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■36330 / inTopicNo.13)  放送大学の先生
  
□投稿者/ 田秋 -(2024/01/29(Mon) 08:18:36)
    放送大学で印象に残る先生。

    誰が一番というのは難しいが、高橋和夫、稲村哲也、滝浦真人の3人がボクが受けた講義の中ではベスト3。

    高橋先生は中東が専門で、イスラエルのガザ侵攻関係で時々ニュースのコメンテーター(というのかな?)に出ていらした。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%92%8C%E5%A4%AB

    稲村先生は文化人類学の先生で、アンデスが専門のようだが、モンゴルにも大変詳しい。凄い博学のはずなのだが、平易な言葉で喋り、ゲストの聞き役に回る。喋らせ上手という感じ。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E6%9D%91%E5%93%B2%E4%B9%9F

    滝浦先生は言語学者。語用論が専門。一度面接授業で地元の学習センターにいらしたことがあり、その時、講義を受けサインももらった(ミーハー)。
    ボクは正しい日本語をずっと志していたが、先生は流れに身を任す方。率先して流行り言葉を使う訳ではないが頑なに「世の中言葉が乱れている!」と抵抗するわけでもない。「ら」抜き言葉も次第に定着していき、遂には「正しい」となるだろうとのこと。時流の大きなうねりには逆らえない。「正しい」の本質かも?
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E6%B5%A6%E7%9C%9F%E4%BA%BA

    3人とも原稿やメモ、テキストを見ずに喋る。自分の言葉で語っているので、先生とボクとの間に教科書的なものの介在を感じない。だから聴いていて面白い。

    その他、島内裕子という国文学の先生の授業も良かった。先生の講義の試験は如何にも生徒に良い点を取ってほしいといういたわり(?)の気持ちが読み取れる。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%86%85%E8%A3%95%E5%AD%90

    青山昌文という美学の先生も印象に残っている。語りが非常に情熱的で話に引き込まれる。講義では「なるべく沢山の絵画や彫刻を紹介したいので、教科書は各自読んでおいてもらい、ここでは(TV)実際の作品を観てもらいましょう」と世界各地の美術品を映像で写す。映像は先生が実際にその美術館なり建造物のある場所へ行き、そこで話をしているところを撮影したもので、話の説得力が違う。ところが、試験は教科書から出る。しかもどの説明文が合っているか、ではなく、合っている説明文は幾つあるか?みたいな捻った試験だった。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E6%98%8C%E6%96%87
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■36332 / inTopicNo.14)  SDGsのレポート
□投稿者/ 田秋 -(2024/01/29(Mon) 09:49:29)
    2024/01/29(Mon) 17:26:49 編集(投稿者)

    SDGsの講義のレポートの評点が出ました。本当は他に貼りたいスレッドがあるのですが、角が立ってもなんなので自分のスレに貼ります。

    これはレポートの評価であって、科目としてのSDGsの成績ではありません。

    でも、とりあえず

    ヤッタネ! \(^o^)/

832×758 => 600×546

SDGSreport.jpg
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■36347 / inTopicNo.15)  ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ knowingitself -(2024/02/01(Thu) 15:19:04)
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■36351 / inTopicNo.16)  Re[14]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ 田秋 -(2024/02/01(Thu) 20:31:53)
    こんばんは、knowingitselfさん

    大曲ですよね。一度しか弾いたことありません。オケやってると練習する時間が取れません。

    個人的な感想を述べると、この曲、「奥が深い」というよりは暖かい宇宙、壮大な宇宙ではなくてシューベルトの宇宙、心の休まる家庭的な宇宙、そんな宇宙があるのかどうか知りませんが、そんなイメージを持っています。

    これを書いてる時にベートーベンが亡くなりました。シューベルトはベートーベンを深く尊敬していました。

    構成力、これが自分には足りないということをベートーベンを通して強く意識し、結果、この曲やシンフォニーのグレイトみたいな長い曲を書いたのだと思いますが、思うにシューベルトの旋律は美しすぎるのです。旋律がもうそれだけで完成しているので、分解し、再構成し発展させにくいのだと思います。
    運命の「ソソソミーーー」などはとても発展させやすいと思います。

    ところで、knowingitselfさんは2楽章をアップされていますが、これはウィトゲンシュタインは特に2楽章が好きだったということですか?

