| 休み、嬉しいよね〜
> わたし今日お仕事お休み。 > ■4158、pipitさま > 『ヘーゲルを「酒場のおやじのような顔」と嫉妬心から批難し』 > > で、ヘーゲルの顔、検索して見たら(わたしちょっと笑いがこられきれなかった)、 > ショーペンさんの比喩、けっこうあってるかもよ。<
うん、私もあのヘーゲルの肖像画みると、 作家がもう少し書きようあったんじゃないか、と、思ってしまうよ(^_^;) あの肖像画出来上がって、ヘーゲルはどんな感想持ったんかな〜 そんなことあんまり気にしないんかな〜 でも生徒の人気はすごくあったんだね!
> 彼、ヘーゲルに嫉妬してたのかもしれないけど、批難したんじゃなくて、 > ひょっとしたら、見たまんまを言っただけかもしれないよ。<
うん、そのまんま、感想を述べたのかもだね。
> フィフィテ、シェリングさんたちはカント・ヘーゲルから出発している哲学者?だから『この哲学史上およそ例のないみじめな似非哲学のさきがけと批判した』っていう彼らの判断は、わたしにとって、?。<
ここらへん複雑みたいでね、 ショーペンハウアーは、『純粋理性批判』の初版は推してるみたいなんだけど、 第二版への内容の書き換えに、思ったまんまの批判述べてたかも。 その批判に対する、天野貞祐先生だったかなあ?カント擁護の文章を見たことあるよ。
フィフィテ、シェリングは、カントの思想を自分好みに変容してしまった、みたいな批判心も、 もしかしたら少しはあるかも(間違えてたらごめん!) 中島先生も、そういう感想を持っているみたいだね。 無邪気にもカントの意図でない方に進んだ、みたいな。
仏教でもそうなんだけど、 文章や思想が難しいと、解釈がすごく割れちゃうみたいだね。
みんな、自分が一番わかってるみたいに思うのは、人間の認識システムからしてごく普通かもだしね。 その時点では、一番そう思うことを、自分の理解にするんだもんね。
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