| >4027(純粋理性批判を読んでみる。7)
おはようございます。遅ーいレスすみません。
> それで、カントの場合は、 > 時間空間の純粋直観は、形而上学にとってのアプリオリな総合判断のためには、絶対的に必要な要素ではあるけど、準備段階みたいな面もある感じに、今の時点での私は捉えています。 > 純粋直観に純粋悟性概念を適用させる段階でも、アプリオリな総合判断は生まれる、とカントはしてるのかなと今の時点では捉えています。 > > 数学のアプリオリな総合判断の根拠は、純粋直観だけでいいように思うのですけど、
自分の見てたのは足し算の説明と純粋幾何学(?)のところだったから純粋直観だけだったんですね。
> それに加えて、純粋自然科学の場でのアプリオリな総合判断や、 > 形而上学のアプリオリな総合判断を可能にする人間の能力は、純粋直観と純粋悟性概念、そしてこれらを統一さしめる純粋統覚にある、みたいな感じかなー、と、思ってるけど、全然違ったらすみませんm(_ _)m
ありがとうございます。純粋悟性概念は判断表のとこですね。それによって客観的な判断にすると。形而上学のアプリオリな総合判断を可能にする能力として重要そうですね。こちらこそ全然違ったらすみません。
> 御子柴善之先生の『カント哲学の核心』めちゃめちゃいいですよね! > 私も御子柴先生の記述は個人的にすごく信頼しています。
やっぱりそうですか! 自分もそう思ってました。
これへのレスはお気遣いなく。
|