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■4442 / inTopicNo.13)  Re[44]: 物自体とは究極のリアリティ?
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/23(Thu) 20:05:09)
    > 物自体は、とりあえず、究極のリアリティと言い換えても問題ないかなと思います。

    その究極のリアリティの核にあるのは何かというと、自由の実在性。カント哲学はこの一点の上に建造されている。そう極論できると思う。
引用返信/返信 削除キー/
■4437 / inTopicNo.14)  Re[45]: 主体(観)と客体(観)
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/23(Thu) 19:08:18)
    ■4429
    pipitさま、ごめんなさい。
    [sunject]じゃなくて[subject]。

    >全然いいよ< ありがと。

    お仕事、家事、お疲れさま。





引用返信/返信 削除キー/
■4435 / inTopicNo.15)  石川文康「カント入門」
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/23(Thu) 19:02:42)
    pipitさん 引用ありがとうございます。

    > こんにちは、こちらは今日は涼しくなりました。
    >
    >>石川文康さんの同書、p137の図5も理解の参考になると感じています。いい図ですね。<
    >
    > 該当箇所を読んで、図を見ました。
    > ダンマパダ 160が頭に浮かびますね〜
    >
    > 『己を以て主とす 、他に何ぞ主あらんや 、己を善く調めぬれば能く得難き主を得 。』
    > 荻原雲來さん訳、青空文庫より引用

    やっぱり、カントの自由と捉え方は仏教に通じると思いますよ。カントを通して仏教の真価がわかり直すことは絶対にあるでしょう。


    > 別箇所の自律の原理での記述ですが、この絵と直接つながるような文章をみつけたので、引用します。
    >
    > 石川文康先生著、『カント入門』ちくま新書、p173、174より引用
    > 『(略)、自律とは自由の別名とされ、人間が一方では英知界に属する存在者として、自由の主体と見なされ、もう一方では感性的存在者と見なされ、両方の性格が相和するところに総合が成り立つのである。しかも、自由による因果性が結果を感性界において実現するという仕方によってである。(略)その意味で、道徳法則と自由はたがいに不可分の関係にある。そのことを言いあらわすカントの有名なことばがある。
    > 「自由は道徳法則の存在根拠であり、道徳法則は自由の認識根拠である」(『実践理性批判』、序文)。』
    > 引用終了
    >
    > 少しずつでも、実践理性批判分野に進めて、嬉しいです。
    > ありがとうございます。

    石川文康さんの本は、判断力批判まで押さえていますからね。良書だと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■4432 / inTopicNo.16)  Re[44]: 物自体の存在への確信
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/23(Thu) 18:49:26)
    pipitさんこんばんは、レスありがとうございます。

    > 御子柴善之先生著の『カント哲学の核心 『プロレゴーメナ』から読み解く』NHKブックスに載ってた、カントの文章(『プロレゴーメナ』の中の文を御子柴先生が訳したもの)を引用します。
    > p160より引用
    > 『実際、私たちが感官の対象を、正当にも、たんなる現象と見なすとき、私たちはそれによって同時に次のことを告白する。
    > 現象には根拠として物それ自体が存する、と。

    現象は、物自体から根拠を与えられるのだと思います。物自体がリアリティを与えるので、現象はたんなる主観的な妄想・ファンタジーでないことが保証される。

    > もっとも、私たちは物それ自体について、それがそれ自体としてどのような性質をしているかを知らず、私たちが知っているのは、その現象だけであり、私たちの感官がこの未知の何ものかによって触発されているそのあり方だけなのである。

    現象をとおして、かろうじて物自体のリアリティを間接的に触知できるような。


    > したがって、悟性は、まさに現象を〔それとして〕認めることによって、物それ自体の現存在をも容認する。

    現象のリアリティを容認することは、現象に根拠を与える物自体のより強力なリアリティを容認することなのだと思います。


    > そして、その限りで、私たちは次のように言うことができる。
    > 諸現象の根拠として存するような何らかのものの表象、したがって、たんなる悟性体の表象は、たんに認められるのみならず不可避である、と。
    > (Ak314-315、中公102-103、岩波134-135)』
    > 引用終了
    >
    > あと、
    > 『「物自体は存在するか」という伝統的な問題の解決によせて』という
    >
    > 千 葉 清 史先生の論文がネットにあったのでアドレスを貼ります。
    >
    >
    >
    > https://yamagata.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=3950&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1&page_id=13&block_id=29
    >
    >
    >
    > 私には難しくて、ちゃんと理解できませんが、knowing itselfさんなら、すらすら〜とわかるのかなーと、ご紹介しておきますね。
    >
    > もちろん読む読まないはご随意にされてください(*^^*)
    >
    > おつかれさまです!

