2022/03/28(Mon) 09:05:25)
    No21802に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > エフニさん
    >
    > ■No21795に返信(エフニさんの記事)
    >>■No21774に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > >>エフニさん
    > >>レスをありがとうございます。
    > >>
    > >>■No21770に返信(エフニさんの記事)
    >>>>■No21758に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > >>>>■No21753に返信(エフニさんの記事)
    >>>>>>論考で使われている論理は「命題論理」のみである。
    >>>>>>
    >>>>>>なぜか「述語論理」は使われていない。
    >>>>>>
    >>>>>>「命題論理」の生みの親フレーゲは、「述語論理」とのセットで「一階述語論理」を構築した。
    >>>>>>
    >>>>>>何故、片手落ちの「命題論理」だけで、世界を解明できると思ったのだろう。
    > >>>>
    > >>>>いきなりの口出し、失礼します。
    > >>>>
    > >>>>見落とされているようです。
    > >>>>『論考』は成功しているかどうかは措いて、述語論理を扱っています。
    > >>>>例えば、T:5.52番台をご覧になればよろしいかと。
    >>>>
    >>>>
    >>>>私の言い方だとラフになってしまいますので、他者の言をもって正確を期しますね。
    >>>>
    >>>>「現代論理学の基礎的部分は「命題論理」と「述語論理」の二部門からなる。ウィトゲンシュタインの「真理関数の理論」は、ほぼこの命題論理の体系に相当する。」(野家啓一)
    >>>>
    >>>>「「論考」は論理語を否定詞および接続詞に限定している。これは現代論理学の観点から言えば「命題論理」と呼ばれる体系の道具立てにとどまっている。」(野矢茂樹)
    > >>*******************
    > >>確かに、それら引用文だけ見ると、誤解されるのも無理はないかと思います。
    > >>でも、それはあくまで野矢先生が書いているように、「現代論理学の観点から言えば」そうなるというだけですね。
    > >>『論考』では、量化命題を含むすべての命題は、要素命題にOperator Nを有限回適用することによって構成可能な真理関数であるとみなされます( T:6、T:6.001)。
    > >>だからこそ「命題の一般形式」と書いているわけです。
    > >>ですから、誤解を恐れずラフに言えば、ウィトゲンシュタインは、述語論理は命題論理(真理関数理論)に還元可能と考えたってことです。
    > >>これが、あなたが「謎」とおっしゃっている問題の、単純な答えです。
    > >>この解釈について、専門家の間では、ほぼ争いはないと言ってよいと思います。
    > >>ただ、残念ながら、ウィトゲンシュタインのその目論見は失敗した、というのが解釈上の定説でもありますが。
    > >>
    > >>以上の私の説明が不十分であれば(だと思いますが(笑))、
    > >>こういった点について、あなたが引用されている野矢先生の「『論理哲学論考』を読む」の9章や、飯田隆『言語哲学大全U』に、テクニカルな面にも触れて少し詳しい説明がありますので、お読みになるといいと思います。
    > >>
    >>
    >>
    >>野矢の9章を読んで誤解されるかも知れませんが、野矢は実無限を否定し、可能無限だけを肯定する、現代の数学・論理学の中では圧倒的な少数派です。
    >>
    >>なぜならば実無限を否定すると、数学の集合論を全て否定することになるからです。
    >>
    >>実無限をアプリオリの前提としている現代数学・論理学では、実無限の存在量子化が含まれない「論考」は、述語論理の構成要件に欠けます。
    >>
    >>命題論理に還元されるというのは、あくまでも野矢の頭の中での「新・論考」の操作によってです。
    >>
    >>ウィトゲンシュタインの「論考」によってではありません。
    >>
    >>実無限の否定は、ゲーデルの不完全性定理も否定してしまうので、野矢の主張に与する人はほとんどいません。
    >>
    >>ウィトゲンシュタインは、5・521で、「私はすべてという概念を真理関数から切り離す。」と述べています。
    > **********************
    > あらら、私はべつに、野矢先生のおっしゃることを真に受けて言ってるわけじゃないんですが、まあ、いいでしょう。
    >
    > 私の意図は、エフニさんがNo21753で「謎」とおっしゃったことは謎でもなんでもないということを、いわば情報として提供することでした。
    > ですが、もちろん、それを受け取らないのはエフニさんの自由です。
    >
    > まあ、余計なお世話だったようですので、私としてはこのあたりで引っ込むことにします。
    > 失礼しました。
    >