    こういうの、上手く聴かせるのって難しいです。遺作ですが、それは早く亡くなったからで、31才ですからね、何故このような音楽が書けたのか、全くもって不思議です。

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■36353 / inTopicNo.17)  Re[15]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ 田秋 -(2024/02/02(Fri) 08:53:43)
    2024/02/02(Fri) 10:31:53 編集(投稿者)

    おはようございます、knowingitselfさん

    ウィトゲンシュタインがあのC-durの弦楽五重奏曲が好きだったこと、わかる気がします。彼の日記から受ける印象とシューベルトとは違和感なく結びつきます。

    元々、彼の音楽的素養はある程度血として持っていた訳で、しかもウィトゲンシュタイン家に出入りしていた音楽家の中には世界の一流もいた訳で、彼の耳は本物だと思います。

    彼の時代、音楽を聴くといったら生しかないわけです(註)。この弦楽五重奏なんか、ひょっとしたら彼の家のサロンで演奏されたかもしれません。

    うらやましい。。。

    註:SPは既にありましたね。でもSPは1枚5分程度なので、この50分以上かかる曲を聴くには(レコード化されていればの話ですが)レコードが10枚以上必要です。

    ウィトゲンシュタインが蓄音機を持っていたのかって興味ありますね。

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■36401 / inTopicNo.18)  Re[15]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ knowingitself -(2024/02/03(Sat) 09:42:15)
    田秋さん レスありがとうございます

    > 個人的な感想を述べると、この曲、「奥が深い」というよりは暖かい宇宙、壮大な宇宙ではなくてシューベルトの宇宙、心の休まる家庭的な宇宙、そんな宇宙があるのかどうか知りませんが、そんなイメージを持っています。

    たしかにそういうイメージもあてはまると思います。天国的な安息もあります。それと同時に、痛苦や慟哭も生々しいですね。

    > ところで、knowingitselfさんは2楽章をアップされていますが、これはウィトゲンシュタインは特に2楽章が好きだったということですか?

    ウィトゲンシュタインが特に二楽章を好んだというのは聞いたことがありません。
    田秋さんなら曲目を上げただけで十分だと思いましたが、もし興味半分にクリックするロムの方がいれば、1時間近い全曲を聴かせるわけにもいかないので、二楽章の中間部、貼った演奏だと5分過ぎくらいですか、そこあたりがいいと。もちろん、この曲はyoutubeにたくさんあります。

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■36405 / inTopicNo.19)  Re[16]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ knowingitself -(2024/02/03(Sat) 11:47:35)
    >元々、彼の音楽的素養はある程度血として持っていた訳で、しかもウィトゲンシュタイン家に出入りしていた音楽家の中には世界の一流もいた訳で、彼の耳は本物だと思います。

    >彼の時代、音楽を聴くといったら生しかないわけです(註)。この弦楽五重奏なんか、ひょっとしたら彼の家のサロンで演奏されたかもしれません。

    自宅にウィーンフィルを呼んで演奏を聴いて育ったとかいわれてますね。どれだけ大きな邸宅?

    ブラームス、マーラー、リヒャルトシュトラウス(弟子たちでなくいずれも本人)がウィトゲンシュタイン邸で、二歳上の兄とピアノ連弾をしていたと。

    ブルーノワルターやパブロカザルスなども出入りしていたと。

    そういう恵まれすぎる環境(ちょっとすごすぎる)だと、レコードを聴く気になるかどうかわかりませんね。
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■36432 / inTopicNo.20)  Re[16]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ 田秋 -(2024/02/05(Mon) 16:22:09)
    論理哲学論考の4・014、4・0141にレコード盤(蓄音機)の記述があるとのサジェスチョンがfloraさんからありました。

    ウィトゲンシュタイン自身が蓄音機を持っていたかどうかはわかりませんが、時代の先端技術の一つではあったでしょう。



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■36435 / inTopicNo.21)  Re[17]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ flora -(2024/02/05(Mon) 18:11:19)
    No36432に返信(田秋さんの記事)

    田秋さん、こんにちは
    > ウィトゲンシュタイン自身が蓄音機を持っていたかどうかはわかりませんが、時代の先端技術の一つではあったでしょう。

    持っていたと思います。というのも、

    Susan G. Sterrett Department of Philosophy, Duke Universityの『Pictures of Sounds: Wittgenstein on Gramophone Records and the Logic of Depiction』に
    https://philsci-archive.pitt.edu/2019/1/SterrettPicturesOfSoundsR1.pdf

    ================
    It is reported that, as an adult, Wittgenstein “when listening to music on the gramophone put the needle back repeatedly to some musical transition from which he wanted to extract everything.”
    大人になってから、ヴィトゲンシュタインは「蓄音機で音楽を聴くとき、そこからすべてを引き出したいと思った音楽の変遷に何度も針を戻した」と伝えられている。
    =================
    とあり、上記の記載は Brian McGuinness, Wittgenstein: A Life / Young Ludwig (University of California Press, 1988), p. 34.から取ったものと思います。