    引用ありがとうございます。いつか読んでみますね。
引用返信/返信 削除キー/
■4430 / inTopicNo.17)  Re[44]: 物自体
□投稿者/ pipit -(2020/07/23(Thu) 18:38:39)
    No4424に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > カントの言う「物自体」ってどういう意味?
    > 超越的=神がそんざいするから?<

    私には、めっちゃ、ややこしいねん。

    knowing itself さんは、いろんな要素により、わかるゆえにシンプルに表現されるけど、

    カメさんの私は、あとで、自分でもなんとかわかる表現ないか、
    本とかみてくるね。

    とりあえず、家事してきます(^O^)/
引用返信/返信 削除キー/
■4429 / inTopicNo.18)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/23(Thu) 18:34:03)

    > いま[sunject]と[object]について調べてるところなんだけど。
    >
    > またここでわたしの物語、いい?ダメだったら言って。<

    全然いいよ!
    私にはことわりいらないよ
    パニチェさんに借りてるこの場、
    共存しよう (^_^)v
引用返信/返信 削除キー/
■4426 / inTopicNo.19)  物自体とは究極のリアリティ?
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/23(Thu) 18:30:25)
    みなさん こんばんは。

    物自体は、とりあえず、究極のリアリティと言い換えても問題ないかなと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■4425 / inTopicNo.20)  Re[43]: 区別と関係
□投稿者/ pipit -(2020/07/23(Thu) 18:30:18)
    悪魔ちゃん、こんばんは!
    今日は仕事だったよ。明日から三連休。
    でもコロちゃん族、また力盛り返してきて、なんか心はテンションさがりがちやわ〜。
    コロちゃん族が弱毒化して、他の生命と平和に共存できるといいね!

    あ、あと、私には断りなく好きなこと書いてよ!
    ちょっといやかも〜と思ったなら、そのときに伝えるから、そのときにまた考えて!
    よかったらまたいろいろ話そう

    > きりのいいところまで書いとく。
    >
    > 「私がパソコンのワードに文章を打ち込む」ときの
    > 「私」について考えたものを。
    >
    > キーボードのポッチを押す。画面に表れた文字を見る。この「する(こと)」をしているのは、私の指、目。もっとも指や目だけじゃないけど。
    > これって、私の身体よね?
    > このばあいの「させるもの」は、私の意志(意識とか精神)になるのかな?
    > 精神から見たら身体は「されるもの」ってなるよね?<

    うん、その悪魔ちゃんの捉え方に即した場合は、
    精神 が 身体を通して 結果を得ようとしたんだね。



    > メルロはこんなこと言っている
    > 【〈身体の媒介〉というものは、たいていのばあい、私によって見逃されているものである】って。<

    そうなんやね。

    > いずれにせよ、「私」においても「するもの」と「されるもの」が同居してるんじゃないかしら?<

    精神がするもので、
    身体がされるもの?

    身体の動きも、おもしろいよね。
    細胞が伸び縮みして動いてる
    ぐーーーんと動いて、細胞の伸び縮みで物をつかんで、きゅーと縮ませて、口元に食べ物を運ぶ、とかね。

    この伸び縮みの指令を精神がしてる、と、悪魔ちゃんはみてるの?


    > ひとまずわたしの物語りは終わりにするね。<

    うん。

    それで、pipitは、悪魔ちゃんにとって、『現象』という言葉が意味する内容を聞いてたんだけど、
    この物語使って、悪魔ちゃんにとっての『現象』を説明してくれるの?

    pipit的には説明してほしいんやけど、
    まかせるけど。

    おつかれさま!
引用返信/返信 削除キー/
■4424 / inTopicNo.21)  Re[43]: 物自体
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/23(Thu) 18:29:34)
    カントの言う「物自体」ってどういう意味?
    超越的=神がそんざいするから?
引用返信/返信 削除キー/
■4421 / inTopicNo.22)  Re[43]: 物自体の存在への確信
□投稿者/ pipit -(2020/07/23(Thu) 18:13:14)
    knowing itselfさんへ