    ザビビのふくろうさん、おはようございます。

    余計なお世話ということはないですよ。

    情報提供に感謝します。

    まぁ、私の元々の主旨は、せっかくパニさんが作ったこのトピが死んでいたので、トピ上げが目的でした。

    ネタをあれこれ考え、浮かんだのが、この「謎。」の文章でした。

    私の投稿でまたこのトピがポツンと終わってしまうのではなく、ザビビのふくろうさんからレスを頂いた御蔭で、悪魔ちゃんや田秋さんまで参加して、このトピが盛り上がりました。

    そういった面でも感謝しています。

    いろいろと有り難うございました。
引用返信/返信 削除キー/
■21802 / inTopicNo.8)  Re[35]: 謎。
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/03/28(Mon) 00:10:55)
    エフニさん

    No21795に返信(エフニさんの記事)
    > ■No21774に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >>エフニさん
    >>レスをありがとうございます。
    >>
    >>■No21770に返信(エフニさんの記事)
    > >>■No21758に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >>>>■No21753に返信(エフニさんの記事)
    > >>>>論考で使われている論理は「命題論理」のみである。
    > >>>>
    > >>>>なぜか「述語論理」は使われていない。
    > >>>>
    > >>>>「命題論理」の生みの親フレーゲは、「述語論理」とのセットで「一階述語論理」を構築した。
    > >>>>
    > >>>>何故、片手落ちの「命題論理」だけで、世界を解明できると思ったのだろう。
    >>>>
    >>>>いきなりの口出し、失礼します。
    >>>>
    >>>>見落とされているようです。
    >>>>『論考』は成功しているかどうかは措いて、述語論理を扱っています。
    >>>>例えば、T:5.52番台をご覧になればよろしいかと。
    > >>
    > >>
    > >>私の言い方だとラフになってしまいますので、他者の言をもって正確を期しますね。
    > >>
    > >>「現代論理学の基礎的部分は「命題論理」と「述語論理」の二部門からなる。ウィトゲンシュタインの「真理関数の理論」は、ほぼこの命題論理の体系に相当する。」(野家啓一)
    > >>
    > >>「「論考」は論理語を否定詞および接続詞に限定している。これは現代論理学の観点から言えば「命題論理」と呼ばれる体系の道具立てにとどまっている。」(野矢茂樹)
    >>*******************
    >>確かに、それら引用文だけ見ると、誤解されるのも無理はないかと思います。
    >>でも、それはあくまで野矢先生が書いているように、「現代論理学の観点から言えば」そうなるというだけですね。
    >>『論考』では、量化命題を含むすべての命題は、要素命題にOperator Nを有限回適用することによって構成可能な真理関数であるとみなされます( T:6、T:6.001)。
    >>だからこそ「命題の一般形式」と書いているわけです。
    >>ですから、誤解を恐れずラフに言えば、ウィトゲンシュタインは、述語論理は命題論理(真理関数理論)に還元可能と考えたってことです。
    >>これが、あなたが「謎」とおっしゃっている問題の、単純な答えです。
    >>この解釈について、専門家の間では、ほぼ争いはないと言ってよいと思います。
    >>ただ、残念ながら、ウィトゲンシュタインのその目論見は失敗した、というのが解釈上の定説でもありますが。
    >>
    >>以上の私の説明が不十分であれば(だと思いますが(笑))、
    >>こういった点について、あなたが引用されている野矢先生の「『論理哲学論考』を読む」の9章や、飯田隆『言語哲学大全U』に、テクニカルな面にも触れて少し詳しい説明がありますので、お読みになるといいと思います。
    >>
    >
    >
    > 野矢の9章を読んで誤解されるかも知れませんが、野矢は実無限を否定し、可能無限だけを肯定する、現代の数学・論理学の中では圧倒的な少数派です。
    >
    > なぜならば実無限を否定すると、数学の集合論を全て否定することになるからです。
    >
    > 実無限をアプリオリの前提としている現代数学・論理学では、実無限の存在量子化が含まれない「論考」は、述語論理の構成要件に欠けます。
    >
    > 命題論理に還元されるというのは、あくまでも野矢の頭の中での「新・論考」の操作によってです。
    >
    > ウィトゲンシュタインの「論考」によってではありません。
    >
    > 実無限の否定は、ゲーデルの不完全性定理も否定してしまうので、野矢の主張に与する人はほとんどいません。
    >
    > ウィトゲンシュタインは、5・521で、「私はすべてという概念を真理関数から切り離す。」と述べています。
    **********************
    あらら、私はべつに、野矢先生のおっしゃることを真に受けて言ってるわけじゃないんですが、まあ、いいでしょう。

