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■4341 / inTopicNo.49)  Re[39]: 悪魔ちゃんへ
  
□投稿者/ おくったがわ -(2020/07/21(Tue) 10:39:55)
    こんにちは。

    > ■3947(純粋理性批判を読んでみる。7)
    > あなた、ひょっとして論理学系? ちなみにわたし、感性系。

    論理学はなりゆきで調べたことがありましたが論理学系というほど詳しくないです。
    詩が好きなので感性系。ゆるされるなら詩を書いて暮らしたい(ほんまか)。 
    感性系てそういう意味ではなく? 哲学に関してということ? 

    論理が苦を生み、苦を解消するために論理(言葉)を使おうとするとさらに苦が増幅する。ブッダの見た真理はそういうことではないかと勝手に想像しています。少なくともかすっている・関係はあるのではないかと。なので論理とハサミは使い用と。

    > メルロは〔素朴的意識の実在論は、経験的実在論であって、超越論的実在論ではない〕って見ているみたい。メルロは、カントの実在論はメルロの「経験的実在論」じゃなくて、「超越論的実在論」って見ているみたいなので、そこんとこいま考えてる。
    >
    > カントの、って、難しそうね。

    現象学に関する文庫本を1冊だけ持っていたのを思い出して、探し出して読んでます。「現象学の思想」木田元
    今 1/3くらいですが、上のことはまっタコ・全然分かりません!


    こんな風にトピが変わってしまうくらい返事が遅いのでめんどくさかったらスルーで。

    。o0なんとなく分かったこと(ほんとか)。
    カントはニュートン的な自然科学の方法に合致する方向で客観化・普遍化できる現象を考え
    現象学は、それらを解体する方向、要素還元や論理的な操作などが加えられる前の現象を見ようとする。
    メルロ=ポンティもゲシュタルトなど物理的な実在的単位とはみなされないまとまりや構造主義における構造などを重視
引用返信/返信 削除キー/
■4337 / inTopicNo.50)  Re[40]: pipitさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/21(Tue) 08:43:43)
    >>それと同じページに、「根源的統覚」という言葉があって、これと「先験的統覚」というのは別物なのか?と思い、前に戻って探したらp78に、同じものであることが記述されていて。


    すみません。 文中のp78というのは誤りで、正しくはp70でした。

    しかも。今わかったのですが。
    根源的統覚 = 純粋統覚 = 先験的統覚 なのですね。
    同じ意味合いでも言い表しが何種もあると、後になってそれがまた別の何かだと思い、混乱したりしますよね。
    苦行ですね。。。(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■4336 / inTopicNo.51)  pipitさんへ
□投稿者/ minori -(2020/07/21(Tue) 08:33:45)
    pipitさん、こんばんは。(今、朝だけど。;^_^A)


    竹田先生の『超解読 はじめてのカント 純粋理性批判』のp109のあたりを昨日読んでました。
    そして再確認みたいな感じで、p46あたりに戻って読んだりもしました。
    悟性のアプリオリな形式性として「カテゴリー」「先験的統覚」「図式」「原則」の4つがある、ということで。

    そのうちの「先験的統覚」というのは、「私がそれを判断し認識している」という意識のこと、なんですね。感性とは違って自発的な作用だとされる。
    そして、感性形式と悟性形式(カテゴリー)の統一を可能にしているものが「先験的統覚」だということ。

    「図式」というのは、感性と悟性の間にあってこれを架橋する「構想力」の働き。

    このへんのごく基本的なところは理解できたかな、という感じで。
    一つ一つ理解を進めていく、というのは楽しいですね(^O^)/、というのが言いたくなり、今、書いています。
    ようは、「ここわかったよ〜、嬉しい。よかった。」ということ書かせていただいてます。( ^)o(^ )

    それで。p78には、「あるがままの私」(=物自体としての私)という記述があるんです。
    これってどういうものを意味しているんでしょう?
    この本もpipitさん、持ってらっしゃるとのことなので、よかったらいつでもいいので教えていただけたらありがたいです。


    余談ですが。 
    それと同じページに、「根源的統覚」という言葉があって、これと「先験的統覚」というのは別物なのか?と思い、前に戻って探したらp78に、同じものであることが記述されていて。
     まったくもう。。。漢字四文字とか五文字、二文字だけど、ややこしすぎて苦行っぽいですが、カントの功績は偉大だと思うので、追跡していきたいです。

    ここでなぜか、レミオロメンの歌詞の「諦めないで〜」が浮かびました。(;'∀')
    オリンピックに使われた曲。








引用返信/返信 削除キー/
■4329 / inTopicNo.52)  Re[38]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/20(Mon) 21:24:18)
    >もちろんいいよ< ありがと。

    ところで、「するもの」っていうの、「主体」とか「主観」っていうようには見えない?