    > カント哲学は物自体の存在を当然のごとく前提にしていると思います。あるかないかわからないが信じようとか、わけがわからないけど道徳だけ一生懸命やって物自体に縋りつこうとか、厳しい道徳に励んでもこの世では幸福になれないけど、不安だから来世の存在は要請しておこうとか、ではまったくない。すべて哲学的に考え抜いている感じ。
    >
    > 物自体の触発に対して時間と空間の形式を通してつかむのが現象だという時点で、時間と空間の外に出れば、そこには物自体が存在してきることを匂わせています。人間の本来の場所がそこであることにカントは確信をもっていたと思います。<

    私は詳しいことはまだ理解できませんが、御子柴善之先生著の『カント哲学の核心 『プロレゴーメナ』から読み解く』NHKブックスに載ってた、カントの文章(『プロレゴーメナ』の中の文を御子柴先生が訳したもの)を引用します。
    p160より引用
    『実際、私たちが感官の対象を、正当にも、たんなる現象と見なすとき、私たちはそれによって同時に次のことを告白する。
    現象には根拠として物それ自体が存する、と。
    もっとも、私たちは物それ自体について、それがそれ自体としてどのような性質をしているかを知らず、私たちが知っているのは、その現象だけであり、私たちの感官がこの未知の何ものかによって触発されているそのあり方だけなのである。
    したがって、悟性は、まさに現象を〔それとして〕認めることによって、物それ自体の現存在をも容認する。
    そして、その限りで、私たちは次のように言うことができる。
    諸現象の根拠として存するような何らかのものの表象、したがって、たんなる悟性体の表象は、たんに認められるのみならず不可避である、と。
    (Ak314-315、中公102-103、岩波134-135)』
    引用終了

    あと、
    『「物自体は存在するか」という伝統的な問題の解決によせて』という

    千 葉 清 史先生の論文がネットにあったのでアドレスを貼ります。



    https://yamagata.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=3950&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1&page_id=13&block_id=29



    私には難しくて、ちゃんと理解できませんが、knowing itselfさんなら、すらすら〜とわかるのかなーと、ご紹介しておきますね。

    もちろん読む読まないはご随意にされてください(*^^*)

    おつかれさまです!




引用返信/返信 削除キー/
■4419 / inTopicNo.23)  Re[43]: 実践理性批判
□投稿者/ pipit -(2020/07/23(Thu) 17:45:10)
    knowing itselfさんへ
    こんにちは、こちらは今日は涼しくなりました。

    > 石川文康さんの同書、p137の図5も理解の参考になると感じています。いい図ですね。<

    該当箇所を読んで、図を見ました。
    ダンマパダ 160が頭に浮かびますね〜

    『己を以て主とす 、他に何ぞ主あらんや 、己を善く調めぬれば能く得難き主を得 。』
    荻原雲來さん訳、青空文庫より引用

    とてもいい絵ですね!
    別箇所の自律の原理での記述ですが、この絵と直接つながるような文章をみつけたので、引用します。

    石川文康先生著、『カント入門』ちくま新書、p173、174より引用
    『(略)、自律とは自由の別名とされ、人間が一方では英知界に属する存在者として、自由の主体と見なされ、もう一方では感性的存在者と見なされ、両方の性格が相和するところに総合が成り立つのである。しかも、自由による因果性が結果を感性界において実現するという仕方によってである。(略)その意味で、道徳法則と自由はたがいに不可分の関係にある。そのことを言いあらわすカントの有名なことばがある。
    「自由は道徳法則の存在根拠であり、道徳法則は自由の認識根拠である」(『実践理性批判』、序文)。』
    引用終了

    少しずつでも、実践理性批判分野に進めて、嬉しいです。
    ありがとうございます。

引用返信/返信 削除キー/
■4412 / inTopicNo.24)  Re[42]: pipitさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/23(Thu) 08:49:51)
    >>カントがすごいな、と思うところは。
    >>認識の仕組みについて、現代人がおおよそのところで納得できるものを300年ぐらい前でしたっけ?に、もう知っていたということ。
    >>カントとは違う感覚での認識を行う現代人というのも、もしかしたらいるのかもしれないけど。


    すみませ〜ん。<m(__)m>
    自己レスで補足です。

    「物自体」という発想については、それは現代人はというか昔の人もちろんだろうけど、なかなかそこまで持ちにくいし、だからこそ、初めて知るとちょっとすぐには理解しがたい部分だと思います。

    ただ。感性、悟性の形式、そして理性の働きというところは、現代人の多くに納得のいきやすいものになっているのではないか、と考えています。

    私はカントの道徳論にはそんなには興味がないので、純理の次はフッサールを知りたいと思ってます。

    レスはお気遣いなく。♪
引用返信/返信 削除キー/

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