    私の意図は、エフニさんがNo21753で「謎」とおっしゃったことは謎でもなんでもないということを、いわば情報として提供することでした。
    ですが、もちろん、それを受け取らないのはエフニさんの自由です。

    まあ、余計なお世話だったようですので、私としてはこのあたりで引っ込むことにします。
    失礼しました。

引用返信/返信 削除キー/
■21795 / inTopicNo.9)  Re[34]: 謎。
□投稿者/ エフニ -(2022/03/27(Sun) 22:14:28)
    No21774に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > エフニさん
    > レスをありがとうございます。
    >
    > ■No21770に返信(エフニさんの記事)
    >>■No21758に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > >>■No21753に返信(エフニさんの記事)
    >>>>論考で使われている論理は「命題論理」のみである。
    >>>>
    >>>>なぜか「述語論理」は使われていない。
    >>>>
    >>>>「命題論理」の生みの親フレーゲは、「述語論理」とのセットで「一階述語論理」を構築した。
    >>>>
    >>>>何故、片手落ちの「命題論理」だけで、世界を解明できると思ったのだろう。
    > >>
    > >>いきなりの口出し、失礼します。
    > >>
    > >>見落とされているようです。
    > >>『論考』は成功しているかどうかは措いて、述語論理を扱っています。
    > >>例えば、T:5.52番台をご覧になればよろしいかと。
    >>
    >>
    >>私の言い方だとラフになってしまいますので、他者の言をもって正確を期しますね。
    >>
    >>「現代論理学の基礎的部分は「命題論理」と「述語論理」の二部門からなる。ウィトゲンシュタインの「真理関数の理論」は、ほぼこの命題論理の体系に相当する。」(野家啓一)
    >>
    >>「「論考」は論理語を否定詞および接続詞に限定している。これは現代論理学の観点から言えば「命題論理」と呼ばれる体系の道具立てにとどまっている。」(野矢茂樹)
    > *******************
    > 確かに、それら引用文だけ見ると、誤解されるのも無理はないかと思います。
    > でも、それはあくまで野矢先生が書いているように、「現代論理学の観点から言えば」そうなるというだけですね。
    > 『論考』では、量化命題を含むすべての命題は、要素命題にOperator Nを有限回適用することによって構成可能な真理関数であるとみなされます( T:6、T:6.001)。
    > だからこそ「命題の一般形式」と書いているわけです。
    > ですから、誤解を恐れずラフに言えば、ウィトゲンシュタインは、述語論理は命題論理(真理関数理論)に還元可能と考えたってことです。
    > これが、あなたが「謎」とおっしゃっている問題の、単純な答えです。
    > この解釈について、専門家の間では、ほぼ争いはないと言ってよいと思います。
    > ただ、残念ながら、ウィトゲンシュタインのその目論見は失敗した、というのが解釈上の定説でもありますが。
    >
    > 以上の私の説明が不十分であれば(だと思いますが(笑))、
    > こういった点について、あなたが引用されている野矢先生の「『論理哲学論考』を読む」の9章や、飯田隆『言語哲学大全U』に、テクニカルな面にも触れて少し詳しい説明がありますので、お読みになるといいと思います。
    >


    野矢の9章を読んで誤解されるかも知れませんが、野矢は実無限を否定し、可能無限だけを肯定する、現代の数学・論理学の中では圧倒的な少数派です。

    なぜならば実無限を否定すると、数学の集合論を全て否定することになるからです。

    実無限をアプリオリの前提としている現代数学・論理学では、実無限の存在量子化が含まれない「論考」は、述語論理の構成要件に欠けます。

    命題論理に還元されるというのは、あくまでも野矢の頭の中での「新・論考」の操作によってです。

    ウィトゲンシュタインの「論考」によってではありません。

    実無限の否定は、ゲーデルの不完全性定理も否定してしまうので、野矢の主張に与する人はほとんどいません。

    ウィトゲンシュタインは、5・521で、「私はすべてという概念を真理関数から切り離す。」と述べています。
引用返信/返信 削除キー/
■21786 / inTopicNo.10)  Re[36]: 謎。
□投稿者/ 田秋 -(2022/03/27(Sun) 13:06:55)
    ザビビのふくろうさん

    説明有難うございます。命題論理の拡張が述語論理なんですね。

    ∃や∀は微積分の講義を取ったときに勉強したεーδ論法の中に出てきました。
引用返信/返信 削除キー/
■21785 / inTopicNo.11)  Re[35]: 謎。
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2022/03/27(Sun) 11:16:00)
    2022/03/27(Sun) 11:20:40 編集(投稿者)

    田秋さん
    お久しぶりです。

    No21777に返信(田秋さんの記事)
    > おはようございます、ザビビのふくろうさん
    >
    > ボクは論理学の門外漢なのですが
    >
    > 命題論理は述語論理を内包している(その逆?)、というか
    > 互いが排他的に存在しているものではない
    > という認識は間違っていますか?