    つづきはあしたにする。


引用返信/返信 削除キー/
■4328 / inTopicNo.53)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/20(Mon) 20:53:15)
    No4327に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > pipitさま、返信ありがと。
    > ここでわたしのを物語っていい?
    > ダメなら言って。つづけないから。<

    もちろんいいよ(o^^o)

    カント全然関係なくても関係あってもどっちでもいいよ!


    > ■4320
    > 「かたち」
    > 「形式」を[form]としたとき、それって〈姿、形〉よね。
    > これって〈身体〉って見ることもできる。
    > で、わたし「形式」っていうの〈身体のオートマティック性〉って、してる。<


    うん、悪魔ちゃんの光る発想だね!
引用返信/返信 削除キー/
■4327 / inTopicNo.54)  Re[37]: 区別と関係
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/20(Mon) 20:43:44)
    pipitさま、返信ありがと。
    ここでわたしのを物語っていい?
    ダメなら言って。つづけないから。

    ■4320
    「かたち」
    「形式」を[form]としたとき、それって〈姿、形〉よね。
    これって〈身体〉って見ることもできる。
    で、わたし「形式」っていうの〈身体のオートマティック性〉って、してる。







引用返信/返信 削除キー/
■4326 / inTopicNo.55)  実践理性批判
□投稿者/ pipit -(2020/07/20(Mon) 20:24:37)
    knowing itselfさん、こんばんは!

    私はまだ全然実践理性批判の領域は勉強できてなくて、
    「わからない」が感想なんですけど、
    一応、形式としては「君の格率が同時に普遍的な法則となるようにしなさい」とかが形式かな、
    と、思ってます。
    違うのかな?
    中身はそこに流しこめる具体的な内容となるのかな、と。

    未勉強のくせに、本当いい加減な記憶で書いて申し訳ないのですが、
    善と呼べるのは、善意志だけである、みたいな文言があったかも?


    なんにしろ私には複雑です(^_^;)

    よくわからなくてすみません(T_T)


    > カントの発想は基本的に、「かたち」と「なかみ」による分類かと思います。「かたち」といっても有形という意味ではなく、制約枠という感じです。アリストテレス的な形相と質料^の系譜にあることは間違いありません。
    >
    > 感性の「かたち」が空間と時間で、「なかみ」が感覚入力素材
    >
    > 認識の「かたち」がカテゴリーで、「なかみ」が感性体験
    >
    > 以上に対して、道徳律がもつ特殊性は、そこには純粋な「かたち」だけがあるということでしょうか?「なかみ」に一切条件づけられずに、無条件の純粋な意志として「かたち」だけが現前している。
    >
引用返信/返信 削除キー/
■4323 / inTopicNo.56)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2020/07/20(Mon) 20:00:16)
    こんばんは。返信ありがとう!

    順番ふるね。

    > わたしの区別は、いまのところ<

    1「するもの」
    2「されるもの」
    3「する(こと)」
    4「したもの」
    5「されたもの」
    6「させるもの」
    7「ならしめるもの」



    > たとえば、「私がパソコンのワードに文章を打ち込む」で見て見ると、<

    > 打ち込んでいるのは私だから、私が「するもの」。<

    1 「するもの」は、主語だね。

    > 私(するもの)に操作されているのはパソコンだから、パソコンが「されるもの」。<

    2「されるもの」
    他動詞の目的語みたいなのかな。
    学校の勉強あまりしてなかったから言葉使い違うかもやけど。


    > パソコンを操作する(こと)、これが「する(こと)」。<

    3「する(こと)」は、動詞。

    > そしてパソコンの画面に映しだされた文字が、私(するもの)が「したもの」<

    4「したもの」は、結果ということ?

    >あるいは、私(するもの)に「されたもの」となる。<

    5「されたもの」も結果?

