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No15456 の記事


■15456 / )  カント沼番外地:第一版序論 X−5
□投稿者/ うましか -(2021/08/07(Sat) 10:37:35)
    2021/08/07(Sat) 10:52:39 編集(投稿者)

    pipitさん、皆さん、おはようございます。
    おじゃまします。

    *******

    ◇分析的判断によっては〔durch〕私たちの認識は全然拡張されず、私たちがすでにもっている概念は分析されて私自身に理解しやすいものになる。綜合的判断においては〔bei〕、私は主語の概念のほかになお何か別の(X)をもっていなければならず、悟性〔Verstand〕は、主語の概念のうちには潜んでいない或る述語を、それでもこの主語の概念に属するものとして認識するために、この何か別のものに頼るのである。

    ◇経験的判断または経験判断においては〔bei〕、この点に関してはいかなる困難も全然ない。なぜなら、このXは、私が概念Aによって思考する対象についての完璧な経験であって、その概念Aはこの経験の一部分をなすに過ぎないからである。なぜなら、たとえ私が物体一般の概念のうちに重さという述語を全然含ませていないにせよ、物体一般の概念は経験の一部分をつうじてその完璧な経験を表示しており、それゆえ私は経験のこの一部分に、まさに同一の経験のなお他の諸部分をも、その完璧な経験に属するものとして付加することができるからである。

    ◇私は物体という概念を、すべてこの概念において思考されるところの、拡がり、不可入性、形態などという諸徴表によって、あらかじめ分析的に認識することができる。ところが、私が私の認識を拡張してみると、私が物体というこの概念をそこから引きだした経験を振りかえって見ることによって、私には前記の諸徴表と重さもまたいつでも結びついていることがわかるのである。それゆえ経験が、概念Aの外にあるあのXに他ならないのであって、このXに重さという述語Bと概念Aとの綜合の可能性がもとづいているのである。

    ---以下、 No.15366 からの続き ---

    ◇しかし、ア・プリオリな綜合的判断においては〔bei〕、経験というこの補助手段は徹頭徹尾欠けている。

    ◇私が概念Aの外へと〔ausser〕、他の概念Bをこの概念Aと結合しているものとして認識するために越え出てゆくべきであるなら、私がそれに頼り、また綜合がそれによって可能になるものは、何であろうか。というのも、私はこの場合、経験の分野のうちでそうしたものを探しまわる便宜〔Vortail〕を持っていないからである。

    →原佑訳上巻、p.101〜p.104参照(※翻訳は参照するが、◇〜は原文・訳文の通りではありません (;´・ω・))。文中〔〕内は私による挿入。


    *******

    V−4 No.15366
    V−1 No.15143, V−2 No.15340, V−3 No.15341
    W−1 No.14848, W−2 No.14849
    V−7 No.14620, V−8 No.14662
    V−4 No.14271, V−5 No.14415, V−6 No.14455,
    V−1 No.13815, V−2 No.14009, V−3 No.14097,
    U−1 No.13643 
    T−1 No.13389, T−2 No.13436, T−3 No.13576
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