    「論理学は門外漢」ということなので、ごく簡単にお答えします。

    現代論理学の観点から言うと、
    述語論理というのは、命題論理に量化子と呼ばれる「∀」や「∃」という論理語を加えて構成される理論で、要は命題論理を拡張してできる理論です。
    ですから、内包関係で言うと、(一階)述語論理の中に命題論理が含まれる、ということになります。
    なので、おっしゃる通り、排他的ではありません。
引用返信/返信 削除キー/
■21782 / inTopicNo.12)  Re[35]: 謎。
□投稿者/ パニチェ -(2022/03/27(Sun) 10:26:37)
    2022/03/27(Sun) 20:56:28 編集(投稿者)

    横レス御免!深入りするつもりはないのですが一言だけ。

    No21774に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > ■No21770に返信(エフニさんの記事)
    >>■No21758に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > >>■No21753に返信(エフニさんの記事)

    >>>>論考で使われている論理は「命題論理」のみである。
    >>>>なぜか「述語論理」は使われていない。
    >>>>「命題論理」の生みの親フレーゲは、「述語論理」とのセットで「一階述語論理」を構築した。
    >>>>何故、片手落ちの「命題論理」だけで、世界を解明できると思ったのだろう。

    > >>いきなりの口出し、失礼します。
    > >>見落とされているようです。
    > >>『論考』は成功しているかどうかは措いて、述語論理を扱っています。
    > >>例えば、T:5.52番台をご覧になればよろしいかと。

    >>私の言い方だとラフになってしまいますので、他者の言をもって正確を期しますね。
    >>「現代論理学の基礎的部分は「命題論理」と「述語論理」の二部門からなる。ウィトゲンシュタインの「真理関数の理論」は、ほぼこの命題論理の体系に相当する。」(野家啓一)
    >>「「論考」は論理語を否定詞および接続詞に限定している。これは現代論理学の観点から言えば「命題論理」と呼ばれる体系の道具立てにとどまっている。」(野矢茂樹)

    > *******************
    > 確かに、それら引用文だけ見ると、誤解されるのも無理はないかと思います。
    > でも、それはあくまで野矢先生が書いているように、「現代論理学の観点から言えば」そうなるというだけですね。
    > 『論考』では、量化命題を含むすべての命題は、要素命題にOperator Nを有限回適用することによって構成可能な真理関数であるとみなされます( T:6、T:6.001)。
    > だからこそ「命題の一般形式」と書いているわけです。
    > ですから、誤解を恐れずラフに言えば、ウィトゲンシュタインは、述語論理は命題論理(真理関数理論)に還元可能と考えたってことです。
    > これが、あなたが「謎」とおっしゃっている問題の、単純な答えです。
    > この解釈について、専門家の間では、ほぼ争いはないと言ってよいと思います。
    > ただ、残念ながら、ウィトゲンシュタインのその目論見は失敗した、というのが解釈上の定説でもありますが。
    > 以上の私の説明が不十分であれば(だと思いますが(笑))、
    > こういった点について、あなたが引用されている野矢先生の「『論理哲学論考』を読む」の9章や、飯田隆『言語哲学大全U』に、テクニカルな面にも触れて少し詳しい説明がありますので、お読みになるといいと思います。

    エフニさんの「論考で使われている論理は『命題論理』のみである」というのはその通りだと思います。
    ただし、これをもって「『論考』では述語論理について一切触れられてはいない」ということではない。

    ここはザビビのふくろうさんの指摘通りだし「述語論理は命題論理(真理関数理論)に還元可能と考えた」ってことでしょう。
    よってウィトゲンシュタインは『論考』で使われているのは『命題論理』だけであり、これでもって世界を解明しようとして失敗し、その失敗に気付き言語ゲームへと続く後期哲学を構築しようとしたってことだと思います。

    一言にはならなかった(笑)

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