    > 私に文章を打ち込ませるもの、たとえば哲学書を書き写そう、という意志が「させるもの」。<

    6「させるもの」は、1〜4の原因。

    > 「私がパソコンのワードに文章を打ち込む」ことを「ならしめるもの」は”少なくとも”これらすべて。<

    7「ならしめるもの」は構成要素全部。

    >他にも「私がパソコンのワードに文章を打ち込む」ことを「ならしめるもの」は他にもある。<

    >これが可能となるには、パソコンが安定してたとえば机の上に置かれてなければならなっかったり、逆立ちをした状態ではでは打ち込めないからたとえば私は椅子に座ったりしてなくちゃだめだったり、考えだしたらきりがないけど、とかある。<

    広い意味での結果に対する原因だね。


    > ここまではふつうに分かってもらえると思うんだけど?
    >
    > つづく。<

    この理解でいい?
    抜き出すね。

    1「するもの」→主語になるもの
    2「されるもの」→他動詞の目的語
    3「する(こと)」→動詞
    4「したもの」→1〜3によって生じたもの
    5「されたもの」→1〜3によって生じたもの
    6「させるもの」→原因
    7「ならしめるもの」→6により1〜3が生じ、1〜3により4.5が生じる。
    〈6〜1〜3〜4.5〉を各個別の要素としてパッケージしたものが7

    でいい?
引用返信/返信 削除キー/
■4320 / inTopicNo.57)  カントにおける「かたち」と「なかみ」
□投稿者/ knowing itself -(2020/07/20(Mon) 19:43:38)
    みなさん、こんばんは。


    カントの発想は基本的に、「かたち」と「なかみ」による分類かと思います。「かたち」といっても有形という意味ではなく、制約枠という感じです。アリストテレス的な形相と質料^の系譜にあることは間違いありません。

    感性の「かたち」が空間と時間で、「なかみ」が感覚入力素材

    認識の「かたち」がカテゴリーで、「なかみ」が感性体験

    以上に対して、道徳律がもつ特殊性は、そこには純粋な「かたち」だけがあるということでしょうか?「なかみ」に一切条件づけられずに、無条件の純粋な意志として「かたち」だけが現前している。

引用返信/返信 削除キー/
■4319 / inTopicNo.58)  Re[35]: 区別と関係
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/07/20(Mon) 18:52:15)
    ちょっとわたしの物語りを書いちゃいます。

    わたしの区別は、いまのところ
    「するもの」「されるもの」「する(こと)」「したもの」「されたもの」「させるもの」「ならしめるもの」
    で全部かな?

    たとえば、「私がパソコンのワードに文章を打ち込む」で見て見ると、
    打ち込んでいるのは私だから、私が「するもの」。
    私(するもの)に操作されているのはパソコンだから、パソコンが「されるもの」。
    パソコンを操作する(こと)、これが「する(こと)」。
    そしてパソコンの画面に映しだされた文字が、私(するもの)が「したもの」あるいは、私(するもの)に「されたもの」となる。
    私に文章を打ち込ませるもの、たとえば哲学書を書き写そう、という意志が「させるもの」。
    「私がパソコンのワードに文章を打ち込む」ことを「ならしめるもの」は”少なくとも”これらすべて。他にも「私がパソコンのワードに文章を打ち込む」ことを「ならしめるもの」は他にもある。これが可能となるには、パソコンが安定してたとえば机の上に置かれてなければならなっかったり、逆立ちをした状態ではでは打ち込めないからたとえば私は椅子に座ったりしてなくちゃだめだったり、考えだしたらきりがないけど、とかある。

    ここまではふつうに分かってもらえると思うんだけど?

    つづく。

引用返信/返信 削除キー/
■4291 / inTopicNo.59)  おやすみ
□投稿者/ pipit -(2020/07/19(Sun) 23:03:08)
    生命同士

    おやすみ

    今日は寝るね
引用返信/返信 削除キー/
■4290 / inTopicNo.60)  表言
□投稿者/ pipit -(2020/07/19(Sun) 22:55:13)

    > 「現れ」と「インプットすること」について見ると、「されれたもの(あるいはしたもの)」と「すること」の区別をしてる。<

    まず、区別を全部書き出すと、

    現されたもの(1)
    現したもの(2)
    現すこと(3)
    インプットされたもの(4)
    インプットしたもの(5)
    インプットすること(6)

    でいい?

    そして、それらを分別すると、
    受動(1)(4)
    結果的対象物(2)(5)
    能動(3)(6)
    でいい?それとも違う?



    > >あらわれをアウトプットすることは、表現ではない<って、わたし、言ったかしら?だとしても、そうかも。<

    あらわれをアウトプットすることは表現ではないんだね。


    > 「すること」は「表現する」っていうことで、「表現されたもの」が「したもの(されたもの)」っていうことになるのかもね、<

    あらわれをアウトプットすることは、表現すること
    ってことを言ってるの?


    > わたしのばあい、表言以前の「すること」と「されたもの」っていう区別もしてる。<

    むかついた気持ちが生まれて、むかつくと表言する。

    こういうことは、悪魔ちゃんは経験したことある?
    経験したことあるなら、これを例に、悪魔ちゃんに聞いていきたい。

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