■36676 / inTopicNo.61) |
Re[52]: 交響曲第6番《悲愴》多謝
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□投稿者/ flora -(2024/02/29(Thu) 13:44:19)
| ■No36675に返信(田秋さんの記事)
田秋さん、おはようございます。丁寧なご説明ありがとうございます。
>小澤さんは問題の場所で「a lttle bit earlier than what you wait too long」と言っています。 >「a little bit earlier」とか「wait too long」からは入りのタイミングに問題があるということと(だから)もう少し早めにというリクエストをしていることがわかります。 >しかしどのくらい遅いのかは言葉だけではわかりません、「a little bit」や「too long」がらは小澤さんが思い描く理想を正確には表現できません。
>しかしたとえ、「0,02秒早く入って」と言ったとしてもプレーヤーはそれを計測する体内時計を持っていません。ここに音楽における言葉の限界があります。
>そこで小澤さんは歌っても見せます。件の小節を下の楽譜の様に歌っています。2回歌い、2回目は最後を「ターウィ」と歌っています。この「アーヤ」や「ターウィ」の部分がコネクションでありドライブしているところだと思います。
>これでそのタイミングは完璧に伝わります。 >「語りえぬもの」の語ることが出来るところまでは語り、語り得ぬ部分は《示して》いるかのようです。
この田秋さんのコメントで思ったのですが、「語りえぬもの」を表現/伝達する為に音楽や絵画のような芸術があるのではないでしょうか。
そういえばアインシュタインが1929年10月26日のインタビューで言っておりました。 I am enough of the artist to draw fleely upon my imagination. Imagination is more important than knowledge. Knowledge is limited. Imagination encircles the world.
「私は想像力で自由に描ける芸術家です。想像力は知識よりも重要です。知識には限界があり、想像力は世界を包み込みます」(Y意訳)
https://www.saturdayeveningpost.com/wp-content/uploads/satevepost/what_life_means_to_einstein.pdf
最後のページの左カラムのMeasles of Mankind にあります。 彼の言う「知識」は言葉で表現可能なものと解釈できるのではないでしょうか。
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