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■36442 / inTopicNo.22)  Re[18]: ウィトゲンシュタインと音楽
□投稿者/ 田秋 -(2024/02/05(Mon) 20:43:54)
    こんにちは、floraさん

    成るほど、この記述からするとウィトゲンシュタインは蓄音機を持っていたようですね。

    ウィトゲンシュタイン家には蓄音機があって、論理哲学論考に蓄音機が出てくるのは、きっとその時の経験や記憶も一役買っているんでしょうね。

    論文の紹介、有難うございます。


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■36443 / inTopicNo.23)  『論理哲学論考』と"transition"
□投稿者/ うましか -(2024/02/05(Mon) 21:27:05)
    2024/02/06(Tue) 01:33:14 編集(投稿者)
    2024/02/05(Mon) 22:00:10 編集(投稿者)

    田秋さん、floraさん、こんばんはー

    興味ぶかい投稿だったので、自分なりに調べてみました(;´・ω・)

    >Brian McGuinness, Wittgenstein: A Life / Young Ludwig (University of California Press, 1988), p. 34. ( No.36435 ,floraさん)

    https://books.google.la/books?id=V09csBjMETwC&printsec=copyright#v=onepage&q&f=false

     法政大学出版局の叢書・ウニベルシタスに訳本があります。以下は『ウィトゲンシュタイン評伝 若き日のルートヴィヒ 1889−1921』より。

    > 彼は多読家というよりも、精読家であった。彼は「自分に意味があることを語っている」章句や詩に繰り返し立ち戻ろうとした。これはレコードで音楽を聴く場合も同様であって、彼は、そこにすべてがこめられていると思う移行部へ何度も針を置き直したものである。文学、さらには哲学に対する態度もこのようであって、それは友人エンゲルマンの報告に適切に述べられている。「ウン、そこまではわかった。それで次は?」などと言うのは、彼の反応の仕方ではない。彼は意味深長な表現の箇所で立ちどまり、自分の理解を深めようとするのである。それゆえ、当然の結果として、彼の覚え書きはゲーテやシラーの引用で埋まることとなる。 < 〔上掲書, p.55〕

    *******

    >彼は「自分に意味があることを語っている」章句や詩に繰り返し立ち戻ろうとした。これはレコードで音楽を聴く場合も同様であって、彼は、そこにすべてがこめられていると思う移行部へ何度も針を置き直したものである。文学、さらには哲学に対する態度もこのようであって、

    上の引用の「移行部」と訳されているのは、"musical transition"でしょうか? この"transition"、私は音楽に疎いのですが、調べてみると、

    https://hmn.wiki/ja/Transition_(music)

    >トランジションとは、音楽のあるセクションを別のセクションにリンクするために作曲された音楽のパッセージです。<

    とあります。これ読んだ瞬間思いついたのは、『論理哲学論考』の構成。『論考』を読み進めていくと、何度か(唐突に)テーマが変わる部分があります。分かりやすいところでは、独我論について述べられるセクションと、価値、倫理について述べられるセクション。私のような凡庸な読者はこれらを唐突だなあなどと感じるのですが、作者ウィトゲンシュタインにとっては、誤解をおそれずに言えば、『論考』とは、ある種の「トランジション」によって諸セクションがリンク付けされた楽曲(建築物というよりは)に喩えられるような書物なのかもしれないな、と(;´・ω・)


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■36444 / inTopicNo.24)  『論理哲学論考』と"transition"
□投稿者/ 田秋 -(2024/02/05(Mon) 23:24:35)
    こんばんは、うましかさん

    ウィトゲンシュタインが「すべてがこめられていると思う《移行部》」、この《移行部》が何(どこ)を指すのかはわかりません。何故わからないのかというと・・・

    楽曲をアナリーゼ(分析)する際、移行或いは推移という言葉はよく使われます。例えばソナタ形式の場合、第2主題の前に移行部(推移)という部分が置かれます。何故置かれるのかと言うと、第1主題と第2主題とでは普通調性が違うからです。下図は第9の第1楽章の提示部の簡単なアナリーゼです。第9はニ短調です。ですから第1主題はニ短調ですが第2主題は変ロ長調で書かれています。ニ短調から変ロ長調へ滑らかに繋ぐ部分、それが移行部(推移)です。

    ですから作曲上の移行部には「すべてがこめられている」と言うほど重要な意味合いは普通ありません(少なくとも普遍的には)。

    なのでこの「移行部」を音楽に関連付けて理解しようとする場合は、色々な意味を込めて単に「部分」と読み替えた方が袋小路に入り込まないような気がします。

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